18話 教育と躾け3
おやつの時間になるまで、マデリオは夢中になって練習をしていた。夢中になるほどの上達があったのだ。
「モリィの言うこときいたら、本当に真っ直ぐ飛んだんだ。モリィは物知りだな!」
マデリオはマリスとフラッセカに興奮気味に語りかけていた。
聖良は間違っていなかった事にほっとしている。
おやつも国王夫妻が共にしているため、使用人のアスベレーグ達は近くで控えていたが、客人であるエルフ一家は同じテーブルに着いている。
マデリオはパイが皿に載せられるのを見て、しゃべるのをやめた。
さんざん待たされた彼は、今日の成果よりもおやつに気が向き、目の前に出されたパイにかぶりついた。
もう少し、礼儀作法についても教えなければならないだろう。
彼はそのまま無言で完食し、それから口を開く。
「うまいっ! 何これっ!?」
聖良は呆れて笑った。
「アップルパイです。生地がさくさくして美味しいでしょう。
その生地は、生地に油を挟んで折りたたんで作るんです。パン種を使って発酵させると、さくさくのパンが出来ます。これが美味しいんです」
パイ生地とデニッシュ生地の差は、酵母を使うかどうかの違いだ。
それ以外の作り方は同じである。
酵母は清潔な入れ物に、果物や野菜などと、糖分が少なければハチミツを足しておくだけで、一週間ぐらいで出来上がる。
「へぇ、美味そうだな。おかわり」
彼は食欲のまま、皿を差し出した。
「ございません」
給仕の女性が笑顔で言う。
「え、もうないの?」
「申し訳ございません。均等に分けてお出しいたしましたので、ございません」
それほど大きくないパイだ。無くなって当然である。
「ごめんなさい。二つぐらい作ればよかったんだけど、口に合うかどうか分からなかったから、一つにしたんです」
「口に合った」
「ありがとうございます。じゃあ、私の分をどうぞ」
「ありがとう!」
マデリオは差し出した聖良のパイを迷い無く受け取り、エスカに睨まれた。
「毎回、そうやってもらってる」
「エスカももっと欲しいのか?」
「意地汚い」
そのやりとりを見て聖良は笑う。エスカは小さくても女の子だ。男の子を叱るのは女の子の役目である。
「マデリオ君は、アイスクリームとどっちが好きですか?」
「ん……両方!」
聖良もどちらが上かと聞かれれば悩む。全部美味しい。
「じゃあ、また作り方を料理人に教えておきますね。
そうしたらいつでも食べられます。
甘さも自分の好みに変えられます。
中の果物を変えたりしても美味しいですし、挽肉を詰めて焼けばメイン料理にもなります」
「まあ、楽しみ」
フラッセカがほほほと笑いながら言う。彼女もすでにパイを食べ終えている。上品な見た目に反して、マデリオに近い所がありそうだった。
「妻は甘い物に目が無くてね。また珍しい菓子があったら持ってきてくれるとありがたい」
「女性はどこの国でも甘い物が好きなものなのですね」
アディスが優雅にカップを手にしながら言う。計算し尽くされたような、妖しく冷ややかな笑みを浮かべる。
「しかしこの菓子はグリーディアではなく、この子の姉のような女性のオリジナルレシピです。グリーディアでも珍しい物ですよ」
「姉……アスベレーグが出会った女性か」
「ええ。彼女です」
「エンザの料理人と同郷と聞いている」
「そうです。面白い女性ですよ」
アディスは隣に座る聖良の髪に触れながら言う。
はっきりとは言わない。臭わせるだけだ。
それがアーネスの姿には、とてもよく似合い、ミステリアスな男を演じていた。
実像はただ間抜けな所もある、自信過剰なロリコンだ。
冷たさと濃艶を同時に纏う今の姿は、短期間しかもたない、ただの演技でしかない。
部屋に戻ればいつもの気の抜けたアディスになる。
今の方がまともに見えるが、慣れているアディスの方が落ち着くのは間違いない。
「アーネスはいいな。いつもこんな美味い物が食えるなんて」
マデリオに妬まれ、アディスは何も言わず、意地悪く笑う。聖良はなりきっている彼に代わり、フォローを入れた。
「マデリオ君だって食べられるでしょう?
プロの人が創意工夫すれば、もっと美味しくなるかも知れない。
私はただ、この国にはない技法を知っているだけなの。
技法は教えてしまえば特別じゃなくなるでしょ」
「うん……まあ」
「前も言いましたけど、食べたかったら自分で作るのが一番です。
そうしたらどこに行っても食べられます。料理人がやめちゃっても平気です」
聖良は喉の渇きを覚えてお茶を飲む。砂糖が入っていても、少し苦みを感じる。
「でも、道具がないと作れない」
パイを食べ終えたミラが口を開いた。
「森の中、無理。自由に使える台所、必要」
「そうですね。パイやケーキは温度調節がしやすい窯がないと難しいですね。
でも、ミラさんって基本的にうちにいるか、神殿にいるんじゃ?」
「神殿、ハノもユイも調理場は入れない。困る」
ハノ達は家事を手伝っているので、聖良が作る菓子の作り方を覚えている。
「神殿もけっこう厳しいんだよ。ミラは肉切りだけはさせてもらえるけど、本格的に何か始めたら、材料を貸してもらえないだろうね」
ユイはパイを切り分けながら言う。
「ケチですね」
「本来、使役は神子の命令以外のことはしていけないんだ。
で、神子が使役に料理しろなんて言うのもはないね。神子に生活力はない方がいいんだよ。
ミラの場合は、何か切らせないと不安定になるからって認められているけど」
「臆病ですね」
「そうだね。臆病なんだ。それに付き合わされる方は窮屈だよ。
マデリオ達は絶対に神殿に見つからないようにね。窮屈と思うことがあるかも知れないけど、神殿よりはずっとマシだから。窮屈さの度合いが違うから」
切実な言葉に、マデリオは顔を顰める。
アーネスやフレアに力の使い方を習っているマデリオは、彼らの実力は多少知っている。そのアーネスらと共に行動し、エスカと並ぶユイの実力が高いのも、想像がつくだろう。だからそんなユイがこれほどまでに悩んでいる事に、自分とエスカが関係しているのが、煩わしいのは当然だ。
「はやく大きくなって強くなって、エスカを守ってね」
「い、言われなくても」
マデリオはふいと顔を背けて強がった。
ユイは負けん気の強い彼を見て、にこにこ笑いながら自分のパイを差し出した。
「いい子だね。僕のもあげるよ」
「ありがとうっ!」
ツンケンしていたのが嘘のように、彼はぱぁっと顔を輝かせた。
隣でアディスがくすくすと笑っていた。
マデリオを見て呆れているエスカも含めて、とても可愛いと考えている顔だ。
聖良は鼻歌交じりにホイップした生クリームをスポンジの断面に塗りつける。
そこに果物を敷き詰めて、スポンジを乗せる。あとはデコレーションのみだ。きれいに生クリームを塗り、綺麗にならし、持ち込んだ絞り器で生クリームをデコレーションしていく。
プロではないので、単純に見栄えを整えるだけだ。
最後に上にも果物を敷き詰めて、果物にシロップを塗って完成。
「よし」
「本当に綺麗なお菓子……」
ハーティがケーキを見てため息をつく。彼女にも飾り付けをするかと尋ねてみたが、不器用だからいいと遠慮した。
聖良以外でデコレーションしているのは、この国の料理人達だ。初めて扱う絞り器に苦戦して、聖良よりも見栄えの悪いケーキになった。
初めてなのにあっさりと追い抜かれていたら、聖良の立場もなかったので助かった。
見栄えの悪いそのケーキは、皆で分け合ってもらう。見栄えが悪くとも味は同じだ。
「金口の形で、いろんな絞り方が出来るんですよ。
綺麗に飾ると華やかなので、結婚式にも使われたりするんです。
見栄えのいい果物をシロップでコーティングしててからせたり、飴細工を乗せて飾ったりすると、より美しくなります。もう食べる宝石って感じですね」
「確かに華やかな菓子ですね」
「上手い人がやればいくらでも綺麗になるんですけど、私はまだまだです」
それでも最近はずいぶんと上達していた。均等に絞れるようになったのだ。まだ全体を見るとバランスが悪いが、これからの長い人生、いくつもケーキを焼いていけばそのうち一流のパティシエのように綺麗なケーキを作れるようになると、聖良は信じていた。
「生クリームはけっこう何にでも合うので、この国のお菓子と組み合わせ手もいいと思います」
「モリィ様、パイはそろそろいいでしょうか」
「あ、右側のは中まで火が通ってそうならいいですよ。
上手くできたらマデリオ君が喜びますね」
いくつものパイの様子を見て、聖良は指示を出す。
マデリオのご機嫌取りのため、子供が好むような菓子を作って見せているのだ。
レパートリーは多ければ多いほどいい。
ハーティは後学のためにとついてきた。
マデリオのような小さな子は、シンプルな焼き菓子もいいが、手の込んだ豪華な菓子となるとご馳走だ。聖良も小さなころは、見た目のすごい菓子に憧れた物だった。
あとはプリン、シフォンケーキ、タルト、タルト・タタンも作る予定だ。
これらも子供が大好きな菓子である。料理人達には、作り方と注意点を教えれば再現は難しくないものばかりだ。あとは彼らの意欲によって、味の改善がされていく。
ついでに、この国の香辛料と、その使い方を教えてもらうのだ。
そしてこの世界の料理に手を加えたり、いい部分を取り入れたりして、自分好みの味に改造していくのだ。
そのためには、基本を覚える必要がある。
この国のスパイシーなソースは、それだけで肉が美味しくなるし、野菜炒めも美味しかった。
外国に来たときの楽しみは、やはり食事である。もちろん、料理の美味しい地域に限るが。
「一つは皆さんで食べて味を覚えてくださいね。パイは具材によって酸味、甘味の配分を変えてください。ミートパイは香辛料によって味が全く変わりますから、作る人による味の差が大きく出るでしょうね。何にしても、美味しければいいと思います」
二つ焼いた小さめのミートパイは、他のパイと違って強烈な芳ばしい香りを振りまいている。
「いい匂い!」
マデリオが匂いに誘われてふらふらと厨房に入ってきた。
「あれ、訓練は?」
ハーティに問われ、マデリオはとぼけるように目を合わせず、菓子へと直進した。
「休憩中! ちょっと覗きに来たら、急にお腹すいた」
マデリオはよだれを垂らさんばかりに、菓子を見る。
聖良は苦笑して、作った菓子を見る。聖良もお腹がすいた所だ。
「じゃあ、味見に、ちょっとだけ食べましょうか」
「ちょっとだけ? こんなにあるならたくさん食べたい」
「料理人の方に作り方と味を覚えてもらうために作ったから、少しだけです。
マデリオ君がたくさん食べたら、味を覚えてもらえませんよ」
「うぅ……わかった」
たくさん食べたいが、作り方を教えるのも大切だと納得して頷いた。
「明日も違うお菓子を作ります。すぐに終わりますから、みんなにお茶の準備を刷るように伝えて下さい」
「わかった」
マデリオは笑いながら姿を消す。
「食べ物に釣られる内は平和ですねぇ」
聖良は思わず笑って言う。
「まったく。あのまま育ってくださればいいんですがねぇ。何を作っても、美味しそうに食べてくださるんですよ」
料理人達は、普通の子供を見るように言った。
「悪さをしたら、アーネス達が叱ってくれるから大丈夫です」
「たのもしいですね。でもあまりきつく叱らないでやってくださいね」
ミラを動かすほど悪い子になったら、きつい灸を据えられることになるが、それはまだまだ先の話だ。
「アーネスは小さな子には優しいから大丈夫です」
「覚えの良い子供ほど、アーネス様は好まれます。マデリオさんはアーネス様にとって、さぞ教えがいのある弟子でしょうね」
ハーティは自虐的に言う。彼女は竜にしては天才的に覚えがいいのだが、人間から見ればそこまで出来のいい子ではないらしい。
莫大な魔力の量があったから、目をかけられていたのだ。
「さて、切り分けちゃいましょう」
パイ二種類と、見栄えの良くないデコレーションケーキ。
太りそうだが、仕方がない。これは味を教えるために作ったのだ。そして聖良は空腹だった。
明日もまた別のお菓子を、贅沢なの素材と自分の狭い台所よりも広い場所で作れる。
それだけで聖良は幸せだった。




