16話 エンザ7
天国のお父さん、お母さん、お元気ですか。
聖良は今、また誘拐されてしまいました。もう何度目なのか、忘れました。
しかも今度は、今までで一番誘拐らしい誘拐です。
目隠しをされ、手足を縛られて転がされいるだけで、死ぬような薬を打たれる事もなく、逆さ吊りもされず、女の人にも囲まれず、まさしく普通の誘拐です。これぞ誘拐です。
不思議な事に今までで一番怖くないけど、今までで普通の不安を感じます。
ああ、しかしなぜこのような事になったのか……。
そう、確かあれは、女王様に誘われて、風呂に入っていた時の事でした。
聖良はなけなしの勇気を出してビキニを身につけ浴場へと入った。
他に客の女性が何人もいる。
ここには女王陛下に連れられ、女王陛下も一緒だ。
専用風呂を想像していたのに、解放されている。
このお国柄を考えると、有料のエステスパだと想像できた。外には逞しい男性の警備員が二人と、中には女性の警備が何人もいるので、女王が使っても安全なのだと思われた。
そんなものが解放区域とはいえ、宮殿内にあるのだから驚いた。
風呂は蒸し風呂とエステのコースがあり、トルコ風呂がイメージ的には一番近い。女王陛下に連れられてきたためか、スタッフ達が聖良に対して、他の客に対するよりもうやうやしい態度だ。
その場にいなかったミラも誘われたのだが、彼女は人にベタベタ触れられるのが苦手なので、聖良が断っておいた。
普段聖良やハーティが、ミラと一緒に風呂に入れるのは、万が一の事があってもなかなか死なないという安心感があるからだ。普通の人間ではミラにとっては脆弱すぎて、自身が無防備な状態の時は手加減できなくなるため、誰かと一緒にいるだけで緊張してしまうらしい。
彼女は恐ろしい事に、そういう緊張から暴れるのだ。絶対に連れて行くなど無理だ。
ミラは、簡単に死んでしまう存在に触れるを恐れるのだと、ユイが言っていた。
彼女が魔術の達人なのは、養父であるハーフエルフが、人間やエルフとは少し違う、エルフのように生まれ持った魔力だけに頼らなくていいような魔術を、養女であるミラに教えたからだ。
それは新しい魔術の創造である。
その天才が生きていたなら、どんな秘境にでも会いに行ったのにと、アディスが悔しがるほどすごい事らしい。
そんな人物でも簡単に殺されてしまった事が、ミラを集団嫌いで、他人嫌いで、さらに言うなら弱者嫌いにさせてしまったのだ。弱者とは、強さとかではなく、死にやすさ、脆弱さの意味だ。
だからこんな所に連れてくるのは本人に訊かなくても、無理だと分かっている。
ため息をつくと、後ろから伸びてきた手に胸を触られた。触られたなど生ぬるい。握られた。
「うえぇぇっ!?」
「色気のない声を。あの顔のいい旦那が、げんなりしてしまうわよ」
「か、彼はこういう事はいたしません」
悲鳴を上げると、ミラが来るから、突然嫌がるようなことはしない。
聖良は背後に立って胸を触ってくる女王を仰ぎ見る。程よいサイズの胸に、細い腰に肉付きのいい腰。理想の体型を維持している彼女は、不思議そうな顔で、今度は聖良の胸を指で突いてきた。
「同じ人種なのに、なぜこうも違うのか」
そう言うと、女王はイーリンをちらと見た。イーリンは聖良がなりたかった体格そのものを持っている。
最近はサバイバル生活でこちらに来た当初に比べれば、少しは痩せたのでビキニも着られるが、胸はあまり減っていない。
「私はイーリンさんぐらいがよかったです」
「巨乳はみんなそう言うわね。でも、男が好きなのはこれなのよねぇ」
そう言って、ようやく手を離してくれて、聖良は胸をなで下ろす。
「さて、玉のお肌を磨いて、旦那に惚れ直してもらいましょうね」
アディスはどうでもいいが、エステをしてくれると言われて喜ばない女はいない。
初めての本格エステである。聖良は胸の高鳴りを覚えた。
それから蒸し風呂に入り、その後のマッサージの気持ちよさで一時間ほど眠ってしまい、気付いたら身体がピカピカになっていた。
それなのに、今自分は目隠しをされて、猿ぐつわをかまされて、自分がなぜここに転がっている。
極楽エステで寝はしたが、ちゃんと自分で服を着た記憶はある。自分からはまだいい香りがするので、それほど時間はたっていない。
ではどの時点で、誘拐されたのか──
汗をかいているので、レモン水のような物をもらい、身に余る幸せに浸った。
文明って素晴らしい、と。
田舎暮らしの欠点は、こういったサービスを受けられない事だ。聖良も大人になって働くようになったら、エステに通ってやると決めていたのに、現実は家事に追われる日々だ。
家事をしなくていいというのは、幸せだと感じながら、それでもこんな生活を続けていたらストレスが溜まって家に帰りたくなるのだ。
こういうのは、たまにだからこそいいのだ。毎日だったらこんな幸せな気分にはならない。
聖良が幸せを噛みしめていると、女王が伸びをした。
「さぁて、部屋に戻りましょうか。そろそろ準備を始めないと、じいやに叱られるわ」
「私はバーを手伝ってまいります」
リフレッシュしたイーリンは、昨夜のように手伝いをするのだ。
聖良は近くで商人と話しているアディスの所に戻らなければならない。
「あ、送らなきゃいけないんだったわね」
「送るって、角を曲がった所じゃないですか。一本道ですよ」
迷うようがないほど近い場所なのだ。これをわざわざ送るというのもあり得ない。
「あの、私までこんなによくしていただいて、本当にありがとうございました」
「いいのよ。お菓子美味しかったわ。そのお礼。次は旦那におねだりしてちょうだい。お得意様はスペシャルコースを一割引よ」
女王と言えどもやはり商人。しっかり宣伝してから去っていった。
聖良は自分がいつの時点で誘拐されたのか記憶はないが、間違いなく、風呂からホールへの短距離の間で誘拐されたと結論づけた。
自分という存在は、たかが数十メートルの一本道ですら一人になってはいけないのだと思い知った。
悲しくて涙が出そうだが、鼻が出たら窒息死しそうなので堪えた。
「ううぅ」
口に布を突っ込まれてから、さらに頑丈に口に布を巻かれているため、うめき声さえほとんど出ない。風邪気味だったらもう窒息死している。
幸いにも、縛られていると言っても、簀巻きにされているわけではない。後ろ手に縛られ、足首を縛られて床に転がされているだけだ。転がされているという事は、顔を床にこすりつけられる。必死にやれば、目や口を覆っている布をずり下げられる。そうすれば周囲の様子を確認したり、口の中の布をはき出せる。
女は度胸。
顔に傷がついたとしても、その程度なら一瞬で回復するので、痛いほどすりつけるべし。
がんばれ私、負けるな私。
そう自分を叱咤激励し、作戦を決行した。
セーラが戻ってこない。
アディスは腕を組んで外を見ると、日もほとんど沈んでいた。
さすがに遅すぎる。しかし、人もたくさんいる場所で、危険などはないはずだ。しかし、遅すぎる。
「そわそわされていますが、どういたしました」
「いえ、妻がなかなか戻ってこないので……」
「それは心配ですな。確かめてもらったらよろしいでしょう。ああ、君。ちょうどいいところに」
話をしていた商人が、ウエイトレスを引き止めてくれた。
「申し訳ありませんが、妻が浴場に行ってから戻ってこないんです。いるかどうか、確認してくださいませんか。セーラと言って、女王陛下と供にいるはずですが」
「かしこまりました」
ウェイトレスは姿を消し、すぐに戻ってきた。
「半刻ほど前に、旦那様が待っていると、浴場を出ていかれたそうです」
アディスは額を押さえる。
つまり、聖良はウエイトレスがこの短時間で戻ってくるような距離も戻ってこられなかったというわけだ。
アディスは目を伏せた。聖らがいる場所は分からないが、そう遠くにいる感じはしない。
聖良がアディスの庇護下から出れば、アディスには何となく分かる。逆に、ここまで近いと、方向も特定できない。
ため息をつき、立ち上がる。
「申し訳ありませんが、レンファ殿に至急それを伝えて下さい。私は妻を捜しているとも」
「かしこまりました」
まさか、妻が誘拐されました、などとは大きな声では言えない。さすがにこの場所でいなくなった、というのはエンザの信頼に係わる事だ。これで大事にしないという貸しを作っておけば、後の交渉に有利にもなる。
アディスは商人達に退席を詫び、手始めにレンファかユイかエリオットを見つける事にした。
捜索人数は多い方がいい。
顔をこすりつけた結果、先に取れたのは目隠しだった。
聖良はまず状況確認をするために頭を振って布を吹っ飛ばし、真っ暗闇な部屋にがっかりした。
暗いと言っても、ドアの隙間から少しだけ光が差し込んでいるので、目を細めてなんとか部屋の中を見る。
暗くて見えないが、部屋は六畳ほど。部屋の隅に箱や袋が置いてあるのだけは分かった。物置かもしれない。
聖良は芋虫のように這って木箱らしき物に近づき、その角に引っかけて布を外そうとした。なかなか外れない。どんな巻き付け方をしているのか、暗いし全く見えないのだが、よほど魔術を警戒されている事だけは分かった。
しかしここで諦めるほど、聖良は甘い人生を送ってはいない。
聖良がいた場所は男子禁制な上、エステを受けるのを知られていたので、アディスが気付くにはまだ時間がかかる。救出の期待を持たない方がいい。
聖良の口は魔術で封印されているのではない。物理的な口封じだ。引っかけ続ければいつかは取れる。ならば無理にがしがし引っかけるのだ。
この程度の事で参っていては、次にもっと凶悪そうな存在に誘拐された時に困る。ひょっとしたら、人形師並の変態が他に存在するかも知れない。
自分の身は自分で守る。自分を守れるのは自分だけ。
それが厳しい世間を渡るのに必要な覚悟だ。
レンファの協力を得て、誘拐時の道順を予測した。可能性があるとすれば、浴場の受付の外。そこからすぐに角があり、その少し先には女性専用と書かれたついたてがある。この間で、何かが起こった可能性は高い。
上には通風口があるらしく、聖良や、聖良並みに小柄な人物なら通れる。ただし、気を失っていない限り、セーラは暴れて音を立てる。怪我をすることに怯えないので、思い切り暴れるはずだ。かと言って、気を失った人間を、高い天井についた通風口まで引き上げ、移動できるほど広いものではない。
なら、使用人に紛れていた可能性が最も高い。
ランドリーメイドなら、使用済みのタオル等を入れる大きなワゴンを押す。セーラほど小さければ十分に収まる。
決めつけるのは危険だが、その可能性を第一として捜索を開始した。
「でも、前の時と同じ手口で、また誘拐されるものかな?」
ユイが首を傾げて言った。
「それはまあ、セーラですから」
「確かに、セーラなら仕方がないな」
「セーラだものねぇ」
その意見に賛成者はいなかった。
本人が聞いたら激怒するだろうが、彼らはそれで納得し合い、片っ端から怪しい部屋を捜索する事になった。
「ああ、こんな事ならジェロンを連れてくるんでした」
「言っても仕方がないよ。兄さん、僕は上の階から調べてくる」
エリオットはそう言うと、階段を駆け上がっていった。
「あ、じゃあ僕らは下から。アディスは直感で探してて。あれだけギャンブルが強いから、ひょっとしたら一番効率がいいかもしれないし」
ユイがかなり無理のある要求をした。
「日頃の運のなさを見てて、それを言いますか。私はお金と才能には困った事はありませんが、それ以外はいつも困っているんですよ」
「でも、二人はつながってるんだから、なくはないと思うけど」
アディスは腕を組んで考える。セーラの探し方は身につけねばならない技術の一つだ。
「私は別の所を探してきます。ユイ君は、ミラさんが暴走しないように気をつけて下さい」
アディスは得意とは言えない探査魔法のために、首にかけておいた呪具を取り出す。
目的は分からないが、彼女はグリーディアの魔術師だと思われているから誘拐されたのだ。だから手荒なまねは受けていないはずだ。
セーラは近くにいるのは間違いない。連れ出される危険があるのは、捜索隊が疲れてきて、人も少ない深夜から明け方頃だろう。それまでに見つけ出せばいい。
もしも離れてしまったとしても、アディスにはおおよその方向が分かる。近いよりも離れた方が分かりやすい。
「慣れって、怖いな」
セーラもさぞ慣れてしまった事だろう。一番可能性が高い、人売りや粗暴なチンピラに誘拐された事がないのは、彼女らしさなのだろう。
彼女はいつも、変な事にばかり巻き込まれる。
「変質者と悪魔の次……」
セーラは何のために、どんな人物に誘拐されたのだろうか。
聖良はもぞもぞしていると、急にドアが開いて身構えた。逆行で見えないが、女のシルエットだ。
「せ、セーラ? うそ、こんなところにいるなんてっ」
「んんー」
イーリンの声だった。
彼女は聖良に駆け寄ろうとし──
後ろから殴られて倒れた。
「…………」
彼女が何をしに来たのか、ここがどこなのか聞く間もなかった。
使用人の格好をした女は、イーリンを引きずり込んでドアを閉める。
しばらくすると、女はイーリンを置いて出ていった。聖良の目隠しが外れている事には気付かれなかった。もがいて髪が顔を覆っていたのがよかったらしい。
聖良は芋虫のように這ってイーリンに接近する。彼女も縛られて口を塞がれている。もちろん聖良ほど念入りではない。
「んーんんん」
頭を持ち上げ、気を失っているイーリンの肩に顎を落とす。
「う……」
イーリンは呻いて身動ぎし、縛り倒されている事に気付いた。
「ううっ」
彼女がじたばたと暴れ出したで、聖良は慌てて転がって離れる。
問題はここからだ。油断しているのか、何かに縛り付けてもいないので、後ろ手に縛られていても互いの縄を解けるかもしれない。
だが、協力し合おうにも意思疎通の方法がない。
仕方がないので、何とか起き上がり、背を向けて呼びかけた。
「んんっんんんんー」
イーリンは殴られたためか、ぼーっとしている。
仕方がないので背を向けて接近する。手で彼女に触れられるほどに近づくと、その服を掴んで背を向くように引っ張った。すると彼女も背を向いてくれた。
言葉などなくても何とかなるものだと思いながら、お互い苦労して指をぶつけ合いながらも頑張った。
「イーリンがいない?」
アディスは途中で出くわしたレンファと情報の確認をしていたところ、そんな報告がもたらされた。
セーラは理解できる。イーリンは理解できない。異世界の女だから特殊ではあるが、今更過ぎる。
「彼女も捜索に参加していたのか?」
「何かを探すついでに、見てくると言っていたそうですが、何を探しに行ったのか誰も聞いていなくて。食料庫にはいませんでした。念のため、それ以外もあの区域は捜索しましたが、見つかりません」
「何かを見て捕まった可能性が高いな。イーリンが用のある所に誰も心当たりはないか?」
「あるところは調べました。彼女の部屋も、彼女の友人達の部屋にもいません。仕事には熱心な子だから、さぼるような事はしないはずですし、やはり誘拐犯に……」
「そのことを捜索している他の者にも伝えなさい。彼女には用がないでしょうから、発見が遅れると始末される恐れがあります」
「畏まりました」
レンファはため息をついて、自分の頬を両手でぴしゃりと叩く。
「イーリンさんの居場所に、心当たりは本当にないんですか」
「彼女の行動範囲は決まっていますからね」
「その決まった範囲とは?」
「もちろん食品関係ですよ」
「食品関係の倉庫は一カ所ですか? 香辛料も全部」
「もちろん……待てよ」
レンファは顎に手を当て、考え込む。
「心当たりが?」
「食品関係があるのは倉庫ばかりではありません。新しい物を売り込みに来る、なじみの商人はたくさんいます」
「客室付近ですか」
「厄介ですね」
レンファが厄介と表現したが、アディスにとってはそうではない。
「うちの連中が、客室を総当たりしていますよ。間違えても神子やエリオットなら笑ってすまされますから」
「ずいぶんと、思い切ったことを……」
「前はホテルで魔女に誘拐されましたからね。セーラは珍しいから、色んな者に狙われるんです。まさか普通の人間にまで狙われるとは思いませんでしたが」
ついてなさ過ぎて誘拐されるというよりは、はっきりした理由がある分、いいはずだ。
「客室の中でも、人気のないようなところはありませんか?」
「人気のないところ……そういえば、彼女は第二棟の客とも親しくしてたな」
「第二棟?」
「第二賓客棟です。こちらが第一。二棟は値段設定が安くなっているので、一棟が空いているのに泊まるのは、商売に自信がない表れと、繁忙期以外は泊まられる方が少なくなっています。人がいないので逆に簡単に調べられるので、誰かが調べているでしょうが、だからこそ見落としがあるのかもしれません」
レンファは頬に手を当て考え、一人で頷いた。
「よし。一棟は彼らに任せておいても問題ありませんね。私どもは二棟に向かいましょう。では、こちらです」
レンファについてアディスも歩く。セーラもそろそろ不安に怯えている頃だ。気丈な子だが、女の子。しかも彼女はとても寂しがり屋なところがある。暗い場所に押し込められていたら、怯えているかもしれない。
速やかに救出し、彼女を慰めよう。
助けた後は、少し甘えてくるのがまた可愛いのだ。
そう考えると、俄然やる気が出てきた。