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 アディスは魔術師達のための食堂で朝食を食べた。食べると魔力が増えると言われている食材などもあり、魔術師には一見普通だが、特殊なメニューがある。牛乳を飲めば胸が大きくなるという俗説並に胡散臭いが、伝統なのだ。

 その後、セーラがエリオットの部屋を見たいというので、複雑な胸の内を抱えながら皆を案内した。

 他人を部屋に入れるなんて、女装を始めてから始めてのことだ。

 しかも女の子を二人も。

「なんか想像と違います」

 セーラの言葉にエリオットは首をかしげた。

 けっこう広い部屋をもらっているが、身体を鍛える道具がたくさん置かれているので狭く感じる。

 男の部屋としては、それほどおかしくないはずだ。

「この子は引きこもりですから、太らないように室内で運動出来る物を集めているのは有名ですよ。だから入れてもらえないんだと思っていました」

 アディスは鏡台に触れる。人形師と会うときは、いつもあれの前に座り化粧をする。

「色々とありますね」

「うん。お化粧はどうしても眼鏡を外してするから、あんまり使いこなせていないけど」

「ああ、だから化粧が濃くなるのか……」

 アディスがいくつもある紅を取り出す。

「そんなに濃い?」

「濃いというか、ケバイですね。すっぴんの方が可愛いですよ、お前は」

 先ほど、押し倒されたときのことを思い出し顔が熱くなる。

 さらりと可愛いと言われて、嬉しかった。誰かに見破られるのが嫌で、化粧が薄いと怖かったから、ケバいという言葉は否定できなかった。

 だから可愛いという言葉の方は嬉しい。

「そういえば、なぜあのようなオカマのような格好を? 胸に詰めるとか、腰回りを誤魔化すとか、女らしくする方法はあったでしょう」

「んー……似合って男っぽくなければ別によかったし。あれぐらいの方が、僕とつながらないと思って」

 怖いのはフレアがエリオットだとばれたときだ。アディスさえ誤魔化せるのだから大丈夫だと思っていたら、気付いたのはセーラだった。

 気付かれたことはショックだが、好きな子に気付いてもらえたのは少し嬉しい。

「エリオット、私は中途半端が嫌いです。どうせ女装するならきっちりと女装しなさい」

 完璧主義者のアディスらしい発言だった。

「んん、でも今更方向性を変えようと思っても、どうしたらいいか……」

「まずは服装です。女物の服はどこに入ってるんですか」

「ここに」

 クローゼットを開けて、しゃがみ込んでその奥の小さな扉を開く。

「クレアの衣装部屋に隠してるの」

「…………」

「下の方に入り口を作れば、服のおかげで出入りするところは見られないし」

「クレアの衣装部屋は、離れていませんでしたか?」

「少しの距離ならどうにか歪められるよ。お兄様に手伝ってもらったの」

 エリオットは衣装部屋に這い出て、自分が勝手に服を置いている所まで行く。

「な、なにここ」

 ハーティが目を丸くして周囲を見回している。

「こんなに服がいっぱいあるの初めて見た……」

「クレアの……というか、ハーネスが作った部屋です。物を捨てられないタイプだったそうです。人間を捨てるのは躊躇いなかったようですがね」

 アディスは皮肉げに笑う。

 育てたものを壊すのに躊躇いはなかったと、大人達はそれはもう恐ろしげに、しつこいほど語りたがるのだ。

 肉体を奪い取られかけたクレアが記憶ごと取り込んだ、クレアとは似ても似つかない冷酷非道な男。

 しかし、あのハロイドは彼のことが好きだと言っていた。クレアが何と言おうが、彼のことが好きだったと。だから彼らはアディスを特別扱いしていた。

「兄さんは、やっぱりハーネスに憧れてあんなことしてたの?」

「なぜそう思うんです?」

「親子だから?」

 アディスが首をかしげた。

 沈黙が落ちる。

 まるで、寝耳に水のような──

「え、まさか、知らずにあんなことしてたり、あんな術を身につけたりしてたの?」

 問うと、彼は唇を痙攣させ、言葉を発しない。代わりに声を出したのはセーラだった。

「え、アディスのお父さんって、ハーネスさんって人なんですか?」

「お兄さまが言ってたから間違いないよ。てっきり知ってるからだと思ってた」

「へぇ。じゃあ捨て子じゃなかったんですね。でも、そんな父親だったらいろい……アディス?」

 固まっている彼の前でセーラが手を振る。背伸びをする後ろ姿がとても可愛い。

「人並みにショックを受けてるんですか?」

 アディスの服を引っ張るようにしがみつく。

「人並みって……セーラ、もう少し優しい言葉を……」

「立ち直りました?」

「まあ、少し驚いただけですから」

 声一つ漏らさず立ちつくしたのが、少し。

 エリオットは肩をすくめる。

「言わなかった方がよかったかな……。

 ごめんなさい、兄さん」

「かまいません。父親とはいっても、どうせ彼の使い捨ての身体の一つに過ぎません。

 やたらとハーネスと比べられた理由がようやく理解できたので良しとします」

 修羅場をくぐっているだけ有り、既に落ち着いていた。エリオットがフレアだと知った時に比べて、取り乱した様子がない。

「父親が分かってるのなら……母親は?」

「クインシーの死んだ奥さんだって」

 今は外交官だが、昔はハーネスの部下だった男だ。この前、聖都に行くために一緒に船に乗っていたからセーラも彼を知っている。

 アディスを特別可愛がるうちの一人だ。

「…………はぁ?」

「兄さんはクインシーの息子として育てられる可能性もあったらしいよ」

「はぁあ? な、なな、何を言って……クインシー……が?」

 ハーネスが父親と言った時よりも動揺していた。

 どうでもいいハーネスと、どうでもよくないクインシーの差だ。

「それはその……妻の浮気相手の息子って事ですか?」

「そう。ただ、クインシーも成行で従っていたとはいえ、ハーネスのことは嫌いじゃなかったみたいだね」

「よく分からない世代ですね」

 ハーネスはこの国の悪魔であり、英雄でもあった男だ。だから信者も多い。

 ハーネスを直接知らないから、長く生きる彼の実の兄である人形師が、なぜハーネスに対して尊敬の念を持っているのか、本当の意味では理解できなかった。

 エリオットは兄に、ハーネスの何に惹かれたのか分からないと告げたら、お前が兄と慕っている男の父親だと、教えてくれた。

「つまり、血は争えないってことですか?」

「セーラって、たまにきついことを言うよね」

「あ、いや、でも……そんなに偉くなって長生きした人に似てたら、アディスはもっと運がいい人になって、こんな所にいないかなぁって、思うんです」

 そこだけは誰かに似てどうにかなるところではない。

 しかし彼女の言っていることは少し間違っている。

 ハーネスは竜の身体を得ることが出来るなら、その方がよかったはずだ。彼は自分が死んだ後、自分の物が壊れるのを恐れていたのだから、アディスのような身体になることは、望まない結果ではなかった。

 竜を狙わなかったのは、リスクが高いからだ。自分が死んでは意味が無い。

「でも、ネコをかぶってるからいいものの、バレたら蛙の子は蛙とか言われる典型的なタイプですよね」

 セーラはアディスをひたと見つめて言った。アディスは反論すら出来ずに視線を逸らす。

 全然違うと思い続けてきたエリオットでさえ、昨日からそう思い始めてきたのだから、セーラがそう思うのも、アディスが何も言えないのも、仕方の無いことだと思った。

「でも、ハーネスは男になったり女になったりするから、男女構わず気に入った相手には全部手を出すタイプだったらしいから、そういうところは違うよ」

「でもこの人、前に可愛ければ男でもいいって」

 可愛いセーラの可愛い口から、とんでもない言葉が出てきた。

 あまりにものショックで、エリオットは手で顔を覆ってしゃがみ込んだ。

 フレアだと知られている今はともかくとして、昔の、小さな頃の彼自身がどのように見られていたのかと想像し、顔が熱くなる。

「セーラ、言わなくてもいいことを……。

 それに私には彼ほどこの国に対する執着はありませんし、育てた部下を簡単に切り捨てたりしません。

 アディスとして接してきた子供達とは、十年もしない内にお別れですが」

 十年たってもまったく変わらないのはおかしい。クレアに感づかれれば、ややこしいことになる。クレアは身体を乗っ取ったアディスを許しはしない。かといって竜の血を飲んだことにすると、アーネスが竜の血を飲んだことは、遅かれ早かれクレアの耳にも届くから、同一人物である疑いを持たれる可能性もある。クレアはなまじ知識が頭の中に眠っているので、下手に突けば藪蛇だ。

 逆にアーネスだけに絞ることにすれば、竜がいることを組織の人間が知っているため、どれだけ老けなくてもおかしいとは思われない。

 それはつまり、この町にもう一人、置いて死なない手の付けられない魔術師が増えるだけ。人形師のようにさらって殺さないため、警戒されても敵対まではされない。

「でも、クレアさんもよくアディスがたまにしか帰ってこないのを許してますよねぇ。私だったら許しませんよ?」

「色々と言い訳してますから」

「どんな言い訳してるんですか?」

「まあ、色々と」

 アディスはセーラを理由にしている。結婚までしたのは、そのためだ。そうでなければ、クインシー達という証人まで作って、人間社会だけでしか通用しない形骸的な儀式はしないはずだ。

「そういえばエリオット、秘密の通路はこれだけですか」

「うん、ここだけだよ。まだ小さな頃、お兄様が作ってくれた道だから。あとはもう自分で壁抜けして行けるし」

 地下の隠し通路を見つけたのは、アディスの知人だった。人形師が言うには、今まで彼以外には見つかったことがないらしい。しかし竜であると思えば、それも納得出来た。

 逆に彼らも半悪魔は便利だと思っているようで、皆に見られて恥ずかしくなり、話を逸らすことにした。

「でも、こんなにあると逆に迷いますねぇ」

 エリオットは、ふと自分の服を選ぶために来たのだと思い出す。寒いのかセーラが手近にあった毛皮のコートを着込み、膨大な数の服をあさる。

 化の所は可愛らしい服を何枚か持ってきて、エリオットの身体にあてがい、内の一枚を着ろという。

「僕が着るの?」

「きっと似合いますよ」

 服の影で着替え、セーラに見せようとしたが彼女の姿が見えない。小さすぎて埋もれてしまっているのかと思ったとき、左側から服をかき分けて出てきた。

「エリオット君の部屋にあった、鏡とクシとか持ってきました」

 エリオットは眼鏡を外して、部屋の隅にある椅子に座る。

 大きな姿見があり、背後に誰かが立つ。よく見えないが、背の高さからして女の子ではない。

「兄さん?」

「んん、なかなか可愛い。変な化粧をしてなければ、可愛らしい服も似合いますね」

「奇抜を狙うなら、可愛らしい方向でも意外といけるかもしれませんね」

 アディスに髪をいじられ、それにセーラも加わり遊ばれる。

「つ、ツインテールにしたいですっ」

「いや、ここは清楚に三つ編みを」

「巻きましょう。縦巻ロール」

「それは時間がかかりますよ」

「でも、男の子が女装をするとき、あごのラインを隠すのは定石です。まきまきすると女っぽくなってぱっと見男には見えないですよ」

「いやいや、この子の顔は元々女の子のような雰囲気だから、出しても問題ありません。アップにしてもいけます」

 二人は楽しんでいて、弄られているだけのエリオットは緊張した。顔も近いし、声も近い。

 しばらくすると、二人は気が済んだらしくエリオットに眼鏡をかけるように促す。

 服と髪型を変えただけだが、それだけでも女の子っぽい。

 自分は綺麗で可愛らしい男だと知っていたが、服装と髪型だけでも、ずいぶん代わることを初めて知った。

「エリオット君、これも羽織ってください」

 ベストを着ると、胸と腰が隠れてますます女の子のようになった。

「これで可愛いお化粧したら、男の子なんて気付かれませんよ!」

「問題はそこでしょう。目が悪いから」

「この世界の鏡って、なんかぼやけてますから、余計にお化粧しにくそうですね」

 セーラが持っている鏡はとても映りがいいのだ。

「繰り返して手で覚えるしかないのでは? さすがに化粧までこんなところでやって、誰かに見られたら洒落になりませんが」

「まあ、でもこれはこれでこのままでも可愛いですし」

「そうですね。可愛ければいいですね」

 二人は納得し合い、エリオットは複雑な心境だった。

「あの、これは可愛らしいけど、変装になってないような気が……」

 今まで黙っていたハーティが、もっともな意見を言った。

「それは後でいいんですよ。まずは女の子らしくなるところが大切なんです。慣れてきたら別人のような女の子になる練習をします」

 本当にアディスは変なところで完璧主義だ。

 彼が熱心に何か始めると、日が暮れるまで続けるため、話を逸らした方がいい。

「ああ、そうだ。そういえばここ、布も大量にあるよ。セーラ、布好きみたいだからもらっていったら?」

 エリオットは縛られた髪を元に戻しながら言った。髪をほどいてアディスが不機嫌そうだが、このままではトイレにも行けない。

「布って、なんでそんなものまで」

「仕立てるためだよ。ただ、クレアはドレスとかあんまり好きじゃないから、ハーネスの頃に買った布が余ってるみたい。流行遅れになった布とかもあるから、持っていっても構わないと思うよ。こっち」

 セーラの子供のような手を引いて、布が置いてある方へと向かう。ここはダンスホールに出来るほどの広さがあって、何かが隠れていても見えないのだ。

 布類は一番角の棚に並べてあり、毛糸類もあって、たまにクレアや魔道師の女の子が編み物をしたり服を作っている。

「こんなにあるなら、寄付するか売ればいいのに」

「ハーネスの遺産なんて、どんな呪いがかかってるか分からないから、喜んで買い取る人はいないよ。寄付するにしても、イヤな物を押しつけるようなものだしね。

 あ、僕らはけっこう使ってるから、呪われる事なんて絶対にないよ」

 フォローするまでもなく、セーラはまったく気にせずに物色を始めた。

 セーラは少し悩んで、暖かそうな布を控え目に裂いて胸に抱える。

「それだけでいいの?」

「布はたくさんありますから。布よりも、ミルクと砂糖を持って帰っておやつを作りたいですし」

 セーラは本気で嬉しそうに笑う。彼女には、物を贈るよりも食べ物の方が喜びそうだ。

 アディスがセーラらしいとくすくす笑っている。

 セーラは可愛い。だから微笑ましい。

「そうだセーラ。今日は生クリームをもらわなくていいんですか? 聞いておかないとなくなってしまうかも知れませんよ」

「あ、そうですね。今日帰れるんなら、あるかどうか聞いておかないと」

 アディスはセーラが羽織っていた毛皮のコートを受け取り、別の可愛らしいコートを羽織らせた。

「じゃあ、ハーティ、エリオットをよろしくお願いします。エリオットは人の多い厨房は嫌いでしょう?」

 アディスはセーラの肩を押すようにして、部屋の正規のドアから出て行く。

 エリオットは人が行き交う厨房が特に苦手だった。大人数で押しかけては邪魔になる場所でもある。だからといって、ハーティと二人きりにする必要など……。

「兄さんは何を考えてるんだろう」

「長……アディスはセーラと二人きりになりたかったのかも」

「それとは違うと思うよ。こんな人目の多いところで二人きりになるより、森の中で二人きりになった方がよっぽど邪魔が入らない。

 兄さんは僕がセーラを好きなのは気付いてると思うから、ひょっとしたら君と僕を仲良くさせたかったのかも知れないね」

「へ?」

 意味が理解できないらしく、ハーティは口を開けて間抜け面をしてエリオットを見上げた。

 セーラを好いているエリオットに、アディスを好いているハーティ。

 心のどこかで邪魔だと思われても仕方がない。

 しかし嫌っているわけではないから、邪険にするつもりもないだろう。

「君の考えたことの逆だよ」

「あ……そうか」

 ハーティは落ち込んだ。好きな相手に誰かをあてがわれるなど、悔しいのもあるが、それよりも虚しくて気が滅入る。

「嫌われたわけではないよ。兄さんはそれたけセーラの事が好きなだけで」

 二人とも好きだから、複雑な気持ちだ。

 セーラも好きだが、アディスも好きだ。

 二人とも、人間よりもうんと長生きすると知って、もっと好きになった。好きになってもいい相手だと分かって、歯止めしなくてよくなった。

「お兄様みたいに人形集めする必要がなくなる相手って意味では、君も当てはまるみたいだからね」

 彼女も竜だという。

 だから仲良くするのは構わない。早く死んでしまわないから、ずっと友達でいられる。いい子のようだし、努力家でもあるし、可愛らしい。

 しかし、それとこれとは別だ。

 アディスとセーラを並べることは出来ても、彼女を並べることは出来ない。

「やっぱり、こういうのは自分がやられるとイヤだから、人にもやっちゃだめだね」

「私もそう思う。ごめんなさい」

 腹は立つが、人をいつまでも子供だとまだ思っている証拠だ。

「でもエリオットさん、ちょっと嬉しそうに見えるんですけど」

「そう?」

 他の誰かならともかく、幼い方が好きなアディスなら、子供だと思われている方がいい。

 子供扱いされているうちは、可愛がってもらえる。

 本当に男でもいいなら、なおさらだ。

 これからはいつでも会いに行ける。

 部屋に引きこもるふりをして、部屋から転移すればいい。

 本当に、いつでも会いに行ける。

 


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