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11話 狩り 3


 甘いお菓子を食べると落ち着く。

 癒し効果があるとは聞いていたが、本当に落ち着く。普段は質素な生活なので、他人が作った甘味は贅沢だ。

 木々の間、茂みに隠れるようにして座っていると、とても落ち着く。

 昔から狭い場所が好きだった。ベッドと壁の隙間にはまって寝るのも好きだった。

「はぁ、落ち着く」

「セーラ、本気で落ち着き払わないでくださいよ。ハラハラしているこちらが馬鹿みたいじゃないですか」

「ハラハラしてるより、落ち着いてた方がいいですよ。甘い物は癒しです。お茶が淹れられないのが残念ですね。お水を下さい」

 アディスは水筒を差し出してくる。カップについで、こくこくと飲む。一息つくとさらに落ち着く。

「これで例え空から槍が降ってきても動じませんよ」

「動じましょうよ。十八の身空で悟ってどうするんですか。動じて縋り付いてきた方が可愛いですよ」

「だから、私に可愛さ求めないでくださいって。他に探してください」

 可愛いのは背丈だけと言われ続けて何年か。

 最近、アディスのせいでそれに磨きがかけられている。

 色々あった。本当に、まだそれほど長くない異世界生活で、色々あった。

 もうトロアもそれほど苦手ではなくなった。今でも走り寄られると恐いが、普通に顔を合わせるだけなら問題ない。

 人は必要があれば短期間で順応するのだ。

「アディスはセーラに頼られたいのか? びゃーびゃーとうるさくなくていいのに」

 ミラは窮地に立った時にわめき散らす女性が苦手なようだ。彼女の苦手は相手の死を意味していただろう。

 だから窮地で落ち着いていられるのはいい事だ。

「そりゃあ、依存してくるような女性はこっちから願い下げですけど、緊急時に少しだけ頼られたいのは男の性です。不安そうに見つめられたりするのがいいんじゃないですか」

「そうか?」

「ミラさんは女性なので違うでしょうが」

 ミラは頼ってくるような相手がいたら鬱陶しいと思うだろう。聖良も自分でやれと思う。自主的にやってやろうという気持ちになるような態度を取り、それを感謝することが大切なのだ。

 人というのは、好意を持っている相手に感謝してもらえれば、ちゃんと相応のことはする。より頑張るのだ。稀にいる、ぐうたらすぎてやる気のない人は除いて。

「あの……ええと」

 ハトラがアディスに声をかける。

「アディスと」

「あ、アディス様は、この後どうなさるんですか?」

「なるようになるでしょう。船で帰るので、港に行きますが、もしもの時はお前も自分で帰りなさい」

「はい」

 彼女は静かに応える。ああいうのが、少しぐらいは頼る態度というのではないだろうか。

 しかしアディスはどこか冷たい。

「せっかく可愛いい人が頼ってくれてるんですから、もう少し的確なアドバイスとか」

「この件に関してはありません。私の手には余ります」

「じゃあ、私が慌てても仕方がないじゃないですか。なるようにしかならないんです。心穏やかにして、もしもの時に動けるよう備えるのが一番ですよ」

「そうですが、男としては寂しいんですが」

「はいはい。暇だからって私にからまないでください。無心でいるのがいいですよ」

 水を入れたコップを渡す。彼はそれを口に含んで、ぶっ、と吹き出した。幸い聖良にはほとんどかからなかったが、かかるにはかかった。文句を言おうと彼を見ると、彼は口をぽかんと開けていた。何をそんなに驚いたのかと視線を追うと、男の子がいた。

 場違いに可愛い男の子だ。ベロアの上着に、同じ素材の羽で飾られた可愛い帽子。短い赤い巻き毛で、笑顔がとても可愛い。可愛いが、綺麗な笑顔が嘘くさい。

「ウルだ」

 抜き身の剣を手に提げてミラが言う。

 知り合いなのに、挨拶よりも先に剣を抜くほど危険な存在。

「セーラはさすがだな。二人揃うと確実だ。すごいな」

 さすがとは、離れていたのに呼び寄せてしまった事だろう。

 ウルはミラの言葉を理解できずに、可愛らしくきょとんとしている。

 アディスは聖良を抱えて、茂みの中から抜け出し、しっかりとした足場を確保する。

「何がすごいのかは分からないけど、久しぶりだね、ミラ。君がユイと離れて、別の人と仲良くしているなんて珍しい」

「ウルには関係ない」

「そうだね。僕は偶然、あの里の身内が、こんな外れた所にいるのを感じたから来ただけだよ。

 一体どういう関係なのかな。ミラ以外、全員同じ血を感じるけど、ちっとも似ていないね」

 感じる。

 血を感じるとは何だ。

「そういえば、ウルは身内なら分かる。どこにいるかも」

「は?」

「血縁者の見分けが出来る」

「そ、そういうことは早く言ってくださいっ!」

「忘れていた」

 慌てるアディスと冷静なミラ。ミラがアディスのように慌てるなど、世界の終わりが来てもないだろう。

 聖良はアディスの腕から抜け出して少し下がる。

「その女の子は人間みたいだね。竜の血を飲んだのかな。

 お兄さんはなんだろう。人間みたいだけど、竜みたいな。混じり物ってわけでもないし、変なの」

 彼はアディスをじっと見つめている。興味を持たれた彼は先ほどと打って変わって落ち着いた態度だ。

 緊急事態では、ちゃんと落ち着ける男なので、大丈夫だろう。

 足を引っ張りそうなのが聖良ぐらいしかいないので、聖良が少し離れれば、どうにかなりそうだ。

「そっちの子が魔法を使える竜なのかな」

 今度はハトラを見る。二人は外見だけならちょうど同年代だ。

 片方はにこにこと、片方は威嚇するように背を丸めている。

 ウルは夜会にでも出るような、少しレースのついたジャケットをはおり、装飾的な意味しか感じられないステッキを持っている。猫のような、くりっとしたやや吊り上がり気味の、ぱっちり二重の目元がとても可愛らしい。

 ミラも彼は男か女か分からないと言っていたが、ボーイッシュな美少女にも見えた。

 もしもの事があっても、アディスには救いがあるなぁと無責任なことを考えながら、少しずつ後退し──背中から誰かに抱きつかれた。

「どこに行くんだい?」

 吐息が耳にかかるほど、近い位置から男の低い声が聞こえた。

「……チカっ痴漢っ!?」

 つい、いつもの癖でアディスにするように足を踏み、身をひねってミラにもらった棒を向けて伸ばす。誰かに当たった衝撃で、手からすっぽ抜けて痛かったが、慌てて拾って離れると、金髪の男が股間を押さえてひくひくとうずくまっていた。

 身長差とか、不安定な姿勢とか、理由は色々あるだろう。狙ったつもりもなかった咄嗟の行動の結果だった。

 ウルがなぜか楽しそうにぱちぱちと拍手する。

「い、いきなり抱きつくなんてっ、驚くじゃないですかっ」

 そう言い捨てて、アディスの元に逃げ帰る。息がかかった耳が気持ち悪く、赤くなるまで掻きむしった。

「ロバス、どうした?」

「悪魔でも金的は痛いんですね」

 ミラが切っ先で苦しむ男を突き、アディスが視線をウルに戻しながら呟く。

「面白い女の子だね。実に面白い話し方をする」

 聖良はびくりと震えた。

 さっきはあんまり驚いたので、うっかり言い訳の言葉を口走ってしまった。

「これは私の。ウルはだめ」

 ウルの視線から聖良を守るように、ミラが立ちふさがった。

「ミラの? じゃあ、ミラごとおいでよ。ユイも連れて」

「ユイ、気が弱いから発狂する。血とか肉とか、拷問がだめ。親のせいで、家族が皆殺されるの、とても嫌がる。ユイ、子供、家族が好きだから」

 血と肉、家族が皆殺しにされる。

 それが日常茶飯事なら、聖良でも発狂するだろう。ユイが特別繊細なのではなく、平気な方がおかしい。そんなことをする人間もおかしければ、それを見て気にもしないのもおかしい。

「ロバス、まだ立ち直れないの? 悪魔のくせに女の子に一撃でやられるなんて情けないな」

「この……件に関しては……悪魔も人間も……関係」

 近くの木にすがって立ち上がるが、まだ調子がおかしいようで言葉が続かず直立できない。

「やっぱり、痴漢には急所攻撃がいいんですね。下手に外すと逆上されるから、時と場合って聞きましたけど」

 恨まれたかもしれないが、それを気に病んでいては聖良に明日は無い。聖良は意図しない所で意図しないトラブルに巻き込まれるからだ。

「いきなり抱きついてきたり、何の用ですか?」

「いきなり抱きついたその馬鹿の事はごめんね。あとで痴漢行為はやめるようにお仕置きしておくから」

 ウルに謝罪され、ロバスの頬が引きつった。

「今日来たのは、その子がロバス達のせいで疑われて大変だって聞いて、誤解を解きに来たんだよ。君と勘違いされたトロが向こうにいるから、疑いは完全に晴れるよ」

 その言葉だけだと、まるでいい人のようである。

「仲良くなりたいからね」

「それはそれはご丁寧に。じゃあ、ちょっと帰ってみますので今日はこれにて」

「まあまあ。そんなに焦らなくてもいいよ。まだ話は付いていないから。君ともお話ししたいな。君達の事にとても興味があるな」

 にこにこしながら、ウルは近くに寄ってくる。

 神子は無力な存在だ。他者の力が神子の力。他者がいなければ意味がない。その他者はどこにいるのか、聖良には分からない。

「ウルと喧嘩したくないが、聖良をとるならする」

「本当にお気に入りなんだ。何をそんなに気に入ったの? 話し方ぐらいでは気に入らないよね」

「…………警戒しなくていいから」

「子供にも警戒する君が?」

「子供だから警戒する。子供は大きくなる。でもセーラ、もう大きくならない。同じ年。大人」

「……同じ年なの?」

 ミラがこくと頷く。少し嬉しそうに。彼女が喜ぶ基準が理解できない。元々理解を超越した人間なので、理解しようとする努力もまったくの無駄。

「……ふぅん。お友達なんだ」

「うん」

「で、どうしてそのお友達も一緒にこんな所にいるの?」

「これの知り合いだったから。これ、アディスの。だからだめ」

 これとは、ハトラの事である。ハトラは剣を向けられて、枯れ草を踏み鳴らして下がる。

「アディスってそのお兄さん?」

「うん。この前セーラと偽装結婚したセーラの夫」

「偽装なんだ」

 素直に偽装とつける。こういう場合はつけなくていいのに、彼女は素直だからつけてしまう。

「ミラさん、そんな風に言うと悪さでもするみたいで人聞きが悪いです。ただ、この馬鹿がしてみたかったから式を勝手に挙げただけです」

「なら……なんちゃって結婚!」

「……否定できませんね」

 ミラが満足そうにしているので、良しとした。

 彼女の満足は珍しいのだ。

「ミラがその子を大好きなのはよく分かった。気か合うんだね。

 僕はその旦那さんも、気になるなぁ。どうして竜のようで人の気配がするんだろう。君のお友達との血のつながりも強いし、まるで血を交わした竜のような気配がするんだ」

 不用意には近づかないが、くすくすと笑いながらアディスを観察する。ハトラよりも、アディスに対する興味の方が大きそうだ。

「グリーディアの魔術師だよね。あの国、行ってみたいけどなかなか行けなくって。

 セーラの服も可愛いねぇ。僕、着る物好きだからとっても行ってみたいなぁ」

「鎖国してるわけじゃないんで、好きに来てください。来る時に魔物に囲まれて沈没しかけたので、今は危険だと思いますが」

 アディスが腕を組み、皮肉げに言う。

「グリーディアの船って速いんだよね」

「そこそこ揺れますよ」

「ふぅん。今、長距離用の揺れない乗り物を造らせているけど、やっぱり最先端の技術でも無理なんだ。やっぱり二年じゃ変わらないか」

「二年……って、そういえば二年前、聖都に来ていた技術者が一人行方不明になったんですけど、あなたの仕業だったんですか」

「とっても元気にしてるよ」

「そりゃあ残念」

「アディスっていったね。グリーディアでアディスといえば、かの有名な大魔術師ハーネスの生まれ変わりとも言われている人が有名なんだって? 条件に合うから間違いないね。懐かしがっているよ」

 神子のテレパシーはそれほどまでに万能なのだろうか。

 ユイはそんなにはっきりした物ではないと言っていたが、明らかに向こうにいる人物と会話している。

「グリーディアは拾った子供に何をしていたんだろうね」

 まったく関係のないところで、怒濤の不運が押し寄せた結果こんな形でここにいるのに、国の巨悪的な何かせいにされかけている。

 過去形なので、悪さをしていたハーネスという魔術師がすべてかぶってくれている形になっているのだろう。

 負けて過去の人物になると、ある事無い事言われても仕方がないのだ。勝てば官軍、負ければ賊軍である。

「気になるなぁ」

 ウルが前に出る。

「近づくな」

「別に何もしないよ。ただ、近くで見てみたいんだ。正直なところ、魔術を使う竜なんてどうでもいい。グリーディアの魔術師が教え込んだんでしょ? だったら、竜ってのは物覚えが悪いだけで、教えればちゃんと覚えるって事だから、明日から厳しく教育すればいいんだ」

 技術者というのも、魔術は使えるだろう。やろうと思えば、コツさえ掴めば、本を読めば魔術は理解できるし使えるらしい。ただし、根底を理解していなければ本来の力は引き出せない。だから聖良はアディスの強大な魔力を大量に分けてもらわなければ、光を放つことも出来ない。強引なやり方をしなければ、聖良個人の魔力でも光を出すぐらいは出来るらしいので、聖良はまず言葉を覚えているところだ。

「聞きたい事がいっぱいあるって。どれから聞いたらいいか分かんないや」

 ウルがまた一歩近づく。

 ミラが剣を振り下ろした。

「皮一枚。さすがだね」

 ウルの頬に当たるか当たらないから位置で止められた剣。ミラが剣を引くと、血が流れる。

 綺麗に切れているのに、なぜか血が飛んだ。

 ミラが聖良を後ろ手に庇いように立つ。

「お前、ウルじゃないな」

「ウル様だと名乗った覚えはないよ」

 傷ついた頬から、何か出てきた。皮膚の下でうごめき、肉片のような細長い物が出てきて、頬の上をのたうつ。

「ひっ」

 聖良は息を飲んで身を引いた。

 鳥肌が立った。

 最近、血には慣れてきたつもりだった。ウサギの死体も解体できる。内臓はまだ気持ち悪いが、嫌悪感はない。

 だが、あれは寒気がした。悪寒が後ろ頭から背中へと下り、腰を抜けていく。

 ぶるりと震え聖良はアディスにしがみついた。

「ミラさん、なんですか、それは」

 聖良の頭を撫でながら、アディスは落ち着いた調子で問う。

「あれ、ウルの影武者。竜以上の再生力」

「そんな人型の生物が存在するんですか?」

「寄生型。元は人間。傷つければ、足りなくなる分、人を食う」

 ウルの影武者はにっこりと笑う。ミラが傷つけて確認するぐらいだから、見た目はうり二つなのだ。

 意味する所は、神子でないならアディスを支配出来ない。神子でないから、戦闘力は高いと思った方がいい。

「ミラはボクが食べなければならないようなことはしないよね? そうしなければ、ボクはそれほど害のない存在だ。君と一緒だね」

「傷つけずとも自傷すればいい」

「あははっ、おかしな事を言うねぇ。

 どうしてそうまでしてミラを傷つけなきゃいけないの? 君はウル様のお友達なのに。

 私はただの影武者だけど、あなたはウル様と対等の人なのに、私が傷つけるはずがないじゃないですか」

 声音が変わる。少年めいた声から、少女の物へ。それが本来の彼女の声か。

「ウル様がここにいないから、接触する意味はないんですよ。見るだけです。分かるでしょう?」

 ミラは舌打ちする。

 そのミラを見て、ウルの影武者は微笑んだ。

「あなたはどこの国から来たの? 変わった顔立ちに話し方」

「誘拐されてきたので分かりません」

 誘拐首謀者の背に隠れながら言う。影武者との距離は、三歩も歩けば触れられる程度まで詰まっていた。

「そうなんだ。今度、うちに遊びにおいでってウル様がおっしゃってるよ。ミラといっしょにおいでよ。ミラのお友達なら、ウル様のお友達になる資格があるから」

 友人になる資格と聞いて、聖良はため息をついた。

 支配されないと知ったアディスは強気になったのか、先ほどよりも軽い口調で言った。

「申し訳ないが、グリーディアの魔術師ですから無理ですね。仕事についてきてここにいますけど、もう帰らないといけないんです。グリーディアに来るのは止めませんけど」

 影武者の彼女ならそれほど問題はいないし、ウルが船酔いせずに来るには、まだ時間がかかりそうだ。その頃にはアディスはもっと大きくなって、力も使いこなしている。そうなれば自衛も出来る。

「……残念だね」

 彼女は空を見上げた。

 竜の羽ばたきが聞こえる。

「トロが戻って来ちゃった。逃げないと。ロバス」

「はいはい。

 さようなら、可愛いらしいお嬢さん。今度会う時はもう少し優しくしてくださいね」

 背後から近づいてきた悪魔に頭を撫でられた。聖良はむっとしてその手を払う。

 影武者は悪魔に抱き上げられ、手を振って消える。そして頭上の竜も姿を消した。

「帰ったら、また悪魔が戻ってきて竜を狙いませんかね」

 アディスは聖良の頭を撫でながら問う。他人に自分の手の置き場を触れられたのが嫌なのだろう。

「ない。それするなら、もうしている。ウル、行動は早い。ロバスが出てくる前に、少し手を伸ばすだけですむ」

「本当にハーティには興味がなかったと?」

「私いなかったら、生け捕りにして持ち帰った。あの二人なら出来る。

 ウル来なかったの、体調が悪いとか、たぶんそういう理由。人間だから体調の悪い時もある。低血圧の偏頭痛持ち。風邪もひくし、死病にもかかる」

「ほんと、人間らしいですね」

 人間、天寿を全うできる者は少ない。子供の身体のままでも、長く生きれば死ぬような病気になる。とてもとても人間らしい死に方だ。

「…………さっさとグリーディアに戻りますか」

 アディスが空を見上げながら呟いた。

 聖良は目の前の問題が、何の被害もなく片付いて安心したが、これからハトラの事があると思うと、アディスを哀れんだ。

 聖良には関係のない事だから。

 日頃の行いが悪いと、こういう時に苦労するのだ。そう、すべてはアディスの日頃の行いが悪いからこうなった。日頃の行いに関係ないのは、アディスがネルフィアに誘拐されたことだけである。

 本当に自業自得から始まった生活だ。その自業自得に巻き込まれた聖良も、今ではすっかり現状に慣れて、完全に受け入れている。

 入籍まで勝手にさせられてしまった。

 この国に来て被害を受けたのは、やはり聖良だけなのではないだろうかと、悲しくて涙が出そうになった。






 一足先に戻った船の船室の中にアディスはいた。

 セーラが話し方の珍しさからウルに勧誘された事と、消えた技術者がウルの仕業だったことを話すと、皆は先に船に戻っていろと勧めてくれた。

 船酔いしない乗り物を造られたら、グリーディアにも出没する可能性があると言ったら、皆が怯えた。彼らは人間なので基本的に怯える必要はないが、グリーディアは惨劇に対して過剰反応するところがある。

 ハーネスが逆らう者を、自分が飼っている魔物の餌にしていたから、その頃を知るアディスよりも年上の者達は、性格的に同系統の強者に対して、恐怖心を抱くようだ。だから帰れ、自分達も終わったらすぐ帰る、逃げる準備をしていろと急かされた。

 そしてミラは、ユイに護衛の許可を強引に取らせた。

 神殿はウルがグリーディアの魔術師などを捕まえれば、戦力強化されてしまうと恐れてすぐに許可を出したらしい。

 ウルという名は、神殿の重い尻を蹴り上げる効果があるとユイは言っていた。

 そして現在、アディス達は船内で落ち着いた。落ち着いてしまったので、アディスは目の前の女と向き合わなければならない。

 ハーティの姿ではなく、まったく別人に化けさせた。女だが、本来の彼女よりは少し年上だ。

 あの術を他人にかけるのは、本当に難しいのだが、セーラの声と自分の魔力を合わせれば、やってやれない事はない。血のつながりがあるからこその合わせ技だ。愛の共同作業と言ったらセーラに足を踏まれた。セーラは男慣れしていなさすぎて、そういった事を言われると、どうしていいのか分からずに反発する傾向にある。

「さて、何から話したものか……」

 ちらとセーラを見る。彼女はお茶を淹れている最中だ。食べてストレスを発散するので、菓子を大量に買い込んでいる。

 ハーティは拳を握りしめて、何も言わずにじっとアディスを見ていた。余計なことは言うなという命令を守り続けている。必要以上に真面目だから余計に話しづらい。彼女にとっては同族の赤ん坊の身体を乗っ取っとられた事になるのだ。

「せーらー」

「うるさいですね。下手に隠すより、全部話せばいいじゃないですか。ミラさん達は釣りしてますし」

 これからの事を話し合う間、暇をしている彼等に釣りを勧めた。たくさん釣れたらセーラが自分の故郷の料理を作ると言いくるめたのだ。

「元に戻るのが一目瞭然でいいんじゃないですか?」

 セーラが砂糖壺をテーブルに置いて言う。

「それもそうですね。しばらく戻っていないからか、身体の調子がおかしいんですよ」

「おかしくなるんですか」

「羽伸ばしをしたいんですよ。腕を回したいのに、その腕がないみたいな違和感があります。

 ハーティ、向こうを向いてなさい」

 二人に背を向けさせ、アディスは服を脱ぐ。

 ため息をついて、少しばかり気合いを入れて元に戻る。尻尾やら翼があると落ち着く自分が嫌だった。

「いいですよ」

 二人は振り返り、セーラが頭の上にある頭蓋骨を受け取る。問題のハーティは固まっている。

「まあ、いろいろあって、こんなことに」

「いろいろ!?」

「私は正真正銘、アディスなんですが、ある時あの母に誘拐されて、この生まれたばかりのチビに食べられかけ、身体を乗っ取りました」

 彼女には全部話した方がいいだろう。竜を捕らえる計画には反対しなかったし、事情が事情だ。理解されなければ殺せばいい。

「捕まえに行って捕まったんですか?」

「いいえ。散歩していたら連れて行かれました。どうやって私のことを知ったのかはまだ聞いてませんけど」

「なんで……?」

「賢い子が欲しかったそうです。昔から歩いていては上から物が降ってきたり、不運な日々を過ごしてきましたが、まさか竜に連れて行かれるとは」

「…………でも、乗っ取るって……それはクレアだけが知っているんじゃ」

「私は天才ですからね。少ない情報から、術を組み立てる事はそう難しくはありませんでした。問題なのは相手の意志が自分よりも弱くなければならない事と、実験が出来ないぶっつけ本番だという事だけです。

 ハーネスが竜を捕まえる事を選ばなかったのは、簡単に捕まえられる所にいなかったのと、群れているからリスクが高すぎたからです。無駄に死ぬより、万が一の時も自分を乗っ取れるような者に知識と技術を残すため、彼はああやって生きていたと、クレアが言っていました。

 それでも、まさか成功するとは思いませんでしたよ。成功してからの方が困りましたからね」

 ハーティは馬鹿ではない。

 ミラが近くにいる以上、暴れはしないだろう。ウルに同等とまで言わせる意味を、理解できないほど馬鹿ではない。

 馬鹿ではないから、どうすれば自分にとって有益かも理解できている。

「あの、アーネス様の姿は……」

「あれはずいぶん前の、俳優の頭蓋骨を使いました。アディスではハーネスがしていたような研究など、大っぴらに出来ないでしょう」

 彼女はアディスを見ないで頷く。

 アーネスの姿が好みだったのだろうかと疑問に思う。

「私はクレアの教え子です。彼女の知識はハーネスの知識。

 大人達にハーネスと呼ばれるようになり、ハーネスという長く生きた大魔術師をより深く研究したいという衝動に駆られ、手っ取り早く組織を作りました。

 第二の彼になるつもりはありませんでしたが、研究対象としてはとても魅力的なのは理解できるでしょう」

 彼女は再度こくりと頷く。視線を逸らしているのは、葛藤しているからか。

 セーラがテーブルに菓子を置き、ティーポットを片手にハーティの顔を覗き込む。

「小さな子がこまっしゃくれたような事を話して戸惑うのは分かりますけど、これ飲んで落ち着いてください」

 セーラがお茶をカップについで、飲め飲めと押しつけながら言った。ハーティは否定しないでそれを受け取り、一気飲みする。

 失礼な女達だ。

「長、できれば、さっきの姿に戻って話すというのは」

「本当に失礼ですね」

 尻尾でぴしりと床を打つ。

「だって、長、もし人間のこんぐらいのちっさい赤ちゃんが今の台詞口にしてたら、不気味じゃないですか?」

「人間とはサイズから何から違うでしょう」

「そりゃ、竜は子供でも他の種族ほど子供子供してませんけど、やっぱり違和感あるんですよ」

 仕方がないとばかりに聖良がマントをかぶせて、頭蓋骨を乗せ、呪文を唱えてくれる。人の姿に戻るとまた着替え、椅子に座る。

「竜の姿だと自分ではかけられないんですね……」

「舌のまわりが違うんですよ。魔力も扱いにくいですし」

「そういえば、私も人化した方が魔術使いやすいです。竜って、やっぱり身体の問題があるんですね」

 彼女は自分の魔術が未熟な理由が分かったからか、嬉しそうにうんうんと頷いた。

「まあ、帰ったら手ほどきしましょう。お前は未熟すぎる。

 こうして私達の事を話してしまった以上、誰かに捕まってもらっても困ります。竜は魔力がありますからね。多少不器用でも力で押せばいいんですよ。

 今までは竜だと知らない者が教えていたから、あまり効率が良くなかったのでしょう。これからは竜向きの、効率の良い方法を教えます」

 アディスは苦笑いしながら彼女の頭部を撫でた。本来の彼女ならもう少し可愛いと思えるのだが、この頭蓋骨を選んだのはアディスだ。仕方がない。自分の好みすぎる姿を選んで聖良に嫉妬されるのも楽しいが、後が気まずい。

「長……あ、アディス様?」

「様はいりません。両親が不審に思うでしょう」

 自分の息子が親戚の女の子に様付けされていたらおかしく思われる。何をしたのか聞かれても困るのだ。

「アディス……」

「それでいい」

 彼女は照れくさそうに笑う。なかなか可愛い反応だ。

「肝心な話はすんだようですから、私はミラさんとお母さんの様子を見てきますね」

 セーラがポットを持ったまま立ち上がる。

「セーラ、わざわざ危険に飛び込む必要はないでしょう」

「危険とか言わないでください」

「危険ですよ。とくに込み入った話しはもうありませんから、一緒に行きます。

 セーラの事だから、海に落ちたり、海の生物に海中に引きずり込まれたりするんですよ」

 セーラはアディスの言葉で目を伏せる。否定はしない。できないはずだ。深刻な顔をして悩み、やがて呆けたようなため息をついて、何も言わずに狭い部屋を出る。

 それをハーティが顔を引きつらせて見送った。

「お……アディスがあの人と仲がいいのって」

「似たもの同士なところがあるのは、大きいですよ。

 ハーティも、彼女と二人きりになるような事があったら、くれぐれも目を離さないようにお願いします。この数ヶ月で何度か誘拐されているので」

 彼女は引きつった笑顔のままこくりこくりと頷いた。


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