7話 魔道士 2
アディスはアルテが住まうツリーハウスを見つけ、上向いて声をかける。
「すみませーん。アルテさんいらっしゃいますかぁ」
いつも母親は家にいるので、声をかけてみる。すると目当ての少年が顔を出した。彼の母親はどうにも苦手なので助かった。彼女はとにかくテンポが違うのだ。のんびりしすぎていて、話に付き合っているとそれだけで日が暮れる。
「何の用? セーラの代わりに知らない人間がいるね」
可愛らしい顔をのぞかせて、彼は家から飛び降りる。身軽に着地すると、知らぬ二人を見上げた。
本当に可愛らしい少年で、背丈はセーラよりも少し高い程度。男でもいいかと思う程度に可愛いが、今のアディスは、心身共に清らかなので口説いたりはしない。
「ちょっと協力してもらいたいんですよ」
「どうしたの? この人間達誰? セーラ一人にしていいの?」
「セーラはうちの母並みに強い女性と一緒です」
「怖いよそれ! 生物の限界を突破してるよ!」
彼は人の母をどんな風に思っているのだろうかと問い詰めても、返ってくる言葉が予想できるので飲み込む。
「この方は神子のユイ。神子って知ってます?」
「知ってるよ。田舎者だからって馬鹿にしないでくれないかな」
アルテは無難に微笑むユイを見て、唇をとがらせた。
「神子なんかが何の用?」
「神子嫌いですか?」
「人間以外で好いているのはいないんじゃないかな。だって油断すると一生使役にされるんだよ。いらなくなったら首切られて殺される。アディスなんて竜なんだから、気をつけないと危ないよ」
「この人は大丈夫ですよ。うちのお母さんと喧嘩できる人で容量が埋まってるんで」
「それなら……って、どうやってそんなの使役させたんだよ」
「私が聞きたいですよ」
本当にどうやったのか、落ち着いたら聞いてみよう。疑問を抱いたら、気になってきた。
「で、何の用?」
「この森に魔道士が紛れ込んだらしいんですよ。悪魔の介入がされるようになったらまずいので、引っ捕まえたいんですけど、協力してくれそうな知り合いに声かけてください。というか、妹さんの鼻で」
彼はきょとんとして首をかしげた。
「魔道士って、どんなの?」
アディスは振り返り、ユイを促す。
「十四、五の姿をしているんだ。銀髪のきっつい顔した褐色肌の綺麗な男の子」
綺麗だけど鋭い雰囲気の少年。
アディスは女の子のような少年は趣味でも、そういうのには興味がない。
「ひょっとして、白い狼を連れた?」
「見たの!?」
アルテの問いにユイが詰め寄った。
「弱ってたから、妹が保護したんだ」
何と間の悪い。エルフなら分かるかと思ったのだが、考えてみれば獣人とつがいになるとぼけたエルフとその子供達だ。はぐれ者なのは間違いない。
「今はどこに?」
「今ちょうどアディスのところに連れていったところだよ。人間の知識があるから、看病出来るんじゃないかって」
三人は固まった。
湖の側にはセーラがいる。
トラブルを呼び込み、なぜか大けがをするか、変なのに絡まれることが特技といっても過言ではないセーラがいる。そして、悪魔よりも恐れられる女がいる。
「セーラがっ!」
「巻き添えになったらひとたまりもないよ!」
「ひぃ」
アディスは荷の中からミリアの頭蓋骨を取りだし、呪文を唱えながら簡単に脱げるようになっている服を脱ぐ。竜のアディスでは呪文を唱えられないが、ミリアならなんとか可能だ。魔力の調整が赤ん坊の竜よりは若干やりやすいことから、竜のアディスが魔法を使えないのは舌が回らないだけではないことが分かってきた。
荷物の中に破れないよう服をぐしゃぐしゃに突っ込むと身をかがめた。
「特別に乗せてあげます」
ユイがいないとミラを止められないから。
アディスはミラが怖い。
クレア、ネルフィア、ミラ。アディスが勝手に決めた世界三大凶女である。
あながち間違ってはいないだろう。
この中ではクレアだけは比較的大人しめだが、遠慮しなくていいと知ると技術だけでネルフィアとも渡り合えそうだ。影の支配者は伊達ではない。彼女は何でも出来る上、得意は攻撃型の術である。
アディスも似たようなタイプだが、得意と言い切れるものが何一つなく、平均的に何でも出来た。特技がないというのはコンプレックスだったが、今では何でも万能に出来るのがマイナスにならないほどの魔力を手に入れた。今ならクレアにも勝てる。
そんなくだらないことを考えながら、アディスは飛び立った。
聖良は色んな移動方法で移動したが、これほど微妙な移動手段は初めてだった。
女の人に小脇に抱えられている。
竜の口やら獣の口やらは怖かったが、これはなんとも情けない。
同じ女性が、信じられない速さで聖良という荷物を持ったまま走っているのだ。
「あの、置いてっていただければっ」
手足を縮め、周囲にぶつけないようにしながら主張する。
前方を必死で逃げる白い狼との距離がなかなか詰まらない。つまり聖良さえ捨てれば追いつける。
「セーラ、置いてくと誘拐される。それはだめ。
問題ない。追いつける」
確かに少しずつ詰まっている。
狼は背中に男の子を乗せているから。
「セーラ軽い。あれは男だから重い。
襲われたり、ユイの攻撃許可が出ていれば手っ取り早かったけど」
こんな風に話が出来るほど余裕なのだ。恐ろしい女性。
「しかしユイは何をしている」
「運のないアディスなんて連れているから。そしてミラさんは同じく運のない私を連れているから」
「確かに運のない。ユイがいなければ、命令の解除が出来ない。襲われない限り攻撃できない」
「攻撃できないのに、追いかけてどうするんです?」
「ねじ伏せるぐらいならできる」
暴力行為以外ならできるのだろう。行動に規制がかけられているというのも大変だ。
「あ、このまま真っ直ぐ行くと、いきなり大きな岩があって足を止めないといけなくなります」
「さすが地元民。それを狙おう。タイミングを」
「だいたいでよければ」
周囲の景色はどこも同じに見えるが、先ほど大きなサルスベリのようなつるつるした木が見えた。あの大きさはこの周辺に一本しかない。他の景色も見覚えがある。アディスが罠を仕掛けた時に、このあたりをよく観察したのだ。
下手すると自分で引っかかる可能性があるから、必死に覚えた。
「あと少し……そろそろ気づいて足を止めます」
ここまで速く走っていると、正確なタイミングなど分からない。唐突に視界に入ってくるから、足を止めるのは確実だ。この速さで走っていれば、へたをするとそのまま岩に突撃してしまう。
待つこと数秒──足を止めた。
わずかにとまどい、右に行く。しかしその先も行き止まり。なにより、その一瞬のとまどいが、ミラにとっては十分な時間だった。
にらみ合う。
相手はミラが怖くて動けない。向き合ってしまった以上、下手に動けば追いつかれる。対するミラはどうしようか悩んでいる。相手から見れば、余裕の態度に見えることだろう。
実力的に有利なのはミラだが、襲ってくれないので手を出しにくいらしい。殺さぬよう、過剰に傷つけぬように捕らえるにはどうしたらいいのかと悩んでいる。
彼女がこういうときどこまで動けるのか知らない聖良は、ようやく地面に降ろされて生きた心地を取り戻して考え始めた。
狼はぐったりとした少年をかばうように、唸る事もなくミラを睨み続けている。健気な子だ。
「……」
唐突に、ミラが前に出る。腕を広げ、彼女が前に出た分後ずさる狼を威圧する。
「動くな。お前は始末の対象ではない。動かなければ殺さない」
しかし狼は後ろに下がる。けっして少年を見捨てようとはしない。
健気な忠犬だ。こんな状況でなければ、聖良はなで回していたところだ。
しかしミラはそのような事は考えもしないらしく、広げていた腕を胸の前で合わせた。
「くっ」
狼が地面から出てきた半透明の何かに絡みつかれ、跪く。その拍子に少年が背中から落ちた。
「始めからそれやっていたらよかったんじゃ」
「走っている相手、捕縛するの大変。私の魔力では殺してしまう可能性があるから、出来ない」
「ああ、可能性を考えた時点で出来なくなるんですね」
「そう。確実だと私が思わなければ、出来ない。とても不便」
淡々と語る彼女は、その間にも拘束を強くして狼を地面に押さえつける。しかし落ちた衝撃で少年が目を覚ました。ミラと目が合い、現状を悟ったらしく獣のように低く唸る。
「無駄な抵抗、早死にの元」
殺すつもりで、殺すことが出来ないだけの人間が言う台詞ではない。少しばかり彼が可哀想だ。
「君、怪我してるんでしょう? 抵抗しない方がいいですよ。ユイ君は無抵抗で拘束された子を問答無用で殺したりはしないから」
聖良は説得を試みる。聞き出すために拷問まがいのことはするかも知れないが、殺しはしないだろう。
悪の組織の長などもしているアディスまでいるし、拷問されないとは言い切れないのが可哀想。
「本当に、どうしてこの国に来たんですか? 命令されたの?」
「お前……」
聖良の口調に少年は驚き、ひたと彼女を見つめた。
この反応は間違いなく不気味な発音に驚いているものである。
「とりあえず、大人しくしてくれるなら手当てしますよ。じゃないと出血で死んじゃいます」
落ちた拍子に傷でも開いたのか、少年の肩に新たな赤いシミが出来ている。
「セーラ、なぜ? これ、人を捨てた者」
別の意味で人間を捨てているミラが言ってもまったく説得力がない。まさかそんなことも言えないので、濁すための言葉を探す。
「えと……このワンちゃんが健気で可愛いから」
「セーラ、動物好き?」
「大好きですよ。けなげな子は見てるときゅんとするんです。心が薄汚れているアディスと違って」
「よく分からない」
「まあ、けが人追い回すのを見ているのも何ですし。捕まえてしまえば逃げられないでしょうしね」
悪いことをしようとするのはいけないが、弱々しい姿を見て執拗に踏みつけにするのも、どうかと思った。
どうやって水辺まで連れていこうが悩んでいると、背後に何かが落ちる音が響いた。
ユイも様々な経験をしてきたが、竜の背の上というのは、初めてだった。
感想は怖いの一言である。鞍でもあれば別だろうが、高いところに不安定な状態でいるというのは、とにかく怖い。セーラのように無力な少女が平気で乗っているのだから、恐怖さえ押さえ込めば問題ない。
同僚の中にも竜を支配下に置いている者もいるが、滅多なことでは竜の姿に戻さない。そのため、その背に乗ったことがある者は数えるほど。
以前見たときよりも色が濃いというか、おそらくセーラが化けた竜になっているのだろう。本来の姿だと舌が回らないと言っていた。
「アディスはよくこの姿に?」
「そんな事はないですよ。危ないと思ったとき、セーラがこの姿になれば多少身を守れるようになりますから、普段は彼女が」
竜の姿というだけで身の守りになる。なにせ普通の刃物を玄人が突き立てようとしても刺さらず血すら出ない。簡単に傷つけられるミラが特殊なのだ。
「いた。旋回します」
アディスは親切に宣言してから旋回する。しがみついて目を伏せる間だ、いつの間にかずいぶんと下に降りていた。
「あ、追い詰めてる」
ミラがセーラを小脇に抱えて移動している。魔力があるから出来るのだが、端から見ると奇妙な光景だ。
「ここに降りられないので飛び降りて下さい」
「とび……」
アディスの言葉に迷う内、ハノがさして抵抗なく飛び降りる。その手に引かれて、ユイはアディスの背から落ちた。
高いところが苦手だと知っているのに──いや、だからこそ引っ張ってくれたらしい。
「ひぃぃっ」
地面に落ちる直前に、身体が一瞬浮いて、落下が緩やかになる。
ハノも半分は悪魔の血を引いているので、悪魔のような魔力の使い方も出来る。そう分かっていても、怖いものは怖い。ユイは神子なだけでそれ以外は普通の少年である。
着地しようと体制を整えようとした瞬間、浮力が消えてバランスを崩し地面に足をつけるも、もつれて腰から落ちる。
「ユイ君」
聖良が驚いた様子で振り返る。血も出ていないし、服も破れていない。どうやらアディスを怒らせるような目にはあっていないらしい。
安心すると同時に羞恥を覚えて起き上がる。
「大丈夫だったみたいだ……」
ユイが安心した瞬間、セーラの喉に腕が絡みついた。
ミラが動こうとしたが、顔をゆがめて止まる。殺そうとしたので、動きが制限されたらしい。命令の限定解除を忘れていた。
しかしこれは、まさしくアディスが怒るような場面である。
彼が駆け付ける前に何とかしないといけないのだが、ミラにセーラを傷つけずに助けることが出来るのか疑問だ。今までのことを振り返ると不安でならない。何よりも、彼女は今ものすごく怒っている。剣を持つ手が震え、ユイを睨んでいる。
「命令を」
「セーラを傷つけないように、魔道師を殺さないように捕らえて」
「なぜ!」
「なんでそんなに怒ってるの」
「いいから命じろ!」
本気で怒っている。あの魔道師はミラに何をしたというのだろう。彼女は常に殺意を持っているが、このように感情を爆発させたりはしない。
「やめた方がいいですよ。ミラさんが怒ってます。このままじゃ殺されますよ」
一方、人質にされているにもかかわらず、セーラは冷静だった。相手が怪我をして、ユイよりも幼い少年の姿をしているからだろう。
「私は竜の血を飲んでいるから、人質にしてもあまり意味はありません」
「うるさいっ」
説得しようとするセーラに、魔道師は甲高い声で怒鳴りつけた。
「落ち着いて下さい」
「動くな」
「多少の傷はすぐに治ります。ミラさんが動くよりも先に首を落とせるのならともかく、そうでないなら人質にする意味はありません。わたしを支えに立っているぐらい弱ってるんですから、投降しましょう。けが人に手出しはさせませんから」
ね、と言う彼女は、恐ろしく冷静だ。
ミラと同じ年だと言っていた。十八歳の女の子達が、なぜこうも肝が据わっているのだろうか。実力のあるミラならともかく、彼女はか弱い女の子だ。傷つけば痛いに決まっているのに、平然としている。
「竜が味方しているんです。逃げても追われます。ね?」
その言葉で、少年はセーラの喉に絡めた腕から力を抜く。
空から追われては逃げ切れないのは必至。
「いい子ですね」
微笑みを向けられ、少年の浅黒い頬に赤みがさす。
外見の年齢的には釣り合っているし、この状態で心が動くのは不思議では無いが、無謀に過ぎる。
「お名前は?」
「あ……アデライト」
「アデライト君。いい子ですね」
セーラは彼を子供を扱いしている。彼女は母性本能が強そうな女性だ。
このミラにまで構ってくれるほどである。
「あ、片がつきましたか」
茂みをかき分けて、服のボタンをはめながらアディスがやって来た。彼はセーラが構っているアデライトを見て、驚いた顔をする。
「おや、思ったよりも可愛い子ですねぇ。異国の子でしょうか。可愛いですねぇ」
予想と違い、セーラがかまうアデライトに笑みさえ向けて近寄る。
「アディス……本当に子供好きなんですね」
アディス自身が子供のくせに、何を言っているのだろうかと少し思った。
「当たり前です。とはいっても、魔道士なんて見た目が子供でも、中身はジジイだったりしますからねぇ。
契約してるってことは、穢れなき少年ってわけでもないですし」
「け、契約はしてない! 仮契約だ!」
アデライトはまっ赤になって首を横に振る。悪魔との契約は、身も心も捧げる──貞操を捧げるというものだ。
「かり……仮契約って?」
口調の割には魔の知識がないセーラが尋ねる。
「限定契約だ。本契約じゃなくて、口約束レベルだから魔力とか特殊な能力とか知識は与えられない。だから命令は聞くけど、それ以外は捧げたりしていない」
つまり、自分は操を立てているのだと言いたいのだ。
問題は、仮契約などする悪魔など、滅多にいるものではないということ。
「アディス、この子怪我をしてるみたいなんです。
上に行って傷口を洗って手当しましょう」
「そうですね。血の臭いをさせていると、魔物が寄ってきますし」
アディスは着たばかりの服を再び脱いで竜の姿になる。今度は自分本来の華奢な姿だ。頭蓋骨の竜は、骨格が大人に近く翼が広いので、飛び立てないと思ったのだろう。
「ひっ」
竜とは思っていなかったのか、アデライトは目を剥いた。セーラはといえば、平然と散らばったアディスの服を回収している。
「アデライト君。おいで」
セーラが笑顔で誘い、ミラが狼共々抱えてアディスの背に乗る。
「あ、この姿だとこれ以上は無理なので先に行きますね。後で迎えに来ますから待っていてください」
アディスは女の子と魔道士達を乗せて飛び上がり、大きく旋回しながら静かに上へと上って、巣に向かっていく。
よく分からないことになっている。
悪巧みがないのなら良いのだが、半悪魔と何か悪巧みしているなら、手を打たねばならない。
子供に見えても、半分だけでも、魔道士は魔道士、悪魔の使いは悪魔の使いだ。