6話 人形師の館 3
「半悪魔っていうのは、匂いが曖昧なのが特徴なんだ。竜は人間よりは鼻がきくけど、さすがに犬ほどではないからねぇ」
ラゼスが複雑そうな顔をして呟く。
複雑にもなろう。
友人が犬のように地に這って、懸命に匂いをたどっているのだ。手配はしたし、自分たちに出来ることに戻ろうとしたら、現場の洗い直しという事になった。
そして妹命の自称兄は、半悪魔の匂いをたどってみようと言い出したのだ。
「周囲の人目が痛いんですが」
「僕だって恥ずかしい。無駄だし」
「無駄だと困るんですが。うう、今まで変な噂なんてなかったのに……」
アディスは子供好きで優しい魔術師だ。試しに大人の女性とも付き合った事もあるので、ロリコンなどと後ろ指さすのは本当に親しい者だけだ。
元恋人はもう結婚していて、それが忘れられないのではと噂が流れているのは知っている。
ロリコンの噂が流れて子供達に怯えられるよりはずっといい。
ちなみにディアス達以外の親しい人間は、あの女のせいで大人の女性が苦手になったのだと思っている。本気で小さな女の子が好きだとは思っていないらしい。
しかしロリコン以外の避けたい噂の種が出来るというのは想定外だ。
変人を連れているならまだいい。変態行為を強いているなどと噂が立ったらどうしてくれよう。これもすべてはあの人形師のせいである。
「しかし、人間の町とはいえ、これほど簡単に誘拐されてしまうとはねぇ……」
「基本的に無力な子ですから。相手が相手ですし、普通でなくとも抵抗できずに誘拐されます。私一人ではきつかったので、お二人の存在をとても頼もしく思いますよ」
「戦力として当てにされているって事かな。ネルフィみたいな派手な事は出来ないけど」
「お母さんがこの場にいたら、丁重にお引き取り願います。派手にされたらたまりません」
ラゼスは乾いた声で笑う。否定しないという事は、アディスが想像する通り、彼女に手加減の文字はないのだ。
「なんか、他の方法を探した方が良いような気もするよ」
「でも部下の結果報告待ちですからねぇ」
少しずつ進むトロアの尻を見ながら、己のふがいなさにため息をつく。
今度からすぐに探せるように手を打たなければいけない。今度があるよう、今は手を尽くす。生きていればきっと今度はまたある。セーラだから。
きっといつかまた誘拐されると確信しているほどだ。
「なぁ」
トロアが唐突に立ち上がった。
話しかけないで欲しいと一瞬思う。
「なんか、この周辺一帯に匂いが染みついているんだ」
「染みついて? 近くにねぐらがあるんでしょうか」
「上じゃなくて、下だ。地面。空気はない。土」
「まあ何百年といますからねぇ、染みつくかも知れません」
「下にいるんじゃないか。ほら、人間って地下になんか作りたがるだろ?」
アディスは首をかしげた。
地下。
すっかり忘れていたが、下水道がある。市民はそんな物の存在すら知らない場合も多いほど存在感がない。
しかし下水道は犯罪者が逃げ込む事もあるので、定期的に点検しているはずだ。入り口は魔術で隠していても、知っていれば誰でも入ることが出来るようになっている。犯罪組織ならその地図ぐらいあるだろう。
アディスは臭い場所になど興味がないので、今まで気にかけようとも思わなかった。アディスが通る地下道とも通じているが、下手に迷い込めば迷子になりかねない。
複雑な通路だから、点検がどのように行われているか知らないが、隅々までは見ていないだろう。
破損がないか、誰か人が隠れ住んでいないか、死体が転がっていないか、軽く点検していると予想できた。
「あいつらが下水道……」
人形好きの兄に、自分好きの弟。
とても汚く臭い場所に隠れるとは思えないが、地下にいるという可能性はある。人形師はこの国の生き字引だ。
古くからある下水道を使えば、探査を誤魔化す事も可能かも知れない。
可能性の問題で、アディスには出来ないが、可能性があるなら調べてみる価値はある。
「下水道の入り口は……」
普段は色が地面と同化している上に幻術で隠されているためわかりにくいが、実はそこらの路上にある。竜になってからは魔力も強いので、魔力を操り目をこらすだけで見えるのだ。
ただし人間の姿の時だけ。
竜の姿だと、勝手が違うらしくて魔力が扱いにくい。セーラがもらったミリアの姿になっても、化けるには人間の時とは比べものにならない集中力がいる。竜が術を使わないのはこのためだろう。彼らは彼らなりの力の使い方を編み出しているのだ。
人気のない場所にある入り口に手を当てる。とくに特殊な呪文はいらない。
「ええと……何だったっけ。簡単な命令だったような……ひらけ?」
この分かりやすく簡単な命令で地下への入り口は開いた。
小さな頃に教えられていたので知っていたが、実際に開くと少し驚く。驚いてもいられないので、深呼吸するとはしごに足をかけて、意外と深い地下に降りる。
アディスがはしごから離れるとトロアが飛び降りてくる。その上にラゼスまで飛び降り、トロアを足蹴にする。
さらりとひどいことをしたような気がするが、トロアは大して怒らず靴跡のついた肩を気にするだけだった。痛みはあまりないようである。さすがは化けているだけの竜。
「思ったより匂いはないですね」
アディスは周囲を見回して言う。
竜の鼻でも苦にならないのだから、人間の鼻では匂いなど分からないだろう。水路を見ると、その両脇に転々と水を浄化するのに使う印が刻まれていた。床などとても綺麗である。
恐ろしく気の遠いことを、昔の人はしていたようだ。
「知らなかった」
クレアは知っているだろう。ではこの下水道にも誰かやって来るかもしれない。しかし彼らを見つけられるとも限らない。
「何か変わったものが見えたら教えてください」
「あれか?」
トロアが天井を指さす。アディスには何も見えなかった。目をこらして、魔力を巡らせて何となく見えた。これは人間では見つけられない。そこにあると知っていて、これだけやってようやく見つけられるのだ。
「大人になるとあれが常時見えるんですか」
「個人差があるよ。僕はうっすらと見えるだけだけど、トロアは目が良いから。ネルフィはそういうの苦手。
だからアディスはあまり繊細な五感を持っているタイプじゃないんだろうね。でもどちらに似ていたとしても魔力はもっと強くなるよ」
「ああ、そうなんですかぁ。私は大まかな性格のお母さん似と。なんか複雑な気もします」
「魔力が強くなる前に技術を身につけているから大丈夫だよ。人間の魔術は少ない力を有効利用するものだから、技術なら彼らが一番だ。
竜ってのは普通に育つと先に魔力が強くなるから、魔力の細かな扱いが難しくなって練習しなくなる。だからみぃんな大ざっぱになるんだよ。ネルフィのしたことを肯定するつもりもないけど、偶然にしては理想的な配分じゃないかな」
理想の息子を作る試みは、見事に成功したという意味だ。
「逆にアディスみたいにもう意志のはっきりしている子がトロアみたいな五感を持っていたら、たぶん気が変になるよ。それが当たり前の状態で育たないと」
だからトロアは変なのだと言いたいのだろうか。
確かに霊感に優れている人間には変わり者が多い。
エリオットの対人恐怖症も、多少なりともそれが原因ではないかとも言われている。彼は夜もふけると絶対に部屋の外には出なくなる。人が来ると何かと混同して怯えて泣くので、そっとしておくのが暗黙の了解だった。
面白い認識だが、今はセーラのことが優先である。
「さて……」
アディスは目をこらして天井に敷かれた陣を見る。詳細は時間をかけなければ分からないが、数分も考えるとおおよそのことは分かった。
「目くらましと探査魔法の分散か。年寄りならではの気の長い作業……」
普通の人間はこんな馬鹿らしいことしない。仕事ならともかく、隠れ住むためにこんな事をしていたら、それで一生が台無しだ。
「分かるのか、あんな細かいのの意味が」
トロアが感心したように言う。
「詳しい仕組みは分かりませんが、見当を付けるためのコツがあるんですよ。見るべきは四方対角状にある要の印。そのさらに四方の組み合わせ。
さっきお父さんも言っていたとおり、竜は魔力がありすぎて小細工をしませんが、人間は力がないから小細工をするんですよ。それが脆弱と言って過言でない人間の強さです。あの半悪魔はそれを取り入れてくれているようなのでやっかいです。研究する時間など有り余るような者と丁寧に付き合うのも馬鹿らしい」
最後は愚痴になったが、アディスは陣の模様から流れを最低限理解し、歩を進める。
時折天井に見える陣の様子を見ながら、周囲の影響を探りながら。
「なあ、ラゼス」
「ん」
「お前のかみさんはこんな人間を誘拐して息子に食わせたのか。こんなに記憶が強烈に出るような人間、聞いたことないぞ」
「ネルフィのことは僕にはわからないよ。まだ結婚もしていないし。来るなって言うしさぁ。僕の子でもあるのに」
ラゼスはため息をつく。
ネルフィアと彼は、あまり合わないだろう。その上種馬扱いされただけ。以前はどのような関係だったかは知らないが、彼らは住む世界が違うほど合わないように見える。
しかし人間の夫婦にもたまにいるので、自分の両親としては仲違いしなければそれで良かった。
「……あ、トロアさん。変な入り口とか見つけたら教えてくださいね」
「たとえばあんなのか?」
トロアが突き当たりを指さす。近づいて目を細めても分からない。
「どこですか?」
「ここだ」
彼はなにやら壁に指を差入れ、がちゃりと動かして何かを開けるそぶりをし、壁をすり抜け奥へと向かう。
アディスにはまったく分からない。
彼の目の良さは感動ものである。
他の生物だったら捕獲して解剖していたかもしれない。
そして同時に、彼が見破れなかった術を思い出す。
「うわ……この目を持つ人でも、あの術って見破れないんだ……」
「この術?」
「トロアさんの妹に化けた……私が化けている術です」
「ああ、確かにそう考えると凄いな、人間は」
「人間のアディスがもう少し幼い頃に作ったんですよ。皆には内緒で」
それがおかしくなるほど五感の優れた竜の目も誤魔化すのだ。自分ってすごいと少し感動した。
「そんな術作って、いたずらでもしていたのか?」
「はい。内緒ですよ」
かなり壮大ないたずらを。
「なんか……ちょっと楽しそうだな。僕もやってみたいなぁ」
子供のように笑って言うラゼス。
意外とこの男も、真面目ではないのかも知れない。
聖良は頭が痛かった。くらくらするし、これが逆さ吊りのためにこうなっているのか、ストレスからこうなっているのか。しかし出血はまだ大した事が無い。ネルフィアに腹を刺された時は、もっと血が出た。
フレアが兄とのやり取りに、肩をすくめてから聖良を見つめる。男性だと分かっていても、女性のような顔に見える綺麗な人だ。メイクが派手なのでけばけばしいが、メイクを変えればもっと美人になれるだろう。
「ま、そんなことよりも間に合って良かったわ。パミラ、この子を下ろしてちょうだい」
聖良は耳を疑った。
確かに聖良に手を出せば、アディスは怒って何としてでも乗り込んでくる。彼が世間的にどんな風に取られているかを聖良は知らないが、彼の女という扱いになっているのなら、報復を考える。
彼はそれを恐れるらしい。
「問題ない。ここは見つからない」
人形師は手を挙げて人形を止める。
「でもダメよ。魔術師に対する必要以上の干渉は禁止されているでしょう。相手が表に出てこられないならともかく、あのアディスですもの。何が何でも来るわ。返すの」
救世主だ。
常識がないと思っていたら、以外に常識を持ち合わせていた。
疑ってごめんなさいと、その綺麗な人に感謝する。
「しかし、このような逸材は滅多に……」
「可愛くてもダメ」
「珍しい異国の娘なのに」
「だから余計にダメ。外交問題とかになったら、パパに叱られるでしょ」
人形師は名残惜しそうに聖良に刺した管を引き抜き、猿ぐつわを外して、ハンドルのところにいる人形に<嫌々であるが許可を出して下ろしてくれる。
足の枷をはずしてもらうと、頭に血は上ってくらくらするし、心臓はまだばくばくしているし、怖いし、鳥肌は立っているし、寒気はするが、助かったという実感がわき起こる。
「ああ、血が」
拘束を解こうとしてくれたフレアが、聖良の頭に触れる。
「あら、傷はどこ?」
「ここに……ここにあったはずなのだが」
人形師も傷跡があったらしいところに触れる。
まずい。
非常にまずい。
この二人には竜の存在を知られている。竜の血を飲んだのはアーネスでなければならない。
「兄様、何をするのっ」
フレアが叫ぶさなか、身体を覆っていた布をはぎ取られ、肩にわずかな痛みが走る。
「再生した」
いつものように治ってしまった。表面をかるく傷ついた場合は、消しゴムをかけたように傷が無くなる。
これは言い訳のしようもない。
「……お前、竜の契約者か」
証拠がある以上違うとも言えないし、違うと言ったら何なのだということになる。まさか体質ですでは通じない。
「だからそんなに小さいの」
「普通に背が低いんです」
フレアの悪気のない言葉に傷つけられ、聖良は悲しくなった。
「ひょっとして、竜に血を分けた?」
「なんでそんなこと……」
なぜそれを、とは言わない方が良いだろう。
竜は食べた相手の知識を得る。それはつまり、血を分けるということだ。彼女が言いたいのは、この話し仕方だろう。モリィの話し方を聞いているから、その結論は当然だった。
「どうなってるのかしら。竜やら竜の関係者がこんなにわらわらと。
しかもアディスの女がどうして……」
実はとても単純な話なのだが、頭蓋骨で化けるなどという発想がないのだろう。
だから想像をして、ありもしない物語を作り出す。
「あの、帰してください」
「ちょっと待ってね。外がもう少し暗くなってから安全な場所に戻してあげるから」
フレアは聖良にかぶせられていた白い布を完全に取らおうとして、聖良は抵抗した。
「ちょ、待って、やっ」
「え……っと、やだ、裸?」
「血で汚れるだろう」
「パミラ、この子を連れてきて、着替えさせてあげて」
人形に血避けの布ごと抱えられ、聖良は恥ずかしくて顔が熱くなった。
入り口と思われた場所に入り、ほんの短い通路を通ると目を点にした。
変わっていない景色。もちろん場所は違う。それはつまり、
「ただのショートカットっ」
アディスは頭を抱えた。
確かに素直に迷路のような場所を行き来するより、このような道があった方が逃亡もしやすい。
「くぅ、地図を持ってくるべきか……」
近くに青の箱庭の拠点はあるのだが、わざわざアーネスの頭蓋骨など持ってきていない。服装も私服とはいえ目立つし、色彩が明るくてアーネスの趣味ではない。城に戻っていてはかなり時間を無駄にする。二人を置いていけばいいのだが、それはそれで不安である。
「地図ならありますよ」
女性の声が響き、アディスの心臓が飛び跳ねる。
「く、クレアっ」
胸を押さえて、こちらに来る女性を見る。離れているのにずいぶんと声が響く。
「人の声が聞こえたって連絡があったと思ったら、あなたが壁から出てくるから驚きました」
「クレアがこんな所に来るなんて、どうしたんですか」
「可能性が高いのはここです。いい機会だから一人狩ることにしました。若い方は女装するだけで害はないと聞くので、古い方を」
彼女が本気で動くというなら心強い。
しかしそうなるとこの竜二人に手を出してもらうと、クレアなら正体を見抜いてしまう可能性がある。
「あの、話が変わったので、出来るだけ人間らしくしていてください」
二人にだけ聞こえる声で囁く。返事はないが、理解したものと思っておく。
「アディス、あなたはどこから出てきたんですか」
クレアがアディスの出てきた壁を見て言う。その後ろには、レフロ、ディアス、ジェロンがいた。他にも手分けして探しているのだろう。
「見えないかもしれませんが、ここに隠し扉があるんですよ」
アディスは開け放たれたままでの壁に見える通路へと手を入れる。
「そんな物の報告はありません。さすがに壁に穴が空いていたら一人ぐらい手を入れてしまうでしょう」
「扉があるんですよ」
アディスは取っ手がどこにあるか分からないドアに手をかけて引き寄せ閉める。
「どうやって見つけたの」
「ええと……」
ちらとトロアを見上げる。
「彼らは?」
「セーラの身内の方です。こちらの方がものすごい目をしていまして、私でもさっぱり分からない幻術に惑わされないんですよ」
クレアは目を細めて扉を探す。クレアでも見えないのなら、見えなくて当然である。この男がおかしい。
「地図があるなら貸してください。気づかれて逃げられる前にマッピングしていきます」
アディスは持ち歩いている蠟石で、扉の前と両脇に印を付けた。魔術師などやっていると、どこにでも文字を書ける道具を持ち歩く習慣が出来るのだ。
クレアが壁に向けて地図を広げ、現在地の壁に橋のような印を書いた。
「一人にしか見えないなんてやっかいですね」
「出っ張りとかほとんどないんですよ」
ほんの少し指が沈むだけ。さすがにこれに気づく者はいない。
「とにかく、トロアさん頑張って。颯爽と助けに来たら、きっとセーラだってお兄ちゃん大好きってなりますから」
背中を押すために言った何気ない一言だったのだが、それでトロアの目つきが変わった。
走り出し、次々と扉を開けていく。アディスはそのたびに床に印を付けて追う。体力のないクレアとレフロが悲鳴を上げていた。それを見て、ラゼスが地図とペンを受け取りマッピングを始めていた。