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4話 竜の里 6


「なんか……食べると気持ち悪い」

 聖良は着た覚えの無いワンピース姿で、ベッドのようなソファに横になりながら、ギセル族の夫婦が作ってくれた、固いパンとスープの朝食を取りながら呟いた。

 パンが固いので、今時の日本人らしく顎がそれほど強くない聖良は、スープにひたして食べている。ベーコンと野菜のダシが出ていて美味しいはずなのだが、食欲が湧かない。

「ねぇ……何で誰も何も言わないんですか?」

 身体がろくに動かない、しかも見知らぬ服を着ているこの状況で、誰も何も言わない。しかもいつも鬱陶しいほどひっついてくるアディスが、触れてこない。

 聖良の問い掛けに対して、アディスやユイ達が目を反らす。ネルフィアの姿はないが、彼女はきっと自分で朝食を狩りに行っているのだろう。

 そして、朝食を終えたミラと目が合った。

「あの竜が喜びすぎて大変だった。普通の人間だったら死んでいる。腰の骨も折れて、千切れかけた。よく生きていた。不思議」

 聖良には、何がどう千切れかけたのか、聞く勇気は無かった。

「ミラ、こう言うときは黙っているべきだよ」

「なぜ? 死んでいないのに」

 記憶がないのは幸いだが、聞いただけで気分が悪くなる。

 ダメージが残っているということは、相当だったのだろう。本当に死にかけたのだ。

 起き上がれないのも当然だった。

「…………痛み、取れるんでしょうか」

「あそこまでなれば、一週間は続きましょう」

 ギセル族の夫の方、デテルが言う。

「致命傷に関しては一見すると治ったように見えるけれど、身体の中の小さな怪我はそのままになるの。いつもならすぐに治ってしまう怪我も、大きすぎる怪我が治ってしまうと、身体は正常になったと勘違いしてそのままになってしまうのよ。血を飲んだだけだと、竜ほど回復は早くないし、竜にですら回復力に個体差があるから、仕方が無いわ」

 妻の方、ルルトが言う。

 いい加減な身体である。

「それでも普通の人間よりは早く回復するから安心なさいな。

 でも、子供達のいたずらに付き合わされた挙げ句にあんな目に合うなんて、なんてついてない子でしょうねぇ」

 聖良よりも背丈がやや低い小さな人達で、小人族だという。小人族の中では大柄な種族らしく、若い内は人間の子供でも通るらしい。

 小人に属する存在と身長差がないという事実に少しだけ傷ついたが、視線が合う人がいるのは、純粋に嬉しかった。

 聖良にとってはちょうどいい、人型のアディスにとっては少し小さなテーブルで、人間達はため息をついた。ソファに横になったまま、聖良はパンを千切って口に含む。

「……私、最近よく死にかけるんですよね」

「私も胆が冷えることばかりです」

 またため息。

 覚えていないのは幸運だが、例えようのない腰痛と、内側の違和感は辛かった。食欲もないし、食べると気分が悪い。水を飲むと胃のあたりが気になる。

 原因を考えるのが恐くて、考えるのを放棄した。

「まあ……過ぎた事ですね」

「セーラのその過去の事を気にしないところは魅力ですけど、同時に恐ろしくありますよ。もう少しだけ気にしてください」

 アディスが心配そうに言うが、聖良自身でもそう思うことがある。

 もう少し恨んでもいいはずだ。しかし怨みはない。力の弱い聖良が悪いという結論に達する。

 そうやって我慢するのに慣れて、それが当たり前になった。どうにかしたかったら、聖良が強くなればいいのだ。

 もちろん肉体的に強くなるのは無理だ。ミラを見て、心の底から確信した。この世界の人間には、聖良ではどうやっても勝てないと。

 何にしても怒りはない。怨みはない。竜に対する恐れもそれほどない。

 故意ではないというのが、大きいのだろう。

 痛めつけるために殴る手は憎いが、そうでないなら憎くはなれない。心に傷を負った人に、付け入るようなまねをした自分が悪いのだ。

「何にせよ覚えてないんで」

 覚えていないって幸せだ。

 身体の不調の原因が分かったところで、食べることを諦めアディスに食べて貰おうとした時だった。

 玄関で激しい破壊音がして──それが現れた。

「っきぁぁぁぁあっ」

 聖良は突撃してくる鬼気迫る青い竜を見て悲鳴を上げて、痛みも忘れて立ち上がる。

「暴漢は切っていい」

 腰を抜かし、覚悟をして目をつぶったその横で、ミラが呟いて動く気配を感じた。

 来るべき衝撃はなく、恐る恐る目を開くと、呟きの通り剣でその竜を串刺しにするミラがいた。

 驚いていると外に出ていたネルフィア達が飛び込んできて、その様子を目撃する。

「ああ、ミラ、よくセーラを守ったね」

 串刺しにして怒るかと思えば、逆に褒めるネルフィア。ミラは竜の胴を蹴り、グゥゥと呻く彼を踏みつけて剣を抜く。

 昨日の竜だ。区別はつかないはずだが、なぜだか聖良にははっきりと確信できた。

 大切な人に化けたから、怒っているのだと恐怖する。

 怒りや恨みは無いが、恐怖だけは消えなかったようである。

「み、りあっ」

 人間の姿をした聖良に、妹の名を呼んで手を伸ばす。驚いて後ろに下がると這って追いかけてこようとするので、その尻尾をネルフィアが掴む。それでも少しずつ前へ前へと這い進む。

「お前の妹はもう死んだ。情けない男だねっ。うちの子に何するんだいっ」

「離してくれっ。そ、その子はきっとミリアの生まれ変わりなんだっ」

 どうやら彼の中で、聖良は妹続行中のようだ。

 さすがに冗談ではないと、近くにきてくれたアディスの背に隠れる。

「ミリアが死んだのは五年前だろう」

「年齢的にちょうど合うじゃないかっ」

 聖良はあまりの言われように泣いた。

 五歳。

 五歳だと思われている。

「セーラ、若く見られる記録更新しましたね」

「なんて屈辱っ……」

 涙が止まらなかった。あまりにもひどすぎる。

「この子はうちのセーラだ。お前の妹じゃないよ」

「生まれ変わって、記憶がないんだ、きっと」

「まったく困った男だね。ああ、ラゼス、持ってきたかい」

「ああ」

 ラゼスは首輪のようなものを持って近づき首にはめる。そしてそれについた鎖を引っ張った。

「ほら、こいって」

「待ってくれ。ミリア、これを、これはお前のものだっ」

 ミリアの可哀相な兄トロアは、小さな竜の頭蓋骨を差し出す。昨日よりも明らかに小さい頭蓋骨だ。

「お前が持っているんだ。そしていつか兄さんのことを思い出してくれっ」

 ずるずると引きずられ、何度も何度も同じ言葉を叫びながら、その声が遠くなっていく。聖良は恐る恐る頭蓋骨を持ち上げた。

「人間の頭蓋骨と同じぐらいですよ、これ」

「竜は死んだときに小さかったら、死体は小さいままだ」

 そうミラが言った。明らかに竜を殺した事があるような言い方だった。聖良は極力それを気にせずに、言葉の意味だけを考える。

「昨日は竜に化けて小さくなったから、頭蓋骨も小さくなったって事ですか?」

「おそらくそう。竜は変な生き物」

 ミラはポケットから取り出した布で剣についた血を拭い、手元を見ることもなく鞘に戻す。出来る女という雰囲気で格好いい。

 こんなことをアディスに言ったら、すがりついてこんな風にはなるなと言いそうだ。彼は肉体的には無力なぐらいの女の子が好きだろう。

「ミラさん、ありがとうございました」

「物切るの、好きだからかまわない」

「…………そうですか。切る物は選んでくださいね」

「でも死角から触れてこようとすると勝手に身体が動く。ユイの命令は身体を縛るけど、無意識の行動は縛れない。

 剣を持つ者には声かけはとても大切。セーラなら死なないけど、人間は死ぬ」

「気をつけます」

 そんな人間はあまりいないだろうが、他にもいるかも知れないので肝に銘じる。なにせ聖良は最近ついていない。

 しかし彼女の場合なら付き合い方さえ気をつければ、どろどろした本音を抱えているような女性よりもずっと付き合いやすい。

 綺麗に着飾って、自分より下だと思う相手を見下すような連中をたくさん知っているから、いっそ気持ちがいいぐらいだ。

「セーラも変な男に気をつけるといい。正気を失った人間は何をするか分からない」

「そうします」

 ユイが複雑そうにミラを見つめている。彼は本当にミラを心配しているようだ。彼女はそれに気付いておらず、ユイが少し可哀相だ。

「ユイくんは心配性ですね」

「ええ!?」

「ミラさんのことが好きなんですね」

 彼は力一杯首を横に振る。振り続ける。それはそれで失礼だ。

「ミラのことは好きか嫌いかで言ったら、身内だから好きだけど、世間ずれした世話がやける姉というか、感覚的には妹というか」

 必死になって否定する彼をハノが止める。

「ユイ、そこまで否定しなくても。ミラに失礼だよ。誤解されたくないのは分かるけど」

「ミラのことは、普通に好きだから。でも普通に好きなだけだから」

 当のミラはきょとんとして首をかしげた。彼の好意も何も興味がなさそうだ。そんな彼女を見てハノが苦笑いした。

 彼らの間柄は面白い。

 目当ての夫婦が帰ってきたから、薬を受け取ったらもう帰ってしまうのだろう。

 彼等がもしも本当に遊びに来たのなら、喜んでもてなすだろう。何も無い所だが、お茶ぐらいは出せる。

「それにしても、散らかってしまったわねぇ」

 ルルトが腰に手を当てて部屋の中を見回した。

 ドアは完全に破壊されて、その破片が部屋中に散らばっている。ドアは作り直さなければならないだろうと思いながら玄関を見れば、入り口に昨日の子供達が立っていた。

「あら、お客さん」

 聖良が笑みを向けると、彼等は脅えたように後ろにさがった。

「どうしたんですか? あのお兄さんとネルフィアさんはいませんよ」

「知ってる」

 彼らはうつむいて、しかしちらちらと聖良の顔をうかがう。

「昨日は、ごめんなさい。まさかにーちゃんがあんなに我を無くすなんて、思ってなかった」

「別にいいですよ」

「でも……」

 泣きそうな顔をしているような気がした。

 皆の様子から、聖良がよっぽどひどい目にあったことだけは分かる。

 それを目撃していた彼らが罪悪感を持つのも仕方がない。

 聖良も自分の計画で他人がそんな目にあったら居たたまれなくなるだろう。

「気にしなくてもいいよ。でも、世の中には何でぶち切れるか分からない人がいっぱいるから、相手を観察することは大切だよ」

「わ、わかった」

「うん、いい子ですね」

 子供達は許しを得ると、やはりトロアも気になるらしく、ネルフィアが去っていった方へと走っていく。

 本物の子供は無邪気で可愛い。

 そんな気分に浸っている聖良の前に、身体だけ幼児が立ちふさがる。

「セーラ……あんないい笑顔を私には向けてくれたことないじゃないですか」

「え、子供扱いして欲しいんですか? リボンつけますよ」

「それとこれとは別です」

「そう、別なんですよ」

 彼を子供扱いなんてしないし、されたくもない。

 アディスがため息をついてから、聖良をソファに横たえた。

 聖良は腰が抜けたからか、無理をして動いたためか、先ほどは何とか起き上がる事は出来たのに、身を起こす事も出来なくなっていた。

 自分の腹を見て、抱えていた頭蓋骨が目に入る。

 竜の頭蓋骨。

「……アディス、この頭蓋骨どうしましょう」

「貰っておいたらどうです。竜になれるんですよ。竜相手だからひどい目に合いましたけど、確実にセーラよりは頑丈ですから、役に立つ事もあるんじゃないですか?」

「そうですねぇ。置いていって押しかけられても迷惑ですし……」

 持っていったらそれはそれで押しかけられそうなので、これから用心するに越したことはない。深く考えると恐ろしくて眠れなくなりそうだ。

「セーラ、本当に大丈夫?

 いくら死ななかったとしても、あんな目にあって平気なはずがないよ」

 昨日の惨劇を見ていたユイは、聖良の手を取って言った。視線が聖良の腕から腰のあたりを往復する。そこが悲惨な事になっていた部位だ。

「アディスはまだ子供だからあまり頼りにならないし、もしも不安だったら僕らと一緒に神殿に来る? ミラがいるから絶対安全だし、アディスが君を守れる程度に大人になるまでさ」

「え……」

 聖良には頼る相手が他にいないため、保身のためにアディスと一緒にいるのは確かだ。彼がいなければ言葉も通じなかっただろうこの世界で、一人生きていけるはずがない。だから彼が大きくなるまで一緒にいるのは決定したことだと思っていた。

「君みたいな女の子が魔物が跋扈するような場所で暮らすのも不安だし、ミラをさらに野生化したような竜と一緒ってのも不安だし」

 まさにその通りである。聖良もそれは不安だ。

「セーラならしばらくは十歳で通ると思うし」

 十二歳からは、未婚の女性は入れないという言葉を思い出した。

「私、人の多いところは好きじゃないんで」

 彼はきょとんとして聖良を見つめてくる。

 十歳。冗談ではない。

 それに今はアディスやネルフィアがいるから安心だし、ユイ達も結局はよく知らない他人だ。アディスがいなくなったら、きっと不安になるだろう。

 男の子は苦手だし、何よりも屈辱的な扱いは嫌だ。

「セーラはとっても繊細な女の子なんですから、あなたたちのように女性の扱いを心得ない男に預けられますか。人間の姿だったら守る自信はありますから、ほっといてください」

 不機嫌丸出しのアディスが聖良の足下に座った。

 彼も一人では寂しい。いろいろ悪さはしていても、幼い頃から大勢に囲まれて暮らしてきたのだ。その悪さも一人ではしていない。一人になる事に慣れていないだ。

「人間の時の方が強いってのも……」

「仕方がないでしょう。生まれたばかりだから、身体の方が出来上がってないんです。しかし魔術だけならミラさんに負けるつもりもありません」

 ミラは剣を使うからアディスでは絶対に勝てないだろうが、魔術師としての意地から魔術だけは上だと言い張りたいらしい。ミラのすごいところは、あれだけ動きながら呪文を唱えているところだ。

 聖良は口を押さえて苦笑する。

「ちょっと恐いですけど、私はたぶん大丈夫ですよ。トロアさんのことも、もう油断してつかまったりしませんから」

 トロアに関してはかなり不安はあったが、楽観的に先を見ることにした。きっと何とかなる。落ち着いてくれれば、押しかけてきてもきっと冷静に話し合ってくれると信じている。

「……そっか。

 分かった。

 でもこの薬を届けたら、いつかまた様子を見に来るよ」

 赤の他人のユイがここまで言うほど、聖良はひどい目にあったのかと、考えれば考えるほど自分の身体が恐ろしくなった。

 骨は歪んでくっついていないだろうか。

 咄嗟の時は動けたので、大丈夫だろうと今は目をつぶる。

「心配してくれてありがとうございます」

 不安はあるが、まずは心配してくれる礼を言う。

 赤の他人なのにここまで言ってくれるなんて、さすがは聖職者だ。こういう事で人間の本質というのは見えるので、彼は本当にいい人だ。

「ところで今急に思い出したんですけどアディス」

「はい?」

 聖良は傍らにあったミラに貰った杖の柄を、アディスに気付かれないようにソファに添えた。

「この変態!」

 不意打ちを額に食らった彼は悶絶する。

 ソファで支えているので、そこまでの威力は無いはずだ。額だから、少しは痛いだろうが。

「い、いきなり何を」

「紳士ぶって覗きしてたなんて最低ですっ」

 聖良はアディスの頭をぽかぽか殴った。

「痛いです」

「痛くしてるんです」

「傷つけられても怒らないのに、ひどいです」

「悪意があれば怒りますっ」

「だって退屈なんですもん」

「退屈だからって……痛い」

 怒鳴りすぎたせいか、聖良は腹を抱えて悶絶する。

「大丈夫ですか。もう覗きませんから、今日は静かに寝てましょうね」

「もう覗かないとか、そういう問題じゃ……」

「でも、一人にしておくのは危ないでしょう。鉄砲水はともかく、ありえないことで怪我をする、そういう運のなさがセーラらしいんところなんですから」

 強く否定しきれない自分が情けない。

 自分らしさって何と天に問いたかった。

「うう……」

「セーラ、今ので納得するの?」

 ユイが頬を引きつらせて言った。

「だって、今までの体験からそれぐらいはあっても……」

「セーラ、本当に大丈夫?」

「大丈夫です。雪解け水だと思うんで、一気に流れ出るなんてないと思います。お母さんが変な風に山で暴れなきゃ」

 話を聞く限りでは、本気で暴れたらありえて恐い。

 気をつけよう。

「…………覗かなかったら、側にいてもいいですよ」

「セーラは暗いところが苦手なんですから、素直にそういっていれば良いんですよ」

「…………覗くのは問題外ですよ」

「何を今更」

「覗いたらクレアさんに泣いて訴えますよ」

「…………覗きませんから。セーラは服を着ていた方が好きですし」

「太ってて悪かったですね」

 現代人は、貧乏人が太りやすいのだ。

「だから太ってませんって。ただ身長の割にはいらないところばかり育ってるだけじゃないですか。セーラはとっても可愛いですよ。ねぇ」

「ぜんぜん太ってないよ。えと、身長の割にはスタイルがいいだけで。いらなくないし」

「これ本物か。よく育ったな。邪魔じゃないのか」

 アディスにけなされ、ユイが可愛らしい顔に反して男らしい発言をし、ミラに胸を突かれ、聖良はため息をついた。

 なんだか悲しくなる。

 大人しく寝ようと、毛布を身体に絡めた。

「私もう一度寝ます。おやすみなさい」

 聖良は毛布を頭まで被り、身体を少しでも回復させるために目を伏せた。



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