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1話 生贄と竜  2

 アディスがすらすらと胡散臭い台詞を吐いた。

 今まで意味の分からぬ舌っ足らずな調子で話していたのにと、理解できぬ事態に動転して、身を引いた。

「ああ、驚かせてしまって申し訳ありません。これは意思疎通のための魔術ですよ。実際の所、私はまだ幼児の口調です。生まれて間もないので、舌が上手く回らないのです」

「ま……魔術?」

 驚いたが、自分の目の前にいる生物が驚きの対象であるため、それほど驚くこともないと思い直す。彼はつぶらな瞳で聖良を見つめ、驚いて固まる彼女の頬を舐めた。

「驚かせてしまってすみません。あなたはひょっとして、召喚された生贄の方でしょうか」

「い……生贄!?」

 確かにその通りなのだが、おそらく自分を食べてしまう予定だった相手に言われるとショックだった。しかも、わざわざ召喚されたのだという。

 理解を超えるが、物語ではよくある話だ。

「自分たちの仲間から生贄を出したくないから、召喚したんですか?」

「違いますよ。言葉が理解できない、魔術を知らぬ者なら誰でも良かったんです。外国人をさらうにしても、ひょっとしたら相手が魔術の知識を持っているかも知れないから、魔術の発達していない世界から、差し障りのない人間を召喚する古い狩りの手法です。そうすれば竜の子供が魔術に関する知恵を付けるのを防げます」

 小さな竜に差し障りのない人間呼ばわりされて、聖良はさすがに傷ついた。

 その通りだが、言われると辛い。

「私……差し障りがないからここにいるんですか?」

「言葉は悪いですが、その通りです。いなくなっても周囲がそれを不審に思わない、世間と縁の薄い無力な人間なら、設定しやすいのです。逆に世間と縁の強い人間や、力のある人間を呼び込むのは、人間の器では不可能です。

 セーラは身内の方とは相性が良くなかったんですね。あなたのような可愛らしい方を疎遠にするなんて、信じられません」

 子供故か、彼ははっきりと教えてくれた。

 世の中には異世界に迷い込んで王様になったり、勇者になったり、伝説になったりするパターンも多いのに、よりによっていらないから小さな竜への生贄。

 まだ神の生贄というならともかく、こんな小さな竜を捕まえるための餌。

 しかも服装は体操服とジャージ。ため息が出る。

「その……今更ですが、ここって、どこ……ですか?」

「私もこの洞窟にはあなたと同じ方法で連れてこられたのでよく分かりません。おそらくグリーディア王国のディルニス山脈でしょう」

 聞いた自分が馬鹿だったと頭を抱えた。やはりここは聖良の知る世界ではないため、聞いたこともない国名だ。全ての国の名前を知っているわけではないが、聞いたこともないというのは、さすがにそれはあり得ない。

「セーラには、言っても分からないでしょうね。とにかく、私が生まれた国の隅っこにある山脈の入り口付近の崖の上と考えてください」

 聖良はこめかみを押さえてため息をついた。人里離れた崖の上。助けなど期待するだけ無駄だった。

「さっき連れてこられたって……アディスはここで生まれたんじゃないの?」

「それは……話すと長くなりますが……まずは竜の特質について話しましょう。それがあなたがここにいる理由でもあるので」

 聖良はこくりと頷いた。小さいくせにやたらと理知的な竜は満足したように腕を組む。

「セーラ、あなたの世界に竜はいますか?」

「いません。魔法とかそういうのもありません。空を飛ぶ生き物は鳥とか虫だけです」

 聖良は正座をして答えた。アディスは丸めていた尻尾をパタパタと上下させる。

「やはりそうですか。どうやら設定は完璧だったようですね」

 聖良は竜がどういう理由で興奮しているのか理解できずに、少し困った。彼が怒っているのか喜んでいるのかも分からなかったのだ。

「この世界の竜というのは、悪魔に次ぐ寿命を持つ、個体によっては悪魔に勝る強大な魔力と、頑丈な肉体と高い再生能力を持つ生物です。ほら、傷がもうない」

 彼は自ら傷つけた手を見せて、傷跡すらないことを確認させた。

「竜というのは、妖精に近い悪魔と違い、生殖行為によって母胎からのみ生まれる生物です。しかし、長寿の種族の例に漏れず、とても繁殖力が低く人間が生きている内にちらと姿を見ることですら稀な生き物です」

「……自分のことなのに、とっても客観的ですね」

 聖良は人間についてこれほど客観的に語れるかどうか怪しいものだ。

「この認識の理由も後で話します。竜という生物の特性を聞けば、おおよそ理解できるでしょうから、聞いてください」

 彼は苦笑して肩をすくめる。竜の表情など犬猫の感情よりも分からないが、雰囲気からして、おそらく今のは苦笑するようなニュアンスだ。

「竜の赤ん坊というのは、先ほど説明したように滅多に生まれません。その竜の赤ん坊というのは、生まれて初めて食べた知能の高い生物の知識を吸収できるんです」

 聖良は理解できずにアディスを見上げた。

「食べた相手の知識を取り込むんです。だから母親は頭が良く捕まえやすい『人間』を初めての動物性の餌としする事があります」

 やはり聖良はアディスの餌になる予定だった。しかしアディスは先に良心的な人間を食べていた。それ以上説明されなくても、彼女と彼の立場を理解する事が出来た。

 そのおかげで聖良は助かったが、その食べられてしまった人間が可哀想だった。

「まあ、想像できると思いますが、私はこの身体が初めて食べた人間の人格ですよ」

「…………それは……それは壮絶な人生の終焉を」

 これほど知識があるという事は、聖良のようにわけも分からない場所に呼び出されて食べられたわけではない、専門家か何かのようだ。彼は普通に誘拐されて食べられ、そのように壮絶な最期を迎えたのだ。

「まあ私の場合は、なるようになったので、いいと思うんですよ。

 セーラも落ち込まず、前向きにこれからの事を考えましょう。この世界も悪くはないですよ」

 自分が死んだのに、他人の事を慰められる。落ち着いた大人の男性だったのだろう。

「私の身体がもう少し大きくなったら、街に連れて行ってあげましょう。セーラが口を貸してくれれば、人間だった頃のように魔術が使えます。元の世界に戻すことは出来ませんが」

「……戻れないんですか?」

「無理です。自在に行き来できるような大魔術は存在しません。先ほど申し上げた、繋がりも力も弱い、無力な人間を呼び出すのですら、かなりの事前準備が必要な大魔術です」

 聖良は俯いた。そこまでしてまで呼び出したのが、当たり障りのない人間。同じ世界で調達した方がはるかに安く確実だ。そこまでしなければならないのかと首を傾げる。

「今は目の前の事に集中しましょう。少なくとも、セーラがお母さんに食べられることはないようにします。おかげで意志が伝わりやすくなりましたから、食べられる事だけは無いでしょう」

「お母……さん……?」

 引っかかりのある言葉が聞こえ、呟いた。

「先ほど貴女を運んできた大きな竜のことですよ。彼女は今の私の母です。賢い子が欲しかったらしく、人間に賢い人間を差し出せと言った矢先、私の噂を聞きつけて私を誘拐してくれた方です」

 彼は複雑そうに笑う。このようになってしまえば、笑うしかないだろう。

「…………自分を殺した人が、母ですか」

「複雑な心境ですが、とりあえず悪い方ではありませんよ。頭は足りませんが、操りやすいですから」

「操りやすいですか……」

 彼のいい人の基準は、少し変わっている。

「素直なんですよ」

 彼はのっそりと起きあがり、聖良へと近づいた。

「とりあえず、現状は理解していただけたと思いますから、身体を洗いませんか? 血だらけです」

「…………」

 淡いグリーンのジャージと紺色のハーフパンツは無惨に赤黒く染まっている。中に着ている白い体操着は、もっと悲惨だ。しかも乾きかけているので今の内に落とさないと手遅れになる。

「ちょっと降りると川があるんですよ」

「川? 下に行けるんですか?」

「いえ、洞窟内に川が出来ているんです。水浴びが出来る程度には水量がありますよ。冷たいでしょうが、私はまだ火はあまり吹けないので」

 聖良は言葉に詰まり、こめかみを押さえた。

「火、吹けるんですか」

 尋ねると彼は天井を向き息を吸い込み、口をすぼめて息を吐く。するとガスバーナーのように火が飛び出た。

「この程度なら吹けるんですが、水を温めるほどの火力はありません。お母さんならせき止めた水を湯に出来るような火を吹けるんでしょうけど」

 と言って、アディスは聖良を抱えて翼を広げる。聖良一人ではかなり苦労して登らなければならない巣の壁に足をかけ、翼を動かしながら駆け上がった。母親と違って爪を立てずに運んでくれたので、抱えられても痛みはない。

「あ、布を持っていった方がいいですね」

 アディスは聖良を地面に立たせると、中に戻って敷かれた布を引っ張り出し、切り裂いて巣の外に出る。

「服の替えはないので、当分はそれを巻き付けていてください」

 少し大きめの黒い布と、身体を拭きやすい大きさの白い布が何枚かあった。それを抱えて聖良はアディスに続く。彼は途中床に置いてある淡く光る石を拾いそれを聖良に手渡した。

「これは……」

「よく分かりませんが、お母さんがばらまいたようです。便利ですよ」

 よく分からないのだと思いながら、それを掲げる。直視すると眩しいが、電球のような強烈な光ではない。白い薄布で包めば、提灯のようになった。このまま棒の先にくくり付けて暗いところを歩けば人魂が飛んでいるように見えそうだ。日本の人魂と言うよりも、オーブとかいう光に近いだろう。

「大丈夫ですか? 足下がふらついていますが」

「ちょっと貧血です」

「ああ、傷は塞がっても血は戻りませんからね。少し下り坂になっているので気をつけて下さい」

「はい」

 素晴らしく効能がありそうな竜の血でも、貧血は治らないのだと思いながらよたよたと歩く。徐々に道が細くなり、大人の竜の巨体では通れない、一車線道路ぐらいは幅のある坂をしばらく下ると、さらさらと流れる水音が聞こえてきた。暗く初めて通る道だから時間が掛かったような気がするが、実際はかなり近いのだろう。空気は冷たく、水も冷たそうだ。洗濯をしてから身体を洗った方がいいだろうが、汚れた身体にせっかくもらった布を巻き付けるわけにもいかないので、先に身体を洗ってから洗濯しなければならない。

 とは言っても、ジャージと中の体操着は腹の所に穴が空いている。

「滑るから気をつけて」

 アディスの忠告を受け、聖良はゆっくりと川に近づく。そこからは広くなっていて、アディスの母でもくつろいでいられる程には天井が高かった。川に指をつけると冷たく、聖良は思わず手を引いた。どうにかならないものかと周囲を見渡し、川の脇にくぼみが出来て水が溜まっているのを見つけた。

「何かな、この穴」

「さぁ、自然にあいた穴じゃあない感じですが……。お母さんがここまで来て、大きくなって暴れたのかも知れません」

「お母さんはここまでこられるの?」

 どう考えても、途中で胴体が引っかかるはずだ。

「竜は身体のサイズを変えられるようです。私は赤ん坊なので、まだ出来ませんが」

 近くを見ると、えぐられた岩の破片が転がっている。なんとか抱えられそうなサイズのそれを見て、アディスに尋ねてみる。

「これを少し暖められませんか? お湯まで行かなくても、少し暖められたら有り難いんですけど」

 肌寒い洞窟の中で、冷たい水を使って身体を拭く。都会育ちの聖良では、風邪をひいてしまいかねない。

「やってみましょう。さすがにこのままでは冷たいですからね」

 アディスは快く承諾して、聖良の手から石を受け取り、重そうな岩をいくつかくぼみの近くまで運ぶと、炎を吹きかけた。息が途切れるとまた吸って吐き、何度か繰り返すとアディスはそれを素手でくぼみに落とす。水がじゅっと音を立てて水蒸気を上げた。何度かそれを繰り返すと、手を入れるとほんのり暖かくなっていた。お湯とも言えないが、これでも十分だ。

「アディスさんありがとうございます」

「いえいえ。私は少し離れていますね。何かあるといけないので、あまり離れられませんが」

 と言って、アディスは来た道を少し戻る。光る石に黒い布を掛けると、かなり薄暗くなり向こうからは見えないほどになった。

 光を少し離れたところに置いてから服を脱ぎ、そっとぬるい水の中に足を入れる。プール開きの頃を思うと、ずっと入りやすい温度だ。

 身体に付着した血を流し、顔や髪にもついているので頭を水に突っ込んだ。息を止めて顔をこすり、髪を手でとく。持っていた鞄を落としてこなければ、制服も櫛も鏡もあったのにと、少し悔しく思う。しかしあの極限では鞄を抱えていたとしても落としていた。

 そのまま捨て置かれていたら、いつか取りに行ける日が来るかも知れない。しかし彼等にとって珍しい物が多いだろうから、持ち帰られている可能性もあった。

 生きているだけで十分すぎるほど運が強かったと思わなければならないのだ。贅沢を望んではいけない。

 聖良はいつも不運だったが、不思議とまだ生きている。非業の死をで終わる者も多い中、それだけでも十分恵まれていると思わなければならない。

「はぁ」

 思い込むというのは強い力だ。思い込みでとんでもない事をしでかす人間がいるぐらいだから、効果がないわけではない。しかしこの世界で最後には白馬の王子様とハッピーエンド、などと思い込むほど、夢見る乙女でも、恥知らずではない。

 背は低く、太めで、前向きで明るい素直な性格でも無く、ついでに運動神経も無く友達も少ない。

 取り柄を考えてみたが、何も無い。

「…………だからか」

 家族がいない事もそうだが、秀でた部分がなく、注目されるような要素が何一つ無い。

 身体を洗い終えると黒い布を少し持ち上げ、近くに置いた白い布を探す。布を見つけると、身体と髪を拭く。すとんとした癖がないストレートの生乾きの髪は、ぺったりと顔や身体に張り付く。再び黒い布を持ち上げて石を白い布で覆うと、黒い布を身体に巻き付けた。後でもう一枚もらって、もう少し服らしくないと不安だった。鞄があれば針と糸もあったのにと、また無駄なことを考えてしまった。

「よし、洗濯しよう」

 下着類を身につけていないので少し不安を感じながら、川の方で洗う。くぼみは川とつながって少しずつ中身が入れ替わっているが、わざわざこれ以上血で汚すこともない。

 大量にこびりついた血が自分の物だと思うと悲しくなるが、水につけて少しこすればあっという間に元の色に戻っていく。血は放置すると落ちにくいが、すぐに洗えば落ちる。

「よし」

 明かりを近づけてみるが、血はほとんど落ちいていた。さらに丁寧にもみ洗いしたら、完全に落ちた。あまり乱暴にすると、穴が広がるので丁寧に。あとで火を貰って、裂けた部分をあぶれば、化学繊維でできたこれは焦げだ部分が固まってほつれにくくなるはずだ。

「落ちたようですね」

 背後にのそりと現れたアディスに驚き、聖良は尻もちをついた。前がはだけかけたので慌てて押さえ、風呂上がりのようにしっかりと布を巻き付ける。

「巣の近くの岩に置いて乾かしましょう。入り口付近ならすぐに乾きますよ」

「はい」

 下着をジャージに包んで隠しながら、聖良は慌てて立ち上がる。

 考える事は山のようにあるが、前のようにややこしくない分、気が楽かも知れないと気楽に思った。

 どうせ、自分などいなくなっても差し障りのない人間なのだから。



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