3話 異世界の醍醐味 8
朝、目を覚ますと、服を着ていない『銀髪のアディス』に抱きかかえられて眠っていた。内装とガラス窓がある事から、宮殿内のアディスの部屋のベッドだと分かった。
「えと……」
目の前にある整った顔と、細身ながらも引き締まった男性的な肩から目をそらし、聖良は昨夜のことを思い出す。
アディスが部屋を出て行って暇な間、ついうとうとして眠ってしまった。
起きたら朝で、アディスの腕の中。
聖良の髪の色は黒に戻っていることから、アディスによって勝手に解呪されたようだ。しかし着ているのは子供服のままで、胸元が大きく開かれているのに気付いて、聖良はアディスの腕から抜けだし、毛布を身体に巻き付けて、アディスを揺さぶった。
「ちょっと、なんで私こんな格好しているんです!?」
ボタンが引きちぎれていないから、アディスが外したのだと思われた。そして彼は着ていた服を脱いでそのまま寝た。
アディスが聖良の身体に興味ないのは分かっているが、黙って許せる事ではない。アディスだからいいものの、他の男とこの状況になっていたら、どれだけ女がパニックになるか。
「起きてくださいっ」
「あうぅ」
毛布を取られたアディスは、上半身裸で寒いのか、身体を丸めて呻いた。
今日は巨体でないため安心して起こせる。道具はないが人型なので下手な物で殴れば血が出てきてしまうため、道具は探さずゆさゆさとゆすると、彼はゆっくりと瞼を開き、目を手の平で覆い欠伸をした。
「んー、どうしました」
「どうもこうもありません。なんで私こんな格好なんです!?」
「元に戻さないわけにはいきませんし、全部脱がしたら後が恐いですし、そのままだと苦しそうですし」
「アディスはなんで裸なんです?」
「ん……いつも全裸じゃないですか。全裸生活のせいで、服がどうにも窮屈で。下は穿いてるからいいじゃ無いですか」
「よ、よくないです。ビックリしたんですから!」
「この程度もまだ見慣れないんですか? なんて可愛らしい」
アディスは逃げようとした聖良の腰に、後ろから腕を巻き付けてきた。
「ああ、やっぱりセーラの方が抱き心地がいい」
アディスは聖良を抱きしめ、頬にキスをしようとする。その顔面に頭突きを食らわせ、聖良はベッドの上から裸足で下りた。
あの華奢で、無駄な贅肉のない美少女に比べれば、肉も付いていて、抱きかかえる分にはいいだろう。抱き枕としても。
「こんな事せずに、起こしてくれればいいじゃないですかっ」
「可愛い寝顔だったから」
「いつも一緒に寝てるでしょう!」
「セーラは何度見ても可愛らしいですよ」
アディスは上半身裸のまま、聖良を追ってくる。
「何なんですかっ!? 気色悪い!」
聖良は隣の部屋に逃げると、彼は「まてぇ」とふざけて追ってくる。いつもと違って朝からテンションが高い。それほどベッドで寝たのがよかったのだろう。
しつこく追いかけてくるアディスから逃げるため、部屋のドアを開いて外に飛び出ようとしたところ、向こうからドアが迫ってきて、鼻っ柱をぶつけた。
「あううっ」
尻もちをついて見上げると、王様──ハロイドが目を見開いて聖良を見下ろしていた。
「だいじょ………………アディスっ!」
ハロイドは聖良に手を伸ばし掛け、アディスに向かって怒鳴った。
「なんですか。こんな朝っぱらから大声を出して」
ハロイドは顔を上げ、恐いほど引きった顔をしてアディスに言う。
「しっかりと責任を取るんだぞ」
聖良は自分のはしたない格好に気付き、立ち上がって毛布をしっかりと巻き付ける。
「責任?」
アディスが顔を顰めて問い返す。
責任。聖良の知る責任。
「…………セーラ、君のご両親に挨拶をしたいんだけど」
聖良とアディスは顔を見合わせて、真剣な顔をして言うハロイドをもう一度見る。
「ハロイド様、私とセーラはまだそういう関係ではありません」
「そうです。まだじゃなくて、そんな予定は一切ありません。
一緒に寝ただけで、それ以上はありません。私はどちらかというと、普通の人が好みです。こういう変な人は嫌です。これの事で挨拶に来られても困ります迷惑です」
アディスの変わり者ぶりは昨夜でよく分かった。友人としてはいいが、ハロイドの考えるような関係になるのは嫌だ。
「セーラ……昨日の夜はあんなに可愛かったのに、どうしてまたそんなにトゲトゲしてるんです?」
「だから、そういう誤解を招く言い方はやめてくださいっ!」
背後から抱き撫でられ、また誤解を招くことをする。
昨日の反省はなく、子供扱いで、玩具に等しい。
「……アディス、ものすごく怒ってそうだが」
「どーして怒るんですかぁ。ほっぺたはこんなにふにふにしてるのに、心は堅木のようで私は寂しいですよ」
「太ってません!」
「誰が太っているなんて言いました」
「まだ垂れてません」
「いや、誰がそんなことを言いました。セーラの肌はこんなに綺麗なのに。年増と違って」
アディスの発言にハロイドは戸惑い、腕を組む。
「そりゃあ年齢差だけはどうしようもないだろ。クレアだって昔はこれぐらい肌がきめ細やかだったんだぞ」
「ははは、あのババアが若くても、セーラの肌には勝てないでしょう。お腹や太股の滑らかさいたっ」
聖良はアディスのスネを蹴り飛ばす。
思い返せば、抱き上げられた時に腹や太股には触れているはずだ。そんなことを考えながら抱き上げられていたと知っていれば、全力で逃げたのだが、まだまだ彼のことを理解し切れていなかった。
肌は痩せているよりは、多少の脂肪があった方が綺麗なものだ。
「太りやすい体質で悪かったですね」
「だからセーラは太って何ていませんよ。今ぐらいが一番可愛いです。すべすべでぷにぷにで、小さな子供の肌みたいですよ」
聖良はため息をつく。
朝からなぜセクハラを受けなければならないのか。昨日からずっとそう思っている気がした。
「アディス、本当に何もしていないのか」
「していませんよ。こうして抱きしめる以上のことはしていません。何かして嫌われたら立ち直れないじゃないですか」
「嫌われていないと思っているのか。というか、なんで裸なんだ」
「嫌われていませんよ。いつも二人きりの時は、可愛いって言ってくれますから。
あ、最近裸で寝てるんです」
それは竜の時限定だ。人間のアディスは格好いいが可愛くはない。
「呆れてるような気がするけどな。ああ、朝食はどうする」
「いただきますよ」
聖良は毛布を身体に巻き付けた自分を見下ろし、これでは朝食になど行けないと顔を顰める。
「服を脱いだまま置いてきたから部屋に取りに行ってきます」
「あ、メイドがセーラを起こしに行っていなかったから、服だけ洗濯しておくって言ってたぞ。裾が汚れてたから」
聖良はその言葉に固まった。
制服を洗われたら、着る服がない。
「服を買いに行ったんだろ。君は可愛いから何でも似合うだろうな」
「買ってませんよ」
「え……」
「他に一着もないですし」
「…………」
ハロイドはアディスを睨み付けた。
「買えなかったんですよ。身体に合う服もなかなかないですし、上着類はオーダーメイドです。胸が入る服だと彼女にはちょっと大きいんですよ」
聖良はこくこくと頷いた。彼女がよく着ていたのは、ストレッチ素材の服ばかりだ。伸びない服はほとんど着たことがない。
「…………ないのか、服」
「はい。大きくてもいいので、とりあえず着られる服を貸していただけると有り難いのですが」
アディスの服を借りるよりは、大きめの女性用の服を借りる方がいい。
「…………じゃあ、クレアの衣装部屋の服を適当に着てくれ。ハーネスの時からあるから、無駄にたくさん色んな衣装がある。日に日に増えてるし」
王妃の衣装部屋。気は引けるが、見てみたいという気持ちもある。クレアが着ていた服は仕事着のようで、真っ白なワンピースに凝った装飾が施されたものだった。彼女の服なら、着られる物もありそうだ。袖は長そうだが、我が儘は言えない。
「ありがとうございます」
「アディスに案内してもらうといい。俺はそろそろクレアの所に行かないと叱られるから」
さらりと尻に敷かれている発言をして、彼は部屋を出て行った。
どこの世界でもああいう男性はいるらしい。
通り過ぎる人が、ちらと聖良達を見る。それが何度か繰り返された。
城でもそうだったが、城の中は噂があるだろうから理解できる。しかし街に出ても続くと少しへこむ。
「やっぱり変なんですか?」
聖良は自分が選んで着た服を見下ろして呟いた。
男性が入ると怒られるからと、聖良一人で衣装部屋に入った。ドレスから、なぜか着ぐるみまで、種多様な衣服が置かれた部屋の中から、高そうでなくて可愛いものを見繕った。
聖良としてはそれらしくコーディネートしたつもりなのだ。
しかしファッションというのは、材料が揃っていても作りたい系統にするのが難しいように、よく知りもしない文化の衣装を目の前に、現地人になじめるような雰囲気を、素人が作れるはずもない。
もっと分かりやすければともかく、聖良にはまだ特色が理解できていないのだ。それに可愛いからと、好きなように着た部分もある。
まあいいかと思って部屋から出て、アディスが一目見て言ったのは
「セーラは変わった取り合わせを好むんですね」
だった。
つまりは普通ではあまり選ばない物を選んで着ているのだ。
「変わった着こなし方ですが、レトロな感じで可愛いですよ」
古いデザインの服も混じっていたらしい。あれだけあるのだから、流行の品ばかりがあるとも限らない。
「やっぱりアディスが選び直してくれたらよかったんですよ」
「私的にはありですよ。おかしくはないですし、何より可愛いです。裾を出すのもいいものですね」
服の裾をスカートの中の中に入れる習慣がないため、聖良はつい『日本的』な服の着方をしてしまった。
薄手の服を何枚か重ねて着ているし、それらしい服を選んだだけではだめなのだと思い知る。
これなら昨日は町の人の服装をよく見ておけばよかったと後悔した。
聖良は自分に観察力がないことを知っている。歩いていると知り合いとすれ違っても気付かない事も多い。
「お城の中でもちらちら見られてましたし」
「それは聖良が珍しいからですよ。噂が広まっているはずですからね昨日よりは普通の格好ですし」
聖良はうつむいて歩く。
疎外感があった。
ここはいるべき場所ではない。何も分からず、何一つ出来ない。
「どうしたんですか? 今朝のことまだ怒っているんですか」
「違います。ただのホームシックです」
そう、きっとこれはホームシックの一種だ。ネルフィアは恐いが、疎外感はない。
「元の世界の事を考えていたんですか」
「いえ、お母さんのところを」
「…………実家の方は」
「あそこに未練はありません。関係が断ち切られてせいせいしています」
「そんなに虐げられていたんですか……。可哀相なセーラ。これからはうんと優しくしてあげますからね」
彼が言うと、あまりいい意味に聞こえなかった。
「べつに虐待されていたわけじゃないですよ。財産とられて下働き扱いされただけで」
「それを世間では虐げられているって言うんだと思いますが、そちらでは言わないんですか?」
「親が聞き分けのない子を殴るのも虐待扱いされるんですが、暴力がないと虐待扱いされないのが現状です。嫌な世の中ですよ」
「よく分からないところですね」
「ええ。分からないところです」
あの国は実におかしな所だったと聖良は改めて思う。この国も国王からしておかしいし、アディスが変な組織の長だったり、墓地に抜け道があったりするが、異世界だと思うとそれほどでもない気がするのだ。
「ところで、今日はどうするんですか?」
「また昨日の店に行きますよ。あれだけ急がせたので、一着ぐらい形は出来ているでしょうから、本縫いする前に一度着てみないと」
「服ってそんな簡単にできるんですか?」
「新しいデザインをおこせって言っているわけじゃないですからね。なにしろあのクレアの我が儘に付き合っている方々です」
「クレアさん、注文が多いんですか?」
「あれでもハロイド様にぞっこんなのはクレアの方なんですよ。彼女が着飾るのもすべてハロイド様のため。
女性のそういうところは、どんなに年を取ろうといじらしくて可愛いものです」
少し意外な台詞だった。
彼なら少女を越えてしまえばどんなに美しい人のいじらしさも、鼻で笑って切り捨てるのかと思っていた。
アディスにもそのようなまともな気持ちがあるのは、少し嬉しかった。
彼は小さな女の子が好きなだけで、それ以外の人を否定するタイプではないらしい。
「じゃあ、私が恥をかかないようにアドバイスとかしてくれればいいのに」
「セーラは私のために着飾ってくれるんですか。だとしたら、とても嬉しいですね」
「なんでそうなるんですか」
誰かのために着飾ったことは一度もない。したいからするのだ。
「そういうところも可愛いいんだから」
アディスはついに聖良の反抗的な言葉にまで可愛いと言い始めた。聖良だって子供の素直でない態度は可愛いと思う。それと同じ扱いを受けているのだと思うと、腹が立った。
彼に大人として扱われるようになる事は、この先あるのかすら怪しいものである。
「アディスはそういう馬鹿な事を言う所がなければ、いい人なんですけどねぇ」
「男が女性に愛を囁くのは当然のことですよ」
聖良はため息をついて肩を落とす。
昨日今日で理解したのだが、彼は小さな女の子には特別優しいが、大人の女性にも普通に優しい。カモフラージュなのか元幼女に対する敬意なのかは知らないが、フェミニストだ。
もちろん大人の女性を口説くとか、勘違いさせるようなことは一切しないが、聖良に対するような暴言は吐かない。そういう相手はクレア達だけだ。
ため息は尽きないので、考えることをやめた。
歩いているうちに目的の場所に到着する。店内に入ると、昨日の中年男性に出迎えられ、奥からお針子達の主任らしき女性が出てきた。
彼女は聖良を見ると、目を見開いて固まった。彼女のような人には、よい服を着崩されているのが耐えられないのだろうか。
「どうしました」
「いえ、何でもありませんわ。ところでセーラ様。斬新な着こなし方をされていますね」
聖良は視線をそらした。
元の世界での斬新を思い出して、少しげんなりした。
「セーラ様、よろしければこの店にある服で気に入った物があればお選び下さい。ボトムなら丈を直すだけですむかも知れませんし。お好きなようにコーディネートしてください」
聖良はしぶしぶと店の服を手に取ってみる。
可愛らしい刺繍のついたカットソーがあるのだが、ラインが少しババくさい。
「これがキャミだったらこれと合いそうで可愛いのに」
少し変わった感じの白くて可愛いジャケットと見比べて言う。
この世界ではそういう組み合わせはないのだろう。
「きゃみ?」
「キャミソールってありませんか? 私が着ていた肌着みたいなの」
「ああ、あの。この素材を下着にしたいのですか?」
「いえ、普通に服として着るんです。上着を羽織ったら可愛いなぁって。
この国では肩や胸元はあまり出さないんですか?」
「そうですね。昔は流行っていたけど、今は隠す方が主流です」
流行の問題なのだ。
聖良の知る流行は、勝手に先の先まで作られたものであるが、この国はどうなのだろうか。
「あ、このスカート可愛い。もう少し丈が短かったらいいのに」
「短くですか? セーラ様でも十分はけると思いますが」
普通の人がはいたら膝下になりそうな丈のスカートだ。聖良でもひきずる事は無い。
「ミニスカートってないんですか?」
彼等の服装は中世よりは現代に近いため、あってもおかしくないと思ったのだ。
「これよりも短いスカートですか? あまりございませんわ」
「そうですか。合わせるにはちょっと長いかなって」
「確かに──このデザインなら、短くても可愛らしいですね。そうするとキャミソールにも確かに……」
彼女はしげしげとスカートと聖良が選んだカットソーを見比べた。
聖良は他にもいくつか自分で欲しいと思った物の目星をつける。サイズ直しが出来る物と出来ない物があるが、聞いてみないと分からない。
「セーラも服が好きなんですね」
「嫌いな女の人なんていませんよ」
「プレゼントのしがいがあって嬉しいですね。何でも欲しい物があったら言ってください。
セーラのためなら、部屋を一面ぬいぐるみで埋めて見せましょう」
「いや、せめて花とか」
「花は枯れますよ。ぬいぐるみはセーラが抱けばいっそう可愛いですし」
彼の頭の中には、小さな女の子へのプレゼントしかないようだ。
聖良の容姿がある限り、彼はこの扱いをやめないのだろう。
「セーラ、実際に服を合わせてみたらどうですか。スカートなら大丈夫でしょう」
「そうですね」
この丈でも可愛いので、スカートをはいてみたい。フリルがたくさん使われていて、とても高そうだが。機械化が進んでいないのなら、布がたくさん使われた服は高いはずである。レースも高いはずだ。数字と貨幣価値が分からないので、これが日本円換算だといくらほどなのかさっぱり分からないが、安い物では無い。可愛いからと手をかけたが、王妃が来るような店で聖良の金銭感覚で買えるような物など置いてあるはずが無い。
「でも私には似合わなそうだし……」
「さあそうおっしゃらずに、セーラ様、さあさあこちらへどうぞ」
手を引かれ、聖良は再び昨日の部屋に案内された。
客とはつまり、カモである。