タイムパラドックス
男の願うことは、全て現実になった。
男は驚き、喜んだ。
金を願えば金が降り、恋人を願えば恋人候補がやって来た。
最高の食も遊びも自由自在。何もかも手に入れた。
男は、時間旅行を願い、過去へも未来へも飛んだ。
元の時間へ帰る前に、好奇心で、
自分が生まれる前、若い頃の両親を見に行った。
二人でドライブへ行く前の両親に、堪えきれず、話しかけた。
何気ない挨拶。しかし、それで、歴史が変わった。
両親の車はトラックと衝突した。
男は目の前で、自分の両親が亡くなるのを見た。
男は、時間旅行へ旅立つ前の、友との会話を思い出した。
願いで、最高の友を得て、最高の酒を酌み交わしていた。
時間旅行へ行くと聞いた友は、心配し、真剣な顔で言った。
「タイムパラドックスって知ってるか」
男は酔いの回った頭で、思い出しながら答えた。
「ん?ああ。
あの、過去に行って親を殺すと、
自分が生まれなくなる、とかいうことだろう」
「ああ。そして、世界が崩壊する」
「……崩壊?」
「そうだ」
「自分が消滅したら終わりじゃないのか?」
「それもあるかもしれないが、それだけじゃない。
『自分が生まれなくなる』というよりも、
『自分は生まれていないはずなのに親から生まれていて親を殺した』
それは、自分一人が消滅したり、世界が複数になるくらいでは、
解消されない。
そもそもの因果律の崩壊だ。
いや、なぜ、自分だけが特別に因果律を壊しうるのか。
自分が因果律を壊せるならば、全てのものが因果律を壊せる。
因果律は崩壊する。時間は崩壊する。
その場合、原子一つにおいても、そもそも存在できない。
存在できる基盤がない。
0から1に進めないんだ」
男は少し寒気を覚えながら、聞いた。
「だが、そんな、突然崩壊するものか?
自分の行動がきっかけで。
因果律の崩壊が可能ならば、既に崩壊しているのではないか?
崩壊していないということは、それこそ、
崩壊が不可能という証拠ではないのか」
「積み上がっていた時間が、どんなきっかけにおいて
崩壊するか。誰に分かる?
時間とともに因果律が生まれたとして、
時間が永遠に継続するか、それとも、終りがあるのか。
その2つだけが答えとは限らないだろう?
宇宙最期の時は、時間とともに因果律自体が崩壊し、
流れてきた時間も記憶も細切れになり、
あらゆる全てが、原子よりもクォークよりも小さくなり
浮遊し拡散するだけ。
それが宇宙の終焉かもしれないだろう?
誰に分かる?
当たり前と思っていることが、
その基盤さえ含めて
消滅しないかどうかなんて」
二人、長いこと沈黙した後、
男は突然笑い、こう言った。
「もちろん気を付けるさ。
だが、万が一、タイムパラドックスを起こしても大丈夫だ。
思い出してくれ。
俺は、願ったことが何でも叶うんだ。
『親を生き返らせてくれ』
または
『なかったことにしてくれ』で、
万事解決さ」
得意げな男の前で、
友は、子どもに言い聞かせるみたいに、言った。
「無理だよ。
願いは叶わない」
「なぜだ」
「忘れたのか。
パラドックスが起きた時、
君が自分では気付いてなくても
君の存在は、もう無いんだ。
この世に存在しないんだ。
存在しない者の願いもまた、存在しない。
どんなに君が願おうとも
その願いは叶わない」
「し、しかし、因果律が崩壊するなら…」
「都合よく君が存在していることにならないか、
パラドックスが起きる前のことも、存在することにならないか、
ということか?
それ以前に、全てが平等に、因果の糸が千切れてるんだよ。
過去も未来も。
願いの一言も、言葉の一言も、思考の一言さえ
存在できないんだ」
驚愕する男を見つめ、友は微笑み、グラスを掲げた。
「だから、時間旅行するにせよ、
十分気を付けてくれよ。
誤って宇宙を崩壊させないように」
男は気を取り直し、微笑み返し、
乾杯した。
男は両親が亡くなったのを見ながら、そのことを思い出した。
男は願った。
「なかったことにしてくれ」
何も変わらなかった。
男は必死に願った。
「もう願いが叶わなくなっても良い。
願いが叶う前の俺に、
その頃の世界に戻してくれ。
宇宙を崩壊させないでくれ」
男の願いは、どこにも届かなかった。
男は自分がもう存在していないことを知った。
目の前で全てが細かく千切れ、
思い出の数々も千切れ、
自己も分裂し、
宇宙の、
時間の全てが千切れて、
霧散した。
男は最期に
宇宙の崩壊を見た。




