灰の王国
王都を囲む黒い森では、夜になると死者が歩く。
人々はそれを「灰人」と呼んだ。
灰人は生者を襲わない。ただ黙って町を見つめ、夜明けとともに灰となって消える。その姿を見た者は、三日以内に最も大切なものを失うと言われていた。
少年カインは、その迷信を信じていなかった。
だが十五歳の誕生日、家の前に一人の灰人が立っていた。
ぼろぼろの鎧をまとい、顔は崩れ落ちている。それでも胸元には、父が戦場へ向かう日に身につけていた銀の紋章が残っていた。
「……父さん?」
灰人は答えない。
ただ森の方へ歩き出す。
カインは吸い寄せられるように後を追った。
森の奥には巨大な黒い塔が立っていた。その壁は無数の人の手形で覆われ、まるで助けを求める亡者たちが閉じ込められているようだった。
塔の頂上には、黒い王座。
そこに座る男は笑った。
「ようやく来たか。」
男の瞳は真っ黒で、底が見えない。
「お前の父は私を倒そうとして失敗した。だから魂を塔の番人に変えた。」
カインは剣を抜いた。
震える手で斬りかかる。
しかし刃は男をすり抜け、石床を砕くだけだった。
「私は生きても死んでもいない。呪いそのものだからな。」
男は立ち上がり、王座の横にある黒い炎を指さす。
「世界の闇は人間が生み出した。憎しみも、裏切りも、戦争も。私はそれを燃やし続ける器にすぎない。」
その炎の中には何万人もの顔が浮かんでいた。
泣く者。
怒る者。
許しを乞う者。
そして父もいた。
父は口を動かす。
「殺せ。」
その一言だけだった。
カインは迷った。
男を倒せば父も消える。
倒さなければ、この呪いは終わらない。
長い沈黙のあと、カインは剣を炎へ突き立てた。
黒い炎は世界を飲み込むように燃え上がり、塔は悲鳴を上げながら崩れ始める。
男は初めて穏やかな表情を浮かべた。
「これで終われる……。」
その身体は灰となり、風に消えた。
父もまた微笑み、小さく頷く。
「よく生きろ。」
その姿は光となって夜空へ溶けた。
翌朝、黒い森は消えていた。
灰人も現れなくなった。
人々は呪いが解けたと喜んだ。
だが誰も知らない。
崩れた塔の地下深くで、消えたはずの黒い炎が小さく揺れたことを。
その炎は、まるで誰かの心に宿る憎しみを待つように、静かに、静かに燃え続けていた。




