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第9話 持ち込み禁止の波紋――赤い印は“正しさ”の顔をして刺してくる

 朝いちばんに貼り替えた紙が、やけに白く見えた。


『茶葉の持ち込みは禁止です』


 たった一行。

 なのに、この一行だけで――敵が動くのが分かる。


「お嬢様……怒る人、出ますよね」


 ミーナが心配そうに紙を見上げた。

 私は湯を沸かしながら頷く。


「出る。だから、理由も先に置く」


 私は紙の下に、二行足した。


『お客様の安全のため』

『店の茶葉は全て、仕入れ元と確認済みです』


 ミーナが「なるほど……」と息を吐く。

 その横で、店の奥から控えめな咳払い。


 盆の上で茶葉を広げ、真剣に選別をしている男がいた。

 市場で見つかった運び屋。今は、うちの“香りの盾”になっている。


「……これ、違う」


 男が指差した葉は、色がわずかに薄い。

 香りが軽いというより、空っぽに近い。


「うん。よく分かったね」


 私が言うと、男は照れたように視線を逸らした。


「名前、まだ聞いてなかった」


 一瞬固まってから、男は小さく答える。


「……リオでいい。昔のあだ名」


「じゃあ、リオ。今日も頼りにしてる」


 リオは頷き、選別を続けた。

 香りの嘘は、舌より先にばれる。だから舌に乗る前に止める。


 扉の外に立つカイルの気配が、いつもより近い。

 店の中に怖い空気を持ち込まないように――彼なりに工夫しているのが分かった。


「来る」


 カイルが短く言い、扉の前へ一歩出た。

 その一歩で、外のざわめきが整列した気配がする。


 私は深呼吸をひとつ。

 湯気の温度で、胸の奥を落ち着かせる。


「開けます」


 ミーナが笑顔を作った。


「ようこそ係、出動です!」


 扉を開けた瞬間、朝の噂が流れ込む。


「ここが“ほどける”!」


「持ち込み禁止になったらしいぞ」


「なんで? 怪しいの?」


 噂は疑いを栄養にする。

 だから私は、疑いが膨らむ前に言葉を置く。


「いらっしゃいませ。『ほどける紅茶屋』です。席数が少ないので、順番にご案内します」


 私は紙を軽く叩いた。


「茶葉の持ち込みは禁止です。理由は、お客様の安全のためです」


 列の中から、不満の声。


「ケチくさ」


「持ち込みくらい良くない?」


 ミーナが明るく返す。


「お菓子の持ち込みも基本はご遠慮ください! 代わりにうちで美味しいの出します!」


 明るい言葉は、角を丸める。

 守れる人だけが入ってくる。だから店の空気が整う。


 窓際にエマが座った。

 今日も“普通に”の顔をしている。


「おはようございます」


「おはようございます。今日も……普通に」


「普通に」


 その一言が、噂の刃を鈍らせる。


 私は紅茶を淹れ、ミーナが笑い、リオが奥で茶葉を選別し、カイルが外で“見えない壁”になる。

 店が、店として回り始めた。


 ――そのとき。


 入口の空気が一段、硬くなった。


 香水の強い匂い。派手な服。大きな声。


「入れてもらおうか」


 男が堂々と扉を押し開けた。

 手には小さな木箱。箱の蓋には赤い印の紙が貼られていた。


 私はカウンターの前に立ち、落ち着いて言う。


「いらっしゃいませ。ただいま満席です。列に――」


「列? 冗談だろ」


 男は箱を軽く掲げる。


「客だ。しかも善意の客だ。ほら、差し入れ。上等な茶葉だ」


 上等。差し入れ。善意。

 綺麗な言葉を重ねるときは、だいたい“別の目的”がある。


「茶葉の持ち込みは禁止です」


 男の口角が上がった。


「ほう。噂は本当らしいな。持ち込み禁止。つまり、客が持ってきた茶葉を“検査できない”ってことだ」


 言い方が上手い。

 疑いを増やすための言い方。


 店内の視線が集まる。

 噂が喉元まで上がってくる空気。


 私は、まず一つだけ確認した。


「その箱、どこで買いました?」


「南区の、ちゃんとした店だ」


 “ちゃんとした”が、ちゃんとしていない。


「発行者の名前は?」


「知らん。店が持ってた。正規だと言ってた」


 男は、紙をもう一枚出した。

 赤い印。はっきりした印。

 そして、それらしい文言。


『衛生確認済み』

『茶葉の品質保証』

『監査協力店』


 ――“正しさ”の顔をしている。


 正しい顔をしたものほど、人は疑いにくい。

 だから刺さる。


 ミーナが小声で言う。


「……本物っぽいです」


「本物っぽい、ね」


 私はその紙を受け取らず、距離を保ったまま言った。


「発行者の名前がない。日付もない。……これは証明じゃなくて、脅しです」


 空気がすっと冷える。

 真実が通るための冷え方。


 男が焦って声を大きくした。


「屁理屈だ! ならこの茶葉をここで淹れてみろ! 飲ませてやる! 客が倒れたら、お前の店は終わりだ!」


 ――来た。

 この男は、これを言うために来た。


 私は一度だけ息を吸い、吐く。

 熱さを落として、言葉を選ぶ。


「茶葉の持ち込みは禁止です。だから、淹れません」


「怖いのか?」


「怖いです」


 私は正直に言った。


「お客様が倒れる可能性があるなら、怖い。だから禁止です」


 その正直が、店の空気を少しだけ変えた。

 強がりじゃない。“守るため”の怖さ。


 男は舌打ちして、すり替える。


「ほら見ろ! やっぱり危険な店だ!」


 だから私は、別の提案を置いた。


「あなたが本当に確かめたいなら、方法があります」


「ほう? 逃げ道か?」


「逃げ道じゃありません」


 私は言った。


「あなたの茶葉は使いません。代わりに、あなたが“うちの紅茶”を飲んでください」


 男が笑う。


「意味がない」


「意味があります。危険だと言う店の紅茶を、あなたが飲む。――それが一番分かりやすい」


 視線が男に集まる。

 男はその視線に押されて顎を上げた。


「いいだろう。飲んでやる。……そして倒れてやるよ」


 倒れて“やる”。

 わざわざ言う時点で、だいたい倒れない。


 私は席に案内し、香りの軽い茶葉を選ぶ。

 身体に負担が少ないもの。温度は優しく。蜂蜜は一滴。


 カップを置く。


「飲む前にひとつ。ここでは、人を辱めません。あなたの言葉も、扱い方を間違えません」


「綺麗事だな」


「綺麗事を、形にするのが商いです」


 男は苛立ったように飲んだ。


 一口。

 二口目で、眉が動く。


 認めたくない驚き。


「どうですか」


「……ふん。普通だ」


 普通。

 その言い方が悔しそうだ。


 三口目。


 そして、ぽろっと言った。


「……こんな味だと、噂が変わるじゃないか」


 店内がざわついた。

 男は口を押さえた。遅い。言葉はもう外に出た。


「噂が変わる、とは?」


 私が静かに聞くと、男の喉が動く。抵抗。

 抵抗するほど、本音は出口を探す。


「……俺は」


 震える声で続いた。


「『持ち込み禁止は怪しい』って言えって……言われて……」


 空気がすっと冷える。

 今度は、全員が“噂の外側”を見た。


「誰に」


 男は歯を食いしばった。

 けれど、カイルの“存在”が一歩近づいただけで、言葉が落ちた。


「……ロドルフのところの、使い走りだ」


 小さなどよめき。

 “名前”が出た瞬間、噂は噂でいられなくなる。


 男は青い顔で続けた。


「箱も置いて帰れって! 置いたら、あとで『店のせいで具合が悪くなった』って騒げって……!」


 噂を“完成”させるための手順。

 汚い手順。


 私は静かに頷いた。


「ありがとう。あなたは今、話すべきことを話しました」


「俺、殺される……!」


 男の声が崩れた。

 強がりの仮面が落ちる。


 カイルが低く言う。


「外へ」


「待って。騒ぎにしない。ここは店。見世物にしない」


 私はミーナに目配せした。

 ミーナが布の仕切りを作り、男を奥へ誘導する。


「こっちです! 怖くない係が案内します!」


「怖いよ……!」


「怖いのは外です! ここはまだマシです!」


 その現実的な言い方に、客の緊張が少しだけほどけた。


 私はカウンター前に戻り、店内へ言った。


「ご迷惑をおかけしました。本日も約束は変わりません」


 紙を指で叩く。


『同意のない紅茶は出しません』

『人前での詰問は禁止です』

『茶葉の持ち込みは禁止です』


 そして、もう一つだけ言葉を置く。


「“正しそうな紙”で脅してくる人がいたら、発行者の名前を確認してください。名前のない正しさは、脅しです」


 頷きが増える。

 噂を見る目が、判断する目に変わっていく。


 そのとき、扉が丁寧に三回ノックされた。


 カイルが隙間を確認して短く言う。


「使者だ」


 入ってきたのは地味な服の青年。

 靴が良い。姿勢も良い。

 彼は一礼し、私に封筒を差し出した。


「監査局より。店主殿へ」


 封筒には、赤い印ではない。

 紙も押し方も、丁寧で違う。


 私は開けて読む。短い文面。


『最近出回る赤い印は、正規の監査印ではない可能性が高い。

 同様の紙片・袋が届いた場合、開封せず保管を。

 連絡は同封の経路へ』


 “可能性が高い”。断言ではない。

 だからこそ、慎重に積むしかない。


 封筒の隅に、小さな追記があった。


『印の特徴:縁の模様が一部欠ける』


 欠ける。

 私は、さっきの男が出した紙の縁を思い出す。

 確かに、模様が一つ潰れていた。


(同じ印章だ)


 印を作った“手”がある。

 そこを掴めば、線が引ける。


 私は封筒を胸にしまい、店の空気を戻すために言った。


「紅茶、続けます。今日は少しだけ、香りを強めにします」


 ミーナがにやっと笑う。


「噂を上書きする香りですね!」


「うん。噂は止められない。なら、上書きする」


 ポットを温め、茶葉を入れ、湯を注ぐ。

 香りが立つ。香りが立つと、緊張がほどけていく。


 奥の仕切りの向こうでは、男が小さくすすり泣いていた。

 泣くのは、ほどけた証。

 でも守らないといけない。


 カイルが低い声で言う。


「裏口から出す。監査の者に引き渡す」


 私は頷いた。


「騒ぎにならないように。本人を傷にしないように」


「分かっている」


 夕方、最後のカップを片付けた頃。

 リオが盆を見つめて言った。


「……俺、分かる。嘘の香り」


「うん。分かるようになったね」


 人は変われる。

 怖い方向にも、守る方向にも。


 私は看板を見上げた。


『ほどける紅茶屋』


 ほどけるのは、心だけじゃない。

 噂の結び目も、偽物の結び目も、ほどいていく。


 私は小さく息を吐いた。


(次は、印を作った“手”を掴む)


 その手を掴んだとき――

 赤い印の正しさの仮面は、きっと剥がれる。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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