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第7話 仮開店初日――噂が先に暴れた日、店は“約束”で勝った

 朝の光が、看板の文字をいちばん最初に照らした。


『ほどける紅茶屋』


 柔らかいのに、へにゃっとしていない。

 その文字を見るだけで、背筋が少し伸びる。


 ――今日は、仮開店。


 席は八つ。茶葉は三種類。焼き菓子は少しだけ。

 できることは少ないのに、外の気配は多い。


「お嬢様……来てます」


 ミーナが扉の隙間から外を覗いて言った。声は小さいのに、息が忙しい。


「……どれくらい?」


「数えるの、やめました。増える一方です」


 喉の奥がきゅっとなる。

 噂は甘い香りより早い。

 そして今日は、噂が先に店を開けてしまいそうだった。


 扉の横で、低い声がした。


「開けるか」


 カイルだ。地味な服、無表情。けれど周囲を見る目は鋭い。

 怖く見えるのに、今いちばん頼りになる人でもある。


「……はい。お願いします」


 カイルは外へ出て、扉の前に一歩進んだ。

 それだけで、外のざわめきが一段落ちる。

 “立ち方”ひとつで、人の声は小さくなる。


「本日、仮開店。席数は八。順番に案内する。押すな、騒ぐな」


 短く、硬い。

 でも嫌な硬さじゃない。守るための硬さだ。


 私は深呼吸して、扉を開けた。


 視線が刺さる。


「ここが……真実の紅茶の店!」


「嘘がバレるって本当?」


「話させるんだって!」


 言葉が飛ぶ。噂が走る。

 噂は、勝手に物語を作る。

 だから私は、先に“こちらの物語”を置く。


 私はカウンターの前に立ち、落ち着いた声で言った。


「ようこそ。『ほどける紅茶屋』です。仮開店なので、できることは少ないです」


 ざわめきが少し弱まる。

 “店主の声”が入ると、人は一瞬だけ現実に戻る。


「お願いがあります」


 私は続けた。


「ここは、誰かを責めたり辱めたりするための場所ではありません。紅茶も、誰かに無理に飲ませることはしません」


 すぐに不満の声が上がる。


「えー、じゃあ面白くないじゃん」


「嘘吐かせるのが見たいのに」


 ミーナが拳を握った。言い返したい顔。

 私はミーナの袖を軽く引いて止め、笑顔のまま言った。


「面白さより、安心を優先します。安心できないなら、今日は入店をご遠慮ください」


 一瞬、空気が張る。

 強く言いすぎたかもしれない。

 でも、曖昧にしたら噂に食べられる。


 そのとき、外でカイルが小さく足を鳴らした。

 ドン、という音。

 余計な声が引っ込む。


(……助かった)


 私は最初の客を案内した。


 最初に入ってきたのは、上品な服の女性。目の下の影が薄い。


「いらっしゃいませ。お名前は――」


「エマです。……今日は、普通に飲みに来ました」


 照れたような笑顔。

 その一言が店の空気を変える。


“普通に”。

 噂の尖りを削る魔法みたいな言葉。


「ありがとうございます。お席へどうぞ」


 窓際へ案内する。仮のテーブルでも、拭き上げた木は光っている。


 ミーナがメニューを渡して、元気よく言った。


「本日の紅茶は三種類です! アッサム、ダージリン、やさしいハーブティー!」


「じゃあ……ダージリンを」


「かしこまりました!」


 明るい声が、店を“怖くない場所”にする。


 私はポットを温め、茶葉を入れ、お湯を注ぐ。

 香りが立つ。香りが立つと、空気が整う。整うと、人の呼吸も整う。


 紅茶を運ぶと、エマは両手でカップを包むように持ち、一口飲んだ。


「……おいしい」


 飾りじゃない本音。

 本音が優しい形で落ちると、場が柔らかくなる。


 エマは窓の外の列に向かって、少し大きめの声で言った。


「ここ、怖い場所じゃないですよ。ちゃんと紅茶の店です」


 列がざわつく。


「普通の店?」


「嘘バレがメインじゃないのか」


 ミーナが小さくガッツポーズ。

 私は笑いそうになってこらえる。


(助けられてるのは、私のほうだ)


 次の客、次の客。

 噂目当ての人もいる。でも、一口飲むと妙に素直になる人もいた。


「……本当は、甘いの好きなんだよね」


 渋い顔の男が蜂蜜を足してぼそっと言い、周囲が笑った。

 笑いは場を柔らかくする。

 柔らかくなると、噂の刃が鈍る。


 ――そのとき。


 外で、わざとらしく大きな声が上がった。


「どけどけ! こっちは急ぎだ!」


 列が揺れる。

 カイルがすっと動く。速いのに乱暴じゃない。通り道に立って、ただ止める。


「列に並べ」


「誰に向かって言ってる!」


 派手な服の男が入ってきた。香水が強い。指には大きな指輪。

 従うように、使用人らしい少年が一人。顔色が悪い。


「私はロドルフだ。南区の商いを仕切ってる。ここが噂の店だな?」


 名乗り方が大きい。

 大きい名乗りは、周囲を味方にしたいときに出る。


 私は落ち着いて言った。


「いらっしゃいませ。席は満席です。列に――」


「待てない。今すぐだ」


 ロドルフは少年の肩を掴んで前に押し出した。


「こいつが金を抜いた。だが口を割らん。――噂の紅茶で吐かせろ」


 空気が一瞬で冷えた。

 面白半分の匂いじゃない。

 “見世物”の匂いだ。


 少年は唇を噛み、肩を震わせている。


 私は言葉を慎重に選ぶ。


「ここでは、誰かを辱めるために紅茶を使いません」


「は?」


 ロドルフが薄く笑う。刃みたいな笑い。


「じゃあ噂は嘘か。詐欺か。見ろよ、みんな。結局、口だけだ」


 外の列からどよめきが入ってくる。

 噂が、悪い方向へ転がり始める。


 ミーナが歯を食いしばる。

 でもここで反論合戦にしたら、相手の土俵だ。


 私は一歩も引かず、静かに言った。


「紅茶で本音がこぼれることはあります。けれど、誰かに無理に飲ませるのは違います」


「無理に? 俺は雇い主だぞ」


 ロドルフの手が少年の肩に食い込む。少年が小さく息を詰まらせる。


 胸の奥が熱くなる。

 熱くなると言葉が尖る。尖ると刃になる。

 だから私はゆっくり言う。


「雇い主でも、本人の意思はあります」


「意思? 金を盗んだやつの意思だと?」


 ロドルフが周囲を見回す。


「ほら見ろ。甘い店主だ。こんな店、すぐ潰れる」


 その瞬間、席から立ち上がる人がいた。

 エマだ。


 カップを置き、ロドルフをまっすぐ見て言う。


「あなた、何をしたいんですか」


「何だ、お前」


「確かめたいなら、然るべき所へ連れて行けばいい。ここは晒し場じゃない」


 エマの声は震えていない。

 “普通に紅茶を飲みに来た人”の言葉は強い。

 噂じゃなく現実から出ているから。


 ロドルフが鼻で笑う。


「仲間か?」


「仲間じゃないです。……でも、ここは怖い場所じゃないって言いました。だから、あなたのやり方は違う」


 店内の客が小さく頷いた。

 頷きが増える。空気がこちらに戻る。


 私は、その流れを逃さずに提案した。


「ロドルフさん。もし“確かめたい”なら方法があります」


「何だ」


「本人が同意するなら、奥で話します。人前ではなく、静かな場所で。……それなら紅茶を出せます」


 ロドルフが目を細める。


「奥?」


「仕切りなら用意できます」


 ミーナがすぐに動き、布を取り出した。

 こういう時の動きが早い。頼もしい。


 私は少年に視線を向け、柔らかく訊ねる。


「あなたは、紅茶を飲みますか。無理なら無理でいい」


 少年は唇を震わせた。

 ロドルフの圧が背中に刺さっている。


 私はロドルフを見て言った。


「離してください。今は、本人の返事が必要です」


「……ちっ」


 舌打ちしながら手が離れる。

 少年が肩をさすり、少し息を取り戻す。


 私は少年が逃げられる距離を作るように、布の仕切りのほうへ歩く。

 少年がついてくる。


 ロドルフが追おうとしたところで、カイルが一歩で塞いだ。


「店主が許可しない限り、入るな」


「誰だお前!」


「護衛だ」


 短い答え。

 ロドルフの顔が引きつる。


 噂が形を変える音がした。

 “真実の紅茶”ではなく、“守られる店”の噂へ。


 布の向こうで、少年を椅子に座らせる。

 ミーナが小さなランプを置いて、声を落とす。


「大丈夫。ここは怖くない」


 怖くない係、仕事が早い。


 私は少年の前に、香りの軽い紅茶を置いた。

 強い茶葉ではなく、心を落ち着かせるもの。

 言葉の前に息が整うように。


「名前は言いたくなければ言わなくていい。……でも話せる範囲で教えて」


 少年はカップを握り、黙った。

 そして小さく言う。


「……僕は、盗んでません」


 震えた本音だった。


「盗んでないなら、何が起きたの?」


 少年は目を閉じ、もう一口飲む。

 言葉が少しずつほどけていく。


「昨日、帳簿を届けに行って……帰りが遅れて……」


 唇を噛む。怖い記憶がある顔。


「路地で、知らない人に止められました。『それを渡せ』って」


 私は息を止めた。


「渡したの?」


 少年は首を振る。


「怖くて……でも守りたくて……逃げました。でも鞄は……取られて……」


 悔しさが身体に出る。肩が落ちる。


「戻ったら、ロドルフ様が怒って……僕が盗んだって……」


 盗みじゃない。強盗だ。

 でもロドルフは“盗み”にして、少年を吊し上げようとしている。


 何のために?


 私は声をさらに落とす。


「ロドルフさんは、鞄の中身が何か言った?」


 少年は震えながら言った。


「……『見せたら殺す』って」


 冷たい言葉が落ちる。

 少年の震えが増える。


 私は、紅茶の温度を守るように言った。


「ここでは誰も殺さない。あなたも、私も、ミーナも」


 ミーナが頷く。


「絶対」


 少年が涙をこぼしそうになり、もう一口飲む。

 そして、口から滑った。


「帳簿じゃないんです。紙袋の中の……別のものが……」


 私は身を乗り出す。


「別のもの?」


「印がついた紙です。赤い印……見ちゃいけないって言われたのに……」


 赤い印。

 店の外側と内側が、一本の線で繋がりかける。


 でも今は、少年を守るのが先だ。


「分かった。今はそれ以上言わなくていい」


 涙が落ちる。

 涙は、ほどけた証。


 私は布の外へ出て、ロドルフに向き直った。


「話は終わりました」


「で? 盗んだと言ったか?」


 見世物の光。


 私は、はっきり言った。


「盗んでいません」


 店内が静まる。

 静まると、次の言葉が届く。


「路地で奪われたそうです。盗みではなく、強盗です」


 ロドルフの顔が一瞬歪み、次に出てきたのは怒りではなく焦りだった。


「そんな話、信じるか!」


「信じるかどうかは、あなたの態度で分かります」


 私は言った。


「本当に困っているなら警備隊に届けるはずです。でもあなたは、ここで少年を晒そうとした。……それは困っている人の行動ではありません」


 ざわめきが起きる。

 客の目が変わる。噂を見る目から、判断する目へ。


 ロドルフは張り付いた笑いを作った。


「噂が先に走るぞ。『真実の紅茶屋は危険だ』ってな」


 脅し。

 怖い。

 でも、ここで折れたら約束が折れる。


 私は微笑んだ。


「噂は走ります。……だから、私はここで“言葉”を置きます」


 カウンターの上の紙を掲げる。


『本音が出ても、傷にならない紅茶を』

『同意のない方に、紅茶は出しません』

『人前での詰問は禁止です』


 ミーナが続けて言った。


「守れない方は入店できません! ここは怖くない店です!」


 その言葉が、今日いちばん強かった。


 ロドルフは舌打ちし、去り際にカイルを睨んだ。


「……覚えてろ」


 カイルは無表情のまま言う。


「覚えるのは、お前のほうだ」


 短い言葉。

 それだけで、ロドルフの背が少し縮んだ。


 男が去ると、店内の空気がふっと緩んだ。

 ミーナが大きく息を吐く。


「……心臓、飛び出るかと思いました」


「私も」


 私は笑って椅子に手を置いた。膝が少し震えている。

 でも、崩れていない。


 エマが静かに言った。


「……良かった。怖い噂にならなくて」


「まだ、これからです」


 私が言うと、エマは頷いた。


「でも、今日のを見た人がいます。噂だけじゃなく、“現実”も広がります」


 その言葉が胸に落ちた。


 少年が布の向こうから出てきて、深く頭を下げた。


「……ありがとうございました」


「無事に帰れるようにします」


 カイルが短く頷き、少年の横に立つ。

 その立ち方は、さっきより少し柔らかい。店の外と中で空気を分けている。


 夕方まで店は回った。

 噂目当ても来たが、ルールを見て帰る者もいた。

 帰る人がいるのは悪いことじゃない。ここは“約束を守れる人が来る場所”にしたい。


 日が傾き、最後の客が出たあと。

 私はカウンターに肘をつき、静かに息を吐いた。


「……終わった」


 ミーナが床に座り込み、両手を上げる。


「仮開店初日、完走です!」


 そのとき、扉の隙間から紙が一枚滑り込んできた。


 ミーナが「ひっ」と息を呑む。

 私の胸の奥も冷える。


 拾い上げると、短い文字。


『今日は“邪魔”に失敗した。次は“茶葉”だ』


 紙の端に、赤い印。


 赤い印。

 少年の言葉と繋がる色。


 私は紙を握りしめ、ミーナを見る。

 ミーナは怖がっている。けれど目は逃げていない。


「お嬢様……どうします」


 私は笑った。

 怖いのに笑う。強がりじゃない。約束のための笑いだ。


「……明日も、開ける」


「はい。怖くない係、明日も出動します!」


 ミーナが拳を握る。

 私は頷き、湯を沸かし直した。


 噂より優しい香りを、先に流すために。

 そして――赤い印に、負けないために。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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