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第25話 上の圧力――“良いこと”ほど止められる

 監査局の廊下は、朝から冷たかった。


 石の床が冷たいわけじゃない。

 空気が、だ。


 人の声はあるのに、音が薄い。

 書類をめくる音だけがやけに響く。

 それは「余計なことを言うな」という雰囲気に似ていた。


 ノエルは私の少し前を歩いていた。

 背筋はいつも通り伸びている。

 でも歩幅が、ほんの少しだけ短い。


「呼び出し、だよね」


 私が小声で言うと、ノエルは頷いた。


「ああ。上からだ」


 上。

 嫌な言葉だ。

 肩書きが、そのまま壁になる。


 扉の前に立つと、ノエルが先に一礼して入った。

 私は廊下で待つ。


 扉の向こうから、声が漏れる。

 怒鳴り声ではない。

 王都の叱責は、上品に刺す。


「……余計なことをするな、ノエル」


 低く、はっきりした声。


「監査局は制度のためにある。現場の気分で動くな」


 ノエルの声が短く返る。


「制度の遅さが、偽物を生かしています」


「分かっている。だからこそ、勝手に窓口を作るな」


 勝手に。

 その言葉に、私は歯を噛みしめた。


 勝手にじゃない。

 困っている人がいるから動いただけだ。


 でも、ここで感情を出したら負ける。

 私は廊下で息を整えた。


 扉が開き、ノエルが出てくる。

 顔は変わっていない。

 変わっていないように見せている。


「……叱られた?」


「叱られた。『余計なことをするな』だ」


 ノエルは淡々と言った。

 淡々としているのに、悔しさが見える。


「監査局の顔を汚すな、ってな」


 私は小さく頷く。


「顔……」


「顔を守れ、って言葉は便利だ」


 ノエルは廊下を歩き出しながら言った。


「守るべきものは他にもあるのに、顔だけが先に出る」


 その言葉が胸に落ちた。

 顔が先。現場が後。


 監査局を出ると、外の空気が少し温かく感じた。

 でも、安心はできない。


 上は、監査局だけじゃない。


 ラフィア邸に戻ると、ラフィアが応接間で待っていた。

 机の上に封書が一通。

 封の押し方が綺麗すぎる。

 綺麗すぎるものは、怖い。


「来ました」


 ラフィアが短く言う。


「圧力ですか」


 私が聞くと、ラフィアは頷いた。


「茶会の名誉を盾に、『手を引け』と」


 ラフィアは封書を開き、内容を読み上げはしない。

 でも要点だけで十分だった。


「『あの席は上品だった。だから余計な騒ぎは起こすな』」


 上品だった。

 だから、止めろ。

 そういう理屈だ。


 セイランが眉をひそめる。


「上品って言葉で縛るの、最悪だな」


 ミーナが口を開きかけ、ラフィアが指先で止めた。

 静かな指先ほど強い。


「まだ、怒る段階ではありません」


 ラフィアはそう言って、私を見た。


「そして……リリア様。あなたにも来ています」


 胸が少し冷える。


「私に?」


「ええ。上品な言い方で」


 ラフィアは目を逸らさず言った。


「『元令嬢が口を出すな』。そういう刺し方です」


 元令嬢。

 婚約破棄された。

 だから黙れ。


 短い言葉なのに、胸の奥に針みたいに残る。


 私は笑おうとした。軽く流して見せようとした。

 でも、上手く笑えなかった。


 ミーナが先に怒った。


「失礼です! お嬢様は――」


「ミーナ」


 私は小さく呼んで、首を振った。


 ミーナは悔しそうに唇を噛む。

 それでも止まってくれる。

 この子も“場を荒らさない”を覚えている。


「怒る気持ちは分かる」


 私はミーナに言った。


「でも怒りで返すと、相手の思うつぼになる」


「……はい」


 ミーナが小さく頷いた。


 セイランが机を叩きそうになって、やめた。


「ちくしょう。良いことほど、止められるんだな」


 カイルが扉の近くで静かに立っていた。

 彼は誰よりも静かに、周りを見ている。


「報告があります」


 カイルの声が低い。


「尾行の気配。嫌がらせも始まっています」


 背筋が伸びた。


「どんな?」


「店の前に、わざと人を溜める。荷の搬入路に細い障害物を置く。大事にはしない。だが積み重なると困る種類です」


 困るけれど、訴えにくい。

 そういう嫌がらせは上手い。


「あと、監視する目が増えています。言葉を拾われます」


 ノエルが眉をひそめた。


「動きを止めに来たな」


 その時、リオが控えめに入ってきた。

 以前より姿勢が落ち着いている。

 目が真面目だ。


「……僕、役に立てますか」


 私はリオを見る。


「危ないことはしない。いい?」


 リオはすぐ頷いた。


「はい。危ないことはしません」


 カイルが言う。


「裏の動線を見る役がいる。危険は避けて、情報だけ持ち帰れ」


 リオは息を吸って、はっきり言った。


「見ます。時間と、人の動きだけ」


 派手に頑張らない。

 でも必要なところを支える。

 それが償いの形になる。


 ノエルは椅子に座り、両手を組んだ。

 いつもならすぐ次の手を言うのに、言葉が出ない。


「……正しいのに、進めない」


 ノエルが小さく言った。


 その声が、人間らしくて苦しい。


「制度の中で動けば遅い。外で動けば怒られる。どちらにしても、偽物が生きる」


 私は胸の奥を確かめた。


 誰かを罰するためじゃない。

 守るためだ。

 損を止めるためだ。


 でも上は言う。

 黙れ。引け。余計なことをするな。


 その言葉に従ったら、守れない人が増える。

 従わなければ、潰される。


 ――どうする?


 正面からぶつかる?

 喧嘩にする?


 私は首を振った。

 喧嘩にしたら、上は得意だ。

 「乱暴だ」と言ってこちらを悪者にする。


 私はゆっくり言った。


「戦いません」


 ミーナが不安そうに私を見る。


「お嬢様……引くんですか」


「引かない」


 私ははっきり言った。


「戦わないけど、進める」


 セイランが眉を上げる。


「どうやって」


「公開する」


 私は言った。


「合意で守る。みんなで『必要だ』と言う形にする」


 ノエルが顔を上げる。


「公開と合意……」


「止めたい人がいるなら、止めにくくする」


 私は続けた。


「少人数でやると潰される。だから、もっと多くの目の前でやる」


 ラフィアが静かに頷いた。


「上品に、公開する」


 その言い方が、ラフィアらしい。


「上は嫌がりますね」


「嫌がります」


 ラフィアは迷いなく言った。


「だから、効きます」


 ラフィアがふっと笑った。


「なら、“公開の大茶会”を開きましょう」


 ミーナが目を丸くする。


「大茶会……」


「ええ」


 ラフィアは指を軽く組む。


「上流も下流も招きます。商人も、代書屋も、執事も。――監査局にも来てもらえる形にする」


 ノエルが息を吐いた。


「招待状は……断りにくいな」


「断れない形にします」


 ラフィアの声は優しいのに、芯がある。


 カイルが短く言う。


「場が大きいほど、荒い手は使いにくい」


 セイランが口の端を上げた。


「いいな。上の連中の顔も守りつつ、こっちの道を作る」


 胸の奥の針みたいな痛みを、私はゆっくり押さえた。

 元令嬢だから黙れ、と言われた痛み。

 でも、黙らない。


 黙らずに、喧嘩もしない。

 守るためのやり方を選ぶ。


 私は最後に言った。


「止められるなら、もっと多くの目の前でやる」

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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