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第19話 利権の鎖――偽通達は“便利”として流通する

 監査局の空気は、正しさの匂いがする。


 古い帳面の乾いた紙。封蝋の甘い残り香。インクの苦さ。

 秩序の匂い――と言いたいところだが、今日だけは違った。


 この匂いの中で、偽物が“売れる”。

 それが王都の現実だと思うと、胸の奥が少し苦い。


「こちらへ」


 ノエルに案内され、照合室へ入った。

 窓は高く、光は白い。机は広く、道具は整っている。整いすぎて、息が詰まりそうだ。


 布の上に、紙片が並んでいた。

 押収した封筒の端。印影の写し。封の形。

 欠けた縁が、いくつも。


 欠けは小さい。小さいから見落とされる。

 見落とされるから、増える。


 監査局の職員が、透明な板と細い定規を取り出す。

 印影を重ねる。角度を合わせる。欠けの曲線を指でなぞる。

 作業は淡々としていて、手だけが正確に速い。


「欠けの位置、一致」

「角度、一致」

「欠けの曲線――同型」


 短い報告が積み重なるたび、背中が冷えていく。

 偶然じゃない。ひとつじゃない。

 そして――“作られている”。


 セイランが腕を組んだまま、紙片を睨みつける。


「……同じに見せてやがる」


 怒りを押し込めた声だった。

 叩きつけたい拳を、握り直している声。


 最後にノエルが言った。


「同一の型由来である可能性が高い。少なくとも“同じ型を参照して作った型”が使われている」


 似せた型。

 偽造のための道具が、すでに整っているということだ。


 私は息を吸って吐く。

 呼吸を整える。言葉を整える。場を壊さないために。


「……欠けが一致するなら、流通しているものは一本の線で繋がります」


 ノエルが頷いた。


「繋がる。だから次は紋章札だ」


 机の端に、小さな薄い札が置かれた。名刺のように薄いのに、視線を引く紋章。


「これが“紹介人”の印だ」


 ノエルの声は淡々としている。淡々としているのに、逃げ道を削る声だ。


 *


 照合室の隣の小部屋に移る。

 そこは狭いが、窓際に花瓶があった。花があるだけで、話が少しだけ“人の話”になる。


 ノエルが資料を机に広げる。


「紋章札は正規のものじゃない。紋章の“気配”だけを借りた目印だ」


「気配……」


「上流の空気を纏わせるためだ。人は“それっぽさ”に弱い」


 耳が痛いほど、よく分かる。


 ノエルは紙をめくる。


「この形は、貴族の周辺に出入りする手配師の印に近い。顔がいい中間屋。言葉が上手い。断られにくい」


 セイランが、机を叩きそうな手を握り直した。


「……俺の名を使って、上品な席で金を回してるってわけか」


「可能性が高い」


 ノエルははっきり言った。


「南区の帳場に同じ名が出る。さらに茶会の周辺でも同じ名が出る」


 茶会。

 上品な席。噂が礼儀を着る場所。


 私は背中が少し冷えるのを感じた。

 下の商売だけじゃない。上の社会が絡んでいる。


 *


 午後、手配師は呼ばれた。

 捕まえたのではない。逃げ道のない形で“招いた”。


 扉が開き、男が入ってくる。


 背が高い。服が良い。髪も整っている。

 笑顔が自然で、目線が柔らかい。


 顔がいい。

 そして“良い顔”が、似合いすぎる。


「失礼いたします。監査局からのお呼び出しと伺いましたが……何かご不便をおかけしましたか?」


 最初の一言で、場の角を丸めてくる。

 謝っているふりをしながら、こちらの勢いを削る。


 ノエルが座るよう顎で示す。


「座れ。事情聴取だ」


「もちろん」


 手配師は笑顔のまま座った。座り方まで“揉めない座り方”だ。


 ノエルが机に紙片を並べる。


「これに見覚えは」


 欠けた縁の印影。封の形。紋章札。


 手配師は一瞬だけ驚いた顔を作り、すぐに元へ戻した。


「……見覚え、ですか」


 声の温度が変わらない。

 温度が変わらない人は、嘘をつくときも変わらない。


 ノエルが淡々と告げる。


「偽の通達が売買されている。お前は手配に関わっていると見られる」


 手配師はため息をつくふりをし、肩を落とした。


「……“偽”という言葉は、少し強いですね」


 言い換えで、罪の輪郭をぼかす。

 上品な場の技術だ。


 手配師は困った顔のまま言った。


「私はただ、“人が動ける紙”を用意しているだけです」


 人が動ける紙。

 ぞっとするほど上手い言い方だった。


「本物の通達は遅い」


 手配師はさも当然のように続ける。


「制度が悪いとは言いません。確認には時間が必要です。慎重であるべきです」


 丁寧に持ち上げて、こちらを縛る。

 “慎重であるべき”を否定すると、こちらが乱暴に見える。


「でも」


 手配師は指を軽く合わせた。


「現場は待ってくれない。人は不安を嫌います。待つ間に損をする。待つ間に怒られる。待つ間に仕事が止まる」


 言っていることは、間違っていない。

 だから厄介だ。


「先に“それっぽい紙”があれば、人は動ける」


 手配師は微笑む。


「動けるなら、守れることもある。損を減らせることもある。私は……サービスを提供しているだけです」


 恐怖を売るなら、悪党だと分かりやすい。

 便利を売ると、拍手される。


 セイランの肩が震えた。

 拳を叩きつけたい怒りを、必死に押さえている。


「俺の名を使って?」


 セイランが低く言う。


 手配師は柔らかく笑った。


「職人様の名は信頼です。信頼があると、人は安心して動ける」


 正論の形をした悪意。

 私は喉の奥が冷えた。


 手配師がこちらを見る。


「便利は、悪いことですか?」


 答えを縛る問い。

 ここで“悪い”と言えば、彼は正義の顔で笑う。

 ここで“悪くない”と言えば、彼は商売を正当化する。


 だから、私は急がない。

 呼吸を整え、言葉を短く置く。


「便利が悪いわけじゃない」


 手配師の目が僅かに緩む。

 ――そこだ。


「でも、あなたの便利は“誰かを踏み台にする便利”です」


 手配師の笑みが、薄くなる。


「踏み台?」


「本物の通達が遅いなら、早くする工夫をするべきです」


 私は怒らない。

 怒りは噂の燃料になる。

 必要なのは、落としどころだ。


「動ける紙が欲しいなら、正しい窓口を作るべき」


 手配師が眉を上げた。


「窓口……?」


「確認できる番号。照会できる印影。今日の紙が本物かどうか、すぐに分かる仕組み」


 言葉を重ねるほど、道筋が見える。


「そうすれば“それっぽい紙”は売れなくなる。待たされる不安も減る。“動ける”は、正しい形で叶う」


 手配師の目が冷える。


「……理想論です」


「理想じゃない」


 私は静かに言い切る。


「必要だから、作る」


 横でノエルが息を吐いた。苦い息。

 制度の遅さを知っている人の息だ。


「制度は遅い」


 ノエルが珍しく弱音に近い声で言う。


「だから隙ができる。隙に、こういう商売が入り込む」


 手配師が“ほらね”とでも言いたげに微笑んだ。


 私はノエルを見て頷く。


「遅いなら、遅いなりの守り方を作る」


 攻め方は敵を倒す。

 守り方は、敵を続けさせない。


 手配師の笑顔が、少し固くなる。


「あなたは……面白い方だ」


 褒め言葉の形をした警戒。

 私は受け流す。


 *


 扉が静かに開いた。


 ラフィアが入ってきた。

 貴族の装いは、空気を一瞬で“席”に変える。


「失礼いたします」


 ラフィアは私とノエルへ、味方だと分かる目を向ける。

 次に手配師へも同じ温度で視線を向ける。

 同じ温度なのに、主導権がどちらにあるかが分かる視線。


「あなたは、噂の流し方が上手い方です」


 ラフィアが言うと、手配師が微笑む。


「褒め言葉として受け取ってよろしいでしょうか」


「もちろん。上流の噂は声で流しません」


 ラフィアの声は淡々としていた。


「席の端で、笑いながら。紅茶を飲みながら。『心配ね』と一言置くだけで、噂は勝手に広がる」


 私は背筋が伸びた。

 噂を止める側が学ぶべきは、噂の“上品な流し方”だ。


「紹介人は“良い顔”で広めます」


 ラフィアは続ける。


「善意の顔で。助ける顔で。だから止めにくい」


 手配師の笑みが僅かに揺れた。

 ラフィアは上流の言葉で、上流のやり方を照らしている。


 セイランが低く言う。


「便利のために職人名を踏み台にするな」


 怒りが出た。

 でも、手は動かない。行動は冷静だ。


 ノエルが資料をまとめながら言った。


「背後にもう一段ある。手配師ひとりでこの規模は回らない」


 手配師は肩をすくめる。


「私は需要に応えているだけです」


 需要。

 その言葉が、鎖の音みたいに鳴った。


 ラフィアが静かに言った。


「混乱がある方が儲かる人がいます。不安が広がるほど紙が売れ、紙が売れるほど人が動きます。動けば利が出る」


 利。

 利権の輪。

 鎖が見えた。


 この男の背後に、もっと上がいる。

 混乱が続くほど得をする人が。


 私は机の上の欠けた縁を見つめた。

 欠けは、鎖の輪のひとつ。


 でも、輪が見えたなら、鎖は切れる。

 暴露ではなく、確認で。

 罰ではなく、続かない形で。


 ラフィアが私へ向き直る。


「王都で“公式の茶会”がございます」


 公式の茶会。

 噂が生まれる席。噂が礼儀を着る席。


「そこに、彼は必ず来ます」


 ラフィアの目が細くなる。


「噂を流す側にとって、最高の蛇口ですから」


 私はゆっくり頷いた。


 噂を流す席なら、こちらも正しい形で迎え撃つ。

 怒りではなく仕組みで。

 暴露ではなく照会で。


 私は静かに言った。


「噂を流す席なら、こちらも“正しい形”で迎え撃つ」

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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