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第16話 別室の小箱――“欠けた縁”は噂より強い

 ざわめきは、上流の席ほど小さくなる。


 小さいくせに、厄介だ。

 誰も声を荒げない。誰も指を差さない。なのに空気だけが「何かあった」と言い始める。


 庭へ誘う言葉が出た瞬間、客人たちの視線が一斉にすべった。

 見ていないふりをするのが礼儀。けれど――見ていないふりをしたぶん、あとで噂になる。


 主催のラフィアは微笑みを崩さないまま、軽く手を添えた。


「念のため、体調を確認いたします。すぐ戻りますので、皆さまは庭の散策を」


 体調確認。

 上手い言葉だ。誰も止められないし、誰も追いかけられない。


 客人たちは一様に頷き、同じ速度で立ち上がった。

 その揃い方が、怖い。場が保たれるほど、異物が目立つ。


 私は一歩遅れて頭を下げる。


「主催者様のお心遣いに感謝いたします。皆さまのお時間を無駄にしないよう、すぐに済ませます」


 ラフィアの目が、ほんのわずか柔らかくなった。

 “主催者の顔を立てる”――それだけで、場は壊れにくくなる。


 執事が先導し、廊下へ出る。

 磨き込まれた床は足音を吸い込み、代わりに気配が残る。人の息遣いが、余計に目立つ。


 私の半歩後ろでミーナが息を呑んだのが分かった。

 怖いのに、逃げない。今はそれだけで十分だ。


 別室の扉が閉まると、甘い菓子の匂いが遠のいた。

 代わりに、紙と布と蝋の匂いが濃くなる。


 執事が机に、布に包まれた小箱を置いた。


 小さい。

 なのに視線が勝手に吸い寄せられる。

 噂という重さは、形のないくせに重たい。


 ラフィアは椅子に座らず、立ったまま言った。


「ここで開ければ、あの席は一気に崩れます」


 断言。

 主催者の断言は、空気を固定する。


 私は頷く。


「開けるのは、正式な扱いができる場所で」


 つまり、監査局の照会が通る場所。

 ここで勝手に開ければ、「隠した」「脅した」「でっち上げた」――どんな言い換えでも作られる。


 ラフィアは私を見た。試す目ではない。確かめる目だ。


「……あなたの紅茶なら、今ここで“分からせる”こともできるのでしょう?」


 分からせる。

 その言い方に、私は小さく息を吸った。


 できる。

 けれど、それは“勝ち方”としては強くても、“守り方”としては弱い。


「やりません」


 私は即答した。


「ここで誰かを追い詰めたら、噂は勢いを増します。必要なのは、証拠を守ることです」


 ラフィアが、目を細めて頷いた。


 執事が一歩前へ出る。


「主催者様。封の形が……不自然でございます」


「不自然?」


 執事は布の端をほんの少しだけずらし、封を指で示した。

 蝋の色。押された印。紙の折り。


 丁寧だ。丁寧なのに、どこか“慌てた丁寧さ”が混ざっている。


「蝋が浅い。押印が同じ方向へ偏っています。急いだ手が出る癖です」


 執事の声は淡々としていた。

 淡々としているぶん、説得力がある。


 ラフィアの表情は変わらない。

 けれど指先が、ほんの一瞬だけ強く握られた。


 ――怒っている。

 客人ではなく、主催者として。

 自分の席が汚されかけた怒りだ。


「箱はこのまま。誰も触れないで」


「承知しました」


 執事が下がる。


 沈黙が落ちる。

 沈黙は、好奇心を呼ぶ。好奇心は噂になる。


 私は布包みの隙間を見つめた。

 そこから覗く紙片の端。


 欠けている。


 ほんの小さな欠け。

 それなのに、胸の奥が冷える。


 ラフィアも同じ場所を見ていた。

 視線が、同じ欠けで重なる。


「……これ、ですか」


 私が小声で言うと、ラフィアは小さく頷いた。


「見覚えがあります」


 その一言で、背筋が伸びた。

 見覚えがある。つまり、今回だけじゃない。


 その時、扉の外で足音が止まった。


 止まった、という事実だけで、空気が尖る。


 カイルが扉の近くへ立つ。

 肩も呼吸も動かさないのに、外へ意識が向いているのが分かる。


 ラフィアが言った。


「報告を」


 カイルが短く答える。


「厨房へ付き人が入ろうとした。給仕の入れ替え直前。止めたのは俺。見ていたのは執事と侍女」


 ミーナが小さく頷く。

 「見ていた人がいる」――それだけで、嘘の逃げ道は減る。


「理由は?」


「『忘れ物』とだけ。押し通そうとしたが引かせた。騒ぎにはしていない」


 ラフィアの目が、また細くなる。


「素晴らしい判断です。……この席は、私が守ります」


 主催者の言葉が落ちると、室内の空気が落ち着いた。

 守ると言える人がいるだけで、人は崩れにくい。


 その直後、廊下から柔らかな声がした。


「何かあったのですか?」


 銀髪の男の声。

 笑っているのに、笑っていない声。


 香水の匂いが、ここまで届いた気がした。

 上品な香りは、時に侵入者の合図になる。


 ラフィアは扉へ向けて、温度の整った声で返す。


「些細なことです。ご心配なく。庭でお待ちくださいませ」


 きっぱり。

 拒絶なのに失礼がない。

 それが、上流の強さだ。


 外の気配が一瞬止まり、足音が遠ざかった。


 ――今、表で追い込まない。

 追い込めば相手は暴れる。暴れれば席が壊れる。席が壊れたら、噂の勝ちだ。


 私は小箱へ視線を戻した。


「触れない、という選択は……弱く見えませんか」


 ラフィアが静かに言う。


「弱くはありません」


 私は首を振った。


「今ここで開ければ、誰かが『店主が力で脅した』と言えます。誰かが『主催者が隠した』とも言えます」


 言い換えは、噂の得意技だ。

 なら、言い換えが効かない形を選ぶ。


「開けないのは、“できない”からじゃない。“しない”からです」


 ラフィアが目を伏せ、深く息を吐いた。


「……あなたは噂の扱い方を知っていますね」


「噂は、派手に勝つと増えます」


 私は言った。


「だから、増えない形で止めたい」


 ラフィアが頷いた。


「王都は……噂が金になります」


 その一言で、別室の空気がさらに冷えた。


「偽の通達は“売れる”のです。恐怖だけではありません。便利も、安心も、売れる。噂が増えるほど、誰かが儲かる」


 噂が金になる町。

 それは、噂が生まれ続ける町でもある。


 私は拳を握りそうになって、ほどいた。

 怒りは噂になる。ここではまだ、怒りを見せない。


「……だからこそ、正式な動きが必要ですね」


 ラフィアは迷いなく頷いた。


「監査局へ連絡します。私の名で呼びます」


 主催者が名を貸す。

 席の名誉を担保にする。

 それは、軽い約束ではない。


 私は頭を下げた。


「ありがとうございます。本当に助かります」


 ラフィアは執事へ指示を出す。


「封はそのまま。二重に包み、鍵付きの箱へ。出入りの記録も残してください」


「承知しました」


 執事の動きが迷いなくなる。

 迷いがなければ、噂が入り込む隙も減る。


 その横で、ミーナが私の袖をそっと引いた。

 声は小さいのに、目が輝いている。


「お嬢様……今の、すごく綺麗でした……!」


「綺麗?」


「はい! 怒ってないのに、ちゃんと強い感じです!」


 その言い方が可笑しくて、私は口元だけで笑った。

 こういう時、ミーナの素直さは空気を救う。


 ラフィアも一瞬だけ目を柔らかくする。


「良い侍女さんですね」


「はいっ!」


 ミーナが背筋を伸ばす。褒められると強くなるタイプだ。


 私はラフィアへ向き直った。


「監査局は……ノエルが来ますか」


「ええ。彼なら席を壊さず動けます。あなたのやり方も理解している」


 胸の奥が、少しだけ温かくなる。

 理解してくれる人がいる――それだけで、足が止まりにくい。


 ラフィアは小箱を見つめ、静かに言った。


「この欠けは、王都で何度も見たことがある」


 何度も。

 今回だけじゃない。止めても、また出る。


 私は息を吸い、ゆっくり吐いた。

 香りのない部屋で、紅茶を淹れるときの呼吸を思い出す。


 やるべきことは、もう決まっている。


 ラフィアが、こちらを見て言った。

 柔らかい目の奥に、確かな決意がある。


「噂を消すには、噂が生まれる場所へ行くしかない」


 その言葉が、別室の空気を一つに揃えた。

 怖さも、怒りも、迷いも――同じ方向を向く。


 扉の向こうから庭の笑い声が聞こえる。

 席はまだ壊れていない。

 壊れていないうちに、次へ繋ぐ。


 私は小箱から目を離さず、心の中で確かめた。


 開けない。

 守る。

 王都へ行く。


 そして、香りの時間を守るために。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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