第15話 茶会の席――“試す笑顔”に、丁寧に「できません」と言う
馬車の揺れは、店の床より静かだった。
静かな揺れは、考え事を増やす。
増えた考え事は、勝手に尖って刺さってくる。
私は手袋の指先を整え、息を吸って吐いた。
今日の目的は、勝つことじゃない。守ることだ。場と、人と、約束を守る。
「お嬢様、復唱します」
ミーナが隣で小声を出す。いつもより硬い声。怖くない係の本気の声だ。
「どうぞ」
「『本日は香りを楽しむ会として、希望者にのみお出しします』」
「うん」
「『誰かを試す場ではありません。辱める目的には使いません』」
「うん」
「『主催者様の場を守るため、持ち込みはご遠慮いただきます』」
「完璧」
ミーナは胸を張った。胸を張ると、怖さが減る。怖さが減ると、言葉が揺れない。
向かいの席でカイルが目を閉じている。眠っているわけではない。気配を聞いている。気配を聞く人の沈黙は頼もしい。
馬車が止まり、扉が開いた。
外の空気が甘い。花の香りと、磨かれた石の匂い。庭の水音が遠くで細く響く。
それだけで、場が違うと分かる。上品な場は音で殴らない。空気で押す。
「ようこそお越しくださいました」
門の前で若い執事が頭を下げた。角度が整いすぎて、逆に怖い。丁寧さは、刃にも盾にもなる。
白い石の道を進み、整えられた庭を抜け、応接の間へ通される。
そこに主催者が現れた。
中年の女性。背筋が真っ直ぐで、目が柔らかい。柔らかいのに、見落とさない目。
「本日はお越しくださりありがとうございます。主催のラフィアと申します」
「ご招待ありがとうございます。店主のリリアです」
私は頭を下げる。店での挨拶より、ほんの少しだけ深く。場に合わせた角度。
ラフィアが微笑んだ。
「噂になっている紅茶を、正式に味わいたいと思いまして」
“正式に”。
優しい言葉の顔をした鎖。
「ありがとうございます。本日は香りを楽しむ会として、希望者にのみお出しします」
決めてきた言葉を、丁寧に伝える。伝えた言葉は、私の背骨になる。
ラフィアは小さく頷き、手を叩いた。執事たちが客人を案内し、部屋が“席”の空気になる。
客人の服は静かな色だ。静かな色ほど、目が鋭く見える。
笑顔は薄い。薄い笑顔は、試すための笑顔。
席に着いた瞬間、刺さる視線を感じた。右斜め前。銀髪の若い男。指輪が大きい。香水が強い。目が忙しい。
忙しい目は、落ち着いたものを壊したがる。
男は上品に微笑んで言った。
「あなたが噂の店主ですか。……なるほど、随分と落ち着いている」
褒め言葉の形をした品定め。
「ありがとうございます。落ち着きは、香りを守るために必要です」
私は笑顔で返した。攻撃しない。けれど、やること・やらないことははっきりさせる。
男の口角が上がる。
「では、その紅茶で――噂の真偽をここで証明していただけますか?」
来た。
分かっていた言葉でも、実際に聞くと空気が固くなる。
上品な場は、舞台を作るのが上手い。視線が集まり、息が揃い、沈黙が“期待”に変わる。
私は、すぐに首を振らなかった。急な拒否は“恐れ”に変換される。
だからまず、失礼のない言い方で話す。
「本日はご招待いただいたお礼として、香りを楽しんでいただく場です」
静かに言う。
「誰かを試す場ではありません。辱める目的には使いません」
男は笑う。綺麗な笑い。綺麗だから、余計に冷たい。
「辱める? まさか。私はただ、安心したいだけですよ」
“安心したいだけ”。
上品な言い換えの刃。
「安心のためでしたら、こちらをご覧ください」
私は用意していた紙を、ラフィアに差し出した。
盾は主催者に預ける。自分で振り回さない。
ラフィアが紙に目を通す。表情がほんの少しだけ硬くなる。
「……偽装された通達に注意。照会窓口、担当部署。確かに正式ですね」
男が目を細めた。
「監査局と、ずいぶん近いのですね」
“繋がっている”の言い換え。上品な場では“近い”になる。
私は微笑み、短く答えた。
「近いのではなく、必要な確認をしているだけです」
ラフィアが頷く。
「確認は大切です。……この場も、決まりに従って対応します」
主催者の言葉が落ちた瞬間、空気が少しこちらに寄る。
上品な場の空気は、主催者が動かす。
男は薄く笑い、矛先を変える。
「では“希望者にのみ”でしたね。ここにいる全員が希望すれば、全員に出すのですか?」
“希望”を圧に変える質問。
一斉に希望する空気を作れば、同意が強制になる。
私は息を吐き、頭の中で順番を戻す。
「希望は、ひとりずつ伺います」
私は言った。
「ここで一斉に伺うのは場を乱します。主催者様の場を守るため、順に」
ラフィアが目を細め、頷く。
「よい作法です。……この場は乱すためにありません」
男の笑みが薄くなる。噛みつく余地が減った顔。
ラフィアが手を叩き、執事が近づいた。
「では、希望者のみ、順に」
主催者側の決まりが動く。私のやり方と噛み合う。
それだけで、私は少し楽になる。頼りきりにならないよう、自分の足も止めない。
私は小さな箱を開け、茶葉缶を取り出した。
湯が注がれ、香りが立つ。甘い菓子の匂いの中でも、逃げない香り。
数人が小さく息を漏らす。
「……香りが、違う」
「強いのに、嫌じゃない」
視線の尖りが、ほんの少し丸くなる。
私は一人ずつ、目を見て聞いた。
「お飲みになりますか。香りを楽しむための一杯です。よろしければ」
“よろしければ”は弱い言葉じゃない。強制しない強さだ。
希望した人にだけ、カップを渡す。
希望しない人には、渡さない。
それだけで、きっぱり区切れる。
銀髪の男が、わざとらしく言った。
「では私は希望します。……ただし、真実が出る一杯を」
私は微笑みを崩さず答えた。
「真実のためではなく、香りのための一杯です」
男はカップを受け取り、口をつける。一口、二口。
眉がわずかに動いた。香りは嘘をつけない。
「……悪くない」
褒めているのに、まだ試している声。
「ありがとうございます。香りが合いましたか」
「合う合わないは、別です」
男は視線を滑らせ、ラフィアへ向ける。
「主催者殿。これで皆、安心したでしょう。なら次は――」
“次は”。
次はきっと、暴け、だ。
私は先に、きちんと伝えておいた。
「本日は、ここまでです」
静かに、でもはっきり。
空気が一瞬止まる。止まると、上品な場は“理由”を求める。
私は理由を、失礼のない言い方で返した。
「主催者様の場を守るためです。香りの時間を、争いの時間にしたくありません」
ラフィアが頷いた。頷いた瞬間、空気がこちらに寄る。
「店主の言う通りです。本日は香りを楽しみましょう」
男は綺麗に笑った。綺麗な笑いは冷たい。
「なるほど。あなたは、うまく逃げますね」
逃げる。
言葉が刺さりそうになる。
私は息を吸って吐く。
逃げではない。ここから先はしないと決めただけ。
「逃げではありません」
穏やかに言う。
「約束を守っています。辱めない、強制しない、場を乱さない」
男の目が一瞬だけ揺れた。
揺れは、何かに触れた証拠だ。
そのとき、ラフィアの背後に控えていた執事が控えめに耳打ちした。
ラフィアの表情が、ほんの一瞬だけ硬くなる。すぐ戻る。鍛えた顔。
「少し休憩を。庭をご覧になりますか」
客人たちが立ち上がり、空気が流れる。流れると刺さりが薄まる。
私はミーナへ小声で言った。
「今、何か動いた」
「執事さんの耳打ちですね」
「うん」
カイルへ視線を送ると、彼はもう一歩だけ位置を変えていた。
目立たないまま、通路の端を押さえる位置。
「見ている」
短い言葉が、いちばん頼もしい。
庭へ出るふりをして、私は客人の会話を拾う。
上品な会話は小さい。小さいのに遠くまで届く。
「香りは確かに良い」
「でも、監査局と……」
「主催者が認めた形になるのかしら」
“認めた形”。形にされる前に、形を返す。
私はラフィアにだけ届く距離を作った。角が立たない距離。
「主催者様。ありがとうございます。ひとつだけお願いが」
「何でしょう」
柔らかい目。柔らかいのに、見落とさない。
「本日の同席者に、偽の監査印と関わる人物がいる可能性があります」
声を落とす。
「証拠はまだ。ただ、特徴が一致します」
ラフィアは表情を動かさない。動かさないことで場を守る。
「……その可能性を、どう扱いますか」
「場を乱さないように、厨房と荷の動きを確認していただければ」
ラフィアがわずかに頷く。
「分かりました。こちらの決まりに従って進めます」
その返事だけで、私は少しだけ呼吸が楽になる。
庭の端からカイルが戻ってきた。目が少し鋭い。
「動いた」
「誰が?」
「銀髪の男の付き人。厨房へ入ろうとした。止めた」
厨房。混ぜる場所。汚す場所。仕込む場所。
ラフィアの目が一瞬だけ鋭くなる。鍛えた柔らかさの下の刃。
「執事」
低く呼ぶ。執事がすぐに来る。丁寧なまま速い。
「厨房の点検を。客人の付き人は入れません。今すぐ」
「承知しました」
主催者側の決まりが動く。
私のやり方と噛み合う。
遠くで、銀髪の男がこちらを見ている。笑顔のまま。目が笑っていない。
私は笑顔を返す。返して、やること・やらないことをはっきりさせる。
そのとき――
執事が戻ってきた。顔色が変わっていないのに、声だけが一段低い。
「主催者様。厨房脇の物置で……封のされた小箱が見つかりました」
「封?」
ラフィアが尋ねる。
執事は小さな布で包んだ箱を差し出した。
布の端から、紙片が覗く。
紙片の縁に――欠けた模様。
喉が冷たくなる。
冷たくなると、考えられる。だから悪くない。
ラフィアが静かに言った。
「……この封は、誰のものですか」
執事が首を振る。
「台帳にありません。置かれた痕跡だけが新しい」
カイルが一歩前に出る。ミーナが息を呑む。
銀髪の男の笑顔が、遠くでほんの少しだけ薄くなる。
上品な場が、静かにざわつき始める。
ざわつきは、噂になる前に止めなければいけない。
私はラフィアにだけ届く声で言った。
「この場では開けない方がいいです。別室で」
ラフィアが頷く。主催者の頷きは、場を落ち着かせる。
「その通りです。――この件は、別室で扱いましょう」
丁寧な声で、きっぱり区切る。
私は布包みの隙間から覗く“欠けた縁”を見つめた。
欠けた縁は、噂じゃなく、形になってここにある。
(――受け渡しの瞬間が、近い)
焦らない。
決まりどおりに進めて、守る。
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