第14話 茶会の招待状――“上品な噂”は刺さり方が違う
招待状の紙は、紅茶の湯気よりも静かだった。
上質な厚み。角の紋章。整いすぎた文字。
それだけで店の空気が一段変わる。
噂はいつも荒い声で来るとは限らない。
荒い噂は刺さっても血が見える。
でも上品な噂は、血が見えないまま刺さる。刺さったことに気づいた時には、もう“礼儀”の顔で固定される。
私はカードをテーブルに置き、指先で縁をなぞった。
『茶会へのご招待』
『噂の紅茶を、正式に味わいたく』
『なお、真偽を確かめたい者も同席いたします』
“真偽を確かめたい者”。
言い方が丁寧なぶん、逃げ道がない。
「お嬢様……これ、罠じゃないですか」
ミーナが小声で言った。
怖がっているのに、目が燃えている。怖くない係の正体は戦闘力だ。
「罠の匂いはする」
私は素直に言う。
「でも、断ったらどうなる?」
ミーナは一瞬で答えた。
「『逃げた』って言われます!」
「そう」
逃げた噂は刺さりやすい。
しかも上品な場では、逃げたことが“礼儀知らず”に変換される。
私は息を吸って、吐く。胸の奥の順番を戻す。
「行くよ」
ミーナの目がぱっと輝いた。
「行きましょう!」
奥で茶葉を選別していたリオが、こちらを見た。
目が少し曇る。過去に引っ張られる目だ。
「……無理すんな」
「無理はしない。無理をさせたいのは向こうだ」
私は言った。
「だから、手順で行く」
言葉にすると、背中が少し軽くなる。
そのとき、扉が鳴った。丁寧なノックが三回。
ノエルが入ってくる。今日はいつもより顔が硬い。
「店主殿。……来ましたか」
「来ました」
私は招待状を差し出した。
ノエルは紋章を一目見て、眉をわずかに動かす。
「中立寄りの家です。ただし――同席者が問題です」
「真偽を確かめたい者、ですね」
「ええ。茶会は、印より先に“礼儀”で刺します」
ノエルは声を落とした。
「地雷が三つあります」
「三つ」
私は頷く。
「一つ。あなたを怒らせて『野蛮』にする」
「二つ。黙らせて『認めた』にする」
「三つ。笑わせて『嘲笑』にする」
ミーナが息を呑む。
「……全部、言い換えられる」
「言い換えが噂の強さです。だから、こちらも言葉を決めておく」
私は頷いた。
「理念を、作法に翻訳する」
「翻訳?」
ノエルが確認するように言う。
私は白紙を引き寄せ、ペンを握る。
箇条書きにする前に、まず“言葉”の形を決める。
「たとえば――『同意のない紅茶は出さない』は、茶会では『希望者にのみお出しする』になる」
ミーナが「なるほど!」と頷く。
「『人前で詰問しない』は?」
「『公開の場での追及は無作法』」
私は言った。
「それが貴族の場の“盾”になる」
ノエルが小さく頷く。
「良い。……ただ、最も狙われるのは“持ち込み”です」
「持ち込み茶葉」
「ええ。『怖いから拒否した』と見せたい」
私はすぐに言葉を変える。
「拒否の理由を“安全”にしない。『主催者の場を汚さないため』にする」
ミーナがぽかんとした後、目を丸くした。
「お嬢様、強い……!」
「強いけど静かに」
私は笑って、紙に短い言い回しを書き足した。
『主催者様の場を守るため、持ち込みはご遠慮いただきます』
『本日は“香りを楽しむ会”として、希望者にのみ提供いたします』
ノエルが目を細める。
「店主殿は“貴族の言葉”を知っている」
「知っているだけ。今は店主だから」
そう言ってしまってから、胸の奥が少しだけきしんだ。
“今は店主”――その前の私は、どうだった。
でも、痛みは消さない。消さないほうが折れない。
カイルが入口側から言った。
「同行する。護衛の準備をする」
「ありがとう」
私は短く答える。
ノエルも続けた。
「私は監査局として中立です。同行はできません。ただし、偽装が出た場合は止めます」
「止められる?」
「止めます。手順で」
彼の“手順”は、私の“手順”を支える柱だ。
ノエルはさらに言う。
「茶会で必ず言われます。『紅茶で嘘を暴け』と」
ミーナが眉をひそめる。
「うわ、言いそう……!」
ノエルは私を見た。
「断り方を、決めておいてください」
私は頷き、迷わず書く。
『本日は“誰かを試す場”ではありません』
『辱める目的には使いません』
『必要なら個別に、主催者様の許可のもとで』
書きながら、息が整う。
言葉は、先に決めれば盾になる。
ミーナが感心したように言った。
「上品に断るって、難しいんですね……」
「難しい。でも、やる」
私はペンを置き、立ち上がった。
「茶会用の茶葉を選ぶ」
奥のリオがすぐ反応する。
「……俺がやる」
「ありがとう。でも今日は“選ぶだけ”。無理はしない」
「分かってる」
リオは缶を三つ並べ、順に蓋を開けた。
柑橘の立つ香り。
甘さのある香り。
渋みの少ない香り。
「一つ目。場に負けない」
「二つ目。菓子に負けない」
「三つ目。初めて向け」
短い説明。的確。余計な感情が入らない。
こういう時のリオは、静かな職人みたいだ。
私は一つ目の香りを嗅いで目を閉じた。
背筋が伸びる。
上品な場でも、逃げない香り。
「これにする」
リオが頷いた。
「分かった」
ミーナが拳を握る。
「よし。上品な噂にも勝てます!」
「勝つじゃなくて、守る」
「守って、勝つ!」
「最後だけ勝つのやめて」
笑いが落ちる。落ちると順番が戻る。
ふと鏡が目に入った。
カウンター横の小さな鏡。そこに映る私は、店主の顔をしている。
けれど、その奥に一瞬だけ、昔の私がいる気がした。
礼儀を覚え、笑う練習をして、黙る練習をしていた私。
胸がきしむ。
でも折れない。折れないように、今の私がいる。
「……怖い?」
ミーナが小さく聞いた。
私は嘘をつかなかった。
「怖い」
ミーナは即答する。
「じゃあ、怖くない係、全力でついていきます!」
「ついてくるだけで十分」
私は笑った。
ノエルが立ち上がり、最後に言う。
「茶会は“正しさ”を競う場です。ですが、あなたは競わなくていい。守るだけでいい」
「守る」
私は頷いた。
「場と、人と、約束を守る」
ノエルは扉の前で振り返る。
「もし揺れたら、思い出してください。あなたの武器は紅茶の力じゃない。――あなたのやり方です」
私は笑って答えた。
「分かってます。断ります。上品に」
扉が閉まる。
店内に残るのは香りと紙と、準備の音。
私は招待状をもう一度手に取った。
紙は静かだ。静かだからこそ、こちらが言葉を決める。
上品な噂は、刺さり方が違う。
だから、抜き方も変える。
私は白紙のいちばん下に、最後の一行を書いた。
――“同意”は、礼儀として通す。
その一行が、背骨になった。
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