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第13話 印章屋の証言――欠けた縁が繋げた“本線”

 監査が終わった朝の店は、空気が少しだけ軽かった。


 “安全”と紙に書かれると、店の背中が一段上がる。

 けれど噂は、軽くなった隙間に入り込もうとする。しぶとい。


 私は入口の掲示板に貼られた注意喚起を指でなぞり、深呼吸をひとつした。

 落ち着いたら、次の手順。


 そのとき、扉が鳴った。

 丁寧というより、短く、強いノック。


 カイルが外を見て、短く言う。


「来た。職人だ」


 職人。

 それだけで警戒の形が変わる。

 役所が世界を動かすなら、職人は世界を“作る”。


 扉を開けると、年配の男が立っていた。

 白髪を後ろで束ね、指先が木くずで白い。

 目が鋭い。けれど、その奥に怒りがある。


「ここが……噂の紅茶屋か」


 嫌味じゃない。確認の声。


「いらっしゃいませ。店主のリリアです」


 私が名乗ると、男はふっと息を吐いた。


「俺はセイラン。印章屋だ。――俺の名を使われた」


 言い切る声が、店の空気を一段固くした。

 名を使われるのは、手を盗まれるのと同じだ。


「中でお話を」


 私はすぐに仕切りの奥へ案内した。

 話は客席に出さない。見世物にしない。これは店の約束だ。


 ミーナが湯を用意しながら、私に小声で言う。


「お嬢様……怒ってます」


「怒って当然だよ」


 セイランは椅子に座る前に胸元から小さな木箱を出し、テーブルに置いた。

 中には紙片と、削り途中の木片。


「見ろ。触らなくていい」


 私は頷き、目だけで追う。

 赤い印。縁の模様。欠けた箇所。


 欠けは同じ位置で、同じ形をしていた。


「……同じ欠けですね」


「ああ。俺の彫りじゃない。だが、俺の名が出回ってる」


 セイランの指が木片の溝をなぞる。


「職人の仕事は、手癖が出る。線の曲げ方、角の落とし方、圧の入れ方。全部、嘘がつけねぇ」


 紅茶の香りが嘘をほどくなら、彫りの線は嘘を拒む。

 その言葉が、胸に落ちた。


「俺がやってないことは、俺が一番分かる」


 セイランは苛立ちを抑えるように息を吐いた。


「監査局の若いのが協力してくれって来た。……断る理由がねぇ。腹が立つからな」


 そう言って彼はカップに口をつけ、一口で目を丸くした。


「……うまい」


 ミーナが胸を張る。


「でしょう! うちの紅茶は、怖くないです!」


「怖くないってのは、武器だ」


 セイランは苦笑した。


 そのとき、扉が鳴った。今度は丁寧なノックが三回。

 監査局のノエルが入ってきた。書類の束を抱え、目の下に忙しい影がある。


「店主殿。お待たせしました」


「いえ。ちょうどお客さまが」


 私はセイランを示した。


「印章屋のセイランさんです。名を使われた、と」


 ノエルは深く頭を下げる。


「ご協力に感謝します。正式に、被害申告として受理します」


「申告だけじゃ足りねぇ。止めろ」


 セイランが低く言った。


「俺の名で偽の印が回るのは、職人への侮辱だ。……それに、被害が増える」


 ノエルは頷き、書類を広げた。


「まず、事実を三つに整理します」


 彼は指を立てる。


「一つ。同じ欠けが複数の紙にある。つまり同一の型由来の可能性が高い」

「二つ。その型が繰り返し使われている。つまり量産されている」

「三つ。量産品は必ず“渡る”場所がある。つまり流通を押さえる必要がある」


 短く、明確。

 噂のふわふわが、紙の線に変わる。


 セイランが鼻で笑う。


「欠けたまま使うのは雑だ。焦ってるか、数を優先してるか」


「数を優先」


 私が呟くと、ノエルが頷いた。


「脅しに必要なのは質より数。噂と相性がいい」


 ノエルは続けて、供述のまとめを読み上げた。


「蝋型屋の供述:『発注は複数』『依頼主は直接来ない』『受け取りは下っ端』」


 下っ端。

 荷を押す若い手。焦った目。

 胸が少し痛む。


 私は奥の作業台へ視線を移した。

 リオが茶葉を選別している。指を止めない。止めないことで、過去を押さえているみたいだった。


 セイランが言う。


「依頼に来た奴の特徴も覚えてる。香水がきつい。指輪がでかい。目が忙しい。喋り方だけ偉そう」


 ノエルが即座に書き留める。


「同様の証言が複数あります。……南区の商いの男に似るという話も」


 私は息を吐いた。


「繋がってきましたね」


「はい。ただし、まだ決定打ではありません」


 ノエルの声は冷静だった。

 焦りは、雑を呼ぶ。雑は、相手の思う壺。


 セイランが腕を組む。


「決定打が欲しいなら、渡る場所を押さえろ。作る場所より、渡る場所だ」


 私は頷いた。


「受け渡しの瞬間」


「そうだ。そこで“誰の指”が動くかが見える」


 ――見るだけ。危険は避ける。

 その条件なら、できることがある。


 私は仕切りの奥からリオへ声をかけた。


「リオ。少し、話せる?」


 指が止まる。

 リオは深呼吸をひとつしてから、こちらへ来た。目は伏せ気味でも、逃げない。


「……何だ」


「危険じゃない仕事をお願いしたい」


 “罰”じゃない。“仕事”だ。

 その言い方で、リオの眉が少しだけ動いた。


「俺に、できること……あるか」


「ある」


 私は頷いた。


「市場で、荷の時間を見る。誰がどの時間に、どんな箱を運ぶか。顔を覚えなくていい。『変な動き』だけでいい」


 ノエルがすぐ補足する。


「危険を感じたら離れてください。あなたを守るのが最優先です」


 私はさらに、約束を言葉にした。


「近づかない。追わない。危ないと感じたら引く。――これは約束」


 リオは唇を噛み、短く言った。


「約束する」


 ミーナがほっと息を吐いた。

 怖くない係は、こういうところで顔に出る。


 セイランがカップを置き、ふっと真面目な顔になる。


「……もう一つ。俺の名を使った奴は、印だけじゃない。『セイランが協力してる』って言い回ってる」


 名まで道具にする。

 噂の得意技だ。


 ノエルが頷いた。


「名だけではありません。制度も道具にされている。監査、通達、印……正しさを脅しに変えている」


 私は背筋を伸ばす。


「だから、こちらは“正しさ”を道具にしない。手順で戻す」


 ノエルの口角が少しだけ上がった。


「店主殿らしい」


 セイランが渋い顔で言う。


「甘いな」


「甘いですか」


「甘い。でも、折れない甘さなら悪くねぇ」


 その言葉に、胸が少し温かくなった。

 職人に認められる甘さは、ただの優しさじゃない。背骨のある優しさだ。


 外で風が吹き、掲示板の紙が揺れた。

 紙は揺れる。でも剥がれない。


 ノエルが書類をまとめながら言った。


「次の動きがあります。噂の流れが、上へ上がっています」


「上へ?」


「貴族の茶会です」


 言葉が、店の空気を少し変えた。

 市場の噂は尖る。

 茶会の噂は、柔らかい顔で刺してくる。


「『危険な店か確かめたい』という名目で、招待状が回り始めています」


 セイランが鼻で笑った。


「確かめたい、ね。確かめる前に決めてる顔だ」


 決めてる顔。

 正しさの服を、もっと綺麗にしたもの。


 私はテーブルのペンを取り、白紙を引き寄せた。

 茶会で守るべき手順を作るために。


 そのとき、扉の隙間から薄い紙が一枚、滑り込んだ。

 今度は投げ込まれたというより、丁寧に差し込まれた感じ。


 拾い上げる。

 封筒。上質な紙。角に小さな紋章。


 ミーナが息を呑む。


「お嬢様……それ……」


 私は封を切り、中のカードを取り出した。

 整った文字で、短く書かれている。


『茶会へのご招待』

『噂の紅茶を、正式に味わいたく』

『なお、真偽を確かめたい者も同席いたします』


 “真偽を確かめたい者”。

 上品すぎて、怖い言い方。


 ノエルが静かに言った。


「来ましたね」


 私はカードを置き、息を吐いた。

 怖い。

 でも、怖いまま逃げたら、噂は“確定”になる。


「行きます」


 言い切ると、ミーナの目が輝く。


「お嬢様、行きましょう! 怖くない係、茶会対応係も――」


「係は増やさない」


 セイランが苦笑した。


「面白ぇ店だな」


 ノエルが言う。


「茶会は、印より先に“礼儀”で刺してきます」


 礼儀。正しさの服の、もっと綺麗なやつ。


 私は頷いた。


「なら、礼儀で守る。……同意と、手順で」


 私はポットに新しい湯を注ぎ、香りを立てた。

 香りは嘘を暴くためだけじゃない。

 綺麗な言葉の場所でも、人が正直になれる温度を作るためのものだ。


 欠けた縁は、繋がった。

 繋がった先は、もっと大きな場。


 私は招待状を胸元にしまい、静かに言った。


「上品な噂にも、上書きできる形を作る」

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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