第25話(3)
アレクサンドラは、書類を提出してからは、一転して漂う薄い不安を払う、落ち着かない日々を送っていた。
議事日程まではまだ大分時間があったが、却下の通達も、元老院からの再度の指示も届かない。
アレクサンドラの反抗的な補正案が、どう取り扱われているのか確かめる術はないため、ひたすらに待つしかない。
ただ待っているのも無為であるため、案が通ると仮定して、今後の進め方もつらつらと考え始めるようになった。
もし、今回の案が通れば、オルトで実践とともに制度固めをして、成功の実例を作ろう。
場所は困らないが、人材問題はまた浮上する、採用と育成問題について、また職員達と議論を戦わせる必要があるが、先日の若手のように、自分の味方をしてくれる者達もいることを思い出すと、今更ながら心強く感じた。
何なら、オルト以外の窓口は固定ではなく、巡回型にすれば、志願しやすいのではないか、公証長の通常職務をこなしながら、あれこれ思案を重ねる。
死案が息を吹き返す可能性が生まれたことで、成し遂げたい欲も再び頭をもたげ、強気に出過ぎたのではないかと主を突いて焦りを生み出していた。
しかし、同時に今までの苦しみと忍耐とが、実を結ぼうとしていることへの高揚感も否定できず、アレクサンドラは、賭け事で遊んだ経験はないものの、そのスリルはこのような感じなのだろうかと、ともすると浮き足立ちそうになるのを努めて地に着けていた。
あの日は本当に諦めるつもりでいたが、可能性が生まれるや否やその決意を取り消して、達成を追い求める道に戻ったのは、公証に対する自分の欲深さに苦笑いを誘われる。
もっとも、本来はそうあるべきで、公証長たるもの、自尊心は二の次にして、国益のために努めなければならなかった。
今回の一連の運動において、感情的になってしまったことへの反省は抱いたが、しかし妻としての名誉を優先させたことには後悔はしていなかった。
アレクサンドラは、オルロフ家の歴史の中でも稀な女公証長として、女の品位を保ちながら、歴代に見劣りしない仕事をする使命がある。
これからは、怒りを表すにしても見苦しくないように振る舞い、かつ己の主義を貫くようにしなければ、と決心はしたのだが、どうも現実は逆行しているように感じられてならなかった。
公証長の座に就いてからというもの、巻き戻る前の幼女的な癇癪と同等とまではいかないが、心に染まぬことに情緒を乱され、それが表に出て来ることが増えて来た。
普通は、年を重ねるごとに次第に減っていくところなのにという恥ずかしさがあり、種火を感じた瞬間に火柱が立ち制御できない気性が、この頃の懸念になっていて、平穏な日に理由もなく薄く苛立ちが漂っている時があり、頭痛の種になっていた。
そしてそのような日々の中、その招待は舞い込んで来た。
「これが、届けられたのですね?」
「ええ」
ニコライは、眉を顰めながら2度3度とその招待状を眺めた。
ザハーリン公爵夫人宛てのそれは、国章の型押しがされた厚い上等の紙が使われていたが、届けて来たのは王女付きの筆頭侍女だという。
完璧に本式なわけではないが、招待状の体裁は書式も含めて正規のもの、すなわち応じないことの選択権が与えられていない"誘い"であった。
そのような気取った形式よりも難解なのは、その内容であった。
要旨は、第1王女の主催で私的な茶席を設ける。
王女については、ただいま進んでいる華やかなる出来事について、不安な部分もあるようなので、それを取り除きうる知恵を夫人方から授けてもらいたい。
後は、日程が綴られ、差出人には皇后の名が付けられていた。
「華やかなる出来事とは、例の、ご婚約のことでしょうか」
アレクサンドラの問いに懐疑が籠っているのは当然のことであった。
華やかなる出来事は今までは酷く秘められていて、臣民はもちろんのこと、貴族界でも噂になっていなかったが、皇后名義の招待状においてそれを言及したということは、王家の公式な立場が表明されたということを意味していた。
王子・王女方のお相手となれば、帝国民の関心事として、どのようにかして漏れ出て噂になり、その後に公布されるのが良くある型であったが、今回はこの招待状が初出の情報源であった。
アレクサンドラが知っていたのは、ニコライが王家の人間であったからに過ぎず、それを除けばサロンでも茶会でも、どなたが王女のお相手になるかということは話題には上がったが、参加者の想像の世界を巡るだけで終わっていた。
このような異様を敢えて行ったのは、明確な意図があるとしか思えなかった。
ニコライは「間違いなくそれでしょう。何故茶席を設けるのかは解せませんが」と渋面のまま呟いた。
ニコライは、M公爵のことを思った。
このように公表されてしまっては、M公爵がどんなに立ち回ろうと彼は夢に手が届かなくなる。
母皇后が遣り取りを察知して、動きを先んじて封じるために、婚約を押し切ったのか。
タチアナはどう思っているのか、M公爵に対し自ら結論を付けたのか、それとも母皇后に強行されたのか。
何より、M公爵はこれを知っているのか。
知らせなければ、と気持ちが逸ったが、問題はまだある。
婚約が成りそうならば、単に噂だけを流せば事足りるはずだ、何人かは知らないが貴族の夫人を参集させて茶席を設ける必要性は導かれない。
他の意図があるのは明白だが、不穏な予感はすれども、母皇后の真意は全く見当が付かない。




