第22話:腐蝕の予兆 ― リリィの鑑定による検証
薄暗い第三層の通路を、ランタンの光がわずかに照らしていた。
数時間前、俺は『毒攻撃Lv.2』を生贄に捧げ、代償として新たなスキルを手に入れた。
『腐蝕の予兆(Decay Trigger)Lv.0』。
未知の概念スキル。その名の通り、対象を「腐蝕」させる力らしい。
だが、どのように発動し、どんな代償をもたらすのかは、まだ分かっていない。
「まずは実験ね」
リリィが小さく息を吐いた。
「今ここで、比較的安全なモンスターを一体選んでテストしましょう。観測と計測は私が担当するわ」
俺は頷いた。
リリィの鑑定スキルがなければ、敵のHPの変化を把握できない。俺は既に“鑑定”を失っている。
やがて、通路の先で呻くような音が響いた。
姿を現したのは、二階層でも戦ったことのあるアーマード・ゴーレム(Lv.17)だ。
分厚い装甲をまとい、鈍重な動きでこちらに迫ってくる。
「リリィ、鑑定を」
「対象、アーマード・ゴーレムLv.17。HP、62。物理耐性高。回復手段なし。……この個体なら長時間の観測に向いてるわね」
「ちょうどいい。始めるぞ」
俺は右手を掲げ、腐蝕のイメージを思い浮かべた。
胸の奥で、黒い何かが蠢くような感覚が走る。痛みはない――だが、体温が一瞬にして数度下がった気がした。
手の甲から黒い紋様が浮かび、ゴーレムの胸部へと伸びる。
光も音もない。ただ、世界の輪郭だけが歪む。
「発動確認……対象に黒い斑点が発生、拡大中。鑑定続行……HP62から61。減少確認。速度、1秒あたり0.5――」
「……やっぱり持続ダメージか」
「10秒経過。HP、57。減少速度変化なし。安定した腐蝕状態――」
ゴーレムはまだ動いている。
装甲の表面がわずかにざらつき、金属が錆びるような音が響いた。
だが、即死させるほどの威力はない。
リリィの声が緊張を帯びる。
「15秒……HP52。減少速度が上がってきてる。1秒あたり1前後……ユーマ、腐蝕が加速してる!」
「加速……? 観測時間に比例して強くなるのか……」
「20秒経過。HP46。速度、さらに上昇……秒間1.5。腐蝕が表層から内部にまで到達してる!」
ゴーレムが唸り声を上げ、足元が崩れた。
金属の装甲が剥がれ落ち、下から泥のように溶けた核が露出している。
「リリィ、あとどれくらいだ」
「HP……34。進行は止まらない。30秒経過……ダメージ速度2! 腐蝕が急激に活性化してる! 視界を外さないで!」
俺は息を殺して、ただ見続けた。
視界の中で、黒い紋が螺旋状に広がり、ゴーレムの全身を覆っていく。
金属が灰色に変わり、体の輪郭が崩れ――やがて、静かに崩壊した。
【アーマード・ゴーレム Lv.17 を撃破しました】
「……終わった」
静寂。
リリィが肩で息をしながら呟いた。
「腐蝕の進行速度を確認したわ。
10秒ごとに段階的に加速――10秒目で0.5、20秒で1.0、30秒で2.0。
あなたの“観測”が途切れなければ、腐蝕はリセットされず加速し続けるみたい。
でも、もし途中で視界を切ったら……たぶん全て消える。」
俺はゆっくり頷き、ステータスを開いた。
【HP:36 → 32】
「……なるほど。やっぱり、代償があるな」
「HPが10%減ってる。やはりこのスキルは、使うたびにHPを削るのね」
リリィの声がかすかに震えた。
「腐蝕は“見続けるほど加速する”……
でもその代わり、発動ごとにあなた自身が確実に削れていく。
これ、本当に使う気?」
俺はゴーレムの灰を見つめたまま、短く答えた。
「使う。少なくとも、俺が生き残るための力だ。
そして、このスキルは……“観測”が鍵だ。
なら――俺の『時間を止める力』と、必ず噛み合う。」
リリィが息を呑む。
「まさか、エターナルモーメント中でも腐蝕が進むと?」
「止まった世界で、俺だけが観測を続けられるなら……その中で腐蝕は“進行し続けるはずじゃないか?。」
二人の間に、重い沈黙が落ちた。
「……その実験は、命を懸ける価値があるわね」
リリィの声が震えていたが、止めようとはしなかった。
「次は、“時間を止めたまま腐蝕を進める”実験よ」
俺は頷き、静かに拳を握った。
――腐蝕の予兆。
それは、“見続ける者だけが手にする死の加速装置”だった。




