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名工・ヴァリの一生

作者: 藤 野乃


とある大陸に、秘境と呼ばれるドワーフ達の住む田舎村があった。


村のそのすぐ横の森には、小さな小屋があり緑の魔女と呼ばれる女性が住んでいた。


幼い頃、ヴァリは祖母のお使いで魔女の家に頻繁に膏薬を取りに行っていた。

時には妹と、時には友人達と。


彼女はとても綺麗な人で、赤い髪に明るい灰色の瞳の持ち主だった。

赤い髪はよく見掛ける色だったが、ヴァリは魔女の空色が滲んだような灰色の瞳は、他に見たことがなかった。


渾名の由来はいつも深い森のような緑色のワンピースを着ていることからだろう。


その肌の白さから、ドワーフではないのは一目瞭然だったが、幼い子供達の無邪気な質問に、魔女が自分の種族を教えることは一度もなかった。



少し時が過ぎ、ヴァリは8歳になった。

相変わらず祖母の腰痛は良くならず、10日に1度は緑の魔女の家に薬を取りに行った。


「ねえ、緑の魔女ってさ、何て名前なの?」


みんなが緑の魔女と呼ぶこの美しい人の名前は何だろう?と不思議に思っての質問だった。


魔女はニッコリ笑って教えてくれた。


「私の名前はね、ベルシュナっていうの」


内緒よ、と悪戯っぽく微笑んだ白い人差し指が、ヴァリの唇にそっと触れた。


ヴァリの心臓が跳ね上がり、自分の顔に血が集まって来るのを感じた。

魔女に赤くなった自分を見られるのは気恥ずかしい、と感じたヴァリは薬を引ったくるように掴むと、逃げるように走って村へ戻った。


その後、ヴァリは何だかんだと理由をつけて魔女の家へのお使いを避けるようになり、お使いは妹のサラの役目になった。


ヴァリの父親はドワーフの鍛冶職人。

母親は人間のお針子だった。

ハーフは特に珍しいことではなく、ドワーフと人間が仲良く暮らす村だ。


他の子と同じように家業──父親の後を継ぐべく、ヴァリは9歳の秋に父親である師匠に弟子入りした。


師匠は厳しく、最初は掃除や雑用ばかりだった。

何故か良く遊びに来る幼馴染みのミアに、愚痴を言ったり聞いたり、励まし合ったりして数年を過ごした。



14歳になったヴァリは、火床の管理を任されるほどしっかり成長していた。

ヴァリには芸術家才能もあるようで、デザインも手掛けるようになっていた。


幼馴染みのミアも成長し、可愛らしい少女に成長していた。

周囲の冷やかしもあったし、当のミアがヴァリへ好意を隠さなくなってきた。

ヴァリ自身も、村一番の美少女に好意を寄せられて悪い気はしなかった。

二人はお付き合いをスタートさせた。


ヴァリもミアが好きだった──多分。


自分の気持ちは良くわからなかったが、周囲が羨ましがる『可愛い彼女』はヴァリの密かな自慢にもなった。


なので──なんとなく自分はこのままミアと結婚するんだろうな、とヴァリは思っていた。


その夏、祖母がとうとう歩けなくなった。

ヴァリの母は森の魔女を呼んで、祖母を診て貰う事にしたらしい。


ある日、蔓で編んだ籠を抱えて現れた森の魔女を見た瞬間、ヴァリは幼い頃に感じた灼熱を再び頬に感じた。


魔女はあの頃と全く変わっておらず、とても美しかった。

スラリとしたその姿は、ドワーフの田舎村に住む同世代の女の子より遥かに洗練されており、どこかミステリアスな雰囲気もあった。


「こんにちは、おじゃましますね」


魔女がヴァリの横を通り抜けた後、ふわりとハーブと花のような甘い香りが漂った。

ヴァリは誰にも気付かれぬよう、そっと香りを吸い込んだ。


それから、魔女が脳裏から離れなくなった。

武具のデザインに使っていたスケッチブックには、魔女の姿絵が増えてきた。


ミアと居る時もどこか上の空になった。


ドワーフのミアは村一番のとてもかわいい女の子で、ヴァリはいつも友人に羨ましがられる立場だった。

そして、『可愛い彼女が居る』というのは相変わらず気分の良いものだった。


(気になってるとはいえ、魔女と親しいわけでもないから、今だけの話だ。『自分を好き』と言ってくれるミアなら大目に見てくれると思う……)


ヴァリは自分に言い訳しながら、心の中から魔女を排除できずにいる。


ここらで一番可愛いミアでさえ、あの魔女と比べるとなんだか色褪せてしまうから。


ミアもヴァリの変化を感じ取り、機嫌が悪くなる事が増えてきた。

ヴァリもまた、機嫌がわるいミアをどう扱って良いのかわからずギクシャクしたまま時は過ぎた。

それでもミアはヴァリから離れず、相変わらずヴァリの彼女という立場だった。



15歳。

周囲の友人達はちらほら結婚し始めた。

ミアも『結婚したら』『結婚式は』……と口にするようになっていた。

その都度、ヴァリはのらりくらりと会話を逸らして、喧嘩になることもあった。


周囲の恋愛模様とは逆で、ヴァリとミアはプラトニックな関係だった。


踏み込むチャンスは、何度もあった。


その度、緑の魔女が脳裏を掠める。

何故かミアと一線を越えてしまう事に対し、『魔女に罪悪感』を感じたヴァリは、ミアから逃げ続けた。


サラが14歳になるのと同時に嫁に行ったので、祖母の薬を取りに行くのは再びヴァリの役目になった。

久しぶりに会う魔女は相変わらず美しく、20歳そこそこの人間のように見える。


「お久しぶりですね」


緑の魔女はニッコリと微笑んだ。

ヴァリはこの女性に会うと身体に熱が巡るのは何故か、この時ハッキリ理解した。


──ヴァリは幼い頃からずっと、この魔女に恋をしていたのだ。


「もうちょっと待っててね、すぐに出来るから」


魔女の白い指が匙を手に取り、丁寧に祖母の薬を練っていく。

ヴァリは惚けたようにその指を目で追った。


(──なんて美しい指なのだろう。ドワーフのがっちりした手とは大違いだ……)


「さあ、出来たわ」


ヴァリは俯いて、薬を受け取った。


祖母の足はどんどん悪くなり、この頃には薬も気休め程度になっていた。


そんなある日──師匠である父親が、魔女から新しい薬を受け取って帰ってきた。

祖母ももう60歳。いつお迎えが来てもおかしくない年齢だ。


「この薬はかなり強いらしい。効くには効くんだが、新鮮じゃないとダメらしくてな」


祖母は新しい薬が痛みを誤魔化してくれている……と嬉しそうにいい、再び少しなら部屋を歩き回れるようになった。


その日から毎朝、ヴァリは薬を取りに魔女の家に通った。


通ううちに少しずつ打ち解け、色々な事を話すようになっていった。

森の魔女は博識で、沢山の話を教えてくれた。

毎朝のこのひとときが、ヴァリにとって最優先になっていた。


この日も気分よく家路につくと、家の前に数人の友人がいた。


ミアもいた。

──ここ1ヶ月ほど会ってはいなかったが。


「なあ、おまえなんで森の魔女んちに毎日いってるんだ?」

「あんなおばさんのどこが良いのよ」

「何しにいってる?」


結局、友人らが言いたいのはミアを寂しがらせるな、と言うことなのだろう。

夜なら、作ろうと思えば時間は作れたのだ。

ヴァリがそれをしなかったのは、自分の恋に夢中でミアへ興味が薄れていたからだ。


(悪いことはしてないけど、気まずいな……)


「婆さんの薬、どうしても毎朝取りに行かなきゃ行けないんだよ」


友人達は祖母の話を聞き「わるかったよ」とヴァリに謝ったが、ミアは納得いかない様子だった。


ヴァリは友人が帰った後、久しぶりにミアと二人きりで話した。


ミアの言い分はこうだ。


「朝に忙しいのはわかったし、夜まで仕事があるのもわかるの。でも、夜は?どうして寝るまでの間にちょっと会う時間すら無いの?休日は?そんなに毎日忙しいのはなんで?」


ミアはいつもこうだ。

彼女の言うことはいつも、正しい。

だが、それがヴァリにはちょっと窮屈なのだ。


──ミアを放置していたのは自覚があったので、罪悪感はある。

浮気ではない。

そもそも魔女に、指1本すら触れたことが無いのだから。


「朝が薬を取りに行くぶん早いんだよ。だから夜も早く寝てるんだ」


ヴァリは苦し紛れにそんな言い訳をした。

森の魔女の家までは、歩いて10分も掛からないというのに。

当然ミアは納得せず口論になり、結局はヴァリが謝り、時々夕食後の1時間ほどデートするという事になった。


翌朝、ヴァリが森に出掛けようとするとカールした赤毛に新しいリボンを結んだミアが待っていた。


「……一緒に行こうと思って」


あまり自分の思いを言葉にするのが得手ではないヴァリは、嫌とは言えず──この日からしばらくミアと朝の【デート】をする事になった。


魔女の様子はいつもと変わらず、表情の固いミアにも優しかった。


ヴァリは内心、魔女とのちょっとした雑談や二人っきりで室内にいるという高揚感を、ミアに邪魔されているように感じていた。


1ヶ月ほどたった頃、ミアが不機嫌そうにヴァリに尋ねた。


「魔女って結構なおばさんだよ?なんでそんなに魔女に会いたいわけ?まさか魔女の事が好きなの?」


ミアはミアで自分が森の小屋で何となくヴァリから邪魔にされているのを、敏感に感じ取っていた。



──祖母の薬を取りに行くのがそんなに悪いことなのか、魔女が嫌いなら一緒に来なきゃ良いだろう。


ヴァリがミアにそう言うと、ミアはグッと押し黙り、俯いたまま静かな声で言った。


「そういう問題じゃないのよ」


そのまま二人は口をきかずに、気まずい沈黙のまま、森の柔らかな腐葉土を踏みしめた。


翌日から、朝にミアが一緒に来ることは無くなった。

夜は時々会って仕事の話や友人についての話をした。

ミアは何事も無かったようにふるまい、ヴァリも『自分が優柔不断』なのを知りつつ、ミアの優しさに甘え、自分の気持ちに決着をつけられぬままズルズルと過ごしてた。


──どうもおかしい。

ヴァリが気が付いたのは、それから数ヶ月後だ。

ミアが魔女の事を【おばさん】と言って以来、ヴァリは周囲の人が魔女の話をする度に聞き耳を立てていた。

驚いたことにヴァリ以外の全員が、森の魔女はお婆さんに近い【おばさん】で不美人ではないけど美人でもないという認識だった。

それに、全員口を揃えて魔女の瞳は鮮やかな緑だと言う。



ヴァリは時々貰える休日に、森の中を散歩しているような素振りで魔女の家を訪ねた。


そして、何故自分だけ貴女が若く美しいままで見えているのか、何故自分だけ貴女の瞳は灰色に見えているのか?と疑問をぶつけた。


魔女は驚いたように、ヴァリを見つめた。


得体のしれない感覚がヴァリの身体を通り抜けていき、魔女が自分を【診た】のがわかった。


「あなたは魔眼を持っているのね」


魔女の説明によると、固有魔法である魔眼がヴァリの目にあると言う。


「生まれつきだと思うわ」


魔女の指が顔に触れる。


狂おしいほどに美しいその指で。


「そうね、これは本質を見るチカラ。鍛冶屋の貴方には最高の魔眼だと思う」


森の魔女はヴァリにもわかるように、丁寧に説明を始めた。


【魔女】が加齢していくように変化の魔法を使っていたのは本当。

顔も変えているのも本当。


ヴァリだけが、本来の自分の姿を見ているのだと。


「髪はカツラなんだけどね」


魔女はいたずらっぽく笑った。


数日後、魔女は師匠の元に訪れた。


夕食時、師匠はヴァリに暫くの間仕事を早めに切り上げて、魔女から魔眼について学ぶようにと言った。


それから1ヶ月ほどだろうか。

ヴァリは昼食後から夕食時までの5、6時間を魔女の家で過ごした。

魔眼についての知識と使い方を学ぶためだ。

魔眼にも色々な種類があること。

自分の魔眼は大枠で鑑定系の性質であること。

固有魔法なので、自分で試行錯誤するしか無いこと。

魔力の動かし方、それを目に集めるやり方。


学習の最後の日、ヴァリは意を決して魔女ベルシュナに思いの丈を伝えた。


ベルシュナは困ったように微笑んでいたが、やがて優しい声で告げた。


「私は人間ではないのよ。それはわかってるわね?人間やドワーフは5、60年で人生を終えるでしょう。私はもっともっと長生きだし、これからも長く生きていくの」


──だから。


「あなたは人間やドワーフみたいな、同じ時を生きてくれる相手と居るべきよ」


実質的な拒絶だった。


恋の終わりを感じつつ、ヴァリは魔女に勉強のお礼を言い肩を落として小屋を辞した。

微かに甘い香りを漂わせる枯葉を靴底で感じながら。



17歳。

ヴァリはとうとう鉄を打つことを許され、鍛冶に夢中になった。

素材の善し悪しは一目で判断出来たし、どこをどう打てば最善なのか、どのタイミングで鎚を振り下ろすか……手に取るように理解していた。

ヴァリの魔眼は開花し、その繊細なデザインと質のよい作品は、遠くの街から依頼が来るほどになった。



22歳。

ヴァリが森まで時折教えを請いに行くと、相変わらず美しいベルシュナが淡々と出迎える。

ベルシュナは相変わらず彼の愛を受け入れる事は無かったし、困ったように微笑むだけで拒絶もしなかった。


ある日、ヴァリはベルシュナにこう言った。


「もうここには来ない」


森の魔女ベルシュナはじっとヴァリを見つめ、口元だけで微笑んだ。


「その方がいい」


と、詩を詠むように呟いた。


ヴァリは初めてベルシュナに触れ、そのスラリとした身体を抱きしめた。


ヴァリの宵闇に輝く月のような初恋は、そっと腕をヴァリの身体に巻き付け──サヨナラと囁いた。


ヴァリは流れる涙を拭いもせず、森の土と枯葉の優しい香りの中をゆっくり歩き回った。

ずっと胸に秘めていた恋を、自分で完全に終わらせたというなんとも言えない苦い気持ちを抱えたまま。


その年の冬、ヴァリはようやくミアにプロポーズをした。

周囲から見ると随分遅い結婚だった。


だが、いざ結婚してみればヴァリは誠実な働き者で、良い夫だった。

いつもミアを気遣い、家事も子育てにも積極的に参加した。



30歳。

ヴァリの打つ武具は業物として、とても有名になっていた。

砂漠を越えた大国に移住してからは国王にお目通りを許されるほど、ヴァリとヴァリの工房は栄華を極めた。

繊細かつ高性能なヴァリの作品は美しく、好事家達の垂涎の的。


無論、その質のよさから当時の王族や英雄も好んでヴァリブランドを身に付けた。


──注文しても数年待ち。


ヴァリは押しも押されぬ名匠として、その名を世界に轟かせた。


名匠ヴァリの見る火床、その華やかな炎の中にはいつもベルシュナの影があった。


だがヴァリにはわかっていた。


"恋と愛は全く違うもの"であることを。


ヴァリはミアを間違いなく心から愛していたし、愛妻家としても有名だった。



50歳。

工房を閉め、惜しまれつつもヴァリは砂漠の大国を去った。

年のせいか、体調を崩すようになったミアを連れて故郷の村に戻ってきた。


故郷の懐かしい面々。

平均寿命が60前後の時代だ。

ヴァリの友人も、随分数が減っていた。


ミアは少し元気になり、ヴァリは気まぐれに仕事を請け負うことがあったものの──

ミアと過ごす時間を最優先にして、ゆったりと流れる田舎の暮らしを楽しんだ。



60歳。

ミアがベッドから起き上がれなくなって、数日が過ぎた。

いつものようにミアが好きな野花を摘んで、花瓶に飾っていると……すっかり弱々しく小さくなったミアがヴァリに話し掛けた。


「ねえ、私そろそろお迎えが来ると思うの。話せるうちに話したいと思って。え?困った事ではないのよ。私があなたを愛していて、感謝してるって伝えたくて……」


ミアは苦しそうにフウ、と息を吐いた。


「あなたは素晴らしい夫だったし、良いお父さん、お爺ちゃんよ。私幸せだし、あなたを掴まえて結婚まで持ち込んだ、過去の自分を褒め称えたいくらいよ」


口を開きかけたヴァリを手で制し、ミアは途切れ途切れに話し続けた。


「本当にあなたと結婚してよかったわ。子供達も独立したし、もう思い残すことがないの。愛してるわ、ヴァリ」


ヴァリはミアのほつれた赤毛を撫でつけ、その小さな手を取り…自分もミアを心から愛してると囁いた。


2日後、ミアは愛する家族に見守られ眠るように自由の国へと旅立った。

ヴァリは毎日野花をミアの墓に飾り、多くの時間を墓石と過ごした。

魔眼持ちの自分は、他の皆より長生きするだろう。

──ミアの元へ行くのはもうちょっと先だ。



70歳。

この年まで生きている人は、そうそういない。

ヴァリもこの頃には、滅多に鍛冶場に行かなくなっていた。


「あちこち痛むし、もうそんな力はないよ」


ヴァリは息子や孫にそう言って、笑った。



ある日、孫娘である6歳のベティが『森で探険していたら朽ちた小屋を発見したよ!』と夕食の時に家族にウキウキと報告した。


そうか、とヴァリは静かに呟いた。


翌日ヴァリは痛む身体を引きずり、懐かしいあの小屋まで行ってみた。


なるほど、ベティの言う通り朽ちた小屋だ。

鍵は掛かっておらず、ヴァリはそっとドアを開けて魔女の小屋へ足を踏み入れた。

きれいに整頓された室内は──長らく主がいないせいか、厚く埃が積っていた。


ミシリ、と足の下で床が鳴る。


ヴァリは何も触れず踵を返したが何かが気にかかり、もう一度室内に向き直った。


なにもおかしなことはない。


──あるわけもない、もう何十年も経っているのだ。


(………………?)


部屋の片隅の作業台に、小さなベルがある。

先程は無かったはずだ。

ヴァリは自分の目蓋にそっと触れ、魔眼のせいか…と気が付いた。


ヴァリの魔眼は老いてなお健在だった。


違和感を感じとり、注視することで巧妙に魔法で隠蔽されていた小さなベルを見つけたのだ。


ヴァリは足を引きずりつつ作業台までたどり着き、震える手で小さなベルをつまみ上げた。

リィ……ンと余韻のある小さな音を響かせたベルはそのまま崩れ去り、小さな小屋には再び静寂が訪れた。


ヴァリは来た時よりもっと時間を掛けて、ゆっくりと家へ戻った。

懐かしい森の香りだけが、昔と変わらずヴァリを包み込んだ。


夕食時、ヴァリは家族に自分は離れに居を移すと告げた。


「もう歳だからな、好きな鍛冶だけして過ごしたい」


家族は最初は反対したものの、頑固なヴァリに降参した。

食事を運ぶ事を約束し、偉大なる年老いた鍛冶師の願いを叶えることにした。


この日からヴァリの眠っていた鍛冶場は、再びごうごうと音を立て燃え盛る炎に彩られた。

寝食惜しんで鉄を打ち、投げ捨て、また打って──

家族の心配をよそに、ヴァリは鬼気迫る勢いで火花を散らし続けた。


食事を持ってくるベティと穏やかに話す事もあったし、時折ミアの墓前に花を手向ける事もあった。


数ヶ月が経ち、骨と皮だけになったようなヴァリを見た家族は医者を呼ぶと言った。


が、「寿命だからいい」とヴァリは断った。

その熾火のような橙色の瞳だけがこの世のものではないようにギラギラと輝いていた。


ある晩、椅子に腰掛け目を閉じていたヴァリは懐かしい香りを感じた。

──ハーブのような花の香りだ。

目を開けると、黒いフードを被ったローブ姿の女が音もなくヴァリの目の前に立っていた。


「ベルシュナ……」


ヴァリは掠れた声で、囁いた。


フードのせいで髪こそ見えなかったが、その美しい顔は間違いなく森の魔女ベルシュナだった。


「ベルを鳴らしたでしょう?」


だから、一回だけ様子を見に来たのよ。


ベルシュナは穏やかにヴァリを見つめ、微笑んだ。


ヴァリはベルシュナに椅子を勧め、二人は長いこと話し込んだ。

これまでの事、思い出話……


その瞬間。


ヴァリは自分が最後に何をしたかったのか、ようやく悟った。


誰にも言ったことがない、この炎。

ミアを愛するのとは別物の、実らなかった初恋。

ヴァリは魔女のために、いや自分のために。

ベルシュナへの憧憬に近い恋心を、作品として昇華させたかったのだ。


──自分はもうすぐ死ぬだろう。

どうしてももう一振だけ剣を打ちたい。

その為に、毎日また鉄を打っている。


「そう」


ベルシュナは年老いたヴァリを、灰色の澄んだ瞳でまっすぐに見返した。


「どんな鉄?──やっぱりその鉄には、特定のアイテムを入れて打つんでしょう?」


「そうだな。竜のひげ、フェンリルの牙…色々な媒体がある。──だが、どれもピンと来ない」


ベルシュナはうっすらと笑い、ヴァリに今から玉鋼を打つようにと言った。

ヴァリの身体は痛みで悲鳴をあげていたが、しっかりとした足取りで金床へ向かい、火をおこした。


最高品質の玉鋼だ。


二人はしばらく無言で、炎がごうごうと鳴る音に耳を傾けた。

玉鋼が真っ赤に熔けた時に、ベルシュナがフードを外した。


記憶にある緩やかなウェーブの赤毛ではなく、毛先が白っぽい淡緑のまっすぐな髪だった。

炎を反射して、オレンジ色に輝く髪はそれ自体が火花を散らすようにチラチラと揺れている。


ベルシュナは根元に近い場所からその腰まであった長い髪を切り落とし、煮えたぎる玉鋼に放り込んだ。

坩堝から緑色の光が溢れ出す。


呆然とベルシュナを見つめていたヴァリは、緑色に輝く熔けた玉鋼に目を落とし震えた。


素晴らしい素材……もはや玉鋼ではない、これは……魔皇鉄じゃないか。


──ヴァリの魔眼が、喝采を叫んでいた。


50年以上の鍛冶師人生で、希少な魔皇鉄を見たのは初めてだった。


だが、それがなんだ?俺にはまだ、情熱と魔眼がある──



ベルシュナは音もなくヴァリに近付き、微かに愁いを帯びた声で囁いた。


「これで剣を作って」


ヴァリが答える前に、ベルシュナは空気に溶けるように姿を消した。

──最初から居なかったかの如く。


ヴァリは夢中になって鉄を打った。

何度も何度も、半分以下の大きさになるまで熱し、打ち、冷やし……


日々の世話のために訪れるベティが話し掛けても、返事が返ってくることは無かった。


1ヶ月ほど経っただろうか。

ベティが食事を運ぶ為に祖父を訪ねていくと、ヴァリは穏やかな顔で、お気に入りの椅子に腰掛けていた。

お爺ちゃんっ子だったベティは、久しぶりに機嫌の良い祖父を見て喜んだ。


「お爺ちゃん、お気に入りの剣が出来たの?」


ベティが問うと、ヴァリはテーブルを指し示した。

幼いベティが見ても、その剣はただならぬ美しさを持っていた。

刀身もさながら、横に置かれた剣鞘もうっすらと緑がかったような不思議な色をしており、精緻な装飾が施されている。


まだ上手に字が読めないベティは、持ち手に刻まれた飾り文字を小さな指でなぞった。


「んー?ベ?べ、る…何て書いたの?」


ヴァリは孫娘を膝の上にのせ、ミア譲りのきれいな赤毛を愛おしそうに撫でた。


「この剣の銘はね、ベルシュナと言うんだ」


ヴァリはベティの小さな手のひらに銅貨を落とし、お使いをしてくれるかい?と尋ねた。

うん!と答えるベティにヴァリはウインクをした。


「この剣はな、もうお代は貰ってあるんだ。だけど、爺ちゃんはもう届けに行くことが出来ないんだよ。森の小屋にね、置いてきて欲しいんだ……」


不思議そうにするベティに、ヴァリは最後のお願いだからね、と続けた。


「誰にも言ってはいけないよ。ああ、もちろん怖かったり危なかったらちゃんとお父さんかお母さんに言ってもいい。ただ置いてくるだけだからね、なにも起きないよ」


ベティは少し怖かったが、大好きな祖父の願いを叶えるために木漏れ日の中、6歳の身にはちょっぴり重い祖父の宝物を大事に抱えてトコトコと朽ちた小屋へ向かった。

おそるおそるドアをあけ、埃の積もったテーブルの上に鞘に収まった剣を置く。


カタ、と風がドアを鳴らす。


「キャ!」


飛び上がったベティがテーブルを見ると、剣はどこにもなかった。

落としたのかと思いベティはテーブルの下やあたりの床を見てみたが、見当たらない。


もう一度テーブルを見ると、降り積もった埃にしっかりと剣を置いた跡がある。


ベティは急に怖くなって、祖父の元へと駆け戻った。


幼い孫娘の拙い説明を笑って聞いたヴァリは、お使いは成功だよとベティを褒めた。

そして、緑色がかった金属製の可愛い花の髪留めを可愛いベティの前髪に留めた。


「これはお爺ちゃんからのお礼だよ」


可愛いものが大好きなベティはとても喜び、その髪留めを生涯宝物にし続けた。


ヴァリは息子夫婦を呼び、自分の墓はミアの横にするよう言い付けた。

墓石には生涯ミアを愛していたと彫ってくれ、と。


ヴァリは幸せだった。

あの溶岩のようにヴァリを離さなかった秘められた恋慕は、ベルシュナと銘打った剣と共に昇華され、穏やかな海のように心が凪いでいた。


彼が心底愛したのは、ミアと家族。

他に思い残すことはもう無かった。


ベティが秘密のお使いを済ませた10日後、ヴァリはひっそりとミアの元へ旅立った。


ヴァリの墓石。


~名工ヴァリ、数々の名品を生み出し、その愛は生涯妻ミアに捧げられた~


と、刻まれた。




ー稀代の名匠ヴァリの軌跡より抜粋ー


…このように愛妻家としても有名だった。

没後数百年にしてなお、幾つかの作品が現存しているのは驚嘆に値する。

ただ一つ、コレクターが夢見て止まぬ伝説がある。

老いて故郷に戻ったヴァリが、亡くなる数日前に一振の剣を打ったという逸話だ。

直系の子孫であるのホーン氏の話によると、曾祖母ベティ(※ヴァリの孫娘)が村でヴァリが剣を打つ姿を見ていたというものだ。

その時のヴァリは、まるで自身が金床に吸い込まれていってしまうような鬼気迫るものがあったと伝えられている。

その剣は仄かに輝き、それは美しいものだったと言う。

お爺ちゃんは私に剣と揃いの髪留めを作ったのだとベティはよく言っていたらしい。

しかし件の剣が誰に渡ったかは伝わっていないため、これが実話なのか口伝によるおとぎ話なのか真偽は定かではない。

もし存在しているならば、ヴァリ最後の渾身の一振りとなる。

価値は計り知れないだろう。

ヴァリの墓は今でもドワーフの村にあり……

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― 新着の感想 ―
素晴らしい。泣かされました。 冒頭の子供時代の大人っぽさへの憧れに始まり、思春期から青年期、大人へと移り変わっていく主人公の心理描写が実にわかる塩梅でいい。 >彼女の言うことはいつも正論だったし、…
色が違うから別の話かと思ったけど、やっぱり、でしたね。 まさか誰もジャーキー作りに使われているとは思うまい…… せっかくなら同じ世界観のものとして「シリーズ」にまとめてみては?
面白く読みました。
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