第三話「勇者に似た顔の男」
レジーナがもう二度と見たくなかった顔を持つ男と再会したのは、宿の一階にあるレストランでギルヴァールと朝食をとっていた時のことだった。
当たり前のようにギルヴァールとレジーナが座る席の対面に座り、頬杖をついてニコリと微笑んだローブ姿の男。目深く被ったフードから覗く飴色の髪と愛嬌のある笑顔に、レジーナは目を見開いて固まった。
男の風貌が、魔王を打ち倒した救世の勇者リオンに余りにもよく似ていたが為に。
「おはようギルヴァール。……夜遊びとは感心しないなぁ」
「よく眠れたようで何よりだ」
男の後ろには女が付き従っていた。
レジーナは素早く彼等の腰に視線を走らせる。両者とも片手剣。男の方がやや重量があって質の良い素材で打たれている。自分の手にあるのはフォークだが、充分だろう。ようは剣を抜き切る前に仕留めれば良いだけの話だ。
男の動き、女の位置諸々を瞬時に精査してレジーナは動こうとした。それと同時にこの二人を攻撃してはいけないと言われていたことを思い出す。慌ててフォークを握る手の力を弛めた。
そうだ。そうだった。もうあれから六百年は経っているのだった。いやでも、あの男は「生き抜いちゃった」とか言って平然と現れそうではある。本当に唯の人間か? と真顔で問いただしたくなるくらいにはしぶとかったので。
「決行は今日じゃなかった?」
「嘘に決まっているだろう。お前を連れてなんて行けるか」
「そんな危険な依頼じゃなかっただろ?」
「安堵に泣くんだな。ダンテは売り物の手綱を御しきれず自滅したぞ。その場にいた買い手を全員道連れにしてな」
昨日の顛末を嘘で塗り固めて、ギルヴァールは何食わぬ顔で言い捨てる。そして男に向かって誂えた物証を放り投げた。
コルクで栓がされたフラスコに入っているのは、紫色に淡く輝く数本の毛針。
「……ビギーラビット」
「の、魔獣型だ。全長十二メートル。相当暴れ回ったらしい。憲兵を警戒して出入り口全てに閉錠魔法をかけていたことが仇となったな」
「ダンテは?」
「死体は確認した」
「……まぁ、ならいいか。って言いたいところなんだけどさぁ」
はぁ、と男はこれみよがしに溜息を吐いた。
ダンっと机に両手をついて立ち上がる。
「その現場に俺も連れて行くって約束だったじゃん!! 何の為に君に依頼したと思っているのさ!!!」
「うるせぇ王城に引っ込んでろ! 何が社会見学だ事故に見せかけてテメェのどたまをぶち抜いてやろうか!!」
「起きてすぐオークション会場が火の海だって報告を受けた俺の気持ちわかる?? なんで寝ちゃったんだろうって後悔の嵐!」
「知らんわ!」
「殿下!!」
とうとう男の背後に控えていた女が嗜めるように叫んだ。
男が肩を竦める。
「ちょっと、声を落としてよオリビア。認識阻害の魔法はかけてるけど、流石にバレる」
「でしたらもう少し態度と言葉をお気をつけ下さい。そもそもここに来ること自体が」
「あー、分かった分かった! ごめんギルヴァール。続けて?」
「……ビギーラビットの特性である毒の毛針に触れたら最悪死に至る。その上、ヤツらは死んでからのほうが厄介だ。体内に溜まった毒素が死体を媒体に胞子を開芽させて毒の巣を作る」
「なるほど。だから全部燃やしたんだね。ビギーラビットの毒は炎でしか死滅させることが出来ないから」
「俺が着いた時、既にビギーラビットは死んでいた。誰かの攻撃が上手いこと急所に当たったんだろ。売り物として元々弱らせてもいたみたいだし。ダンテと数人を除いたほとんどの死因はビギーラビットの直接攻撃ではなく胞子の毒によるものだった」
「へぇ? 誰も逃げれなかったんだ」
「ダンテの持つ特有スキル、“閉錠”のせいで扉が開かなくなってたんだろ。……毒の巣はオークション会場全域に渡っていて、軒並み燃やすしかなかった。一応飛び火しないよう会場を覆う結界は張っておいたが」
「構わないよ。どうせ国の害にしかならない奴等だし、処刑の手間が減るだけだ。親族も届出なんて出せないだろう。人に言えない場所に行った報いだね」
男はその目に喜悦と嗜虐を乗せて口角を上げ、くつくつと笑みをこぼす。オリビアが「殿下……」と再度嗜めた。心なしか諦めた声色であった。
シオン・グランディア・ウルティム王太子殿下。
そう、レジーナの目の前にいる男はこのグランディア王国の王子であるらしい。加えて勇者リオンの直系の子孫である。ギルヴァール曰く、決戦の後勇者はめでたく一国の姫であった聖女と結婚したんだと。
彼のことをギルヴァールから事前に聞いていたお陰で、手に持っていたフォークを投げつける暴挙に出ることは無かったが、それでもレジーナはその男の一挙一動に警戒した。
ギルヴァールを殺した顔が、未知の生き物になって笑っている。普通に駆逐対象なんだが殺していいですか?? 駄目? そう……。
「炎は時限式にしてある。お前が来た頃にはもう殆ど消えていただろ」
「うん。あとはこっちで対応するよ。報酬もギルドに渡しておく」
「頼んだ」
「……それで?」
ぞっっと。
くるりとレジーナの方へ向いたシオンの銀色の瞳に、レジーナは身体が震えるのを感じた。アレルギーだ。命に関わるので同じ食卓につくなクソやろう。
レジーナの警戒の色をどう解釈したのか、目尻を下げて殊更柔らかく微笑むシオンだが逆効果すぎるその顔で優しく笑うなあの男がフラッシュバックするでしょうが!!!
「この子は?」
本当に無理。その声も嫌いだ。
「俺の新しい仲間だ」
「……もう少し詳しく」
「オークションで売られていた商品で、あの場で唯一の生存者だ。捨て子らしいから捜索願いは出ないだろうし。俺が引き取ろうと思ってな」
ギルヴァールがそう言うと、シオンは目をパチクリと瞬かせた。
ほぇ、と相槌……相槌か? をつきながらシオンはレジーナを眺めて、口の端を引き攣らせながらギルヴァールに視線を移す。
「大丈夫? ちゃんと育てられる?」
「失礼なやつだな」
この場合、ギルヴァールの意としてはレジーナを世話すべき子供として見たことに対しての「失礼な」であった。けれどそれが正しく伝わる訳もなく。
「いやだって、ギルヴァールは魔法学校の授業で貰ったミックを二日で壊死させたじゃないか。冒険者イチの実力者が動物の育成は絶望的に不向きって有名な話だよ」
「おい誰だそんな不名誉な話ばら撒いたやつ! 通りでそれ関係の依頼が俺に来ない訳だ!」
「俺」
「ほぉぉー???」
「……ふふ。全く、お二人は学生時代から変わりませんね」
片眉を上げて睨むギルヴァールにおくびもなく笑うシオン。二人を眺めていたオリビアがクスリと笑った。
三人にとって、この応酬は茶番であり常であるらしい。オリビアの口ぶりからして、同じ学校に通っていたのだろう。レジーナが知らないギルヴァールの話だ。
「まぁ、困った時は相談してよ。いつでも力になるからさ」
「ふん。一介の冒険者にそんなことを言ってしまっていいのか? シオン殿下」
屈託なくシオンが微笑んで、ギルヴァールは呆れたように肩を竦めた。しかしてその口端は笑みを形作っている。あ、とレジーナは目を見開いた。沸々と煮えていた敵意と殺気が我先にと暴れ出す。
それが胸をいっぱいにして、苦しくなって思わず俯いた。
どろりとした黒色の感情が、勇者リオンへの憎悪を塗りつぶして溢れようとする。何故? あの男ではなく、この男に向かう殺意は何なのだろう。なんて、とぼけるには情緒が育ち過ぎていた。
(いやだ……)
もとより、決して入っていけない世界が勇者と魔王の間にはあった。あの疎外感をまた味わうことになるのだろうか。
危機感がレジーナの頭の中で警報を鳴らしていた。だって、この男はこんなにも勇者に似ている。
「勿論。君ほどの友人は得難いからね」
シオン達が立ち去るまで、レジーナはずっと彼を睨みつけていた。
◆
「五回くらいは死んでたかな」
もっとかも、とシオンは頬を掻いた。ギルヴァール達と別れ、オリビアと共に王城へと足を向けながら思うのは、始終ずっと己に突き刺さっていた鋭い殺気。
「何か言いました?」
「うーん。いや、何でもない」
前を歩くオリビアが振り返って此方を見る。
へらりと笑って返すと「そうですか」とまた彼女は前を向いた。その後ろ姿を眺めながら、シオンは自身の首をさする。
かろうじて繋がっている首だ。ほんと、何度死んだと思ったか。
側近兼護衛であるオリビアの実力は高い。けれど彼女はあの殺気に気付いた様子はなかった。席に着いた途端に浴びせられたそれは確かに自分に、器用なまでに自分だけに向けられたものだ。誰から、なんて。あの目を見てしまえば自ずとわかる。
凍土を思わせる、温度を失った大きな瞳。
本来愛らしい筈の少女から溢れる敵意と殺気。小さな体躯に不釣り合いな、成熟しきったそれが未だピリピリとシオンの肌を刺している。
何故あんなにも嫌われてしまったのかはわからない。わからない、が。
「なんか、盛大に勘違いされている気がする……」
そう呟いて、シオンは肩を落とした。
第三話を読んでくださりありがとうございます!
ファンタジーといえば勇者は欠かせない存在なのではないでしょうか?(異論は認めます)
ですがこれは勇者のあとの物語。出てくるのは彼の血を引いた子孫です。一体ギルヴァール達とどう関わっていくんでしょうか。
面白かった、続きが楽しみだな、と少しでも思ってくれたら嬉しいです。
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