第二話「今再びの邂逅を」
学識名「花眼」
一般的に「聖女の瞳」として知られている花の模様は、魔物や魔物が放つ瘴気といった地下帝国の毒に対して抗体を持つ遺伝因子が、目に見える形となって有形化したものである。
六百年前、史上初めて花眼を発露した少女は、魔力が無く魔法が使えない代わりに自身の遺伝因子を魔物特効として仲間に付与したり、地下帝国の毒によって負った傷を驚異的な治癒能力で回復することができた。勇者と共に旅をしたその少女を讃え信仰する聖女メイリム教会のシンボルは、彼女の瞳に宿る四枚の花弁がモチーフになっているらしいーー長々とまぁ説明口調で。つまり何が言いたいのかというと。
「抉り出しても良いですか???」
「まぁ待て待て待て」
トラウマなのである。レジーナ達はこの力のせいで負けたようなもので、それが自分の目にあると知った元魔王の右腕の気持ちを察してほしい。そりゃ気も狂うし物騒な考えも余裕で浮かぶ。
見た目五歳の幼女からは到底出ないだろう殺気と発想と発言に、シャツとスラックスという軽装に着替えたギルヴァールは取り敢えず待ったをかけた。再会早々相棒が失明(物理)なんて笑えない冗談である。
かくして、月が昇る夜空の下。依頼遂行の為にギルヴァールがとっていた宿の一室で、元魔界のナンバーツーが目玉をほじくろうとするのを止めるトップが爆誕したわけだ。お前俺の顔が見れなくなってもいいのか? と問えば渋々レジーナは有言実行しようとしていた手を膝の上に置いた。ほんと可愛いなこいつ。
「というか、今の今まで気付かなかったのか? 自分が花眼持ちだって」
「はい。それどころか魔王の右腕だったことも貴方の声を聞いて思い出したので」
私に記憶があって花眼持ちだって分かっていたら、すぐにでも身を投げてましたよ、と吐き捨てる右腕にギルヴァールはよかったこいつが何も憶えてなくてと今日までのレジーナを想った。ちなみに彼女の齢は十歳で、三日前に親に捨てられたらしい。そしてその日のうちにダンテに拐かされ今に至るとのこと。中々にハードな人生である。五歳に見えるほど貧相な体躯なのは、碌な食事を与えて貰えなかったからだとか。魔法で縮めたギルヴァールの服を着るレジーナはなんて事のない風に言うが、取り敢えずその親を殺すことがギルヴァールの脳内で決定した。
「まじか。……え? じゃああの怯えた顔は素?」
「当たり前でしょう。どこに目の前で惨殺事件起きて無表情でいられる十歳児がいるんですか」
寝台に座ったレジーナの腕を少し持ち上げて、ギルヴァールは鞭打ちの傷に回復魔法をかけていった。癒えて消えた傷痕によし、と頷いて、少女の水縹色の瞳を覗き込む。
先程まで咲いていた花の代わりにあるのは、ギルヴァールと同じ黒の瞳孔。
「如何やらどこぞの聖女と同じく、気持ちの昂りでこの花は可視化されるみたいですね。私は元来感情の起伏が薄いですから、今まで花が出るほどの驚きや喜び、悲しみなんて無かったんでしょう」
記憶がなくてもその静謐な性格は健在であったらしい。かつて白銀の極寒を統べた魔女は痩けた頬をむうっと膨らませて手元を睨む。
「あの女と同じ目なんて屈辱です……」
「同一ではないだろう。ヤツは茶色だったし、お前は水縹色だ」
俯いたレジーナの顎を手で掬って、あの頃と変わらず美しいな、なんて慈愛を乗せて言うギルヴァールに、レジーナは喉をきゅうっと鳴らした。そういうことじゃない! と叫びたい気持ちと、こんな忌まわしい目でも、昔貴方が褒めてくれたソレだと言ってくれるのかという安堵の気持ちがぐちゃぐちゃになったが故であった。
熱情は容易に頭を焼き、レジーナは恋をする乙女のように頬を染めた。水縹色の瞳が揺らいで、じゅわりと白花の模様が顔を出す。
「おぉ……」
感嘆の声に恥ずかしくなって顔を捻って目を背けた。見ないでくださいと生娘のようなことを言うレジーナにギルヴァールはくつくつと笑う。優越に浸った笑みだった。当然だ。むしろ誇って然るべきだ。これは貴方が浮かべた花であるのだから。
「感情の起伏が薄い……ではなかったか?」
「んっ……ぐ。あ、貴方に褒められて、平静を保てるわけないでしょう」
耳まで真っ赤にして小さく震えるレジーナの頭に手を置いて、優しく撫でる。部屋の浴室に備え付けられたアメニティで保養された髪は、けれどこれまでの仕打ちのせいか酷く軋んだままだった。それが風呂上がり特有の仄かなシャンプーの香りと不釣り合いでギルヴァールは顔を顰める。
「それで」
照れながらも心地良さそうに主君からの「撫で撫で」を甘受していたレジーナが切りだす。その打って変わった硬い声と視線に、ギルヴァールは「ん?」と首を傾げ手を下ろした。疑問符をつけながら、しかしてレジーナの言いたいことは手に取るように分かっていた。
「貴方は再び、世界を手中に収めるのですか?」
「……いや。もうしないよ」
こちらを見つめるレジーナの瞳は、硬質なダイヤモンドを思わせた。ダイヤはギルヴァールの瞳にプリズムを散らし、この場を瞬きの間に戦場へと変える。
勿論、比喩表現だ。ここは通常より少しランクの高い部屋で、レジーナは立ち上がってすらいない。
けれど二人の目の前には、共に駆け抜けた幾重の戦場が広がっていた。焼け野原になった国が、荒廃した文明の跡が、泣き叫び怨嗟を吐く敵の声が。
そして。
ーー魔王、お前をここで止める!
ギルヴァールの心臓を貫いた勇者の剣の煌めきが。
「我らが手中に収めた国々は人の手に返され、地下帝国は聖女の手によって閉じられたと聞きます」
「あぁ。時が経ち、新しい大陸や国、生き物や文化が出来ている。まだ全てを見回った訳ではないが、世界は随分様変わりしたよ」
「……魔王ギルヴァール。復讐は、されないので?」
頼もしい腹心が再度問う。
冷徹な頭脳で戦況を動かし、凍てついた眼差しで勝利を見据え、荒々しい吹雪のような戦いを好む白薔薇の魔女。
魔王へと続く道の最後の門番として勇者達に立ちはだかった右腕に、ギルヴァールは笑顔を浮かべて頷いた。
「人が勝利し、我々が負けた。これ以上の手出しは余計な無粋となるだろう」
世界を救わんとする勇者の全力と、世界を混沌に叩きつけようとした魔王の全力。負けたのはこちらだったけれど、大笑いしたくなるくらい胸が湧き立つ戦いだった。だからこそ、ギルヴァールはもう魔王として人類の敵になったりはしない。それは自分に勝った勇者への、ギルヴァールなりの敬意であった。
けれど先に死んだ十人の魔女は、魔王が今際に何を思ったかなんて知らないのだ。
レジーナはその目に少しの憂いを乗せて聞く。思うがままに暴虐の限りを尽くし、最後には穿たれたギルヴァールの、その人生は。
「……楽し、かったですか?」
「あぁ、勿論。もう二度とないくらい、楽しかったよ」
だからそんな顔するな、とギルヴァールは苦笑する。魔王の物語を一番近くで見てきた、愛おしい魔女に。
「ありがとう。お前達のおかげだ」
そして手を差し出した。まだ終わってなどいないと。
「なぁレジーナ、俺と一緒に来ないか?」
それはあの日の再演であった。
色褪せることのない始まりの瞬間。
レジーナがギルヴァールの右腕になった時と同じように。
「かつてのような戦いの場は用意してやれないが、共に新しい世界を見よう。俺とお前なら、きっともっと楽しい冒険になる」
勝ち気な顔でギルヴァールは言う。
きっと、レジーナが手を取らないなんてこれっぽっちも思っちゃいないのだ。
レジーナはそれが嬉しくて仕方ない。そうだ。貴方の手を前にして、貴方の意よりも優先するべきことなんてあるはずがない。
「……私も。また貴方の世界を隣で見たい」
水縹色の瞳の中で炎が燃えている。ギルヴァールの真紅が反射してそう見えるだけだ。
しかして轟々と炎は爆ぜた。息を呑むほどの美しさだった。
「貴方がいないと、戦場ですら価値がない。
貴方がいれば、どんな場所だって輝いて見えた」
かつてのレジーナが夢見て、手に入れた世界とは違う道。それでもこんなに心臓が期待で高鳴っているのは、きっと彼がいるからなのだ。
レジーナの表情が年相応に華やいだ。可憐な少女の顔で笑みを浮かべる。
「連れて行ってください。貴方の新しい世界に!」
ギルヴァールの手を取ったレジーナの小さな手は、矢張り戦いを知らぬ手だった。まだ形を得たばかりの、ものを知らぬ子供の体温。
それなのに、どうしてこんなにも懐かしい。
世界が眩しい理由を知っていた。
隣に貴方がいたからだった。
世界が美しい理由を知っていた。
隣にお前がいたからだった。
いつの間にか白んだ空が、劈くような朝焼けの光を連れてきた。
目が痛いくらいの陽光が窓から入って二人を照らす。それでも。
「ふふ。なら聖女の瞳はあまり出さないようにしないとな。魔物こそいなくなったが、変に祭り上げられるのも嫌だろう?」
「うっ……。ですね。聖女を神聖視する奴らには特に見つからないようにしないと」
これからの事を話す二人には、互いしか見えていなかった。
2話を読んでくださりありがとうございます。
ギルヴァールとビアンカの再会はどうでしたか? 彼らの出会いが、冒険の始まりとなります。
面白かったな、続きが楽しみだな、と少しでも思ってくれたら嬉しいです。
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