第一話「元魔王はブチ切れる」
Q.自由気ままに冒険だ! いやぁ、人間の身体って楽しいなぁっとキャッキャしてたらかつての腹心の部下がオークションで売られていた元魔王の心境を述べよ
A.は? ぶち殺すぞの一択だが???
ギルヴァールには記憶があった。
六百年も昔に世界を征服せんと猛進した末、勇者に討たれた魔王の記憶。いわゆる前世というやつだった。
げえげえ吐きながらそのバカみたいに膨大な人生を海馬に収め、様変わりした世界に目を輝かせたのは脳みそがオーバーヒートを終えて直ぐのことである。
ふかふかのベッドの上でこの世の終わりか?? と思うくらいに痛む関節は思考の妨げにもならなかった。人間ってか弱いんだなぁってくらい。いや既に知っていた事実ではあるけれど。再確認をしたのである。雑魚だなぁって。
そらあんな腕の一振りで彼方まで飛んでってしまうわけだ。勇者? あれはまた別の部類だろ。
因みにギルヴァールが魔王の記憶を処理って寝込んだのは五歳の時である。後で聞いた話だがあの時は屋敷の下から上までてんやわんやだったらしい。そんでもって起き抜けの一発目が「俺、冒険者になる」なのだから、ギルヴァールの両親であるペチカート公爵夫妻はとうとう泡を吹いて倒れた。
未来の公爵家のために帝王学やらなんやらをぶち込んで育てようとしていた一人息子が突然そう言い出せば無理もない。ギルヴァールもそこは理解していた。
しかし。しかし、だ。
六百年である。目に見える全てが新しいのだ。あの山も、あの国も、あの大陸も!!
ギルヴァールは知らない。そも魔族たるせいで触れるモノ全てを枯らし焼いてきた彼にとって、この世界は鮮やかすぎた。無論かつての自分の世界を卑下するつもりはない。ギルヴァールは焦土と枯れ葉を肴に酒を呑んでいた生粋の魔王である。「風情があるな」なんて笑って侵略した国の王の頭蓋を盃にしたのはいい思い出だ。
だが今、ギルヴァールは人間として生を受けた。頭に生えていた大きな角も空へと羽ばたいた両翼もない。魔王としての面影は、闇のような黒髪と戦火を灯した真紅の瞳だけであった。種族が変われば体質も変わるし、感性も変わる。変わるんだろ、多分。
思い出した頭蓋の盃にまたやりたいなとは思ったけれど。まぁね? 人の価値観なんて千差万別、十人十色だって言うし。ユーモアってやつだ。もしくは個性。
ギルヴァールは地図を広げてあそこに行こうあれをやろうなどと夢想した。「あなたはペチコート家の跡取りなのよ!??」って声が何度か聞こえた気がしたが全てシャットアウト! ゴミ箱へドロップ!! すまんな。生憎と興味のないことには一切リソースが割かれないタチでして。
そうして半ば強引にギルヴァールは旅する冒険者へと成長した。何故か両親との縁は切れなかった。未だに最大の謎である。「貴方がそんなにやる気なら……」と了承してくれた夫妻に若干の疑問を抱きつつ旅に出てから約一年。
十九歳になったギルヴァールはある日、出先で見覚えのありすぎる少女を見つける。長い金糸の髪に水縹色の大きな瞳。折れてしまいそうなほど細く小さな身体……おい、なんでそんな傷だらけなんだ怒らないから言ってみろ。ボロを纏ったその姿をとらえた瞬間、沸き立ったのは歓喜と怒りであった。
久しく感じていなかったドロリとした黒色の感情が腹の底から迫り上がる。
ギルヴァールには仲間がいた。無論、六百年前の話である。
其々が一騎当千の力を誇る、ギルヴァールに魂を預け忠誠を誓った十人の魔女。最後の戦いで自分よりも先に死んで逝った、何よりも大切なお気に入り達。その中でも一等傍に置いていた右腕たる存在が、闇市の薄暗いオークションで鎖に繋がれ下卑た大衆の目に晒されている。
恐らく彼女も転生を果たしたのだろう。五歳くらいに見えるほどの幼い姿はギルヴァールの記憶にはないものだった。
黒のローブで軽鎧を覆い隠し、オークションへの来場時には必須という仮面をつけたギルヴァールはレジーナが立つ舞台上を睨む。
……スゥゥゥゥゥーーーー。
よし、殺すか。
お前を売った奴等を。お前を値踏みするこいつ等を。
ギルヴァールは至極冷静であった。世界を焼いた魔王の真髄を見せてやるわと懐かしきあの大剣を構えようとして、自分が魔王でないことを思い出したのだ。そもそも今自分が持っている剣はザバトの片手剣である。まかり間違っても血と怨嗟と炎で出来た禍々しい愛剣ではない。
冷静だったからこそ気付けた事だ。流石俺だな。そうひとつ頷いて。
ギルヴァールは腰に下げていた剣を鞘から抜き前にいた男女を斬り捨てた。
水を打ったような静寂、のち絶叫が響き渡る。うるっっっさ!! お前等を処分する事は決まってんだよ。それが早まっただけで一々喚くな小悪党どもめと舌を打った。
因みにここで百人中百人が悪党だと指差すのはギルヴァールの方である。おかしいな。れっきとした国からの依頼なんだが。まぁ内容は捕縛だけれど。行き先が地獄か牢の中なんだから実際大きな差はないだろ。え? 釈放後の人生がある? ウルセェ死んでやり直せ。
大慌てで避難しようとする奴等を指鳴らしで起こした炎で包む。出口は開かないさ。そういう魔法をかけたからな。
やがて逃げられないと悟った男達が自身の武器を片手に襲いかかってくるのを、ギルヴァールは舞台に向かって歩きながら殺していった。
正当防衛だ。何故ならこちらは正当な立場の人間であるからして。後ろ暗い事で山ができるお前達とは違うのだよ。
頭をかち割ったほうがいい程の暴論だが、ギルヴァールの言葉に異を唱えるものはいなかった。死人に口なし。悲しいかなこの場では力こそが正義であったのだ。
そうして死体の道を切り開きながら舞台に上がり、ようやっとギルヴァールは少女と対峙した。
少女を抱き上げ、え軽ぅッッッ!? うっっっ……そだろ羽ってレベルじゃないぞコレ!!? ちゃんとしたもん食ってないだろまずはリゾットからだな!! と食生プログラムを練り上げる。
仮面をつけているからだろうか。少女はギルヴァールをかつての主人だと認識していないようだった。そもそも、記憶すらあるか怪しい。
怯えた表情を向けてくる年相応の右腕の姿にうっっわ可愛いと百点満点の花丸をあげる。トラウマレベルの大虐殺を披露した役者はやはりというか頭のネジが外れていた。多分頭を振ったらからんからんって音が鳴るんだろ。おぉ怖。
彼女の恐怖で彩られた顔を見る機会はそうそうなかった。あ、いや嘘。あったかもしれない。大体ギルヴァールが死にかけた時に。そう考えると結構あるな。うわ、この子俺のこと好きすぎ……???
昔ふざけてそう聞いた時、恥ずかしげもなく「そうですがなにか?」と返してきた記憶も一緒に戻ってきてギルヴァールはニコニコと口角を上げた。唯一見える顔のパーツに少女がさらに怯えたように縮こまる。記憶があるなら少女は今頭の中でこの現状の打開策を怒涛の勢いで構築しているんだろう。記憶がないなら絶望して壊れる一歩手前だ。
しかしてどちらにせよ、少し待ってほしい。ちょっと、あのーーー。え、コレ聞いても良い?
少女の水縹色の瞳。前世と同じ色を持つその中には白色の花が輝いている。
なんでお前に聖女の瞳がついてんの????
「き、貴様! これは一体どういうつもりだ!!」
ギルヴァールが口を開いたのと、荒げた声が二人に届いたのは同時であった。
舞台袖からドタドタと脂肪と地面を揺らして駆けてきた男を、ギルヴァールは脳内で依頼リストと照合する。
捕縛対象最優先人物ーー商人ダンテ・メルフォト。
憲兵からの追跡を躱しながらこのオークションを続けていた違法商人。
その手に握られている鞭は彼の武具であるのだろう。腕の中の少女をちらりと見た。その身体に刻まれた無数の鞭打ちの傷。
「ほぉ? お前がやったんだな」
魔王という物騒極まりない前歴から意外に思われるかもしれないが、ギルヴァールはこの新しい生を受けてから怒りという感情を抱いた事が一度もない。
実に聡明であったし、腕っ節も強ければ理不尽なやっかみや言い掛かりを甘いキャンディーみたいに転がして味わった後一千倍にして返す豪胆さも持っていたので。
そもそもとして沸点が低いのだ。魔王時代の侵略ですら楽しいからやっていたギルヴァールが怒りをむき出しにするのは相当なことだった。そして皆まで言う必要もなく、今この現状は「相当なこと」であったので。
ギルヴァールは少女を静かに下ろした。うっそりと微笑んで剣を持ち上げる。視界が赤いのは怒りのせいであった。
「あっ……がっ……」
黒鉄の刃が肉を裂いた。
ーーピシャッ、と。
剣を振って血を払う。ギルヴァールの足元には苦悶の表情で豚ーーダンテがこときれていた。きらりと輝きの一つも失わない剣を鞘に収め、ギルヴァールは振り向く。
さてさて。邪魔者はいなくなったわけだから、ようやっと彼女と話せるわけである。仮面を外しながらまずは記憶の有無から聞き出そう、と少女を見て。
「……ぎ、る?」
大粒の涙を流しながら名前を呼ぶ姿に、ギルヴァールは一瞬呼吸を忘れた。
喉の、奥。いや、もっと下にある心臓がギュウっと握り締められたような。どうすることも出来ない圧迫感の正体は歓喜であった。怒りに押しやられていたそれが、ギルヴァールの心を瞬く間に支配する。
なぁ、俺達は一つであったんだ。
お前は俺を自分の心臓だと言って、俺はお前を自分の右腕だと言った。
駆け抜けた戦場にはいつだって互いがいた。人に絶望をもたらす暗黒の生き物。雄叫びを上げながら突っ込んでくる兵達を、発狂しながら逃げ惑う民衆を馬鹿みたいだと嘲笑いながら殺しきって。
それなのに、人間のことが大好きな神様というヤツは再び俺達をこの地へと呼んだ。地獄の釜で茹で針の筵にしたかったであろう二人を引き合わせて、再会を喜べよと宣ってきやがる。聖女の瞳まで持ち出して、一体何を企んでいるのやら。だがまぁ、それでもいいさ。ヤツの企みなんか知らないが、企み通りに動いてやるつもりなんてミリもないがそれでも。このシーンだけは立ち上がって大きな拍手をしてやろう。
ギルヴァールも、気づけば涙を流していた。
馬鹿みたいに震えた声を少女にかける。
「あぁ。久し振りだな、レジーナ」
俺の愛しい白薔薇の魔女。
第一話を読んでくださりありがとうございます!
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