135話 命は金よりも重し
―― 佐藤のり子 ――
審判の時がやってきたのは、近くでシャワー設備を借りて血や汚れを洗い流してからすぐだった。髪も乾ききらないうちに車内へ戻った後、とうとう開かれてしまった緊急ミーティングにて、衝撃の結論が灯社長から放たれた。
『今回は不問です』
まじかよ。保険、はいれちまった。この朗報にはルルも思わずビックリ顔だ。ミーティングのために席を外してもらった小室さんが残っていたら、同じくビックリしていることだろう。
「どういうことだ。俺達の行動には君も不満だっただろうに。何が君の気を変えさせたんだい」
『ファンの声よ。あの会見配信を終えてすぐに有志が集まって、YaーTaプロダクションのタレント存続の電子嘆願書が作成されたの』
「紅焔アグニスも?」
『勿論。1期生全員よ。およそ100万人の嘆願を無下にできるほど、YaーTaプロダクションは大きくありません。貴女達がのり子ちゃんを救おうとする熱い想いはリスナーに大胆な行動を取らせたの』
やっぱりまだ紅焔アグニスは必要とされているんだ。その事実だけでも目頭が熱くなる。
『嘆願書なんて貰っちゃった以上、ルルーナ・フォーチュンと帝星ナティカを罰するのは逆効果よ。一応聞くけど、ふたりともまだアイドル続けたいんでしょ?』
「当然」『当然です!』
『だったら続けましょう。舞人くんやその他大勢に叱られたって、違約金支払いで借金地獄になったって、ファンから望まれている以上は是が非でも存続させます』
『のり子ちゃんが無事で、YaーTaプロも解散しない。これぞ大逆転勝利ですね!』
『六条さん。そしてルルちゃん。私も勢いに呑まれて許可してしまったから同罪とはいえ、今回ばかりは大目に見ないわよ。ふたりはしっかり反省しなさい。私ですらあそこまでロックな配信しないわよ』
『こ……今回は私が最初に動いちゃったからルルちゃんも巻き込んじゃっただけで……ルルちゃんがいなくたって、たぶん私やってましたよ!』
『余計に駄目でしょう。まあ、土下座を繰り返してきた私が言っても説得力は無いでしょうけど……流石に大人として自制しましょう』
社長の意見に完全同意だけど、そのおかげで助かった身としてはこれ以上なんも責められねえ。しかしこの配信の件、最初に動いたのは安未果さんだったのか……あんなに酷いことを言ったのに、私を元気づけようとしてくれたし、私の身を真っ先に案じてくれた。早く面を向かって謝りたいなあ……。
『それでもみんな。ひとことだけいい?』
「お叱り以外で頼む。聞き飽きたからな」
『じゃあ期待に応えてあげる。でも今から言う言葉はすぐに忘れてね』
社長は一拍置いてから、言った。
『ありがとう、六条さん。ルルちゃん。貴女達のおかげでのり子ちゃんが無事に戻ってくれた。最高の結果よ』
『褒めちゃうんですか!? 私達、賠償金も払う覚悟で配信したんですけど!?』
『のり子ちゃんの命に比べたら、事務所ひとつなんて安いもんだわ』
「安くはないですよ、灯社長……安未果さん含めた、スタッフさんの生活だってかかってるんですから」
『仮にマジで潰れたとしても、私のお金を配ればだいたい解決できる。でも人様の命が無くなったら、何を払っても補填は無理でしょ。ほーら安い』
「むはは。確かに経営者としては駄目な言葉だな。だが人間としては称賛に値するよ」
灯社長の気の抜けた声を聞いて、ルルは嬉しそうに笑った。なんだかんだ言って、私の生命を優先したルル達の行動を応援したいのだろう。ただ企業の人間としては叱っておかないと格好つかないだけで。しっかり大人をやっているけど、ちょっとだけ大人になりきれない社長はどうにも憎めない。
『さて、忘れてほしい話と、これまでの話は終わりです。これからの話をしましょう。のり子ちゃん、改めて確認をするわ。紅焔アグニスへの復帰の意志はあるのね?』
「……はい。頑張りたいです」
『分かりました。本当にありがとう、のり子ちゃん』
こちらこそありがとうだよ、社長。顔バレで絶望していた私を、体を張って慰めてくれたんだから。貴女が止めてくれなかったら、今の私はここに居ないんですからね。この感謝はまだ心に留めておくよ。紅焔アグニスがちゃんと復活したら改めて伝えるんだ。
『であれば、私達の使命はふたつ。紅焔アグニスの無事を改めて世間へ知らせること。そしてルルーナとナティカへの処罰は無いと伝えて、YaーTaプロの活動復帰を告知すること。この2点をできるだけ速やかに、公式配信として公開することです。解雇じゃなくて継続させるんだから、ある程度のパフォーマンスはやるべきだわ。SNSに載せた文章だけの発信だけじゃリスナーも納得しきれないでしょうし』
「とはいえ『言うは易く、行うは難し』の状況だな」
「事務所に帰って配信じゃ駄目なんですか?」
『ルルちゃんたちの配信の一件で事務所や社員寮にマスコミと野次馬が殺到してるのよ。タレントを引き連れては帰れない』
「かといって関係者の自宅に寄るのもリスクがあるな。下手をすれば事務所の二の舞いぞ……俺のノートパソコンを持ち込むか、スマホでの配信環境を整えておれば解決したのだがなあ」
『私達、配信は全部パソコンでしたからね。スマホから配信する理由ってあまり無かったから』
YaーTaプロは配信機材に対して妥協しないもんねえ。おかげで負荷のかかるゲーム配信だろうと音質画質はバリバリ最高でしたが。
「ルル。自前のノートパソコンはどこにあるの?」
「専門の業者に頼んで廃棄してもらった」
「廃棄? なんで?」
「壊れちまったからな。『人生が詰んだ』と思い込んでヤケクソになった小娘がフリスビーみたいに投げちまった……と母君から故障の原因を聞いておる」
「……ホントごめんね」
「大したデータは入っておらん。だから痛むのはお嬢の財布だ。忘れず君に代わりを請求するよ。全部が落ち着いてから、しっかりとね」
たとえ倍額を請求されたとしても全額返済しますよ。
「もはや外部しか頼る道なしか。灯。君や舞人のコネは無いのか?」
『個人的な知り合いから何人か協力要請を貰ってる。けど全部お断りしているわ。個人じゃなくて会社としての問題だからね。迂闊に巻き込めない。
かといって他企業にも頼れないわね。こんな不安定な状況に関わろうとする企業なんて無いでしょうし。内部管理もできない企業と関わるだなんてリスクが大きすぎるもの』
「であれば、スマホの配信環境を整えるのが妥当か」
『とりあえず、ふたりに合流するわ。その間にスマホ配信の準備をお願い。必要な申請とか面倒なことは何が何でも通すから――いやこれ……ちょい待ちルルちゃん』
「おん?」
『舞人くんから連絡……げ。あちゃー、マジかー……』
社長は嘆き声を上げたものの深刻さは感じない。むしろどこか嬉しそうですらある。
『みんな、グッドタイミングでグッドニュース。配信の件は解決できそう』
「でも残念そうなのは何でなんです?」
『借りを作りたくない奴に借りを作りそうなの。まあ、そうだよねー。今回の件、舞人くんが頼るとしたらコイツが筆頭よねー……部外者だけどこのミーティングに合流させるわ。皆はたぶん初対面だけど、そう畏まらなくていい』
『初対面の部外者!?』
『大丈夫よ六条さん。変人だけどコミュ力はルルちゃん並に高い奴だから、すぐに打ち解けられると思う。ただし、のり子ちゃんの事件については突っつかれても話さないように』
そして『繋ぐわよ』と私達に伝えてから、すぐに謎の人物が会話に合流した。社長とは随分とフランクな仲だけど、誰だろう。
待つこと数秒。その人物の第一声は、とても気の抜けたものだった。
『やっほー、みんなー。ボクのこと覚えてるかなー?』
本当に誰だ。
やや低めの中性的な声。たぶん女の人だ。リアルでボクっ娘ってのは珍しいな。でも違和感がない。聞き覚えもある。ルルは納得した表情で頷いているから私も知っている声だとは思うんだけど……。
「なるほど。舞人が頼りにするだけはある。納得の人選だ」
『ルルちゃんが知ってる人?』
「直接の対面は無い。お互いが一方的に知っているだけだ。はじめまして、お名前を」
ルルが配信と同じテンションで語りかけると、衝撃の返答が車内に響き渡った。
『ボクはじゅうもんじ所属、ルチル・ストレイバード。どこにでもいる流浪の渡り鳥さ』
……おいおいおいおいおい!? じゅうもんじ不動のトップエース、今や登録者数200万人超えの超大物じゃねーかっ!?
大丈夫なの!? YaーTaプロの不祥事に巻き込んじゃって大丈夫な人!? もう炎上なんてしたくないぞ、おいイイイイ!?