134話 不祥事はハッピーエンドの後で
―― 佐藤のり子 ――
レーナという最悪の女に私は殺された。でもルルが全部まくってくれた。私は無事に生き返って助け出されたのだ。しかもだいぶ嬉しい状況になって。
レーナが余計にイキって私に希望の声を聞かせてくれたおかげで、紅民の皆から嫌われていないと分かった。ルルが我を忘れるほどに怒ってくれたおかげで私は大事にされていることを再確認した。諸悪の根源のレーナたちは慧悟さんが全員もれなく逮捕してくれる。あとは紅焔アグニスの復帰配信さえやっちまえばこっちのもんよ。YaーTaプロ完全復活ってね。はやく紅民たちを安心させてあげなくちゃ。
……そうか。これから私、復帰するのか。
「のわっ」
「おっと」
考え事をしながら歩いていたら、がれきにつまづいてしまった。ルルが咄嗟に身をひるがえして倒れ込む前に私を支えてくれたので問題なしだったけど。うわ。よく見たら建物が今にも崩れそうなくらいボロボロじゃないか。
「君の元へ駆けつけるために無茶をした。今すぐ崩れる気配は無いが、危ないことには変わりない」
建物をボロボロにするほどの力を振るってなおケロリとしているルルは流石である。ちょっと前に組手を挑んで軽くあしらわれたけど、もう納得しか無い。正体があっちの団長さんなんだから当然なんだろうけど。
「まだ本調子ではなさそうだな。背負ってやろうか?」
「大丈夫。ルルのおかげで絶好調だよ」
「その割には表情が冴えないが」
「これからやらなくちゃいけない事を思い出して気持ちが萎えてる」
「復帰配信か」
「紅焔ちゃん擁護の声が上がり始めてるって、殺される前に教えてもらった。せめて私の応援をしてくれるファンだけでも安心させたい……とは思ってる」
「その擁護の声を聞かせたのは、あの女か」
「まあ、そう」
「……意図は想像できる」
ルルは不機嫌に舌打ちした。「殺しておけばよかった」と表情が物語っている。私の知る団長様ならそう言うに違いない。
でも。
「あの女の前で聞かなくて良かったよ」
今のルルは違う。私に対して過激な発言を聞かせないよう言葉を選んでくれている。私たちを優先してくれる。まだYaーTaプロに戻ろうとする意志を見せてくれる。その事実が何よりも嬉しい。
「だが決意の割には随分ゆらいでいるな。いつものお嬢なら目標に向かって一点集中だと言うのに」
「分かってんだろ。私の過去を聞いたルルなら、私の気持ち、分かるんでしょ」
「復帰を望んだところで、世間から受け入れられなかったら、佐藤のり子のアイドル人生は本当に終わる。その恐怖が現実になるかもしれない」
「仮に復帰できたとしても、私の傷顔を受け入れられない人もいると思う。そんな反応をまた見るのが怖い」
顔を削られたから生身のアイドルにはなれない。そしてバーチャルでもアイドルとしての居場所が無くなろうとしている。夢を諦めなくちゃいけないというあの絶望がまたやってくる。
次にネガティブコメントの大量生産が発生したら、私の心はもう絶対に立ち直れないだろう。断言できる。その恐怖に耐えながら、またアイドルができるのだろうか。
「ルル。こういう時、どうすれば気持ちに踏ん切りがつけられるのかな。ルルならどう考えるのかな」
「お嬢。悩んでいるところ申し訳ない。ひとつ尋ねたいのだが」
「ん?」
深刻な状況でポジティブな心境になれない私に対し、ルルはきょとんとした顔をしながら私に尋ねた。
「君はどうして、つらいと思ってまでアイドルを続けたいんだい?」
「それは紅焔アグニスの復帰を望んでいる人がいるから――」
「違う違う。紅焔アグニスはいったん置いておこう。今は佐藤のり子に聞いている」
「私?」
「もっと根本の質問をしておるのだ。自分の心を壊しかけてまでアイドルに固執する理由はなんだい?」
「理由……」
紅焔アグニスの復帰で頭がいっぱいだったけど、言われてみれば確かに。どうしてだろう。即答できない。当たり前な気持ちでアイドルを目指していたから、逆に分からなくなっている。なぜ人間は二本足で歩いているのか、と問われたような気分だ。
「板挟みの悩みにぶち当たった時の思考法だ。初心に返ろう。もっとシンプルに考えるんだ。今の答えをしっかりと着地させてから、また悩めばいいと思うぞ。なに、どうせすぐに思い出すさ。だって君はルーファス団長の凶刃を情熱で止めた、最高のアイドルなのだから」
最高の褒め言葉ありがとうね。誰にも自慢できねえけどさ。
「こんな陽の当たらん薄暗い場所で考える問いでもなかろう。さっさと出ようか」
すぐに答えが出せなくてモヤッとするけど、ルルの意見には同意だった。自分が殺された建物の中なんかに居たら思考にカビが生えてしまいそうだ。
ルルと一緒に建物から外に出る。薄暗い建物の中では分からなかった夕日の光が眩しい。
「近くに俺の知り合いが車で待機している。ひとまずそこに避難しよう――っと、もう来てくれるか」
ルルが説明を始めた直後、一台の車が猛スピードで駆け寄り、私達の前に停まった。すぐさま運転席から女の人が飛び出してくる。見覚えがあるぞ。
「小室さん! リンさんを連れてきた、ルルの知り合いさんですね!」
「巡査の小室千代と言います。お久しぶりです、佐藤のり子さん。ふたりともお怪我は無いと分かっていますので、今は何も聞かずにこの車へ乗ってください」
ルルと並んで後部座席に乗り込む。私達がシートベルトを締めた直後に車は発進した。
「まずはお嬢の無事を周知する。落ち着くのはそれからだな」
ルルは手についた返り血や汚れを備え付けのウェットティッシュで拭き取ってから、小室さんに預からせていた自前のスマホを渡してもらい、すぐさま猛烈な速度でタイピングを始めた。事務所やお母さんたちに連絡を取ってくれているのだろう。助かる。今すぐ無事を伝えたいけど、私のスマホは手元に無いからね。
「小室さん。今どこに向かっているんです? 警察署でしょうか?」
「いえ。とにかく、一旦は人目につかない場所です。ルルーファさんの指示があるまで待機となります」
「一体どんな状況なんですか? ヨーミたちが無事だって事はルルから聞いてるんですけど、それ以外の状況がまったく分からなくて。ルルは問題が出来たと言ってましたが……もしかしてルルの正体が世間にバレちゃったんじゃ――」
「そいつはまだ大丈夫な筈だ。ギリギリな」
連絡を終えたルルは、シャワー室が借りられる場所の捜索を小室さんに命じてから、背もたれに体重を預けた。小室さんは周囲に人気が無いことを確認しつつ、田んぼが広がる道路の路肩に車を停めて検索を始めた。
「まずは俺達の身を清める。それからは姫と灯からの折り返し待ちだ。俺達と向こうが落ち着いたらYaーTaプロ1期生の緊急ミーティングを始める」
「緊急って? 安未果さんと社長ってどうゆうこと?」
「灯の愛車で仲良く逃避行中なんだとさ」
「マジでどういう状況!?」
「深刻な状況だよ。俺の正体がジルフォリア戦記のルーファスだとバレる一歩手前くらいには」
ルーファスというキャラは、戦争とはいえマンガの中で大量殺人を繰り返してきた。そんなキャラが強さそのまま以上で美人のお姉さんに生まれ変わり、どういう流れか分かんないけどアイドルVtuberをやっている。字面だけで十分にインパクト大なんだけど、正体バレの一歩手前な緊急事態ってのは何じゃろな?
ルルは眉間にしわを寄せて言いにくそうに唸ってから、言った。
「打ち明ける前にひとつ問おう。お嬢はこう思わなかったかい? どうやって誘拐された場所を特定したのだろうな、と」
「……言われてみれば。えーと……政府や警察、秘密の組織に探らせたとか。異世界人だし、そういう繋がりがあってもおかしくないよね?」
「惜しいな。30点ってところだ」
「学校のテストだったら赤点じゃんかよ」
「答え合わせをするが……あらかじめお願いしておくよ。どうか怒らずに、穏やかな心でこの動画を見てほしい――っと、もう本家は消されちまっているな。有志の動画で代用するぞ」
「怒らずって――!??!?!?!?!?!」
ルルのスマホに映った画面を見て、私は思わず言葉を失ってしまった。
起動したのはYuTubのアプリ。とあるチャンネルの、とある生配信の転載動画である。
タイトルは『【緊急拡散】とにかくコメント頼む【転載】』
画面には、素顔のルルーファ・ルーファと、六条安未果がカメラ目線で映り込んでいた。
『YaーTaプロダクション1期生のルルーナ・フォーチュンだ』
『同じく1期生の帝星ナティカです』
『十分に告知もできずにすまない。急を要する事態になってしまったので、視聴者の皆の力を借りるべく配信の場を設けさせてもらった。俺達の大切な同期、YaーTaプロ1期生の紅焔アグニスについてだ――』
前置きもそこそこに、切羽詰まった口調でふたりの説明が始まる。
私との連絡手段が途絶えて行方不明になってしまったこと。自殺や誘拐の可能性があるから捜索に協力してほしいこと。その2点に関して、捜索の手がかりとなる情報を交えながら淡々と話が進んでいく。
誤魔化しや隠し事などまったく無い。事件が起こったと思われる時刻。現場の住所。現場の状況。怪しいと思われるワゴン車の車種。機密保持や特定など、後先は一切考えていない、まさしく捨て身の情報開示だ。
『――以上です。これを聞いている皆さんの恐怖と混乱をかき立てていることは承知しています。でも、ひとりの女の子の命が――かけがえのない、私達の大切な人の命が懸かっています。少しでも情報をください。情報を持っている方は動画のコメント欄へ書き込みをお願いします。どうか私達を助けてください』
『君達の真摯なる言葉を俺達は待っている。頼む。皆の力を、貸してほしい』
安未果さんの悲痛な声。ルルの凛とした覚悟。最初から最後まで息苦しいほどの緊張感が解けないまま、その動画は終了した。
車内にピンと張り詰めた静けさが訪れる。5分にも満たない会見。だけどそのインパクトたるや絶大のひとことだ。
公開からまだ数時間しか経っていない転載動画にも関わらず、既に再生数やコメント数は文字通り桁違いの数を叩き出している。そりゃそうなるよね。見た目が女神級の美人でも、中身はおじいちゃんなんだろうなと予想していた面々の前に現れたのが、あのカリスマ読者モデルLUFAなんだもの。もちろん安未果さんのインパクトも負けていない。見た目はロリ巨乳女子高生みたいな合法27歳が、あのナティ姉をやってるんだぞ。YaーTaプロを知っている人間がこの動画を見て何も思うところが無かったら、もう人間として何かが致命的に欠けていると断言してもいい。
「まあ、こういうことだ。安心してくれ。目的を果たしたから、関連の動画はYaーTaプロからの削除申請でもうすぐ消えるだろう」
とにかく言葉が出ない。考えがまとまらない。呼吸すらままならないほどの仰天だ。スマホ画面とルルの困惑顔を何回も何回も往復してから、ようやく絞り出された私の言葉は、
「は?」
であった。気持ちの代弁としてはこれ以上ないくらい的確すぎる。
「事の発端は事務所へ駆け込んできた姫からの一報だった。彼女はお嬢を元気づけるべく、勇気を持って君を励ましに行ったのだ。そうしたら肝心のお嬢が居ないうえに、部屋には『さがさないでください』とメッセージが書かれたスマホが残されていたのだぞ。動揺せずにはいられないさ」
「そっすね」
「その直後に、君の友人であるシズ嬢が誘拐されたから助けてくれと、彼女直属の警備会社から連絡が来てな。その時に俺は確信したのだ。同時刻に関係者が事件に巻き込まれたならば、これは蒸発ではない、誘拐であると。俺と姫の行動は早かったよ。そしてあの配信に至るわけだ。
とにかく皆の目を引くことが肝要だった。緊急性と話題性を突き詰めた結果、LUFAという切り札を押し出すことが俺的にベストな判断となった。手段を選んでいる余裕と猶予が無かったからな。その甲斐あってか拡散は早かったよ」
「なるほど。で。正解の30%要素どこ?」
「組織の力だけではなく、全世界の視聴者の力を借りた、が正解だ。だから広義的には正解だぞ、うん」
「『正解だゾ♡』じゃねえんだワっ!!!!! この行動力化身お化けがああああ!!!!! 何やっとんじゃお前ェェエエエエ!!!!!」
私は固く握りしめた両方の拳をルルに思い切り振り回していた。もちろん容赦はしない。全力だ。私の拳なんて届かないのは分かりきっているから手加減抜きでぶんまわしてやった。もちろんルルは余裕の対応である。自前のスマホを片手で守りつつ、もう片方の手で私の拳を楽々防いでいる。本気で困った顔をしてるのがこれまた憎らしい。
「あいたたた……こらこら大声で暴れない。いくら俺でも痛いもんは痛いぞ」
「うるせえ! 片手で軽々いなしながら言うんじゃあない! こっちは両手なんだぞ! 私が10人集まって全力を出しても、お前は傷ひとつつかんだろうが! お前が安未果さんだったらここまで暴れとらんわい!」
「お嬢を助けた今となっては後悔しとらん。秒でも遅れていたら俺の癒術でも手遅れだったのだからな」
「それでもさせろ! 八つ当たり! ……いや待った。もしかして、さっき周知するって言ってたのって!」
「ルルーナ・フォーチュンのTwisterアカウントも含めてだ。お嬢の無事が分かって紅民の皆が喜んでおるぞ。詳細は伏せて無事に見つかった、とだけ伝えておる」
「やっぱりいいいい!!! これマズくない!? どうなんですか小室さん!?」
「状況にもよるので断言できませんが、煽動罪にあたるかと。簡単に言うと、不安を煽ったのでダメって感じです。まあ罰金と指導で済むとは思いますよ。今回の件は、ですが」
「行政や警察からのお叱りはまだ良いにしろ、企業間信頼を完全に失っちまっただろうなあ……違約金大放出で借金まみれかもだな。後悔しとらんとはいえ、正直、今回ばかりは腹をくくっておる」
「ハハッ! 終わったわYaーTaプロ! お終えだ!」
「再起を決意したばかりのところにごめんよ、お嬢」
自分から素顔を晒した上に、不安を煽る呼びかけのオマケつきである。Vtuber事務所のタレントどころか人としてもやってはいけないタブーじゃないか。ボクシングの試合で、ゴングが鳴った瞬間に顔面へ飛び膝蹴りをぶちかますくらいの大反則だ。
私のため一生懸命になってくれたのは分かる。どうしようもない状況まで追い込まれてたのも分かる。何もかもかなぐり捨ててでも私を救ってくれたことに感謝しか無い。あったけえよYaーTaプロダクション。だがしかし! いくらなんでもあっためすぎだろコレは!
「どうすんだよぉぉぉ……もうこんな動画が世に出ちゃったらルルと安未果さんの解雇、待った無しじゃんかよ……せっかく紅焔ちゃんの復活を腹に決めたばっかりなのに、この仕打ちはあんまりだぁぁ……ソロ復活するくらいなら普通に引退案件も考えちまうぞ……」
「紅焔アグニスの引退は俺と紅民が悲しいから考えないでくれ。何にせよ姫と灯を待とう。お嬢が無事なら説き伏せられるかもしれん」
「ここから入れる保険なんて無いだろ……もういいよ、ポジティブにシンキングしておくよ。私の予想をしっかり裏切ってくれるのがYaーTaプロのお得意芸だからさ。無駄に期待しとく」
頭の中で灯社長の「今回は不問です」をどうにか脳内再生しながら、私は大きなため息を吐き続けるしかできない。
とにかく考えよう。紅焔アグニスとしてできることを。