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伝説の老騎士、アイドルVtuberになる。  作者: 東出八附子
第2部 紅蓮
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132話 激昂の老騎士 後編


―― レーナ ――


「いやー、間一髪ってところですかねえ。いろいろな意味で」


 背後から聞こえた男の声に対して振り返る。長身痩躯という言葉が似合う、眼鏡をかけたビジネススーツの男が立っていた。

 まるで逃げ道を塞ぐよう、部屋の入り口に。


 「おっと。誰なんだって顔をされていますね。怪しい者ではありません。ただの警察官です」


 男はニコニコと微笑みながら警察手帳を見せた。胡散臭いという言葉で画像検索をしたら真っ先に引っかかりそうな表情だ。


「助けてください! 助けてくださぁい!」

 

 警察という単語を男が口にした瞬間、部下のひとりの女が目を血走らせながら、我先にと彼の足元にすがりつく。ルーファスという殺人鬼を捕まえてほしいのだろう。気持ちはわかる。アタシだって、あの男がルーファスと敵対している関係だと思いたいよ。だが、そんな都合の良い展開なんてあるわけがない。


「あの女は私達を殺そうとしています! 刃物を隠し持ってます! 銃だって撃ってきました!」

「それは不幸でしたねぇ。お気の毒に」

「私は何もしてないんです! あの小娘にだって手を出してません! 私は何も悪くないんです! だから警官さん、あの人を捕まえてください!」

「さぞかし怖かったでしょう。あとは僕に任せて、貴女は逃げちゃってください」

「はいっ! ありがとうございます! ありがとうございますっ!」


 部下の女が男から体を離して、出口へ駆け出した瞬間。男は空中から蒼い色の槍を出現させ、目にも止まらぬ速さで槍を振るう。女の両足がぱっくりと割れ、両足が動かなくなった女はその場で前のめりに倒れ込んだ。しかしすぐ、腕の力だけで芋虫のように這いずりはじめる。まだルーファスに斬られたと勘違いしているらしい。


「大丈夫……逃げられる、逃げられる……だって私は何もしてないんだもん……悪くないんだもん……」


 男は汚物を見下すような冷たい目線を一瞬送ってから、蒼い槍の柄を地面に軽く打ち付けた。その直後、女の眼前に巨大な氷の壁が瞬く間にそそり立ち、出入り口を覆った。もちろん唯一の脱出口である。何が起こったのか分からないといった表情で呆然とする女へ、警察の男は白く曇った吐息と共に、優しい口調で語りかける。


「両足の腱を切りました。もう歩けないと思いますよ。団長に治してもらわない限りは」

「あ、あああ……逃げてって言ってたのにぃぃ!」


 ようやく男が裏切っていたことに気づき、怒りを露わにする。だが男にその怒りは届かない。届くわけがない。


「ええ、逃げていいですよ。でも逃がしてやるとは言っていません。逃げたいならご自分で頑張ってくださいね」


 屈託のない笑顔で放たれる、絶対に叶うはずのない無情の応援。間違いない。やはり男はルーファスの仲間である。それも漫画の主人公のひとり、リーサスじゃないか。今やった一連の行動が真実をぜんぶ物語っている。悪を突っ走っていたアタシですら吐き気を催すほどの邪悪だ。間違いない。

 リーサスは女から視線を外すと、引き締めた表情でスカーフェイスの元まで歩いていき、スカーフェイスにスーツの上着をかけた。体を冷やさないようにする、せめてもの配慮だろう。そのリーサスへ、先程から黙ったままだったルーファスは静かな口調で声をかけた。

 

「慧悟。間に合わなかった。お嬢は死んだぞ」

「はい」

「俺でなければ助からなかった」

「承知しています」

「申し開きは?」

「最善を尽くしました」


 リーサスは先程のおちゃらけた表情から想像もできないほど、真っ直ぐな視線でルーファスの問いに答えていた。ふたりの間に流れる空気はまさに一触即発。ルーファスは疑っているのだ。スカーフェイスの死ですらリーサスの計算内ではないか、と。リーサスならやりかねない。

 同士討ちという微かな希望を抱いたのは一瞬だった。リーサスへ向けられていたルーファスの視線が、再度アタシたちへ移る。リーサスの言葉の真偽よりもアタシたちの処刑を優先したのだ。


「ここでお嬢の看護を頼む。だいぶ失血しておるから、しばらく目を覚まさんだろう。身体を冷やさないようにしてくれ」

「奴らは?」

「ひとりも逃がすな」


「それでも逃げてしまった場合は?」

「殺せ」

了解(アイ・ヨゥ)

 

 ルーファスが即答し、眼鏡の男が嬉しそうにほくそ笑んだ瞬間。アタシは全速力で部屋の奥へと駆け出していた。無我夢中だった。

 部下の命がまだあるから、心の何処かでは安心していたのだ。命までは勘弁してもらえると。

 だがルーファスは言った。「殺せ」と。だから望みも潰えた。ルーファスという奴は言ったことを決して曲げない。「殺す」という意思を持ったなら必ず殺すヤツだ。

 ルーファスにとってスカーフェイスは親友か家族に値する、かけがえのない存在だったはずなのだろう。その存在をアタシたちは壊した。今のヤツにとってアタシたちは害虫以下の存在なのだ。もう取り返しはつかない。おしまいだ。

 殺すのなら1秒でも早く殺してほしい。殺さないなら1秒でも長く不安から逃げたい。とにかく、この絶望な状況から僅かでも気を逸らしたかった。

 

 幸か不幸か分からないが、アタシは部屋の奥に設置された、従業員専用の倉庫部屋まで逃げ込むことができた。リーサスとルーファスが無条件で見送ったのだから、この先に待ち受けているのは脱出口ではない。袋小路だ。それでも駆け込む。

 部屋のドアを閉めた直後。女の断末魔と、骨のへし折れる音が、ドア越しに響き渡った。どんなホラー映画でも聞いたことのない、生理的な恐怖を呼び覚ます声と音だ。腱を斬られた女の部下に対し、ルーファスがその無防備な背中を踏み抜く光景が簡単に想像できてしまった。それでもまだあの部下は死なないのだろう。絶叫が終わる頃には無傷で横たわるのだろう。全身をおびただしい血で染めながら。

 光もロクに差し込まない暗闇の中、形状不明なガラクタをかき分けながら、可能な限り部屋の奥へ突き進む。最奥まで到達したことを確信すると、目を閉じ耳を塞いだ。気休めであることは分かっている。光景は目に見えなくとも、音は耳を塞いでも聞こえてくるのだから。それでも部下が狙われているうちは安全だ。


「なんでだよ……なんでアタシばっかり不幸で、なんでスカーフェイスばっかり良い目を見てるんだよ……あいつだって悪いだろうがよ……アタシの居場所ぶち壊したんだぞ……不公平だろうがよ……!」


 心も凪いでくるのが分かる。恨み言を呟くくらいは回復した。そうだ。こんな理不尽な目に遭ったのだ。ほんの少しの一瞬でもいい。ルーファスに思い知らせてやるのだ。

 懐の折りたたみ(フォールディング)ナイフを取り出す。かつての黒豹ちゃんにスカーフェイスを刺してもらうため渡したナイフだ。

 因果だなクソッタレ。刃渡り数センチのナイフでどうしろってんだ。せめて頸動脈を掻っ切るか、目ん玉くり抜いて一泡吹かせてやる。少しでも早く、アタシを殺したくなるように、不愉快な気分にさせるくらいに暴れてやる。記憶の片隅にへばりつくような嫌がらせをしてやる。


「キヒヒ、ヒ……」


 ルーファスが驚く場面を想像して笑いを漏らしたところで、ふと気づく。悲鳴が途絶えていることに。いよいよだ。いいぜ、こっちは覚悟をキメた。こんな理不尽にも限界だ。ビビらせてやる。やりたいことやって、一華咲かせてやる。


「来いやァ! イカれやろ――」


 決意の咆哮は不発に終わった。目の前のドアと壁に大量のでかい刃物が這い回り、一瞬で粉々になっちまったら声なんて出せる訳が無い。

 ぽかんとするアタシに対し、蛇のように動き回る刃物の群れは、周囲のがらくたを切り刻みながらアタシの元へ殺到する。そして容赦なくアタシの体へ食い込むと、凄まじい力でアタシを引っ張り出して空中に放り投げた。ガキの手で空中に放り投げられたぬいぐるみは、こんな景色を見るんだろうな――そんな売れない小説のように呑気な表現を考えながら空中をぐるぐると回る。その間にも、刃が容赦なく身体に突き刺さっていた。床に激突する寸前、素早く伸びてきた手に顔面を掴まれ、ようやくアタシは地面に足をつけることができた。掴んだ相手はもちろんルーファスだ。

 そしてやってくる。痛みが。圧倒的な痛みが。掴んだ手の隙間から見えているのは、何本もの刃物で貫かれたアタシの身体。触覚から、視覚から。原因を認識したアタシは、がむしゃらに叫ぶことを選んだ。

 

「いてえ、痛ええええええええ! いてえ、いでええええええ!? 何だよそりゃあ! 何だよその武器は! そんなのルーファスは使ってなかったじゃねえか! 卑怯だろおおお! ――がぁっ!」


 ルーファスが顔面から手を離した直後、無防備なアタシの頬をひっぱたいた。ルーファスの一撃にしては異様に軽い。ただアタシの叫びを遮るだけの一撃だ。既に全身の痛みは引いていた。食い込んでいた刃物も消えている。


「慧悟からおおよそは聞いている。お嬢の顔に傷をつけた女だな? お嬢に組を解散させられた恨みからの犯行だな?」

「もう殺せよ! アタシを殺したいんだったらさっさと殺せルーファス! 殺せ、殺せええええ!」

「先に言っておくぞ。舌は噛み切らないことをお勧めする」

「ああ!?」

「案外死なん。応急処置のできる環境が揃っているうちは、特にな。そんでもって自殺という唯一の逃げ道が無くなって、どうしようもないと分かった途端に心がぶっ壊れる」

「てめーの話は何ひとつ分かんねえんだよ! 会話しろ!」

「警察や俺達を欺いたにしては疎いな。今から貴様を殺すと言っておるのだ。()()()()()()


 殺す。可能な限り。

 本来なら繋がり得ない、ふたつの単語。だがルーファスであれば話は別だ。


「君たちがお嬢にやったことを今から貴様に()()()()()()()()。肉体が死んでも生き返らせて、その度に()()。貴様の魂が微塵に砕けるまで徹底的に()()

 人間、死ねば虚無の(むくろ)だ。苦痛が生まれん。殺す前に、お嬢が味わった苦痛を万倍以上与えてやらねば俺の気が済まん。貴様の魂が全て死んだら殺してやる。残っている部下もろとも纏めて塵芥(ちりあくた)ぞ。それが貴様に待つ、絶対の末路だ」

「て、めぇ……ェエエっ! 狂ってんのかァァッ!?」

「貴様はお嬢憎しで彼女を殺したのだろう? ならば俺が貴様を殺す理由と結末も許容しろ。俺は貴様が憎い」

「アタシはてめーと違って、まだたったひとりの小娘しか殺してねえんだぞ! 裁かれるなら、まず何万もの人間を殺してきたてめーからだろうが! てめーはただ理由をつけて暴力を振るいたいだけじゃねえのか! 自分のパワー見せつけてマウント取りたいだけじぇねえのか、快楽殺人者(シリアルキラー)!」

「……たったひとり……()()()()()()と言ったかッ!」


 前髪を引っ掴まれて引き寄せられる。ルーファスが初めて見せた感情は、やはり怒りだった。だが。


「貴様がその手で殺したたったひとりの女はっ! 俺がいま、この世で最も敬愛している者なのだぞ!

 俺の大切な仲間で! 俺の大事な同期で! 俺の親愛なる友人で! 俺の家族同然の存在で! 俺がどのように足掻いても手に届かぬ、焦がれて焦がれてやまぬ、遥かなる彼方の到達点なのだぞ!

 その女に、貴様は自身のくだらん我儘を振りまき、癒えぬ傷をつけた! あまつさえ虫けらのように命を奪った! 輝かしく尊い夢と栄光を潰しかけた! 俺がいなければ未来永劫、彼女は戻ってこなかったのだぞ!

 貴様と彼女を等価で語るなッ! 彼女の代わりが務まるものか、貴様如きがッ! 醜く薄汚い貴様の魂が何億何兆匹集まったところで彼女の欠片にも届くものかッ! 身の程を知れ糞餓鬼ッ!!」

 

 人間の喉から出るとは思えない怒号。美しい緑眼が霞むほどに血走った眼球。喉元や胸元で流星のようにおびただしく動き回っている金色の光の筋。

 怒りという言葉では足りない。激怒。激昂。憤怒。そんな表現ですら適切な表現かも判断できない。

 こいつはもう人間じゃない。ただの化け物だ。感情の振り切れた、人間だった何かだ。


 ルーファスはアタシから手を離すと、空いた両手の中に何本もの武器を出現させては消しを繰り返した。どの武器で殺すのか決めかねているのだろう。だが迷った時間は短かった。武器を消し、自分の手のひらをじっと見つめてから、固く拳を固める。ぎゅう、と音が滲み出るほど、力強く。あの時と同じだ。スカーフェイスが波瑠窮理亜(ヴァルキュリア)のアジトに押し寄せて、アタシへ馬乗りになり、拳を固めた時と同じ音。

 せめてその拳に唾でも吐きつけてやろうと口をつむぐ。だがその唾は涎となって口から滴り落ちてしまう。瞬きひとつが。視線の動きひとつが。全身の震えが。呼吸のひとつが。漏らしている小水ですら。奴の怒りを増幅させてしまうかもしれない――そんな考えが頭の中を埋め尽くして、もう何もできなかった。

 もちろん助けなんて全く期待できない。だって、ルーファスなんだぜ? 助けが入ったところでアタシの死は変わねーし。

 

 ……それでも、誰か助けに来ねーかな。気休めでもいいから、弱者を助けるヒーローが来てくれないかな。

 

 絶対に実現するはずのない幻想に祈っていた、その時だった。

 化け物の腕を、血と砂と埃にまみれた手が掴んだ。


「ストップだ、ルル」


 その人選だけは絶対にありえない。だってそいつは、アタシというクズを救うには最も遠い立場の人間だもの。


「もういいよ。十分だ」

 

 スカーフェイスだった。




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― 新着の感想 ―
 大盤振舞いの週四話、大変に有り難う御座いました!  さあ、団長激昂のエンドレス死刑執行…………の手を止めさせたのはまさかののり子ちゃん?まあ、団長は彼女に甘いから(でも、どうだろう?)。あとはのり子…
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