131話 激昂の老騎士 前編
―― 麗奈 ――
RPGというゲームをプレイする際、人は大きく2種類のタイプに分かれる。
手持ちの資源を駆使してパズルのように攻略するタイプと、万全の準備をしてから腰を構えて攻略するタイプ。アタシはどちらかといえば後者のスタイルだった。自分は極力傷つかず、相手を蹂躙する状況に快感を憶える。とはいえ、その後の自分を埋め尽くす圧倒的な虚無感と後悔にはいつだって慣れない。もっと効率よくやれただろうと自問自答してしまう。
だが。たったいま成し遂げたゲームクリアの感想は真逆だ。全身を真っ赤に染めた物体を見下ろしていると安堵が押し寄せてくる。それと同時に、長年頭を悩ませてきた害虫を駆除したような晴れ晴れとした達成感が確かにあった。後悔や罪悪感でちょっとは心が曇ることも覚悟していたが、そんなことはまったく無い。つくづく自分は人間のクズなのだと自覚する。
「うわー……とうとう殺っちまったんだなぁ俺ら……」
「ナマンダブナマンダブ」
仲間の男たちもおおよそ同じ感想のようだ。アトラクションの見世物のような視線でスカーフェイスを見下ろしている。元々、ここにいるのはスカーフェイスへの恨みを持っている連中ばかりだから当然の反応か。
時間を確認する。そろそろ龍堂の奴が交渉相手から金をいただく頃合いだ。現在は奴からの連絡待ちとなる。死体と一緒に待機なんて落ち着かない状況だが、迂闊に外へ出て怪しまれるよりはマシか。
「なあ総長。コレどうすんの? 燃やす?」
部下の男が、ピクリとも動かないスカーフェイスを足蹴にしながら声をかけてきた。
「いま燃やすと見つかるのが早まって面倒だ。放置でいい。ネズミにでも食わせとけ」
「じゃあさ、コレ撃っちゃっていい? 俺の相棒グロック17ちゃん。結局、総長の段取りが完璧すぎて使えなかったのが呆気なくってさー。寂しいんだよー」
部下の男はこれみよがしにセミオートの拳銃を構えた。スカーフェイスが暴れた時用の保険で用意したものだ。
下手に撃たれると証拠が増えて面倒になるケースだが……まあ、明日には日本からオサラバなのだ。多少の祝砲くらい許してやるか。
「三発だけな」
「ケチくせえぜ総長。五発」
「それ以上はてめーのケツにぶち込む」
「へへっ。話が分かるなぁ総長。愛してるぜぇ」
部下の気持ち悪い発言に吐き気をこらえながら、射撃の様子を見守るべく、プラスチック製の壊れかけた椅子に座りかけた瞬間だった。
「え」
館内に鈍く重い破砕音が響いた直後。全身に悪寒が走った。
体全ての細胞が一瞬にして収縮する奇妙な感覚だった。ここにいてはならないと脳細胞が警鐘を鳴らす。だがあまりにも未曾有すぎる感覚に全身がついていかない。
気がつけばプラスチック製の椅子は砕け散っていた。椅子だけではない。劣化した机や壁にヒビが入り、ぼろぼろと崩れ落ちていく。
全員が宴会場の入口へ視線を向けていた。自分たちには気配を読むなんて漫画じみた力は無いが、そこが原因なのだと、この場にいる全員がはっきりと理解していた。
「なんだよこりゃあ……なんなんだよ総長!?」
「喚くな! アタシが聞きてーよ!」
「おい、誰か居るのか? 誰なんだよ、返事しろよコラァ! 返事しろってんだよぉ!!」
アタシの許可もなく、入口に向けて銃を発砲する部下の男。乾いた破裂音が聞こえてくるだけで何も反応はない。
「なあ総長、あんたホラー映画とか得意だろ? ポップコーン片手にゲラゲラ笑って見るクチだろ?」
「本物のオカルトは専門外だよ、クソッタレ……ッ!」
薄暗い入口を全員が必死になって凝視していると、やがて奇妙なことが起こった。
最初に起こったのは突風だった。あまりにも場違いな勢いの風が部屋の中に舞い込んできたのだ。思わず顔を覆ってしまう。そして顔を上げると、さらにぞっとしてしまった。何故なら、悪寒の根源が背後にやってきたのだとはっきり理解したからだ。背中から突き刺さる冷気のような何かに晒され息も満足にできない。部下の中には、この威圧に耐えられず気絶する者まで現れていた。
確かに背後にいる。そいつはいる。正体を掴まねば。でも振り向けない。振り向きたくないという意志の以前に、全身の筋肉が強張りすぎて身動きが取れないからだ。
そんな極寒のような膠着状態を解いたのは、同じく背後から滲み出た柔らかな金色の光。そして慈愛に満ちた穏やかな声だった。
「よく頑張ったな、お嬢。よく耐えた」
その主を確認するべく、全力をもって後ろを向く。
人間がいた。
銀色の長髪。整った体型。背中越しからも伝わる並外れた美貌。銀狐仮面だ。今は仮面をしていないが間違いない。
そしてこちらはおそらくだが――紅焔アグニスの同期、ルルーナ・フォーチュンだろう。紅焔アグニスの調査中に聞き馴染んだ声だからすぐに分かった。
「げほっ! げほっ!」
「もうちょっとの辛抱だ。頑張ってくれ」
完全に息の根を止めていたはずのスカーフェイスは息を吹き返していた。苦しそうに顔を歪めながら必死に呼吸をしている。治癒と蘇生。神秘の光景であるはずなのに微塵も感動が沸かない。
「あ、あ……うああーっ!!」
あまりにも非常識な状況に耐えかね、錯乱した部下が銀狐仮面のルルーナへ銃を発砲する。しかしルルーナは視線をスカーフェイスへ向けたまま、片腕をこちらへ掲げると、女の盾となるように空中から両刃の大剣を出現させて地面に突き刺した。銃弾は全て剣の刃に弾かれ、床や壁に飛び散っていった。部下は残っていた弾倉をまるまる打ち尽くすが、大剣は折れるどころか揺れさえもしない。
オカルトの次はファンタジーかよ。情報が怒涛になだれ込みすぎて、今すぐ頭を撃ち抜いて楽になりたい気分だ。だが、この妙な既視感はなんだ? あのボロボロの大剣を初めて見る気がしない。
「あれ……不壊剣……だよな?」
発砲した男とは別の部下が呟いた瞬間、その既視感の正体を知ることができた。アタシが獄中にいた頃、読んだ漫画のひとつ。その主人公が所属する騎士団のイカれた団長サマ。そいつが愛用していた剣だ。
味方ならば尽くを癒やし、敵ならば躊躇なく殺す。創作界隈きっての常識破りであり殺戮兵器。
「ジルフォリア戦記……ルーファス団長」
アタシの馬鹿みたいな呟きを聞き、部下たちは驚愕の表情を浮かべた。最新刊のルーファスはダンディなオッサンである。先日、龍堂のヤロウと電話でネタにしていたイカれキャラが、あんな絶世の美人であるはずがない。ましてや天然ボケのアイドルVtuberなんて、結びつくはずがない。
だが部下の誰ひとりとして一切の反論は出なかった。極寒の冷気のような殺意。癒術の光。そびえ立つ不壊剣。納得する材料しか揃っていない。
もしこの仮説が本当だとしたら。もし、あの女の中身がルーファスであるとしたら。作中でやらかしまくった敵への容赦ない仕打ちを思い出す。
農村を焼き払った山賊たちをひとり残らず斬殺した。
家に立て籠もった敗残兵を家ごとぶった斬って全滅させた。
人質を取った敵は人質ごと全員焼き払った。
大団長を殺した敵の将兵を、原型が無くなるまで殴殺した。
数千・数万の敵兵をたったひとりで皆殺しにして、屍の山と血の海を築いた。
ヤツと敵対した人間が生き残った例は、記憶から見つからなかった。
「光が……」
不壊剣の背後から溢れ出る金色の光が徐々に弱まっていき、やがて消え失せた。そして光と同時に不壊剣も姿を消す。そこにいたのは、穏やかな表情で寝息を立てるスカーフェイス。そのスカーフェイスを優しく抱きかかえる、銀髪の女。
「なにがルーファスだ……へへっ。あんな刃の潰れた剣で人が殺せるもんかよ……人間を殺すなら、やっぱ銃だろ、へへへ……」
拳銃マニアの部下が半狂乱な声でぶつぶつと呟きながら、予備の弾倉を交換していた。
「こちとらグロッグ17なんだよ……軽量のポリマーフレームで狙いもバッチリ。射程は安心の50m。使用弾薬は世界で最も使用される信頼の9mmパラベラムだ。愛される要素しか詰まっていねえ、不朽の名銃よ……」
ルーファスはその様子を全く気に留めず、スカーフェイスを部屋の隅にゆっくりと降ろし、優しく頭をひと撫でする。眠る我が子をあやす母親のような瞳をしながら。
「こっちは射程圏内。相手は射程圏外。防弾ベストは無え。ルーファスは剣しか使わねえ。なんだよ負けねえじゃん、俺。銃は剣より強えんだ……ひひひ」
部下のリロードが完了した。直後にルーファスは微笑みを消し、無表情で立ち上がる。
緑眼の双眸が、アタシたちを捉えた。
「だから俺しか勝たん! 証明終了ォっ!」
そして、まったく要領の得ない発言とともに右手が突き出され、銃口がルーファスへ向けられた瞬間。
「あれ」
アタシの表現は間違っていることに気付く。なぜなら既に銃は無くなっていたからだ。部下の右手首と共に。
いつの間にかルーファスが部下の眼の前に立っていた。右手には緑色の細剣――風剣。そして左手には、部下から奪い取った拳銃がぶら下がっている。握りしめたまま切り落とされた右手ごと。
「ア……アッ……」
部下は、ルーファスが持っている自分の手と無くなった右手を交互に見比べて、声にならない声で嗚咽した。手首が切断されたのに出血が殆ど無い。鋭利な刃物で斬られた際に起こる現象であると、何かの漫画で読んだことがある。だからどうしたという話なのだが。血が出ているとか出ていないとか、そういう段階なんて、とっくに過ぎ去っている。
ルーファスは細剣を消すと、銃にへばりついた右手を力ずくで引き剥がし、そして銃口を部下に向けて構えた。
「君は銃が好きな人間なのだな」
「あえ?」
部下の情けない声を皮切りに、ルーファスは引鉄を引いた。狙いは両足。パンパンパンと、小気味良いリズムで銃弾が放たれ、その全てが部下の足全体を穿っていく。
「あっ、あああっ! 足ぁああああああああっ!!!」
最後の一発まで余すことなく、全ての弾丸を彼の両足に叩き込んで、ようやくルーファスの手が止まった。足の付け根からつま先まで。銃弾はまんべんなく浴びせられていた。もちろん部下は立っていられずに床の上をもんどり打つ。息をつく暇もなく、ルーファスはその部下の胸を足底で踏みつけて動きを封じ、斬り落とした腕を切断面に沿って部下に押し当てた。直後、部下が淡い光に包まれる。
「あぎゃうああ、撃た、斬られ、痛え、いてぇええっ……お? あれぇ?」
驚きで目を見開きながら、斬り落とされたはずの右手を閉じたり開いたりを繰り返す。ルーファスが足をどけると、散々撃たれた両足も元通り動くようになっていた部下は、二本の足で立ち上がった。
「治った? なんでぇ?」
「死なれては困るからだ」
「へ?」
ルーファスは繋がったばかりとなった部下の右手首を掴むと、拳銃をくるりと回転させて銃身を掴む。
そして。
「あぎゃあっ!?」
目にも留まらぬ速さで銃床を何度も部下に叩きつける。相手の戦意を削ぐための殴打じゃない。一発一発に体重や遠心力が乗せられた、暴力という言葉すら似つかわしくない殺意の塊だ。
「あぎぃ、いてぇ、えあ、ああああっ! ぎゃがっ、がっ、あああっ! あがっ!」
骨が砕ける音。血が吹き出す音。臓器や筋肉が潰れる音。小刻みに奏でられる殺意の音は、眼の前の惨状が混じり気無しの現実であることを証明していた。
損傷しても瞬く間に治癒していく部下の肉体。しかしいくら殴っても、ルーファスは部下の腕を決して離そうとはしなかった。
「いてええええええええ! あ、あがっ、がああっ、アッ!」
殴っても、殴っても、殴っても。部下の肉体の治癒は止まらない。ようやくアタシはルーファスの真意に気づき、臓腑の奥底から凍りつくような恐怖でいっぱいになった。
殺したくても殺せないのではない。殺して終わりにしたくないから、殺さないのだ。
「やべ、やめて、やめて! もうやべてくだざぁい! こんなのあんまりだあ!」
「お嬢やその友達が止めろと言った時、貴様らはその手を止めたのか?」
核心をついたルーファスの言葉に、部下は何も言い返せなかった。すぐに殴打が再開する。肉体の破壊と再生が繰り返される。
「ばべぇっ! えがっ! があっ、ごっ! おっ!」
繰り返される。
「がっ、あっ、アッ、あ、お」
繰り返される。
「お、おご、ご……オ……――」
繰り返される。
「………………」
やがて部下が無反応となった時点でルーファスは殴打を止め、完全に脱力しきった部下を部屋の壁際まで蹴り飛ばした。部下は苦しそうに喘ぎ声があがっている。全身は血まみれで虫の息だ。だが死んでいない。怪我もろくに負っていないだろう。ただの貧血だ。
「存外に耐えたな。加減が上手くいかんか」
殴打の連続で各所が折れ曲がり、そして返り血でドロドロになった拳銃を、ルーファスはソフトクリームのコーンのように軽々と握り潰した。処刑が完了したのだ。部下の腕を斬り落としてから今に至るまで。ヤツの表情は微動だにしなかった。工場のレーン作業を延々と行っている人間を見ているような気分だった。
再び緑眼の双眸がアタシ達を捉える。その瞳に感情の一切が見つけられない。怒りと呼ぶにはあまりにも欠落していた。完全に振り切れている。
逃げよう。
交渉なんて考えちゃ駄目だ。いかに相手の視界に入らず、声を聞かせずに行方を眩ませる方法を取れるか。それだけを考えるしかない。狙うは一点。ルーファスがアタシ以外の部下を処理している隙に全力を注ぐ。ただそれに全てを賭ける。アタシが生き残れば、それでいい。
どうすればルーファスの敵意を別の誰かになすりつけることができるのか――その考えに全力で集中していた矢先。
「いやー、間一髪ってところですかねえ。いろいろな意味で」
背後から聞こえた男の声に対して振り返る。長身痩躯という言葉が似合う、眼鏡をかけたビジネススーツの男が立っていた。
まるで逃げ道を塞ぐよう、部屋の入り口に。