122話 あの春の思い出 この夏の約束
―― 佐藤のり子 ――
私へのヘイトクライムが発生し、その風評被害を回避するべく、ルルと住まいを交換する形で一時的に東京へ避難してからそれなりに日数が経った。ネットではちらほらとスカーフェイスという単語を見かけることがあったけど、今やすっかり銀狐仮面にすり替わっている。ネット上では狐面をかぶったルルの動画がちらほらと見受けられた。
だがしかし。この一件で私へのヘイトは無いに等しくなったけど、YaーTaプロ内部は大混乱真っ只中である。ルルが動けなくなった関係で予定していた収録やコラボ配信はお流れになってしまったし、ルルが抜けた穴を埋めるべく、紅焔アグニスとナティ姉のお仕事も絶賛増加中である。
私の記憶にすら残っていない因縁のせいで随分と大勢の人たちに迷惑をかけてしまっている。そんな私は、なるべく身を隠しつつ、紅焔アグニスとしてのお仕事を頑張る以外の貢献ができない。もどかしい気分だ。
そんな沈んだ気持ちを察してなのか、ナティ姉――もとい安未果さんはしきりにオンラインで声をかけてくれた。普段の通話はほとんどが誘われ待ちをしているのに、最近は積極的に声をかけてくれる。1期生の三人目が安未果さんで本当に良かったと思う瞬間だ。彼女の優しさには心が救われる。
さて、そんな安未果さんと今日も仲良く雑談タイムなのですが。話題は私の顔の傷についてである。ヘイトクライムの原因について何も知らないであろう安未果さんだけ仲間外れはかわいそうだろうと、この機会に打ち明けることとしたのだ。もちろんヨーミには事前に許可を取っているぞ。
で、その結果。
『ぐすっ、ぐしゅっ……のり子ちゃんとヨーミさん、そんなに辛い過去をお持ちだったんですね……ごめんなさい、ちょっと暫く涙が止まりそうにないです』
「うん、大丈夫だよ。落ち着くまでゆっくりしよう。ほら、お鼻をちーんしておいで」
大号泣されちまった。私自身も事のあらましを整理したかったから、ヨーミの語りを参考にして説明してみたけど、これは封印だな。不幸自慢しているみたいで複雑な気分になる。
『のり子ちゃんにとって、紅焔アグニスは自分の分身という意味以上に大事な存在なんだね……』
「紅焔アグニスは私がアイドルで居られる唯一の場所だから」
『大事にしなくちゃ』
「でも配信ではいつも通りに可愛がってくれると嬉しいな」
『う゛んっ、うんっ! 滅茶苦茶よしよしする! お姉さん、全力でアグちゃんのこと甘やかすから!』
「いやそれ、いつも通りじゃないよ……あはは……」
大変だ。安未果さんの母性が爆発して暴走しちまっている。あの3人に打ち明けたときも、3人とも似たように暴走していたっけ。しばらく私に対して過剰に優しくなりそうで困るなあ。ルルやシズに打ち明けた時は割と淡白な反応だったのだけど、ふたりの反応は思ったよりも貴重だったのかもしれない。
『でも、のり子ちゃんがこんな辛い目に遭ってるのに、あんな事件を起こすなんて酷いよ。ルルちゃんやスタッフにも迷惑かかっちゃってるし……』
「警察が早く犯人を捕まえてくれるようお祈りするしかないってのが困ったちゃんなんよねえ……」
まだ小さな嫌がらせが続いている以上、事件が解決するまでは私も迂闊に復学できない。下手したら最終学歴が高校中退になりかねんぞ……セッカちゃんからも中退は止めとけって言われているから断固阻止したい。今のところ、お母さんをはじめとした大人の皆が復学に向けてサポートしてくれたり、身の回りの世話をしてくれている。そのおかげでどうにか生活ができているけど。
解決の目処が立たない現状にゲンナリしているところで会社からメールが届いた。メールのタイトルは『紅焔アグニスチャンネル出演許可リスト更新のお知らせ』となっている。ということは!
即座にメールを開封して中身を確認する。内容は――予想通りだ!
「よっしゃキタ! 泣きっ面にアブハチ!」
『え? 嫌なことがあったにしては嬉しそうだね』
「そりゃ嬉しいよ。紅焔ちゃんのチャンネル出演許可リストにナナミンの名前が載ったんだもん」
『おお! とうとうコラボ許可が!』
「クソみたいな事件ばっかりで嫌な気分だったところに逆転の吉報です」
『だったら、虻が来て余計不幸になっちゃったねえ……『地獄に仏』あたりが正解かな』
事件が落ち着いてきたら、紅焔アグニスとして正式に依頼を出しちゃうぞ~。いやあ、ナナミンがむせび喜ぶ姿、楽しみだぜぇ……。
『良かったね、のり子ちゃん。ずっとやりたいって言ってたもんね。きっとナナミさんもすごく喜ぶよ。ふたりとも相思相愛って感じだし』
「ちゃ、茶化すなよ……うぇへへへ……」
『ふふふ。嬉しそうだ。そういえば確か、顔の傷のことはナナミさんにも話したんだっけ?』
「そうなんだよ~。話を聞いてもらえたおかげで、素の私と喋れるくらいには仲良くなれたんだ」
『じゃあ紅焔アグニスを隠さなくても良くなったんだ。過去ののり子ちゃんも、今のアグちゃんも、両方受け入れてもらって良かったねえ』
「へへへ……良し三人組が四人組に生まれ変わった瞬間ですぜ……んん?」
『あら? どうしたの?』
「いや、なんか忘れているような気がして」
安未果さんの言葉が引っかかる。とりあえず脳内で会話を巻き戻し――あああああっ!?
「過去のナナミン!!」
『え?』
「ごめん安未果さん! ナナミンに超ド級の急用を思い出したから、いったん通話を落とすね!」
『え!? ええと……うん、分かった。たぶんコラボ許可が降りたこと、まだナナミさんに話しちゃ駄目だから気をつけてね』
「またやらかしたら今度こそルルに呆れられちゃうから、意地でも言いません。おもらしダメ、ぜったい」
『年頃の女子高生がおもらしなんて言わないの。それじゃあまたね、のり子ちゃん』
安未果さんに申し訳ないと思いつつ、挨拶もそこそこに通話を切る。そして、今この機会を逃したら二度と思い出せないかもしれないので、光の速さでスマホからコールした。ちょうど今は学校の授業が終わった時間帯。電話も問題無しのはず!
抑揚の無いコール音が繰り返され、なかなか応答しない合間にドギマギしながら待機していると、やがて待望の麗しボイスが耳に届いた。
『はい、峰です。どうしたの――』
「夏美さん! 大変なんだよ、夏美さん!」
『――――――』
「すっごい大事なことを聞きそびれてたって、たったいま思い出したんだよ。だから改めて聞こうと思って……夏美さん?」
『ごめんなさい、アグちゃんの声で私の名前を呼んでもらえるなんて、まだ夢の中にいるみたいで……』
「あぁ、ごめんごめん。驚かせちゃったね」
ファンからすれば推しのアイドルと話すのなんて、お金を払ってやることなんだから、いきなりかかってきた電話から推しの声が聞こえてきたらびっくりするよね。私だって、元有名Vtuberの社長やプロデューサーから電話がかかってくると時々ビックリしてるくらいだもの。
「今はもう聞き放題なんだからさ。少しずつ慣れていってくれると嬉しいな」
『物凄い尊みと全国の紅民さんへの申し訳無さで心が潰れそうです』
「そこまで畏まられちゃうと、この前のトークイベントのお金を返金したい気分になっちゃうねえ。夏美さんにとって、それくらい紅焔アグニスは身近な存在になったってことだよ」
『返金だなんて言わないで。私は逆に、もっと払いたくなっちゃうくらいに充実した3分間だったんだから。本当に人生が変わっちゃったんだよ』
確かに言うとおりだ。七海ナナミは配信者として勝ち組レーンに乗っちゃってるし、配信も登録者数に恥じない内容へどんどんグレードアップしている。ちなみにナナミンの収益化配信には、紅焔アグニス名義で夢の満額スパチャを送らせていただきましたぞ。脳内の汁という汁が体内でブシャーするような感覚。いやー、アレは気持ちよかったー。
『ところで話を戻すけど、聞きそびれたことって何?』
「おっといけねえ、また忘れちまうところだった。私と夏美さんとの出会いのエピソードだよ。あの体力テストで聞こうと思ったら、面倒くせえことになって聞けなかったやつ」
『ああ……そういえば、うやむやになっちゃってたね』
「忘れててゴメン」
『私こそ忘れてたくらいだから、まったく気にしてないけど……のり子さんとヨーミさんのエピソードに比べたら、私のなんて全然たいした事ないんだよね。改まって聞かせるほどでもないんだよなぁ……』
「実話のドラマ性なんて誰かと比べるもんじゃないよ。その人にとって、どれだけ影響を与えたのか、それを自分の中に落とし込んで活かせるのかが大事なんです」
私の言葉を聞いて、夏美さんは「おお……」と唸っている。しまった。思わず先輩風を吹かせちまった。配信歴なら七海ナナミのほうが大先輩だってのに。
『やっぱり紅焔アグニスは一流の配信者なんだなって、感動しちゃった』
「いや今のは、タダの社長の受け売りだから……」
『だから格言を自分に落とし込んで活かしたんでしょう?』
「うぐぐ……意地悪だなあ、もう!」
『ごめんなさい。のり子さんが可愛いから、つい調子に乗っちゃった。ふふふ』
恥ずかしい! でも推しだから全部許すぞコンチクショウ!
『じゃあ私とのり子さんの出会いの話、するね。長く話すとお仕事に障っちゃうかもだから、時間がかからないよう簡単に話すよ』
「詳細に聞きたい感はあるけど……ごめん、お願いします」
『本当に大した内容じゃないからすぐに済むと思う』
大体の場合が大事に発展しちゃうフラグの前置きを言ってから、夏美さんは語り始めた。
『私が今の高校に通う前……中学の頃のお話。中学の頃の私はクラスの中でも浮いた存在で――ううん、逆だな。友達も上手く作れない、すごく目立たない地味な女の子だったの。教室の片隅の席に座って、図書室で借りたハードカバーのミステリ本を読みふけってるようなイメージだね。まごうことなき陰キャでした』
「うーん……想像つかないような、つくような」
『ある日、クラスメイトどうしでカラオケに行こうってなったんだ。当時の私はカラオケなんて全然行ったことがなかったし、家族以外の人の前で歌うなんて学校以外でやったことなかったから断ろうと思ったけど、上手く断れなくて……結局参加することになったの』
配信でもお悩み相談で聞いたことがあるシチュエーションだね。陽キャグイグイは陰キャにとって地獄の囁きだって、安未果さんが言ってたっけ。
『もちろん私も歌うことになった。でも上手く歌えなくて、それでクラスの皆にからかわれちゃって……気まずくなって部屋を抜け出したんだ』
「ほうほう……ほう?」
『抜け出したはいいけど戻れなくて、廊下でぼーっとしていたところに女の子が声をかけてくれたの。それがのり子さんだよ』
「いやいや、ちょっと待って。思い出してきたぞ……髪型は三つ編みおさげで、厚レンズの近眼用眼鏡してた?」
『そう! そうだよ!』
「うぇええええ!? 嘘やろ?!」
今の夏美さんの容姿を説明しよう。髪はゆるふわウェーブのかかったロングヘアー。そこにシアーブラックのヘアカラーが持ち前のモダン美少女ぶりを加速させている。顔も濃すぎないナチュラルメイクで整えており、もちろん近眼メガネはつけていない。それでもってスラリと整ったスレンダーさと、出ているところはしっかりと出ている程よいグラマラスさで整った肢体は、見る者を程よく惹きつける。色気たっぷりな美人気質のヨーミとは一味違う、背徳的な色気が仄かに漂う正統派美少女なのだ。
『高校デビューってやつです。頑張りました』
「今とぜんぜん違うじゃん! 頑張りすぎィ!」
『あはは……恥ずかしくなってきちゃった』
「いやでも、完っ全に思い出したよ。カラオケ屋の廊下で暗い顔をしてた同年代の子がいたから、声をかけて私の部屋に連れ込んだ」
『それで私を元気づけるために、のり子さんは何曲も歌ってくれたんだよ! 16プロ中心のアイドルメドレー!』
「あの時はオーディション帰りで調子に乗ってたから、アイドルの卵の実力を見せつけてやる、みたいに考えて勝手にオンステージしてた! うおお、なんちゅうエモいシチュエーションの出会い方してたんだ私たち!」
『……思い出してくれたんだ……この時から私はのり子さんに憧れていたんだよ――』
それから暫くの間、出会い当時の話で盛り上がりに盛り上がりまくった。夏美さんは事あるごとに私を褒め散らかしてくれたので、それはもう恥ずかしい気持ちでいっぱいになってしまったよ。最後の方になると、もう言葉が話せないくらい、気持ち悪い笑い声が漏れるばかりとなっていた。
「うぇひ、どぅふぇふふ……ごめん夏美さん、もうその辺にして……嬉しくて頭パンクしそう」
『ごめんね。私もすごく嬉しくなっちゃって……推し語りは落とし所が難しいよ』
「でもいっぱい褒めてくれてありがとう、夏美さん。めっちゃ元気出た」
『最近は大変なことばっかり起こってたもんね。元気になってくれたなら、私こそ嬉しいよ……本当に、嬉しい』
「夏美さん?」
彼女が涙声になってきたので焦ったけど、直後に「大丈夫」と返事をされた。
『高校で偶然再会したはいいけど、一緒のクラスになった時はいつも落ち込んでいるように見えたから、私も沈んだ気持ちになっちゃってた。だけど本当は昔のように――ううん、昔以上に輝いてくれていた。佐藤のり子のファンにとって一番の吉報だった。だから元気なのり子さんの声を聞いていると、すごく幸せな気持ちになるの』
「この傷顔で昔みたいに愛嬌ふりまくワケにはいかないから。ごめん、心配かけさせて。早く私の正体を打ち明ければ良かった。でも、その……」
『受け入れられるか不安で怖かったんだよね』
「うん」
『私が逆の立場だったら同じ対応してたと思う。だから気にしないで。それに……その、嫌な言いかたかもしれないけど……のり子さんの過去があるからこそ、私は七海ナナミになれたんだよ』
「……言われてみれば」
元々は私を元気づけるために始めた配信活動だもんね。
「七海ナナミが生まれたきっかけって考えたら、案外この傷もあんまり憎めなくなってきたな」
『いやいや、絶対に無いほうがいいよ。ここは断言させてもらいます』
「まー嫌でも付き合わなくちゃいけないんだけどね。お医者さんにもお手上げされちまったからさ……おっと」
スマホのアラームが鳴る。お仕事の時間だ。今夜は企業案件の生配信である。遅刻厳禁。
「ごめん夏美さん、そろそろ抜けるね」
『お仕事?』
「うん」
『分かった。でも切る前にお願い良いかな?』
「?」
『こっちに帰ってきたらなんだけど……のり子さん達と一緒に遊びたいなって。こうして仲良くなれたから、カラオケとか、お店巡りとか、ゲームセンターとか……行きたいなって』
「は? なんだその天使の提案は? 死んでも予定明けるが?」
『いや死ぬのは駄目だよ……』
こんなもん脳死即答でイエス一択だろ。拒否する理由ある?
「それくらいの意気込みなんだよ……そうだ。もうすぐ暑くなりそうだし、プールに行こうよ。シズの家にある、私たちのプライベートプールに招待するよ」
『プール……シズさんの家なら不思議じゃないか……あれ。いま『私たちの』って言った?』
「外のプールだと、私の顔の傷やヨーミのタトゥーが気になるだろうからって、わざわざ作ってくれたんだ」
『おお、流石はお金持ち……でも大胆な紹介だね』
「美談になるから、むしろ今みたいな紹介してくれってシズ本人から言われてる。単なる照れ隠しですわー」
『そういうとこ、ずるいですね。シズさん』
「その時はルルやナティ姉も連れてくるよ……それじゃあ本当にお時間だ」
『うん。頑張ってね』
名残惜しい思いで通話を切る。推しからいっぱい褒められて、いっぱい元気を貰った。貰いすぎて今すぐ全力疾走したいくらいだ。早く地元に帰って夏美さんとイチャコラしたいなあ……早く解決しないかな、この状況。
まあ、くよくよしたってって良いことなんか何も無いな。切り替えていこう。
「うっし! そんじゃあいっちょ、お仕事はりきりますかァ!」
今日も全力で紅焔アグニスを頑張ろう。全世界のファンのために。佐藤のり子のファンのために。