奇妙で本当な話
それからのことはあっという間だった。
水月の館へ来てからもう何日経ったのか正確にはわからないものの、それなりの時間をあの妙な空間で過ごしたはずだ。
それなのに、聖理たちが近所の住民に発見されたのは、家を出た日からたった2日しか経っていなかった。
不思議なもので、それまでは何の反応も示さなかったスマートフォンも問題なく使えるようになっており、そこに表示された日付を見れば、それが真実だと、まるで電子機器が訴えているかのように証明された。
(帰宅する前に全員で連絡先の交換もした)
また、妙なことに、叔父の孝宏に呼び出されたから行くようにと言っていた父は、この2日の聖理の不在を、友人の家で泊まりでの勉強会へ行っていたためだと思っていたようだ。
それもどうやらとぼけているのではなく、心の底からそう信じているらしかった。
他のみんなも同様で、何かしらの正当な理由があって外泊していたということになっており、行方不明者としての届けも出されておらず、家族は帰還した彼らをまるで、ちょっとした旅行から帰ってきた時のように自然に出迎えた。
(こちら側に身内のいない龍之介は例外であるが)
こうして無事いつもの日常へと戻ってみると、水月の館で過ごした時間は夢だったのではないかと思えてくるが、決してそうではない。
その証拠と言っていいのかはわからないが、全員の記憶は全て一致していたし、後に調べた結果、過去にあの場所では、小さな劇団が公演のために使用していた建造物があったことが図書館の郷土資料で確認できた。
そこに載っていた写真の建物は、まさしくあの不思議な夏の日を過ごした館そのものだったのだ。
ただし、いくら調べても水澄と志郎の名前は見つからなかった。
やはり後世に名が残るほどの活躍は叶わなかったようだ。その真実が受け入れられなかったが故に、志郎はあのような終わりを迎え、水澄もそんな彼をひとりにすることができず、共に行ってしまった。
ふたりは今どこにいるのだろう。志郎が送り込まれていた虚空という場所にいるのか。はたまた全く別の場所なのか。
どちらにせよ、天国や地獄、来世があると信じるのなら、おそらく彼らはどこにも属さない、イレギュラーな状況に陥っている可能性が高いと考えて良さそうだ。
ただ願わくば、たとえいくら時間がかかったとしても、再びどこかでまたやり直せる時がくればいいと思う。
できることならふたり一緒に。
誰だって世界に認められたいという気持ちを抱いているだろう。そういった意味では志郎は普通の人間だったのかもしれない。
当然だが、聖理たちの前から姿を消したふたりは元からこちら側に肉体を持っていなかったため、後には何も残らない。遺品と呼べるものすら無い。
だから何も埋まってはいないが、全員で相談して、現在は更地になっている、元は水月の館があった場所をふたりの墓とし、毎年夏休みに入ると、全員で花束やお供物を持って墓参りに行くという約束をした。
(流石に更地とはいえ、勝手に墓をつくるわけにはいかないし、学生の財布では経済的にも不可能だ)
あの夏から1年後の高校2年生の夏、聖理は墓参りの際、手を合わせながら水澄には、
(久しぶり、元気にしてる?)
と話しかけた。そして志郎には、
(水澄と仲良くしてますか?)
と訊いてみた。
そして今年はそれからさらに2年が経ちー
聖理は今年大学生になった。
そして明日は3回目のふたりの墓参り。
奇妙な夏の日を経験した6人が、再びあの地へ訪れる日がやってくる。




