再演
俺が肩に手をかけても、志郎さんは一向に反応を見せない。
負の感情以外で成り立っている存在のはずなのだから、もっと感情表現があってもいいものだが。もしかしたら長い時間が経過したことで、感情表現の仕方を忘れてしまったのか。
「志郎さん」
呼びかけて、肩に置いた手に力を入れて、彼を自分の方へと引き寄せる。
真正面で向かい合って、気づいてしまった。
彼の目には何の感情もないことを。
考えれば無理もない。何十年という長い年月をたったひとりで、こんな静かな場所で過ごしていたのだ。
彼の本来の感情は、消滅してしまったのか、または更に別のどこかへといってしまったのか、それはわからない。
水澄の目にはそんな志郎の姿がただただ哀れで、寂しかった。
そんな水澄の様子に龍之介が気遣うような視線を向けてくるが、何か言葉を返す余裕が今はない。
多くの願いをしてしまった代償で失ってしまった水月の館。それをこの異空間で再現してなお、特に思い出の詰まったこの部屋にこの人はずっといた。
まるで全てをやり直したかったと言わんばかりに。
けれど彼が失ったものはあまりにも多すぎた。
例え建物が再び手に入ったとしても、そこに水澄や他の仲間たちはいない。だからこうしてひとり寂しく座っていたのだろう。
できることなら彼の望み通りやり直したい。けれど、もし自分の予想が当たっていたとしたら、それは決して許されることではない。
(志郎さんを止めないと…!)
もう一度彼に呼びかけてみる。
「志郎さん」
反応はない。
「こんな方法間違ってる。やり直そう」
彼の目は水澄を見ていなかった。
「今度は俺も一緒にやるから」
そう言うと、水澄は懐から何か箱のようなものを取り出し、手元で素早くそれを擦った。
「水澄…」
いったい何を、と龍之介が訊こうとしたその時には、すでに彼の手元から火のついたマッチ棒が床へと落とされるところだった。
「…!?おい、何して…!」
炎は予想以上に広く燃え移り、勢いよく3人に襲いかかる。
龍之介は急いで退路を確認する。
まだ出入口に火の手は回っていない。
逃げるなら今だ。
「水澄!早く、こっちだ!」
だが水澄はその声には応えず、棚田志郎を抱き抱えたまま動こうとしない。
「俺は行かない」
その声は諦めでも自棄でもない、覚悟が感じられるものが含まれていた。
「俺の身体はもう普通の人間じゃない。火傷ぐらいじゃ死んだりしない。それよりも俺はこの人と乗り越えなきゃならないことがある。お前は先に外に出ていろ!」
たしかに水澄は普通の人間ではない。大丈夫かもしれない。だが…。
「早く行け!」
その声で弾かれたようにそれまでの迷いが消え、
龍之介は一目散にドアへ向かい、外へと飛び出した。
こうして、まるで再現するかのように、水月の館は再び炎に包まれることになった。




