それぞれの困惑
【第2部】
食堂から廊下へと出ると、先程の問いかけが気にはなったものの、少し気分が落ち着いたようだった。声の主が孝宏だったかどうかは結局わからない。透明人間のことなど不可解なことも多いが、これ以上訳の分からない遊びに付き合う義理はない。
共に退室した2人もおそらく同じ意見なのだろう。思い切って聞いてみることにした。
「さっきのあれ、なんだったんだろう?」
すると開と奏多がほぼ同時に話し出そうとした。開が先にどうぞと告げて順番を譲り、最初に奏多が意見を述べる。
「僕は家にいるのが気まずくて、どこでもいいから別の場所に行きたかったんだ。でも結局行く場所もなくて困っていたところに柳田さんと会って、行くところがないなら来るといいと言われた。その場所でとある集いがあるから、それに参加さえしてくれれば衣食住の提供を約束するからって。あやしいとは思いながらも着いてきた自分もどうかしてたけどね。それならと思って従ってきたけど、この場所は得体が知らなさすぎる。色々と気になることはあるけど、これ以上厄介なことになる前に退散すべきだと僕は思ったよ」
先程の自己紹介で、2人が自分よりも年下だとわかっているからか、彼の口調は敬語ではなくなっていた。だが、その優しげな口調は変わることがなくて、彼の人となりがより理解できたように感じる。
彼の意見はもっともだ。聖理の考えていたことともほぼ一致している。次に開の考えを聞きたくて、彼へと視線の向きを変える。
「俺も星宮さんの意見に賛成。いくら親戚でも、言っちゃ悪いけどほぼ他人みたいな間柄だったし、こんな変なことに巻き込まれて夏休みが潰れるなんてごめんだな」
やはりここにいる3人は同じ意見なようだ。まだ食堂に残っている3人はどうするのかわからないが、拓実は何としてでも共に帰ってもらうとして、他の2人は各々の判断で動いてもらおう。
聖理も2人に、自分もこの集会に参加することの必要性を感じないことと、早く帰りたいという意思を伝える。2人は聖理の話を聞き終えると、肯定の意を示すようにうなづいてくれた。そうすればもうやることは決まっている。荷物をまとめて帰るのだ。
とは言っても、時刻はもう夜の9時。この辺りはこの別荘しか建物もなく、街灯もない。さらに、集合場所であった最寄駅はここから車で1時間以上かかっていた。
帰るには柳田に車を出してもらわなければならないが、この暗さでは事故を起こしに行くようなものだ。歩いて行ったら、暗闇の中道に迷うか、運良く着けても夜が明ける。さらに駅員もいない無人駅であったことも思い出し、絶望感ばかりが募っていく。
とにかく、明日の朝、柳田に車を出してもらい帰宅しようということで話はおさまり、今日は柳田にその件を頼んでから休息をとるということにした。
早速彼に話をつけにいこうと、3人は再び、彼がまだいるはずの食堂へと向かった。
そう思って食堂へと戻ってきたが、そこには彼の姿はなかった。一度消された照明も戻っており、スクリーンの機材たちも撤収していた。けれど、拓実たち3人はまだ先程と同じ席に座っていて、何やら考え事をしているようだった。
先程の不可解な映像の、透明人間やミッションについて考えているのかと思ったが、どうやらこの様子ではそれだけでは無さそうだ。
「こんなのあの人のただの遊びだろ。付き合ってやる義理はない。明日の朝に柳田さんに頼んで、車を出してもらおう」
そんな食堂の雰囲気に気づいているはずだが、開はお構いなしといった風に、先程自分たちが出した結論を告げる。
だが、残っていた方の3人組は動く素振りがない。まるで、自分たちはここに残ってなすべきことがあるとでも言いたげな様子だ。
「僕も昨日は困っていたところを助けていただいた恩があったから従っていましたが、よく知らない人の頼み、しかも当の本人は顔すら見せないなんて、あやしすぎます。ここにいるのは危険です。早く帰った方がいい」
年上メンバーがいるため、敬語に戻った奏多も、意見は先程と変えずに説得を試みる。
けれどそれでも彼らは動こうとはしない。聖理としては、今日初めて会った2人はともかく、拓実だけは置いて帰るわけにはいかない。おそらく彼の弟である開も、同じように思っているはずだ。
しかし、ここで一つ大きな疑問が出てくる。彼らをここまでこの場所に縛り付けている要因とは何なのだろうか。しばらく会っていなかったとはいえ、彼の性格はよく理解しているつもりだ。聖理の知る彼は、意図の見えないことに進んで関わろうとはしないし、間違いだと思うことはすかさず指摘するはずだ。そんな彼がこのような態度をとるのは、やはりそれだけの理由があるということだ。
何とも言えない気まずい空気の中、一回深呼吸をしてから、聖理は思い切ってその疑問を素直に打ち明けた。
「私たちは何も聞かされずにここまで来て、だけど孝宏さんは出てきてくれないし、何も言わない。その上あんなよくわからない動画も見せられて…正直怖いよ。早くこんなところ出たい。でも3人は…そうじゃないんですよね?この状況で、どうして怖さよりもここに居続けようって気持ちの方が強いのは、何か理由があるんですか?」
初めは主に拓実に向けて話しているつもりになっていたが、この問いかけは、杏奈と龍之介も対象に含まれていることに途中で気づき、急遽話し方を変える。
こう言われた3人はどういう言い方をすれば良いのかと悩んでいる様子だったが、しばらくの沈黙の後、拓実が口を開いた。
「お前たちは映像の途中で外に出て行ったから、そう思うよな。俺もあそこまでしか観ていなかったら、今のお前たちと同じ反応だったと思う。お前たちもわかってるだろうけど、あれにはまだ続きがあったんだ」
つまり、その後に重要な情報が含まれていて、途中退室組はそれを見落としてしまったということか。この得体の知れない場所に留まる、理由となるほどの大きな情報がー。
「お前たちが部屋を出る直前、映像の声がこう言っただろ?『もしこの現実世界が本当は夢の国で、夢の国の方が現実だったらどうするか?』って」
一言一句同じではないが、その内容の問いかけをされたことはもちろん覚えている。おそらくこの中で聖理が1番衝撃を受けたのではないだろうか。
他の途中退室組の2人もそれについては聞こえていたようで、黙って頷いて肯定する。それを確認してから、拓実は続ける。
「さらにその後、声はこう言ったんだ。『この質問は、今回出題する10のミッションを遂行しながら、各々考えてもらいたい。ミッションは協力しながらやってもらうが、この問いに関しての相談は禁止だ。そしてミッションが全て終わった後、自分がたどり着いたこの問いの答えを1人ずつ発表してほしい。これが全て終わった時…』」
それまで続けて話していた拓実の声が突然止まる。不思議に思っていると、今度は龍之介が助け舟を出すかのように語り出す。
「最後に奴は言ったんだ。『全て終わった時、君たちを夢ノ国に招待する』って」
「…は?」
つい間抜けな声が出てしまったが、それは開と奏多も同じだった。夢ノ国だなんて、まるでお伽噺のような展開だ。10代の後半にもなって、そんな話を信じるだなんて到底思えない。
「もちろん俺だってそんなの信じちゃいないよ」
まだ何も言っていないが、拓実は先に否定してくる。
「信じちゃいないけど、ただ…何て言ったらいいのかわからないけど、映像が終わる直前、不思議なことが起きたんだ」
「不思議なこと?」
意外なことに、奏多がここで話に入ってきた。よく知らない相手からの問いかけに、多少は戸惑ったようだが、拓実もすぐに答える。
「俺はあの時ずっとこの部屋にいた。一歩も外には出てない。なのに、映像が終わる直前…俺は別の場所…どこかはわからないけど見たこともない地下室にいたんだ。そして、そこにはまだ小さかった頃の俺がいて、俺のことをじっと見ていた。どうなっているのか訳がわからなくて手を伸ばしたら、またこの食堂に戻ってきていたんだ」
「はあ?そんなの夢でも見てたんじゃないのか?」
開が最も現実的な返答をするが、それは別の声により否定される。
「いや、1人だけならそれで片付けられそうなんだかな、同じ瞬間、俺とあっちの女も同じ体験をしてるんだよ。知らない地下室で昔の自分にじっと見られてるっていう妙な体験を。それもあれは夢にしては全てがリアルすぎた。本当におかしな話だけど、実際にその場にいたとしか思えなかったんだよ」
龍之介が拓実を弁護するように発言し、杏奈もその言葉に頷いている。
1人ならともかく、その場にいた3人全員が妙な体験をしているのは確かにおかしい。そもそも、実際にその場にいたと言うが、本当に地下室にいたならば、一歩も動かなかった彼らはどうしてそんな場所にいたのか。始めからこの召集は妙だったが、より一層謎が増えてしまったようだ。
「とにかく、その時に見た昔の自分の目が頭から離れないんだ。ここで何かしなくちゃいけないって気にさせられる。だから俺はまだ帰れない」
聖理と開が自分を連れて帰ろうとしていることを察してか、拓実はそう言う。聖理たちとしては、ここまで頑なに帰宅を拒否している人を説得するのは骨が折れるし、どちらにせよ、やはりこの時間では帰るのは危ない。柳田の姿も食堂になかったこともあり、ひとまず今夜は各々の借りている部屋で休み、明日にもう一度話し合いをするということで解散となった。
自分の部屋に戻り、ベッドに横たわると、色々なことがあって疲れていたせいか、すぐに睡魔が襲ってきた。
そして、拓実の妙な話を聞いた影響か、妙な夢を見た。気がつくと、見知らぬ夜の庭に立っていた。感覚は妙にリアルで、まるで本当に自分が庭を歩いている気さえしてくる。体は操られているかのように、池へと進んでいた。抵抗することはできない。そのまま池に到着すると、そうするよう決まっていたかのように水面を覗きこんだ。
ー水面を覗きこめば、そこにあるのは見慣れた自分の顔ー
それは当然のことで、言うまでもない。けれど、水面を覗いた瞬間、聖理は驚愕して腰を抜かしその場にしゃがみこんでいた。
なぜなら、水面に映っていたのは聖理ではなくーいや、水面にいたという表現の方が適切だろうかー見知らぬ少年だったのだ。色が白く、髪が長いので一見、少女のように見えるが、よく見ると確かに少年だった。歳は聖理と同じくらいだろうか。こんな状況だというのに、つい魅入ってしまうほどに整った顔立ちをしている。
最初は眠っているように目を閉じていたが、聖理が来たことがわかったのか、または偶然かーそれはわからないが、ゆっくりと目を開けると聖理をじっと見つめた。
あまりの恐怖で、一刻も早くこの場から去りたいと思う一方、体は言うことを聞いてくれない。すると少年は何かを伝えようとしているのか、唇をゆっくりと動かす。
「……………………」
聞き取りたくても、少年が唇を動かしたのとほぼ同時にどこかで鐘の音のようなものが鳴り出したため、聞き取れない。すると周りが白い光に包まれていき、聖理はその場で意識を手放したー。
ようやく物語が本格的に動き出しました。
楽しんでいただけましたら幸いです。