【コミカライズ】婚約者が無視ばかりするので、婚約破棄します
「キオラ様。貴方との婚約を破棄いたします」
「……」
「宜しいですね?」
「……」
その日、私ことリーア・アルストロは、婚約者のキオラ・カロフカに婚約破棄を叩き付けた。
自分でも酷く冷たい声が響いたと思う。
でも、もう限界だった。
これ以上、婚約を続ける事への意味を見出せなかった。
婚約者の屋敷の中で、私は破棄に関する書類を机の上に置いた。
対するキオラは全く反応しなかった。
視線を向ける事すらない。
そう、全てはコレが原因だった。
キオラは私の存在を無視する。
政略という状況下、そこにハッキリとした愛情がない事は分かっていた。
私も、それを承知した上でカロフカ家に嫁ぐしかなかった。
でも、これ程とは思わなかった。
元から不愛想な人ではあったが、婚約者となった時点でそれは更に悪化した。
話さない、喋らない。
私が近づけば、席を外す。
時折、煩わしそうな視線を向けてくる。
始めは礼を失したのかと思い、尋ねたこともあったが何の返答もなかった。
何をしても、何を気遣っても、反応がない。
不愛想で片付けられる話じゃない。
徹底した無視。
こんな扱いは生まれて初めてだった。
臆した感情が、次第に怒りに変わっていくのに時間は掛からなかった。
私は遂に婚約破棄を叩き付け、自分の荷物も纏め終えていた。
「返事は出来なくとも、サインくらいは出来るでしょう」
「……」
「もう止めにしませんか。こんな事に、意味なんてありません」
「……」
「……それでは、失礼いたします」
どうせ返事をする気などない。
何をしても無視をするのなら、勝手にやらせてもらいましょう。
そうして私は一方的に告げたまま、実家へと帰った。
戻った直後、両親にはあれやこれやと言われたが、知った事ではない。
カロフカ家の屋敷に戻るつもりもなかった。
あの人との婚約は続けられない。
事情を軽く説明し、私は久しぶりの自室で寝ころんだ。
瞬間、ぱぁっと視界が開けていくような感覚で溢れた。
縛られていたモノから解き放たれたような、そんな気持ち。
私は自分で自分を縛っていたんだな、とようやく自覚する。
数日後、キオラのサインが書かれた破棄の書類が、私に届けられた。
「あっさりとサインするなんて……本当に、馬鹿馬鹿しくなるわね……」
やっぱり、返事が出来るじゃない。
本当に情けない。
嬉しさ反面、悲しさもあった。
一体、何のための婚約だったのだろう。
何のために、心を擦り減らしていたのだろう。
あまりに、時間の無駄だった。
「今まで私は……何のために……」
思わず涙ぐんだけれど、これで完全に終わったのだ。
もう意味のない無視に惑わされる必要もない。
ここからもう一度、再スタートすれば良い。
私はキオラとの関係を全て忘れ、伯爵令嬢としての立場に舞い戻った。
アルストロ家の令嬢がどのような者だったか。
それを思い出しながら、私は昔の自分を取り戻していった。
そうして数か月が経って。
私は王宮で開催されたパーティーに参加することになった。
そのパーティーは、数年に一度開かれる盛大なもの。
貴族の殆どに招集が掛けられていたので、出席するしかなかった。
私からすれば、困った催しだった。
どんな顔をしていれば良いのか、まだ決めかねているのに。
「パーティーなんて、本当に久々」
両親からは新しい出会いを、なんて言われたが、今はそんな気になれない。
取り敢えず、目立たないようにしましょう。
貴族同士の会話も適当で済ませれば、何とかなる筈。
そう思って、煌びやかな王宮へと立ち入った。
でも既に、貴族の間では私の噂が広まっていた。
「ご覧になって……あの方……」
「カロフカ家との婚約を破棄した、リーア嬢ではありませんか」
「喉元過ぎれば、ということかしら?」
「きっと彼女の素行に問題があったに違いありませんわ……」
忘れようとしたモノでも、誰かしらがそれを掘り返してくる。
しかも悪い意味で、だ。
何故か婚約破棄をした私が、悪いかのように噂が広まっている。
私はどうにか溜め息を出すのを堪えた。
アレで悪いのだというなら、教えてほしい。
婚約破棄以外に、一体どうすれば良かったのかを。
パーティーは始まっていたけど、既に気分は最悪だった。
付き合う気にはなれない。
「下らない……やっぱり、時間の無駄ね……」
パーティー開始から少し経って、私は適当に理由を付けて会場から外に出た。
令嬢として失礼などと思われるかもだが、もう今更だ。
どうせいた所で、悪い空気しか生まない。
王宮には庭園があったので、向かう先を失った私はそこに足を運ぶ。
視界の先には、照明に照らされた噴水が静かな音を立てていた。
まだコレを見て落ち着いている方が、遥かに建設的でしょう。
そう思って近づいていくと、不意に声を掛けられた。
「おい、俺は戻らないと言った筈だぞ?」
「はい……?」
「あんな下らない会食なんて、付き合っていられるか……って?」
噴水の向こう側に誰かがいた。
勘弁してくれと言いたげに出て来たのは、金髪碧眼で彫りの深い青年だった。
その服装から、王宮で暮らす高貴な身分である事は直ぐに分かった。
青年は私が思っていた人物と違うと気付き、目を丸くした。
「す、すまない。俺を呼び戻しに来た従者だと思った。もしかして、アンタもあの夜会から抜け出してきたクチか?」
「は、はい。私には、あのような場は分不相応なようで……」
「俺も同じさ。あんな場所で揉みくちゃにされるだけなんて、もうコリゴリだ」
「申し遅れました……私は……」
「悪い。そういう自己紹介はお腹一杯なんだ。ここに来るまでに、散々聞いたからな」
「そう、ですか」
「アンタも静かな場所が欲しくて、此処まで来たんだろう? 分かるよ。むやみやたらに構われるってのは、本当に面倒だからな」
青年もパーティーに苦手意識があるのか。
ただ、理由は少し違っていた。
彼の場合は、自分が構われる事への煩わしさが原因らしい。
きっとそれだけ愛されているのだろう。
羨ましい限りだ。
私とは、違う。
そう思ってしまい、自然と視線が下がる。
私の場合は、意味もなく無視され続けてきた。
何を話しかけようとも、何も返ってこない。
苦痛のような沈黙。
更にあらぬ噂を立てられてしまった。
分かっている。
対抗するつもりなんてない。
それでも一言だけ、私は口にしていた。
「それでも、無視され続ける方がよっぽど堪えると思いますよ」
「……何かあったのか?」
雰囲気を感じ取ったのか。
青年は私に事情を聞いて来た。
何の変哲もない言葉だったのかもしれない。
ただ私にはまるで、手を差し伸べられるかのような思いだった。
駄目だ、と思った。
それでもいつの間にか、私はパーティーの参加者から聞かされた噂を、そのまま吐き出していた。
みっともない。
恥ずべき行為だとは分かっている。
ただ今までの感情が流れ出るように、自然と言葉が並んでいった。
事情を話していく内に、彼は怪訝そうな顔をしていた。
「おいおい、そりゃ酷いな……。そんなの婚約破棄しても不思議じゃないし、寧ろ当然だろ。何で周りは誰も注意しなかったんだ?」
「……私はカロフカ家に嫁ぐ身ですし、簡単には聞き入れてくれませんでした。きっと私の日頃の行いが悪いのだと」
「無茶苦茶だな。俺も同じ状況なら、間違いなく婚約破棄を叩き付けていたよ。そんなヤツのために、これからの時間を無駄にしたくないからな」
「はい……私もそう思って切り出したんです……。もうこれ以上、あの人に自由を奪われたくないと……」
青年は今まで、そんな話など聞いたことがなかったのかもしれない。
ようやく我に返った私はハッとしたが、もう遅かった。
静かな噴水の音が聞こえ始める。
とんだ恥さらしだ。
情けない。
なんて無礼な事をしてしまったのだろう。
私は思わず頭を下げて踵を返そうとした。
でもそれを引き止めるように、彼はおもむろに言った。
「どうやら、勘違いしていたみたいだ」
「えっ」
「確かに人がいて騒々しいと思うことはある。でも人がいるのに全く会話が出来ない、沈黙ばかりなんて、それこそ耐えられない。俺も少し狭量だったか」
「あの……?」
「吐きたい愚痴が山ほどあるんじゃないか。少しくらいなら、付き合うぞ」
「っ!? し、しかし、それでは……!」
「お互い一人になりたくて此処に来たんだろう? 俺はいない者だと思っておけば良い。サラッと聞き流すよ」
さっきの発言を聞いて、何とも思わなかったのか。
平然とそんな事を言った。
直後、私の脳裏にカロフカ家で受けた仕打ちが甦った。
今まで私が何かを発言した所で、意味なんてなかった。
存在そのものを否定されるように、始めからいない者として扱われる。
それがどれだけ辛い事なのか、私はとっくに理解していた。
だからこそ、不意に現れた青年の言葉に縋るしかなかった。
誰でも良い。
聞いてほしいと。
気付けば私は更に今までの事を話していた。
相手が侯爵という立場故、反論すら出来なかったこと。
酷い時には食事すら与えられなかったことを。
此処にいる青年は、ただそれを聞いていた。
笑うことも、嘲ることもしなかった。
ひとしきり話し終えると、彼はもう一度向き直る。
「スカッとしたか?」
「はい……。ですが、申し訳ありません……こんな無駄話を……」
「無駄話? よく分からないが、サラッと聞き流すって言っただろ? しかしまぁ、カロフカ家の当主がそんな下品なヤツだとは思わなかった。少し、調査が必要だな」
聞いていたのか、聞いていなかったのか。
曖昧な発言をしつつ、彼は私から背を向けた。
気付けばいつの間にか、パーティーは終わりつつあった。
王宮の窓から、人の影が横切っていくのが見える。
すると不安を取り除くように、彼は私にこう言った。
「折角だ。次がいつあるかは分からないが、こういう時くらいは話し相手になろう」
青年は王宮へと戻っていった。
残された私は、自分の身体が火照っている事に気付いた。
思わず噴水の水面に揺れる、私自身の顔を見る。
はしたない。
殆ど初対面の人に、一方的に喋り続けてしまった。
でも、そうだとしても。
無視をされなかったことが、そこにいてくれたことが、無性に嬉しかった。
それから私はその青年、第四王子のヒルシュ・リヴネールと交流を持つようになった。
「絵を描くのが好きなのか?」
「はい。カロフカ家にいた頃は、描く気すら起きませんでしたが、最近になって少しずつ気力が戻って来たんです」
「良かったじゃないか。これも婚約破棄のお陰だな。ちなみにどんな絵を描くんだ?」
「風景画、ですね。特に自然を描くのが好きで……」
「その気持ちは分かるかな。俺だって王都にいるばかりで、自然を身近に感じない。あるとすれば、庭師に整えられた人為的なモノだけだ。良かったら、今度見せてくれないか? 本当の自然を見てみたいんだ」
ヒルシュと直接会話が出来るのは、パーティーの間しかない。
王族が許可なく王宮から出る事は滅多にないからだ。
そして第四王子という身分のため、かなり甘やかされて育ったらしい。
父や母、兄や姉達が引っ切り無しに構ってくる。
そのために周りの貴族たちと比較して、少し反抗的な立場を取っていたようだ。
美麗な容姿。
周囲から愛されていた事が分かる、気持ちの大らかさ。
幾ら伯爵令嬢と言っても、身分の差がある事は分かっている。
それでも下らないと思っていたパーティーに、私は足しげく通っていた。
次第に文通することも多くなり、自ら描いた絵を持ち寄るようにもなっていた。
「申し訳ありません。このような粗末なものしか……」
「いやいや、これだけ描ければ十分じゃないか。もしかしてこれは、地元の風景か?」
「はい。アルストロ家は街から離れると一面の丘と野原ばかりで。晴れた空だと、絶好の絵描き日和なんです」
「確かに、絵で見るだけでもリーアが見た風景が伝わってくるな。これが本当の自然……あるべき姿、か……。ありがとう。人から聞くばかりだから、やっぱりこういうのは新鮮だ」
自惚れかもしれない。
それでもヒルシュは私との交流を楽しんでいるようだった。
だからこそ、あらぬ噂は立てられない。
パーティーでも、私はめげずに貴族達と交流を重ねていった。
カロフカ家との悪い噂を立てられようとも、令嬢として慎ましく接し続けた。
私に非はない。
そう思うなら、そう思われるようにしなければ。
礼節を弁え、皆から認められるべく、自己研鑽を怠らなかった。
すると次第に私への認識は、貴族間で変わっていった。
「あのヒルシュ様と打ち解けるなんて、一体どんなマジックを使ったのでしょう?」
「私には、見当もつきませんわね」
「悪目立ちをしていた覚えはありませんし……やはりあの婚約破棄は正当なものだったのでしょうか?」
遂には、キオラとの婚約破棄を持ち出す者もいなくなる。
噂は今ある自分の姿で塗り替えられる。
皆、私に非があるとは思わなくなっていた。
そのお陰で、私も敬遠していたパーティーに望んで参加出来るようになった。
それとは別に、ヒルシュもパーティーを毛嫌いする事はなくなっていた。
理由は聞いていない。
それでも少しずつ、お互いの考え方が近しくなっている気がしていた。
「こういうのを聞くと、戻って来たという感じがしますね」
「暇な貴族たちは、噂が大好物だからな」
今回も私達は互いに挨拶をした後で、貴族達の噂話を話題に取り上げる。
噴水の前ではなく、王宮の会場の中。
今になって一人になる必要もない。
無視を望むことも望まれることもなくなり、私達は互いに微笑んだ。
すると他の貴族達が俄かに騒ぎ始める。
何事だろうと視線を向けると、令嬢方の話し声が聞こえて来た。
「あの方は……カロフカ家のキオラ様ではありませんか?」
「まさか、パーティーに出席されるなんて……」
「王宮からの捜査が入って以来、屋敷にこもり切りだと聞いていましたが……」
招待された貴族たちの中から現れたその姿に、思わず私は息を呑んだ。
キオラだ。
あの不愛想な顔は見間違えようがない。
今までパーティーに参加していなかったのに、何故今になって現れたのだろう。
反射的に、金縛りのように私の足は竦んでいた。
するとキオラは私の前に歩み進んできた。
視線は交わさない。
あの時と全く同じ、あくまで無視をするつもりらしい。
過去の記憶が甦り、私は臆してしまう。
それでも形式上の挨拶くらいはしようと、顔を上げた直後だった。
「え……?」
ドンッ、と身体に衝撃が走る。
突然のことだった。
キオラはまるで私の事など見えていないかのように、そのままぶつかって来たのだ。
バランスを崩し、私は思わず尻もちをついた。
痛み以上にショックの方が大きかった。
一体、何故。
周りの貴族達も、状況が理解出来ずに言葉を失う。
すると即座にヒルシュが、歩き去ろうとするキオラの肩を掴んだ。
「おい! 何をやっている!?」
「は……? ヒルシュ殿、何を……?」
「それはこちらの台詞だ! 謝罪をするのかと思って黙っていればこんな事を! カロフカ家ともあろう男が、公衆の面前で無礼を働くとは……!」
振り向かされたキオラは、呆気に取られた顔をしていた。
当てが外れたようなそんな様子。
何故そんな顔をするのか、私には全く分からないし、理解出来なかった。
全く、別の生き物のようにすら思える。
代わりにヒルシュが私に手を差し伸べた。
「リーア、立てるか?」
「は、はい。申し訳ありません。あまりに突然の事で……」
ショックに打ちひしがれていた所、どうにか立ち上がった。
まさか、パーティー会場前でこんな暴挙に出るなんて。
信じられない。
此処が何処だか分かっていないのか。
それともそこまで私の事が憎いのか。
するとようやくキオラは私と、ヒルシュを交互に見て口元を震わせる。
「な、何故、第四王子であるヒルシュ殿が……か、庇われるのですか……? その女は……」
「リーアが何をしたと言うんだ。言ってみろ」
「それは……」
「言えないのか?」
「……」
「愚かな男だ。先の婚約破棄が、どちらに非があったのか。これで皆も理解しただろう」
反論しようとしたが、ヒルシュ相手には何も言えなかった。
わざとらしい無言ではなく、本当に言葉がないようだった。
何故、キオラがあんな行動を取ったのか。
意味は分からない。
分からないが、徐々に私の中で怒りが湧き上がっていた。
やっとの思いで過去を切り捨てようとしていたのに。
忘れられると思っていたのに。
どうして、今になって思い出させるの。
「そんな……こんな筈じゃ……」
「キオラ様」
私は感情のままにもう一度だけ、キオラの元に立ちはだかった。
婚約破棄を叩き付けた時を同じように。
確かな決意を抱いて、会話を求める。
「わざと私にぶつかった事、素直に謝罪して頂けませんか?」
「……!?」
「出来ませんか?」
「……」
「出来ませんよね。私が婚約破棄を告げた時も、貴方は目を合わせようともしませんでしたから」
「……!」
「どうぞ、思う存分無視をなさって下さい。私も、もう貴方の事など見向きもしませんので」
どれだけ言っても、キオラは口をパクパクするだけで何も言おうとしなかった。
最早、意地だ。
絶対に会話などするかと、自分で自分を縛り付けている。
此処まで来ると怒りを通り越して、逆に哀れにすら思えてしまう。
二度と言葉も通じないだろう。
だからこそ私は溜息を吐いて、周りの貴族達に向けて、お騒がせをしましたと頭を下げた。
彼らもようやく事態を把握出来たようだった。
すると、あろうことか。
立ち尽くしていたキオラが、不意に呟く。
「……お前が悪い」
瞬間、キオラは吹き飛んだ。
ヒルシュが殴り飛ばしていたのだ。
私が尻もちをついた時以上に、背中から転がっていった。
けれど助けようとする者はいない。
続いてヒルシュが声を響かせる。
「衛兵! この無礼者を連れて行け! 二度と敷居を跨げると思うな!」
明らかなこの状況、そして王子の命令を疑う者はいない。
続々と騎士が現れ、倒れていたキオラを取り押さえる。
両手を封じられ、慌てて右往左往するその視線が、あまりに情けなかった。
取り巻きの令嬢方も、軽蔑の視線を向ける。
「まさか、キオラ様がこんな無礼な方だったとは……」
「えぇ……心の底から失望致しましたわ……」
「リーア様もお気の毒に……私達は、勘違いをしていたのですね」
ヒソヒソと話し声が聞こえ始める。
噂が大好きな貴族のことだ。
この一件は一瞬の内に広まる。
そこで自分が針の筵だと、ようやく気付いたのか。
既にキオラの表情は青白くなっていた。
「ま、待ってくれ……! 今のは違……! 誰かッ……! こんなッ……!?」
何かを喋っていたが、言葉にはならなかった。
騎士達に引き摺られ、キオラは王宮の外へと追放される。
「こんな筈じゃ……! なかっ……!!」
最後まで聞こえることはなく、王宮の扉は閉ざされた。
まるで台風でも来たかのようだった。
静寂が訪れ、貴族達は何とも言えない顔をしながら、続々と会場へ入っていく。
居た堪れない。
何故か私が引き起こしてしまったような気がして、申し訳なくなる。
とは言え、嵐は去った。
私もまた、気を取り直してヒルシュと共に皆の後に続いた。
パーティー自体は滞りなく行われた。
私に謝罪する令嬢もいたが、別に気にする必要はないと言った。
アレは最早、巻き込まれ事故のようなもの。
お互い気を付けましょう、と忠告するだけに留めた。
令嬢達も同情するように接してくれたので、幸いだった。
終わり際に、ヒルシュは事の顛末を明かしてくれた。
「リーアがパーティーに参加し続けていると聞いて、奴は高みの見物をするつもりだったらしい。どうせ周りから相手にされていないのだと、高を括っていたそうだ」
「私にぶつかって来たのは……?」
「そうやって、周りの貴族たちと一緒に嘲笑するつもりだったらしい。全く、勘違いも甚だしい。自分の考えが的を外れているとも知らず、挙句そんな事のためにパーティーに顔を出すとは。父上たちも呆れ果てていたよ」
「でもお蔭で、他のご令嬢を味方に出来ました」
「しかし分からないな。ここまで意固地になる理由が……」
「彼は私との婚約前から好意を抱いていた女性がいたそうです。ですが既にその女性は、別の方と結婚されてしまったようで……恐らくはそれが原因かと」
「おいおい……まるで子供の癇癪じゃないか……」
「仰る通りです」
私は大きく頷いた。
自分が気に食わない、それだけで何ヶ月も婚約者を無視し続けた挙句、婚約を破棄された今でもそれを根に持ち続けた。
そんな事のために、一体どれだけの時間を無駄にしたのだろう。
きっと精神が子供のまま、大人になってしまったのだ。
最早、私の常識では測れない。
でも、大分気が楽になった。
「やっと、肩の荷が降りました」
「いや、まだだ」
「え?」
「あの異常な目つきを見ただろう? ヤツは執念深い。逆恨みを仕掛けてくる可能性もある。暫くは身辺の警護を強めるべきだ。念のため、今日は王宮に泊まると良い。翌日はアルストロ家まで送り届けられるよう、父上に進言しておく」
「そこまでして頂くなんて……宜しいのですか?」
「今更、遠慮するような話でもないさ」
ヒルシュはそう言う。
確かにあの執着心は相当だった。
回り回って逆恨みに変わる可能性もなくはない。
今まで無視され続けてきてそれは、と考えるも不安は残る。
お言葉に甘えさせてもらっても良いのかもしれない。
それにしても彼がわざわざ護衛を務めるとは、どういう風の吹き回しだろう。
少し疑問を抱くと、ヒルシュは一枚の絵を取り出していた。
私が描いた故郷の風景画だった。
「それにリーアの故郷を、一度見てみたい」
それがどういう意味なのか、聞く勇気はなかった。
恐怖心からではない。
胸の内に宿る温かさ。
無視ではない。
一人でもない。
確かに私を見てくれている、そんな安心感。
ただ私は微笑みながら頷くだけだった。
厄落としだ。
あの後、厄介な事がなかったと言えば嘘になる。
ヒルシュが予測した通り、逆恨みをしたキオラが私の命を狙おうとして、本格的に断罪されることだってあった。
だがそれはまた、別の話だ。
私は今も、王宮に足を運んでいる。
パーティーという名目ではない。
陽の光に目を細めながら、私は掌を広げる。
そこには新たな婚約指輪が、光に照らされていた。