気付く・上
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そして場所は宿の温泉施設、脱衣所。
先にガラドが温泉に入ったのを確認したオレは服を脱ぎ、風呂に繋がる戸に手をかけた。
「……よし!」
一度の深呼吸で躊躇いを振り払い、決心したオレは戸を開けて風呂場へと入ってゆく。
割と大きな音を立てる扉が、オレの入場を知らせた。
「おお? どうした雪月?」
当然オレに気付いたガラドがこちらを見ないようにしつつ疑問を投げかけてくる。
「やっぱ待ってんのも時間がもったいねえと思ってよ。昨日も一緒に入ったろ?」
なんでもないことみたいに言ってみるが、心臓は相変わらず早鐘を打っている。
胸に広がる熱も炎も収まりがつかないまま。きっと顔まで赤くなっているに違いない。
けれどこの想いとの向き合い方が、ガラドとの接触を必要としているのだから仕方ない……と、とても苦しい言い訳をしつつ、オレはガラドの近くへと歩く。
湯の抵抗を乗り越えてガラドと背中合わせに座ると、波紋がゆっくりと広がりオレたちを囲んだ。
円形に繋がる波紋の中に閉じ込められたように思えて、この場にいるのはオレとガラドだけという事実を強調してくる。
それがより、オレの鼓動を早めてきた。
そして数秒、いや十数秒だろうか。
長いようで短いような静寂を、ガラドの声が破り捨てた。
「なあ、雪月。昨日は夕食までの時間が短かったから一緒に入ってたが、今日は別に無理して一緒に入んなくても……」
こちらを見ないように背を向け合ったまま、しかしオレを見つめているかのように配慮を感じさせる。
「べ、別に無理してねえよ……ってか昨日も別々の部屋にするかとか言ってたな。また気ぃ遣ってんのかよ?」
昨日のことを思い出し、ガラドの気持ちを少し察した。
『別々の部屋にするか?』という問い。『別に無理して一緒に入んなくても』という配慮。
どちらも共に、オレが同じ空間にいることに対しての疑問と取れてしまう。
(もしかして、ガラドはオレと一緒にいるの……)
内心では嫌がっているのかもしれない。そう考えると辻褄が合う。
その結論に辿り着いた途端に、オレの胸にあった火は急速に縮こまり、代わりに恐怖が湧き上がってくる。
ガラドに拒絶されるかも、嫌われるかも、という恐怖。
それはすぐさまオレの体中を駆け回り、筋肉を硬直させ、脳内を黒く染め上げる。
怖い、動けない。オレが気付かなかっただけで、嫌われてしまうようなことをしてしまっただろうか。
自分の心と向き合うことだけ考えていて、ガラドの気持ちを蔑ろにしていたかもしれない。
色んな考えが頭の中を巡り、消えて、また巡る。
どんなことが起こってもここまで動揺した覚えなどなかったのに……と、思考回路が焼き切れてしまうほど考え込んでいると、ガラドの声が耳に届く。
「気遣いとか……あーいや、どうだろうな。なんっつうかまあ……だーめんどくせえ! はっきり言うぞ? お前が俺のこと信頼しすぎなんだよ」
何度も言い淀んでから発せられたガラドの声に含まれていたのは、拒絶や嫌悪感ではなく戸惑いのように聞こえた。
煮え切らないように言葉を探してから、オレたちの信頼関係に文句をつけてきた。
どうやら嫌われてしまったわけではないようで、ホッと胸を撫で下ろす。
と同時にオレのガラドに対する信頼に、本人から文句が出てきてしまったことに困惑した。
「信頼しすぎ……ってなんだよ。信じて当たり前だろ? だってガラドはオレの親友で、幼馴染で……」
そして憧れの人。けれどそこまで言うのは恥ずかしくて、語尾を濁す。
するとガラドがそこに突っ込んできた。
「そりゃ俺も同じ気持ちだけどよ……そうじゃなくて……もうこれも言っちまうか」
はっきりとストレートに言葉を伝える場合が多いガラドが、ここまで言いづらい事とはなんなのか。
疑問が大きくなっていると、ガラドが意を決したように一呼吸置いてから、告げた。
「実はな、俺は……お前が心の中に入ってきて、俺の記憶を取り戻してくれた時からずっと……雪月のことを、意識しちまってるんだ」
「……な、なななな、何言ってんだよ!?」
ゆっくりと、けれどしっかりと、ガラドの口からオレの耳に届けられた言葉には、どこにも拒絶などなく。
むしろそれは、オレのこの感情を受け入れてくれているようにすら思えた。
「夢の中でガキだった俺が初めてお前の姿が見た時、世界一きれいな人だと思った」
オレの心臓がまた、体中に血液を送る速度を上げた。心拍数の上昇。
けれどそれは、もう温泉のせいにはできない。
「ガキの姿をした俺と戦ってくれた時、ユヅキ姉ちゃんって呼びかける時、本当はずっとドキドキしてた」
胸中を明かすガラドの顔は、背を向け合っているから見えない。
いやたとえここが風呂場でなく、向かい合って話していたとしても……まともに顔を見ることはできなかっただろう。
「そんな雪月が、親友のことを世界で一番かっこいいとか言った時、嫉妬して不機嫌になってた。記憶をなくしてたとはいえ、俺自身に嫉妬するってのも変な話だけどな」
一度は熱を失った炎が、また膨れ上がってゆく。
その熱量は、勢いは……もうこれまでの比じゃなくなっていて。
「お前が泣いた時、胸が締め付けられた。お前が本音を言ってくれたから、俺は記憶を取り戻せた」
胸に宿る炎が心から漏れ出し、温泉の温度を上げているのではないか。
そう錯覚してしまうほど、熱を増して心を焦がしてくる。
「そんで目を覚まして、龍神様が言ったろ。お前が実は、元から女だったって」
背後から聞こえる声が鼓膜を叩く度に、この胸の炎に薪が焚べられている。
龍神様や氷奈さんの言葉が、頭の中に浮かび上がる。
『……あなたが、恋に落ちているから』
『幼い頃に恋に落ち、女性の心のまま現在まで生きてきた』
『自分の心と向き合って初めて、その想いの名前に行きつくの』
『自分はどうしたいのか、その人とどうなりたいのか』
彼女たちの問いかけや言葉の裏に隠されていたもの。
その答えはすでにオレの心が理解してしまった。
いや、龍神様には最初からはっきりと断言されていた単語だった。しかしオレにはその実感が無かったというだけの話。
ああ……もうダメだ。
これはもう、言い訳のしようがない。
「それを聞いた時、嬉しいって思っちまった。昨日、お前が男になるつもりがないって聞いて、心底喜んじまった」
本当はずっと前から、気付いていたんだと思う。きっともっと子どもの頃に。
けれどそれを認めるのが怖くて、いや、ガラドに拒絶されることが怖くて、直視できなかっただけだ。
オレは男だから勘違いだと、この想いに蓋をしていたのか。
それとも二人の友情を汚してしまうようで、心の奥にしまっていたのか。
「気遣いとか配慮とか、たぶんそういうやつじゃねえ。昨日、記憶を取り戻した時から……いや、もしかしたらお前が女になっちまった時から、かもしれねえ」
でも今ならわかる。この胸に広がる炎は、決してなにかを汚したりしない。
今まで育んできた友情も、ずっと追いかけてきた憧れも、全部本物で。
「俺は、雪月の事を……異性として、意識してるんだ」
ガラドに抱いてきた感情全てをひっくるめて、この恋心も間違いなく本物だと……気付いてしまった。
「前みたいにミリアって呼んじまったら、この感情を否定しちまう気がして……だからお前が雪月って名前に変えたの、スッと飲み込めたんだよな」
気付かないわけがない。
気付く以外に選択肢がない。
気付かないフリは、もう続けられない。
「んで……俺は雪月の事を女として見ちまってるから、信頼すんのはいいけど……無防備に近づくなよって事を言いたかったんだ」




