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虎と月

「「ふぅ〜」」


 その後、女将と大将の勧めでオレたちは温泉に入っていた。


 宿泊施設でありつつ、食堂も兼ねており、なお且つ入浴も可能な宿とは。

 今まで王国各地の宿に泊まってきたが、こんなに素晴らしいのは見たことがない。


 寒冷地でありながら、こうして体を温めるための温泉が湧くと言うのも珍しい。

 せっかくなので、こうして二人一緒に入ることにした。というわけだ。


 性別によって分かれているわけもないので、こうして肩を並べて湯に浸かっている。


 しばらくそうしていると、ふと気になることを思い出してガラドに話しかける。

「なーガラド?」

「どーした雪月ゆづき?」


「記憶を失ってる間とか、夢の中の事とか……どんくらい覚えてるんだ?」


 なにせ治癒術師でさえ、打つ手がないと言うくらい珍しい症例だ。お互いの認識に齟齬がないか確認しておいた方がいいだろう。


「おう、全部覚えてるぞ。お前がすげー頑張ってくれたこともな!」

 するとガラドは、笑顔をこちらに見せてくる。


 オレはそれにバシャッとお湯をかけた。

「どわ! なにすんだ!」

「るせー! こっち見んな! 裸だろうが!」


「ああそうだった、すまん」

 オレが腕を使って体を隠しながら抗議すると、ガラドは素直に背を向ける。


 並んで湯に浸かっているといっても、今は互いに異性の体。たとえ親友といえど、無闇に裸を見せるのは許容できない。


『恋に落ちているから』


 しかしその瞬間、龍神様の言葉を思い出し、なぜか心臓が早鐘を打つ。

 お湯に浸かって血行が良くなっているだけだろ。オレはそう結論付けて、胸に手を当てる。


「俺も聞いていいか?」

 そんなオレの心を知ってか知らずか、ガラドが声をかけてきた。


「なんだ?」

雪月ゆづきは本当は女で、男の姿の方が偽物だった……って話だったよな?」


「偽物っつうとなんかアレだが……まあ、そういうことだな。んで、それがどうした?」

 聞き返すとガラドは、少しだけ言い淀んでから、疑問を投げかけてくる。


「お前はどう思った? やっぱ男に戻りたい……つーか、また龍神様に性別変化の呪いをかけてもらいたいか?」

 その質問のどこに言い淀む要素があるのか。オレには分かりかねたが、迷うことなく即答する。


「ねえな。有り得ねえ。ってか、どっちかっていうと腑に落ちたわ」

「腑に落ちた……?」


「ああ、納得した。オレが元から女だったら、オレの疑問の全部に説明が付くんだ」


 それからオレは順番に、まだ首を傾げるガラドに説明する。


 まずは一つ目、オレが一度も女性に興味を持たなかったこと。

 これはわかりやすかった。心の部分が同性なら、魅力を感じなくて当然だ。


 そして二つ目、オレのミリアという名が女性名であること。

 幼い頃から疑問だったが、元が女ならおかしい名付け方じゃない。


「そして三つ目、これが一番大きな理由だが……オレがシドニスと戦闘訓練した時のことは覚えているか?」


「ああ覚えてるぞ、体が女になっちまったから、槍術がちっと粗くなってるって話をシドニスがしてたよな」


 オレの問いかけにすぐ答えてみせるガラド。

 記憶力自体はあるんだから、ちゃんと勉強すりゃいいのに。と少し思ったが、それを飲み込みオレは頷く。


「そう、そこだ。だがこの前の魔王軍との戦闘じゃあ、オレは一切無駄なく動けたんだ。一朝一夕で調整できるわけないって思ってたのに。だ」


「そういやそうだな。俺も隣で見てて、いつもの雪月ゆづきだ。と思うくらい……いやそれよりも良い動きだったぜ」


 オレとガラド、そしてシドニスの三人が、変わった肉体に慣れるまで時間がかかると判断したのに、オレはすぐに女性の体を使いこなしてた。


「だろ? だから納得したんだ。女の肉体がオレの本来の姿ってことが。だからこの事を龍神様の口から聞く前に、なんとなく察してたんだ」


「そうか……違和感がすぐになくなったから、あの話をすんなり納得できたんだな」


「そういうことだ。なんでそんなこと聞いたんだ? ……あー、さてはオレが男に戻るのが嫌なんだな?」


 オレの性別を気にするなんてガラドらしくないな。

 そう思ったオレは、少しだけいじってみようと考えて、ガラドの背を指で突いてみる。


「そうだな、嫌だ。オレはお前に女のままでいてほしいんだ」


「なっ……! ど、どうして……?」


 予想だにしなかった答えに、少し声が上擦ってしまう。同時に、龍神様に言われた『恋』という文字が頭の中を埋め尽くした。


「理由は無え!」

「ねえのかよ!」


 しかしガラドの答えがあまりにもおかしくて、ついオレはツッコミを入れる。

 思考回路を占拠していた龍神様の言葉も、すぐに霧散してしまった。


「ガッハハハ! 嘘だぜ。理由はな……お前が、子どもの頃みたいに笑ってるから。だな」

 ガラドが大声で笑い、ついで優しく呟いた。


「は……?」

 しかしオレは、親友の意図が分からず、疑問符を浮かべて一文字だけの返事をした。


「シドニスがお前を追い出す前……お前が男の時は、そりゃもう張り詰めてたぜ。希望ホープ持ちに食らいつくために、ずっと魔法と槍を磨き上げることだけ考えてたろ?」


「そう……だな。あん時は必死に強くなろうとしてた」

 ガラドの指摘は図星だった。


 あの時のオレには余裕というものがなかった。希望ホープ持ちの強さに甘えたくなくて、助けられるばかりのお荷物に成り下がるなんて、真っ平ごめんだって……そればっかり考えてた。


「でもお前が女になって……希望ホープが使えるようになってからは、よく笑うようになった。張り詰めてた空気がなくなって、お前は楽しそうに笑うんだ。それが俺には嬉しいからよ。だから、女のままでいてほしいって思うんだ」


 背を向けたままでもわかる。ガラドは今、心底楽しそうに話していることが。


「それに戦闘訓練でもよ! お前は勝っても負けてもなんも言わなかったのに、女になった時は俺に「次は勝つ」って悔しそうに言ったんだぜ! あん時は昔みてえだなって、マジで嬉しかったんだ!」


 北方防衛戦の前のことも、ガラドは楽しそうに話す。それもまた、オレの事をよく見ているから出てくる言葉で。


「それにアレだ。リーナの買い物に連れてかれる時なんか、本当に笑ったぜ! まあお前にとっては災難だっただろうがな! はっはっはっは!」


 そうか。ガラドはいつもオレの事を見てくれてたんだ。

 だから本気で笑うし、シドニスがオレを追い出すって話をした時も、本気で怒ってくれた。



 他でもない、オレのために……



「わ、悪いガラド! のぼせちまうから、先に上がるわ!」


「お、そうだな。結構話してたもんな。俺も……」

 オレは一緒に立ちあがろうとするガラドの肩に手を置いた。


「オレ、裸だから! もうちょい後で出てこい! な!」

 まるで捨て台詞を吐くように、オレは温泉から立ち上がり、脱衣所へと急ぐ。




(違う違う! そんなんじゃない! だってオレとガラドは親友で、幼馴染で……)

 そして憧れの人。


 顔が熱い。まるで焼かれてしまったようだ。

(このドキドキも、温泉の血行促進だ!)


 だとしたら、この感情はなんだ?

 早くなる鼓動が温泉のせいなら、頭の中を埋め尽くすこの想いは何のせい?


 友情じゃない。絶対に違うだろ。

 じゃあ愛情? それも違う。両親やおばあちゃんに抱いた感情とはかけ離れたものだ。


 友情のような爽やかなものじゃなくて、愛情のような温かなものじゃなくて。


 もっと焼くような、焦がすような、強烈な感情だ。

 知らない。これまで生きてきて十六年間、ただの一度も抱いたことのない感情。


 心の奥の方に、赤熱する鋼を入れられたみたいだ。

 胸の中心が、炎を纏っている。心が熱くて耐えられない。


『……あなたが、恋に落ちているから』


(なんで今、龍神様の言葉を思い出すんだ!?)


 オレは両手で頬に触れながら、脱衣所の床で体を縮めていた。

 だがしばらくしても熱が冷めず、着替えて出ようと立ち上がる。


 そうして、この正体不明の感情から逃げるように、オレは風呂場を後にした。

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