雪の月
「そ、そんな……謝らないでください! オレを助けるために色々考えてくれた龍神様に、感謝はあっても恨むなんて!」
龍神様が、その大きな頭部を地面にピッタリ着けて謝罪を口にする。
理屈はわかる。けどそれがオレの命を助けるためだったんなら、何も悔やむことなんてないじゃないか。
オレにはそうとしか思えず、
「だから頭を下げるなんて……オレは何も気にしてませんから」
と続けた。
『いえ、そうはいきません。あなたの精神体が女性であり続けた理由はなんなのか……何度も考えては結論の出ない日々でしたが、こうしてあなたを見て確信しました』
しかし龍神様は頭を下げたまま、オレに再度声を届けてくる。
『最初こそ私の神呪が未熟だったから、かと思っていましたが違いました。あなたの心が女性のままであり続けた本当の理由は……』
そこまで言って、龍神様は言い淀み言葉を出し渋る。
「本当の理由は……?」
続きが気になったオレが、同じ言葉を繰り返すと、龍神様が一拍置いてから答えた。
『……あなたが、恋に落ちているから』
「……はぇ?」
予想だにしなかった龍神様の答えに、オレは気の抜けた声を漏らすことしかできなかった。
なんだか最近オレのリアクションこんなのばっかだなと、どこか冷静な判断をしつつも、オレの耳は龍神様の声を受け取る。
『肉体と精神体は常に同じ形をとる……と先ほど説明しましたね? 肉体が男性になったなら、時間をかけて精神体も同じ形へと変わっていくはずです』
龍神様の説明は続く。
『しかしあなたは幼い頃に恋に落ち、女性の心のまま現在まで生きてきた……私があなたに性別変化の神呪をかけなければ、すでに成就したかもしれない恋なのです』
そこまで告げて、龍神様はまた、申し訳なさそうな感情を滲ませた。
『人々の間では「他人の恋路に踏み入る者は、グラゴモスに食われて死んでしまえ」という格言があるそうです。生憎と私はあの程度の魔物に捕食されるほど弱くはありませんが……私は今まさに、それを言われるべき罪を背負っています』
言葉の端に龍としてのプライドを感じさせながら、彼女は終始悔やんだ様子を見せた。
が、オレにとってはそれより前の部分で引っ掛かりを感じていて、言葉が脳みそに入ってこない。
「ちょ……っと待ってください。オレが、こ、ここここ恋に落ちてるって……?」
どもりながらも疑問を投げかけると、龍神様はひどく不思議な様子で、
『まさか、とは思っていましたが……自覚していなかったのですか?』
と言い疑問符を浮かべた。
「自覚も何も、オレがそんな感情……」
言葉を濁しながら、ハッと気づいて隣に立つ幼馴染に視線を移す。
「なんださっきから? 二人だけで話してんのかよ?」
しかしガラドは何もわかっていない様子だ。
龍神様はあらかじめ、オレとだけ話をする魔法を使ってくれていたみたいでホッとする。
『その反応が証拠……いえ、自覚がないならこれ以上は無粋というものですね。先ほどの言葉は忘れてください。老いぼれの妄言と思って』
前半はなんと言ってるか聞き取りづらい声量だったが、話題を切り上げた龍神様は頭を上げて姿勢を正す。
『すみませんガラド。男性には内緒の話をしていたもので……では二人とも、先ほどの話に何か気になる点はありましたか? 私も言い忘れたことがあるかもしれないので、気兼ねなく質問してください』
龍神様が促すと、ガラドはすぐに話を振った。
「じゃあ龍神様、ここから動けない理由ってなんだ? 最後らへんでそう言ってたよな?」
どうやらオレと同じ疑問を抱いたらしい親友の言葉に、彼女はすぐに答えた。
『それは私が神化の禊の最中だから、ですね。二人とも、雪の里の中心に、大きな花が見えますか?』
彼女に言われるがまま、少し離れた雪の里に視線を移すと、言われた通りに大きな青い花が視界に入る。
『あれは不壊の蒼花。私が百年前に作り出した魔道具の一種で、雪人族から出る氷の魔素を吸収して稼働する気温調節の花です』
『あなたたちの希望になぞらえていうなら不壊の蒼花と言ったところでしょうか』
少し上機嫌に呟いてから、龍神様は話を再開する。
『神の御業を再現させた者は、神々の住まう世界に招かれる。不老不死、不壊、永遠、万物両断……御業にも様々ありますが、私はあの魔道具を作成したことで、神の世界へと招待されたのです』
「招待された……ってまだここにいますよね? いや、それが禊に繋がってくる……?」
『はい、いいところに気が付きますね、雪月。私の持つ魔力を全て、神の扱う神気へと置き換える。それが禊という作業です』
聡い子どもを褒めるように、龍神様が説明してくれる。つまり……
「魔力を神気に入れ替えている間は、あんまり動けねえってことか」
ガラドの言う通り、それを示すように彼女は頷いた。
『神界からここへ送られる神気を受け取るために、私は雪の里から遠くへは行けないのです。二人とも、話が早くて助かります。理解力が高いのですね』
上機嫌に目を細める龍神様。
では他になにかありますか? と龍神様がこちらに聞いてきた。
オレもまだ色々と聞きたいことがあるので、すぐに口を開く。
「あの、オレの本当の名前が雪月って言ってましたけど、あれってどういう……」
『どういう……とは?』
聞き方が定まらず、要領を得ない質問になってしまった。
反省しつつ、言葉を探す。
「あー……っと、オレはずっとミリアって名前だったんです。赤ん坊の頃、ほんの短い期間だけ呼ばれてた雪月が本当の名だって言われても実感が湧かなくて……」
龍神様は少し、ふむと考えてから、オレの疑問に答えてくれた。
『あなたが気を失った時、念話で話しかけた事を覚えていますか?』
「はい、ウェービスを倒した直後の事ですよね……?」
『あの時、私も呼び慣れた方がいいと思い、最初はミリアと声をかけていたのです』
だがオレはそう呼ばれていた記憶がなく、また疑問が増える。
要するに、ミリアという呼びかけは聞こえず、雪月と言われて初めてオレは意識を取り戻したってことか?
『しかし試しに雪月と呼びかけた途端に、あなたは目を覚ましました。私も全てを理解しているわけではありませんが、少なくともあなたにとって真の名は雪月なのでしょう』
あくまで憶測であるという前提で、彼女は結論付けた。
「つまり俺もこれからは、雪月って呼んだ方が良いってことか?」
ガラドが聞くと、彼女は首肯し言葉を紡ぐ。
『はい。本当の名で呼びかけることで、彼女が本来持っていた潜在能力の全てを引き出せる可能性もあります。少し慣れないかもしれませんが、呼び名は雪月とすべきでしょう』
「なるほど……じゃあ雪月! これからもよろしくな!」
彼女の言葉に素直に頷き、ガラドがオレに拳を向けてきた。
その呼び方はついさっきまでいた夢の中のようで、なんだか不思議な感じがするが、決して悪い気はしなかった。
雪の里に着いてからというもの、門番の男性をはじめ雪月と呼ばれる続けていたから、あまり違和感もない。
「ああそうだな、ガラド」
オレは親友の拳に、オレの拳を軽く当てた。
たったそれだけの事だが、なぜだかオレの心を温めてくれる。




