龍の独白
あなたが生まれた日のことは、つい昨日のことのように思い出せます。
夜も更けて、月が輝くように綺麗だったのを覚えています。
あなたの母親が、一人の女の子を産み、私はそれを龍の眼を通して見ていました。
私は生まれた赤子が《氷王の両眼》の所有者である事にすぐに気が付き、名を考えていたのです。
千年前に、とある雪人族の女性と友になってから、《氷王の両眼》の持ち主には私が名付けることが慣例となっていました。
とはいえこの千年間で、私が名をつけたのはあなたを含めて三人だけでしたが。
話が逸れてしまいましたね。
そうして名を考えている間に、ふと空を見上げると、雪が降ってきていたのです。
月が綺麗に見えているというのに、あなたの誕生を祝うように降ってきた雪を見て……私はその赤子に……あなたに、雪の月と書いて雪月と名を与えたのです。
そしてその一週間ほど後、ある事件が起こりました。
早朝、雪の里が俄かに騒がしい事を感じ取り、私はすぐに龍の眼であなたの様子を確認したのです。
するとそこには……
閉じた瞼から、青い光を漏らすあなたの姿がありました。
私はその時、生まれて初めて自身の龍の眼を疑いました。
それは間違いなく、《氷王の両眼》を使った時の光。
私にとっては懐かしい、実に三百年ぶりの光でしたが、胸中は驚きで満ちていました。
初めてだったのです。不完全ながらも、生まれてすぐに《氷王の両眼》を使えるような人は。
しかし雪月、あなたは生まれて間も無い頃に、《氷王の両眼》によって己自身の瞼を凍らせていたのです。
視界を覆い尽くすそれが、自身の瞼であることすら気づかないような赤ん坊が、《氷王の両眼》を使用するなど……有り得ないはずの光景でした。
多くの……いえ全ての異能持ちが、物心ついた頃でないとそれを使えないのはなぜか、知っていますか?
物心つく前では、そもそも魔力操作もできず、魔力量も足りないから……というのが定説です。
異能の……今は希望と呼ぶのでしたね。希望の発動方法には二種類あります。
音声発動と静謐発動の二つ。
物心ついた頃に希望が扱えるようになるのは、魔力量が安定し、かつ言葉を覚えるからなのです。
難易度の高い静謐発動ではなく、言葉にすることでその魔力操作を自動化する音声発動ができる。使用する際の簡略化という利点は大きいと思われます。
けれどあなたは、その定説に対して唯一の反例となりました。
生まれたばかりの赤子でありながら、《氷王の両眼》に必要な魔力量を誇り、加えて静謐発動すらも行ってみせた天性の才能。
不完全な暴走といえど、それはあなたの才を証明するに充分な要素でした。
けれどこのまま放っておけば、あなたの瞼は凍傷によって壊死してしまいかねない。
私はすぐに魔法を使い人に化け、あなたの元へ駆けつけました。
そしてあなたの目にぬるま湯をかけながら、治癒の魔法をかけていたのですが、あなたは《氷王の両眼》の使用を止めてはくれませんでした。
それから三十分後、ようやく魔力が尽きて、あなたは希望を維持できなくなり眠りましたが、両親を含めたその場にいた全員が困惑していたのです。
またこの子が起きたら同じ騒ぎになるだろうと、皆が同じ結論に達していました。
ですので私が一つの提案を、あなたの両親に持ちかけたのです。
性別変化の神呪を使うのはどうか、と。
肉体と精神体は常に同じ形をとり、同じ座標に存在します。だから雪月は今、万全の状態で希望を使用できる。
魔法や闘気術といった魔力操作技術は、他者の精神体に影響を与えることはできません。この神呪も同様に、肉体にのみ作用するものです。
もし肉体が男性になり、精神体が女性というチグハグな状態になれば、このような事態は回避できるのでは無いか。と考えたのです。
あなたの両親は、何度も唸り声をあげて悩み、二人で話し合っていましたが、最終的には雪月の命に関わる可能性もある……と、私の提案を受け入れました。
けれど私のかけた神呪は、たった数日で解除されてしまったのです。
あなたは、その天性の魔法の才によって、自身にかけられた呪いを跳ね除け、女性に戻っていました。ついでまたも自身の瞼を凍らせていたのです。
これには二つの理由が考えられました。
まず一つは、あなたが名前を呼ばれていた事。
生まれたばかりの赤子です。両親のみならず、親戚や友人など、多くの人から「ゆづき」と名を呼ばれていたでしょう。
けれど名前や言葉には、力と魂が込められています。
もうすっかり影を潜めた詠唱魔法も、言葉に宿る力を引き出して魔法へと昇華させる技術。
名と言葉に宿る力が、あなたに神呪を破るほどの力を与えていたのではないか。そう結論付けた私たちは、あなたに仮の名前を与えました。
それがミリアという、今まであなたが名乗ってきた名です。
そして二つ目の理由は、この雪の里にあるのではないか、という点です。
この地の空気中には、雪人族にとって快適な氷の魔素が多分に含まれています。
それがあなたの魔法の才を、さらに押し上げている可能性がありました。
解呪に必要な魔力量と、天性の魔力操作のセンス、そしてこの土地に漂う氷の魔素。
これら三点が合わさって、私の神呪を打ち破ったのでは……と考えたのです。
前述した二つの理由のどちらか一方、あるいは両方か……悠長に検証している場合ではありませんでした。
希望の連続使用……とりわけその際の生じる継続的な魔力消費は、あなたの命すら脅かすだろうという懸念があったからです。
あなたも知っていると思いますが、魔力操作技術は、幼すぎる子どもには悪影響を及ぼす恐れがあります。
精神体にとっての魔力は、肉体にとっての血液に近しいもの。それを消費するという行為は、その二つの体の発達に害をなす危険性があるのです。
まだ肉体も精神体も満足に育っていない赤ん坊が、何度も希望を使用するなど、決して良いことでは無い。
私も、あなたの両親もそう考えて、雪の里からの移住を決定したのです。
そうして最後に、私はあなたの両親にこう伝えました。
「十年の歳月を経てもこの子が《氷王の両眼》を使用できなければ、それは精神体が女性であり続けている証拠です。その時は必ず私の元へ来てください」
と。
けれどあなたが十歳になった時、各地で魔物の異常発生が見られ、次の年には魔族が出現してしまいました。
あなたの両親がいくら腕に覚えがあっても、これでは危険すぎると思い至りました。私は念話で前言を撤回し、成人した後にこちらへ来るようにと訂正したのです。
そしてどうか、許してください。
あなたの性別を変え、この地から離れるようにと提案したのは私なのです。
幼いあなたの命を守るためとはいえ、性別変化の神呪によって男性へと変え、あなたの人生を狂わせてしまいました。
この罪は私からあなたに伝えるべきとし、あなたの両親にも口止めをしていたのです。
今思えばあなたが十歳の頃に、こちらへ来ることが不可能となったタイミングで……性別変化については両親から伝えておくべきだったと後悔しています。
自身の罪を意識するあまり、あなたの心と体の不一致に気が回らなかった……悔やんでも悔やみきれません。
私はある理由により、ここから離れることは不可能なのです。
だというのに、あなたの運命を左右する……性別を変えるという選択肢を取ってしまったこと。
謝っても許されるようなことではありません。
けれどどうか私の謝罪を聞いてください。
本当に、申し訳ありません。




