龍神
「クッ…‥ころせぇ……! いっそころしてくれぇ……!」
蹲りながら、地面に向かって吐き捨てるように呟く。
「あの〜……」
オレの声が聞こえたのか、門番の男性がおそるおそるといった様子で、その場にうずくまったオレに声をかけてきた。
「……大丈夫か?」
ガラドも彼に倣って、オレの顔を覗ってくるが、オレはもう顔を上げる勇気がない。
これだけの恥を晒して、どんな顔をすれば良いってんだ。
「大丈夫です。言いふらしたりは……ってそっちの虎人族の方は、勇者パーティの……?」
優しく声をかけてきた門番が、近づいてしっかりと見たことで、ガラドの顔に覚えがあると理解したようだ。
「ということは、横にいるのは……氷奈ーー! 里長呼んできてくれーー!」
そこからオレのことも思い至った様子で、近くの民家に大きな声で伝えていた。
「ユヅキちゃん帰ってきたってーー!!」
続く門番の言葉に、聞き覚えのある単語が現れ、オレはうずくまっていた顔を上げた。
(ユヅキ……謎の念話で聞いた単語だ。もしかして……オレのことか?)
ここにいるのはガラド、門番の男性、そしてオレの三名だけ。
さっきオレたちを見ていた親子連れの姿はもうないので、必然的に「ユヅキ」というのはオレを指してのことだろう。
だがオレの名前はミリアだ。ガキの頃からずっと……そのはずなんだが。
それにガラドのことに気付くなら、雪の里にも新聞は届いていると考えていいだろう。ならばオレの名前だけが伝わっていないとは考えにくい。
結界でオレを守った謎の女性の声と、門番の発言に共通する「ユヅキ」という名前。
知らないはずのそれが、なんだか懐かしいような感じがしてくる。オレの母ちゃんや、さっき知り合った氷鷹の名付け方に似ているからだろうか。
「はーい、あなた。連れてきましたよ」
そうこうしているうちに、氷奈と呼ばれていた穏やかな雰囲気の女性が老人を連れてきていた。
おそらく四十代後半……いや五十代か。
まあ大体それくらいの年齢と見られるお婆ちゃんは、歳に負けずスッと伸びた背筋を見せつけるかのように、こちらに歩いてくる。
門番の男性が里長と呼んでいた老人は、オレの顔を見るや否や、スタスタと近づき……
「ユヅキちゃん、おかえりなさい……」
ギュッとオレを抱きしめた。
女になり少し身長が縮んだとはいえ、それでもオレは女性の中では高身長と言い切れる。
そんなオレと比べて小柄なお婆ちゃんは、優しく、だがしっかりと抱きしめて「おかえりなさい」と呟いた。
「うぇ……? あの、えと……?」
しかしオレは当然ながら彼女のことを知らず、いきなり抱きつかれたことに理解が追いつかなかった。
そんなオレの心境を考えてくれたのか、お婆ちゃんはオレから離れて口を開く。
「……そうね。ごめんなさい。貴方はまだ赤ん坊だったんだから、わからないのも無理はないわ。いきなり抱っこされて驚いたわよね?」
「あ、いえ……」
困惑した表情を隠せなかったオレの顔を見て、里長は少し寂しそうな雰囲気を滲ませた。
しかし、彼女はすぐにオレたちの前で姿勢を正して話しかけてくる。
「貴方たちのことは、ついさっき氷鷹ちゃんとの念話を通じて把握しています。ついてきてください」
そう言うとオレたちに背を向け、門の中へ……ではなく、近くの山に歩き始める老人。
「龍神様のもとへ、案内します」
〜〜〜〜〜〜
それから三分ほど歩き、里長を含めたオレたちは山の麓に到着した。
おそらくここから山頂に登れば、そこに龍神様がいるのだろう。
それほど標高が高い山ではなさそうだが、老人にいきなり登山は厳しいのではと思い、山頂に向けていた目線を里長に移す。
すると彼女はおもむろに懐から鈴のついた紐を取り出し、それを指に絡ませてから拍手をする。
パンッ! ……チリン。
心地よく思うほど綺麗な音を立てた拍手。そして同時に揺れた鈴の音が、拍手を飾り立てるように寄り添った。
里長の両手から二種類の音が響くと同時に、眼前の小山が揺れた。
大地が揺れているわけではない。揺れているのは眼前の小山だけ、まるで蜃気楼のようだ。
凪いだ水面に一滴の雫が落ちるように、空中に波紋が現れる。広がる波紋がゆっくりと小山を包み込んでいった。
蜃気楼に似た揺らめきは、波紋が小山を全て覆い尽くした瞬間にピタリと止まり、続けて小山がその姿を変えた。
小山に積もっていた雪は、白い鱗へと。
山を飾る多くの樹氷は、陽光を反射させて輝く爪や角へと。
そしてオレたちの眼前にあった山の麓は頭部へと変化し、長い首をもたげて水晶の瞳をこちらへ向けた。
そう、オレたちが小さな山だと思っていたそれは、変幻の結界で覆われた……巨大な白い龍の姿だったのだ。
先ほどの拍手と鈴の音は、他者の認識を変える変幻の結界を解除するためのものだったのか。
「おはようございます、龍神様」
『おはようございます。せっちゃん……そしてユヅキ。久しぶり……と言ってもあなたは覚えているはずもありませんが……』
雪人族に龍神様と崇められる彼女は、鋭い眼光に反するように優しさを滲ませて言葉を紡ぐ。
せっちゃんというのは、里長の名前だろう。なんだか親しげな雰囲気を感じる。
そしてやはりというか、その声には聞き覚えがあった。
ウェービスとの死闘の後に気を失ったオレに、念話で話しかけてきた声と全く同じ声色だ。
オレの繰り出した《氷点花》を防ぎきった結界も、彼女が術者ならば合点がいく。
そのことについて感謝を……いやまず、初めましてか? いやそれも大事だが何よりガラドの記憶喪失のことを……
「はじめまして……あーと……」
色々なことが頭の中を駆け巡り、うまく言葉が出てこない。
するとそれを読み取ったのか、龍神様はオレに話しかけてきた。
『落ち着いて。私も話したいことが…‥話さなければいけないことが、たくさんあります。けれどまずは、彼の記憶を取り戻すことが先決でしょう』
否、読み取ったのはオレの心境じゃなくて、心の中だったのか。まだ話してもいないガラドの記憶喪失について言及するとは。
驚くオレの顔がおかしかったのか、龍神様はクスリと笑い、言葉を続ける。
『龍の眼は、あらゆるものを見通すのです。反応が新鮮でいいですね』
さて……と前置きをしてから、彼女はオレとガラドを浮遊させた。
「おわっ!?」「なんだ!?」
いきなり体が浮遊し、二人して似たような声を上げる。
『落ち着いて、ユヅキ……ガラドの魔力の流れに、澱みがあります。糸が絡まっているようなものと考えてください。今からあなたと彼の心を繋ぎます。そして絡まっている糸を解くのです』
「解くって……どうすればいいんですか!?」
そして突然の話に、理解が追いつかずに大きな声で聞き返すと、彼女はまたもや優しく答えた。
『彼は今、ずっとここにいたいと願った過去に囚われているのです。だから現在に戻ってこれない。それによって肉体と精神体に差異が生まれ、記憶を失うという形で表出しているのです』
「つまり、過去のガラドと話をすればいいと……?」
『はい、けれどあなたも気をつけてください。彼にとって心地よい過去は、同じ時を過ごしたあなたにとっても、きっと……』
なるほど、大体はわかった。昔のあいつを引っ張り出すってことか。
その過程で過去のあいつと一緒にいたいと願ってしまえば……オレの心も囚われておしまいと。
「わかりました! お願いします!」
だがオレは逡巡すらなく、龍神様に返事をする。
ガラドの記憶が戻ってくれるなら、オレはどんな危険だって厭わない。
そして言ってやるんだ。もう二度とオレのことを忘れるんじゃねえぞって。
そんなオレの心も見抜いたのか、龍神様は嬉しそうに口を開く。
『ではいきます……』
彼女の声を最後に、オレは水の中に沈むように、意識を手放した。




