記憶の行方
「記憶喪失、というものですね」
「記憶喪失?」
オレは治癒術師の男性の言葉を鸚鵡返しにくり返した。
「はい。私も初めて診ましたが……肉体的、あるいは精神的な衝撃によって、記憶を失うという症状です。どの程度記憶を無くすかは定かではありません。もしかすると全ての……」
「す、全て!? これまで生きてきた記憶をですか!?」
オレはあまりの驚きに大きな声で、疑問を投げかけた。
治癒術師は落ち着いてください、とこちらを宥めてから説明を続ける。
「まずは症状の度合いを確かめるべきでしょう……では、ご自身の名前と年齢を教えていただけますか?」
前半はオレに、後半はガラドに向けて男性は話しかける。
「名前……は、ガラド。歳は……わかんねえ」
それから治癒術師の男は出身地や両親の名前など、いくつかの質問をしてみる。対してガラドは受け答えこそするが、その口から出てくるのは全て同じ言葉。
「わかんねえ」
だけだった。
その中で、オレにとって一番キツかったのは、
「ではお隣の女性の名は、覚えていますか?」
という問いかけにも「わかんねえ」と答えたこと。
いや、「あんた誰だ?」と言われた時から頭では理解していた。
だが心はそれを否定したがっていたんだ。
ガラドがオレを忘れるなんてあり得ねえって、心のどこかでそう思い込んでいた。
そう思うことで、なんとか自分を保っていた。
だってオレにとってガラドは、強くなる理由そのものだから。
忘れられたら、傷つくなんてもんじゃない。
「……そうですか。では少しの間、部屋の外で待っていてください。こちらの女性と話すことがありますので」
男性が促すと、ガラドは素直に部屋を出る。
「……ミリアさん、私は記憶喪失というものを、全て理解している人間ではありません。書物で見たことがあるだけ……ですのでこれから話すことは、根拠のない妄言に等しいでしょう」
前置きをしてから、話し出す。
「記憶は精神体の核、心の奥底にあると言われています。今の魔法技術では、触れることさえできない領域です。治癒魔法や薬を使用しても彼の症状を治すことはできないでしょう」
「できることといえば、彼の記憶をなぞることです。昔食べたものでも、一緒に楽しんだ遊びでも、なんでもいい。記憶が戻る保証はありませんが……それでも試す価値はあると考えています。どうでしょうか」
治癒術師は淡々と話し、オレに問いかけた。
緩みかけた涙腺に力を込めて、返答する。
「わかりました。オレがアイツの記憶を取り戻します」
オレとガラドは治癒院を後にした。
とりあえず、今オレの目的はガラドの記憶を取り戻すこと。
大口を叩いたとはいえ、ガラドの記憶を取り戻す方法は今のところ思いつかない。
(遊びとかって言ってたが、怪我のせいで一ヶ月は激しい運動はダメって言われたしな……それまでずっとこの街に居続けるのもな)
となるともう一つの目的、オレの母ちゃんの故郷である雪の里に行くことを優先するべきか。
「なあ……」
歩きながら考えていると、横から声をかけられる。
「なんだ? ガラド」
「あんたの名前は? あと俺の友だち……なのか?」
「ああそっか……忘れてんだもんな。オレはミリア、友だちじゃねえ、大親友だ。覚えとけ」
声とともに、拳をガラドの胸に当てて笑ってみせる。
(不安だよな。名前以外の全部を忘れて……)
すると突然、横から「グゥ〜〜」という音が聞こえてきた。
音の発生源は探すまでもなく、ガラドの腹。
大柄な肉体が、栄養を求める声だ。
「そうだな……まずは飯にするか!」
バクバクッ! という音が目に見えているかのようだ。
腹の音を聞いてすぐ近くの料理屋に入り、遅めの朝食を摂ることにしたのが数分前。
今、オレの眼前には七日分の空腹を満たすために忙しなく口と手を動かすガラドの姿があった。
空腹というモンスターを討伐するため、次々と料理がガラドの口に突撃してゆく。
昔から人一倍飯を食う男だったが、今日は輪をかけて凄まじい。
一人前の料理を合計十皿平らげたところで、ガラドは満足そうに腹を叩いた。
「ふぅーー、食った食った。ごちそうさん」
その様子は傍目から見ればいつも通りのガラドだ。記憶をなくしているようには見えない。
(そういや食器の使い方とか言葉とかは忘れねえんだな……両親に教わった記憶も無くなってるのに)
両親の名前も思い出せないのに、両親に教わった言葉は覚えているのか。
体に染みついたものは記憶喪失でも忘れないということだろうか?
と考えごとをしていると、快活そうな声が鼓膜を叩く。
「いやーー、良い食べっぷりだねえあんた! 作ってる方も嬉しくなるよ!」
厨房の方に目線を動かすと、ちょうど出てきた恰幅の良い女性がガラドに向けて話しかけていた。
「ああ、美味かったぜおばさん!」
「そうかい、ありがとうよ! ん? それにしてもあんたたちどっかで見た顔だね……」
怪訝そうに顎に手を当てながらオレたちを見つめた女性は、数秒後に頭上に感嘆符を浮かべた。
「ああ! 新聞で見た勇者様の仲間じゃないか!」
勇者パーティの動向や似顔絵は、新聞によって広く知られている。
例に漏れず今回、北の四天王ナーグを倒した知らせもすぐに広まった。実際この一週間は記者に話しかけられる回数も多かった。
オレはガラドの見舞いで断ることもあったが、あの戦場にいた兵士たちはそれに応じたのだろう。
これまでも似顔絵を描くだけ描いて、取材は兵士たちの方にすることが多かった。
勇者パーティは鍛錬と移動に時間を使うことが多い。取材に割く時間はあまりないのだ。
だが一般兵は、その地の四天王を倒せば多くが任を解かれる。人数も確保されているし、勝利のあとは話したがる人も多い。取材にはうってつけというわけだ。
「あんたたちのおかげで、ダボライに活気が戻ってきたよ! 本当に、ありがとうね」
料理人の女性が再度、ガラドに感謝を伝えてくる。
ガラドの大きな手を包むように握り、嬉しそうに笑う女性。
「……?」
だが、ガラドはなにがなにやらという様子で首を傾げる。
記憶のないガラドからすれば、何に対して感謝されているのかわからないのだろう。
「おや、どうしたんだい? きょとんとして……」
とうぜん、想像とは違う反応に戸惑う女性。
「あー、すいません実はコイツ……」
そこでオレは女性に向けて話を始める。
……
ガラドの記憶喪失について簡単に話し終えると、
「……そうかい。あんたたちも大変だったんだね」
としみじみ呟く女性。
「四天王とやらを次々倒すもんだから……勇者パーティってのは、どんな敵も無傷でやっつけちまうすごく強い人たちなんだと思ってたけど……傷も負うし、七日も眠り続けるくらい頑張ってくれてたんだね」
今度はオレとガラドの手を握りながら、優しく言葉を紡ぐ。
「それで、この後はどうするか決まってるのかい?」
「はい、少し休んだら雪の里に向かおうかと思ってます」
オレがそう答えると女性は閃いたと言わんばかりの表情で口を開く。
「雪の里かい! なら、良い事を教えたげるよ! ええとね……」




