氷の魔法
全速力で走る。すでに肉体の変化に慣れたのか、それとも魔力が多くなったからか、男の時よりも移動速度が上がっている気がする。前線が後退しているとは言え、大軍同士の競り合いだ。それほど大きく退いていることはないと思うが……。
そう考えているとすぐに魔族の反応が探知魔法に引っかかる。
予想通りそこまで前線が後退していなくて良かったと安堵するのも束の間、すぐに気を引き締めて戦闘に加わる準備を始める。
魔族は今、オレとガラドから離れたことでガンガン攻めている状態だ。そこに背後からオレが現れたら一般兵との挟み撃ちの形にできる。
そうなればもちろん二人の魔将軍はオレの元へと駆けつけるだろう。希望持ちに対抗できる魔族は呪装持ちだけなのだから。
それらを考慮して今、オレがすべきことは……
『其は深き泥にして純白の災い。四方の調べ、三界の抑止、双つ束ねて壱と成す』
魔将軍が来るまでの間、より多く雑魚を蹴散らす。そのためにオレは走りながら詠唱を始めた。
図式魔法が主流となりつつある今、詠唱魔法は使われなくなってきている。が、その中にはまだ実用性の高いものがいくつか存在する。
『業火、珠露、霹靂。賢しき者、霞の重さを不知』
これはオレの母ちゃんから伝えられた、雪人族にだけ扱える魔法らしい。
この詠唱魔法は古くからあり、図式変換がされておらず瞬間的に使うことはできない。おそらくこの複雑怪奇な呪文を解析して図式化するのが難しいからか。
『落葉の影、閃きは彼方。泥濘の鋼、下弦の月が射貫く』
詠唱を続けながら走っていると、魔族の群れが視界に入ってくる。オレの魔力を感じてか、もしくは単純に声が聞こえたのか。こちらを振り向き各々が武器を振りかぶる。
単独で敵軍に突っ込む馬鹿がいれば当然こうなるだろう。だがヤツらは知らない。
『砕き、纏い、潰して穿て! 不動の水面に刃を立てろ! 詩妖順節・第四番《染白雪》!!』
オレが今、過去最高に奮い立っていることを。
先頭にいた魔族兵一人を槍で突き、払いのけながら詠唱を終えた。長い呪文を唱え、ようやく魔法が完成する。遠くオレの祖先がいた国では妖術と呼ばれるその魔法は、周囲の空気を凍てつかせ、オレに白い息を吐かせた。
次いでオレを中心にして空中に浮かび上がるものがある。氷で作り出された十の鏃だ。それらは群がる魔族の頭を貫き、瞬きの間に同数の死体を作り出した。
横たわる体にできた風穴が凍りつき、出血すらも許さない。傷口から凍結範囲は次第に広がり、魔族の骸は真白に染まる。
鏃は意のままに操ることができ、頭部や心臓でなくともその効果は絶大だ。
何せ右腕を穿てば凍りつき、武器を振るえなくなる。足に当たれば歩行も不可能。おそらくだがこの魔法だけの効果ではないだろう。
開戦時から一般兵が撃ってくれている水や氷の魔法が、ただでさえ低いこの地の気温を下げて魔族の動きを阻害してくれていた。体温が下がれば活発に動くことはできない。そのための魔法だったのだろうが、おかげでより効率的に染白雪が機能する。
きっとこれがなければ腕や足に当たったところで、出血するだけで行動不可能にすることはできなかっただろう。
オレは心の中で前線兵士に感謝をして、槍を握る手に力を込める。
「さあ来い! てめえら全員ぶちのめしてやる!」
それからオレは戦場を駆け回った。氷の鏃は自由に動かせるが、オレが動かなければ逃げられるだけ。敵をより多く仕留めるには槍と魔法を同時に使い、攻め続けるのが手っ取り早い。
そしてそれは、オレに近づいた敵は残らず戦闘不能にできるということでもある。手足あるいは胴体であっても、負傷部位から凍結範囲が広がり、命を取るとまではいかないまでも行動不能にはできる。
そうなればあとはこちらの兵士たちの遠距離魔法が当たって終わりか、寒さに凍えて死ぬかの二択しかない。
白い嵐となって駆けるオレは、ヤツらからすれば迫りくる死そのものだった。もはや敵わないと悟り逃げ回る魔族兵に鏃を飛ばして仕留め、力を過信して向かってくる者は槍で串刺しにする。
いくらか抵抗できるヤツも、槍と鏃全てを対処できるはずもなく、あえなく白く染まった。
恵まれた体格や膂力、豊富な魔力量に胡座をかき、闘争を好んでいても鍛錬はしない。そんな魔族ばかりでオレを止められるはずもなかった。
どれだけの魔族を仕留めた頃だっただろうか。魔族兵たちが周囲の惨状を見て、ようやくオレが恐怖の対象であると認識した頃、探知範囲内に大きな魔力反応が侵入してくる。
「火回!」
弧を描きながらこちらに飛んできた火は、氷の鏃を三個ほど溶かしてオレの真横を通過した。オレを狙ってではなく、厄介な鏃を処理しようとしたのか。
「ほほう、悲鳴を聞いて来てみれば、こちらの兵士の死屍累々……」
「こいつがナーグ様が気をつけろって言ってた希望持ちってぇのか!」
火の出所を探していると、二人の男の声が聞こえる。そちらを見ると指先が尖った籠手を身に付けた長身の男と、燃え盛る斧槍を携える男がいた。
他とは明らかに魔力量が違う……いや、その立ち姿を見ただけである程度予想はつくだろう。こいつらが残りの魔将軍か。
「俺さまは火爪のクーゴ! 雑魚ばっかで退屈してたんだよ! あっさり死ぬんじゃねえぞ!」
こちらの視線を感じ取った長身の男はクーゴと名乗りをあげ、オレの方に突進してくる。
尖った籠手の指先がさらに鋭利な影を作り出し、獣の爪のように変化する。その指先から火が零れるように広がり、ほどなく両腕全てに炎を纏った。
燃える爪の呪装か、あっちの男も燃える斧槍を持っていたな。他の前線と違い、北は異常なまでに寒い地域だ。ここに攻め入るために火の呪装持ちを集めたってことか。
考える間にもクーゴはすでに目の前に来ていた。
瞬間、響く金属音。その現象にクーゴが驚愕の声をあげる。
「なっ!? どうなってんだ!!」
疑問の答えはシンプルだ。オレの手にあるのは氷王の両眼によって作り出された氷の槍。それが燃え盛る呪装と激突すれば氷が溶ける手応えがあるはず。
しかし両者の耳に届いたのは甲高い金属音。そう、オレの氷の槍はいまだ形を保ったまま、炎を纏う爪を弾いたことを誇るかのように、一部分すら解けずに健在であった。
これは氷王の両眼の特異性が起因している。
〜〜〜〜〜〜
「そういえばそれ、なんかおかしいわよね?」
それは氷王の両眼の能力の詳細を確かめていた時、ふとリーナがこぼした言葉だった。
「それって、この氷の槍か? どこらへんがおかしいんだよ?」
ガラドは首を傾げつつ、リーナに聞き返す。確かにそうだ、物体を凍らせる希望を使って氷を生み出すことにどんな違和感を感じるのか。
……いや待てよ?
「……確かに、これ何を凍らせてるんだ? なんとなく作り出せるからやってたが、どういう原理でこれが作れるのかわかんねえわ」
「そういえばそうだね。何かを凍らせるのがミリアの希望だ。槍の形に切り出した木の枝なんかを凍らせてこれを作り出しているならともかく、なにもない空中に氷の槍を作り出すのは、凍らせる能力じゃなくて物体を生み出す能力だね」
そう、オレとリーナが気付いたのはそこだ。視界内にあるなにかを凍らせるのとは違い、これはオレの望んだ物を視界内に創造したと言った方が適切だろう。
キリアナに粉々にされた愛用の槍と全く同じ長さ、重さ、そして切れ味。どの部分を取り上げても異常といえるこれは、いったい何を凍らせたのか?
「凍らせる能力じゃなくて、創造する能力……ってそれ全く別のもんだろ? 一つの希望に二つの側面があるってことなのか?」
シドニスの発言にまたしてもガラドが疑問を投げかける。
すると次に声を発したのはリーナだった。
「魔力……いいえ、空気中の魔素かしら? 仮説とはいえ魔力を目視して凍らせているなら、その素である魔素も凍らせることができるはず、いやでも精神体に吸収して自身の魔力に変換させてならともかく、空気中の魔素そのものを操作するなんて聞いたことも……」
いや、それは声を発したというより独り言を呟いたといった方が正しいか。
顎に手をやり、うーんと唸り出すリーナの発言に、シドニスがひらめいたと言わんばかりの表情で話始めた。
「いや、それがあってるのかもしれない。僕の剣王も本来、物理的に触れない魔力を剣の形に実体化させているし、希望が既存の魔法技術で解析できない物だとしても不思議じゃない」
「それもそうね……。もし空気中の魔素を操って氷の槍を作り出してるなら……ミリア君、それちょっと地面に刺してくれる?」
納得した顔のリーナが今度はオレの方に視線を移し、なにやら考えたのちにそう言った。
「ん、まあいいけど」
「そう、あとちょっと離れてて……うん、巻き込んじゃうと良くないから」
氷の槍を地面に突き刺し、オレがある程度離れたのを確認したリーナは……
……それに向かって高威力の炎魔法をぶっ放した。
(あー、なんかちょっと前に同じ光景見たな〜)
氷壁の強度確認と同じだろうか。あの時と全く変わらない光景だが、オレは動じない心を手に入れていた。
「やっぱり溶けて……ないこともないけど、形はある程度残ってる。魔素を直接氷にしてるから強度が上がってる? それとも氷王の両眼の特異性が、作り出した物体の強度を上げてるのかな……」
リーナの独り言のような呟きに、シドニスが結論を出す。
「今言ったところで真相はわからないね。研究者さんもいるわけじゃないし、僕たちだけで検証した範囲でわかるのは、おそらく空気中の魔素をミリアが望んだ形に凍らせること。それと氷の強度を上昇させていること」
リーナとオレもその意見に頷き、氷の槍を握りしめる。
「生半可な炎じゃ、こいつを溶かすこともできねえってか……なんだか希望ってのは全部おかしいもんなんだな」
以前からわかってはいたが、自分が当事者になると感慨深いというかなんというか。これが昔は異能と呼ばれていた所以。既存の魔法技術が及ばない領域にあるのを身をもって体感した。
〜〜〜〜〜〜
「なんなんだあ! おかしいだろ! なんでその氷は溶けねえんだ!」
驚きを隠せないクーゴが、爪でオレの槍を弾く。オレの周囲にあった氷の鏃は、火爪の発する熱でさらに二つ溶けてしまったが、氷の槍はいまだ健在だ。
こいつはオレの能力を知らない。つまり周りに浮かんでいた鏃が魔法によるもので、氷の槍が希望から作り出された事実を知らないということ。
鏃を溶かすことができたから当然槍も溶かせるものと思い込んでいる。その勘違いにより生まれる動揺は大きくなる。
そして動揺は大きな隙を生んだ。もとより籠手による近接格闘をオレが槍のリーチで拒否していた状況も歯痒く感じていたのもあるのだろう。
強引に踏み込み、槍の間合いの内側に入ろうとしてきた。牽制を嫌ってのその行動は決して悪いことではない。ただし、オレが相手でなければの話だが。
アウトレンジが槍の間合いならば、クロスレンジは氷王の両眼の間合いだ。眼前に訪れたクーゴの火爪ごと右腕全てを凍りつかせる。
右腕を覆っていた炎を丸ごと氷の中に閉じ込め、熱が無くなれば染白雪が使える。
凍りついた右腕がオレの頭部に到達する瞬間、クーゴの右肩を五つの鏃で貫き、胴体との接点を失ったそれが宙を舞った
「なっ……!?」
瞬きの間に右腕を切り飛ばされたクーゴが驚愕の声を上げるが、二の句を告げることはできなかった。なぜならオレは一瞬のうちに鏃でかかとを切り裂き、膝をつくクーゴの心臓を貫いたから。
「残念、これでしまいだ」
突きと同時に言葉を吐く。胸を貫いた氷槍を引き抜き、穂先に付いた血液を振り落とすと、地面に赤色が広がった。
魔将軍にしてはあっけない、雑兵の如きやられ姿を見て、オレは遅まきながら実感を得る。希望持ちと同じ場所に立っているのだという実感を。
しかしそんな実感に浸っている時間はない。オレは即座に視線を動かし、斧槍の魔将軍を睨みつける。
「さあ次はお前だ。名乗りはいるか?」
「見事だな、クーゴを難なく殺すとは……私は四天王ナーグ様が配下、火焔槍のウェービス。貴殿と巡り会えた幸運に感謝を……」
ウェービスは構えをとりながら獰猛な笑みを浮かべる。今しがた仲間が死んだというのに、それを悼むよりも先に眼前の強者に対しての関心が勝るのか。
いや……これが魔族の死生観だったな。個々の闘争本能が強すぎるあまり、仲間意識が薄い。その他の感情をおざなりにし、強者と認めた相手には一騎討ちを求める傾向がある。
結果としてクーゴとの戦いに加わってこなかったのは、確かにオレにとって有利にはたらいたが、だからといって気分の良いものではない。いや、あるいは我が強すぎるせいで、連携ができないと割り切っているのか?
「まあどっちだっていいか……オレはミリア。希望の名は氷王の両眼だ」
一応の礼儀として名乗り、オレも構える。
ウェービスと睨み合い、一瞬の間に互いの槍が激突した。