順調か否か
一方的だ。ただひたすらに一方的。
それはもはや戦いではなく、蹂躙と言って差し支えない光景だった。
突きや蹴り、そして膝も、ガラドの全てが的確に魔将軍の体をえぐり、痛めつけていった。
傷一つないガラドとボロボロの魔将軍の姿が対照的に映る。
「ほらほらどうしたよ? 一丁前なのは威勢だけか?」
「くっ………そがああああ!! うぶっ!?」
蹴りを喰らい吹き飛ばされる魔将軍が、即座に体勢を立て直して前方を睨みつける。しかしすでにガラドの姿はそこにはなく。
「後ろだノロマ」
「なっ……がはぁ……!」
振り返る瞬間、横腹に突き刺さる右拳が決定打となり、魔族の男は動かなくなった。
腹部を起点にくの字に折れ曲がったその体からは生気を感じず、力を失い開かれた両手から二振りの短剣がこぼれ落ちる。
ヤツの呪装と思しきそれらは、ついぞガラドに刃が届かなかったことを恥じるように空気に溶ける。ついで横たわる魔将軍から感じていた魔力が消失した。
それは肉体から精神体が離れたことの証左。すなわち死だ。
そしてガラドが決着をつけると同時に、オレは周囲にいた魔族兵の最後の一人を片付けた。
目視できる範囲に敵兵の姿が確認できなかったので、探知魔法で広範囲に索敵をかける。しかしそれでも魔族と思しき魔力反応はなく、防衛戦を張っている味方も確認できない。そこでオレは首を傾げる。
希望持ちがいること、それ自体が敵に対しての牽制になるため、単独行動はしていても前線と離れすぎないように気をつけていたはずだ。
それこそ、味方の前線兵士たちが探知魔法の範囲外になるほど敵陣に突っ込んだわけがないのだ。
この状況はつまり、敵は魔将軍一人と大量の一般兵を囮にして、前線を押すことを優先したということだろうか?
これまで魔族は彼我の一般兵同士の力量差と、数の暴力による強引な攻勢しか見せてこなかった。実際、オレたちのような希望持ちが現れるまではそれで事足りていただろうし、シンプルだが有効な手段ではあった。
だが西と東の四天王が勇者パーティに敗れたことで、敵も攻め方を変えてきたのではないか? ありえない話ではない。というか、そう考えるのが一番理に適っている。
魔王軍は過去、オレたちの住むセルトール王国の同盟国であるリナトー皇国を侵略していた。希望持ちの数は少なく、オレが知っているのは皇国の盾と称された近衛騎士団長たった一人。侵略に際して四天王を失うこともなかった。
魔族にとって、多種族を殺すことなど造作もない。きっと多くの魔族がそう考えていたはずだ。
しかしオレたちのような希望持ちが数人集まるだけで、これほどの脅威になるのだと認識を改めた魔族がなんらかの策を講じてもおかしな点はない。
むしろそういった動きによって勇者パーティは二つに分断され、苦戦を強いられている。確実に仕留めるために、力押しをやめて戦略的な行動に出たのか。
考えてみれば当然のことだ。勇者パーティを危険と判断したから、キリアナは部下を連れて分断作戦を決行した。分断したあとにどう対処するかまで念入りに策を練るのが普通だろう。
オレはそこまで考えて(いや待てよ……?)と気付く。
オレたちがここにいるのはついさっき、おそらく四天王に報告するために逃げた魔族兵から広まった情報のはず。希望持ちを仕留めるための作戦を事前に練っていたとしても、察知するのも実行するのも早すぎる。
開戦前にオレたちが居ることを知っていなければ、これほどスムーズにことを運ぶなんて不可能なはず……
そうやってオレが思考を巡らせていると探知魔法に引っかかるなにかがあった。
「……っ危ねえ!」
研ぎ澄まされた感覚を持つガラドは、オレよりも早くその存在に気付き、こちらに跳躍してくる。踏み込んだ大地に深々と足跡を残して。
そしてオレは声が耳に届くと同時にその場から飛び退いて、ガラドは空中に拳を振るった。
パアンッ! と何かが破裂するような音が響くが、攻撃の正体がわからない。水弾や火球などの魔法であれば、空気中の魔素に変換されるより先に水滴や火花が視界に入るはずだ。
あるいは投石や弓矢といった物理的な攻撃であったとしても、その残骸があたりに散らばるのが当然。それすらも無いというのはどういう理屈なのか。
「ほう……我が不可視の拳を弾くか。流石は勇者パーティ……素晴らしい反応速度だ……」
思考を巡らせていると、聞きなれない声が鼓膜を叩く。低く落ち着いた男の声、しかし同時に闘志を纏わせた戦士の声でもある。
声の方向に目をやると、一人の男の姿があった。
目を隠せるほど伸びたボサボサの髪に無精髭、捻れた二本の角が存在感を放っている。鍛え抜かれた体を隠す布は少なく、そのせいか腕を覆う無骨な籠手が一際目立つ。
戦場においてはあまりに軽装だが、そのプレッシャーは先ほどの魔将軍とは比べ物にならない。
「さて……戦場で名乗ることを好みはせぬが、お主の強さに敬意を表するとしよう。我は四天王が一人、ナーグ。呪装の名は《穿空拳》。覚えておけ、お主を殺す戦士の名だ……!」
最後の言葉とともに放たれたのは殺意。それを感じとった瞬間、もうすでにナーグはガラドに肉薄していた。
((速い……!))
ヤツの突きが放たれる刹那の猶予、ガラドはその並外れた反射神経で以って防御体勢を取ることに成功した。
そして迎えた両者の接触は、とてもじゃないが拳を打ち合う音とは思えなかった。
甲高い、金属同士がぶつかるような……いや、それよりももっと異質なものだ。
そう……まるで回転砥石に剣を添えた時のような、金属を削りとる音によく似ている気がする。
ガラドの虎魄とただの籠手がぶつかっただけでは、こんな音はしないだろう。
ヤツの言っていた呪装《穿空拳》による能力に違いない。つまりあの籠手はただの防具ではなく、呪装であることの証明。
「ふははは……不可視の拳だけではなく、我の突きをも防ぐ生身の拳……これは面白い……! リナトー皇国を潰した時でさえ、これほどの戦士はいなかった……!」
「随分としゃべるじゃねえか。男は黙って、背中で語るモンだぜ!」
言葉を交わす、その瞬間にすら両者は拳を振るっていた。
ナーグの右正拳突きをガラドが左手で弾き、流れるように右手でカウンターを見舞う。しかしナーグもそれを見越していたのか、すんでのところで首を傾けて避けつつ左フックをガラドの脇腹目掛けて放つ。
瞬間、またも響き渡る金属音。ガラドの腹部に直撃した穿空拳は虎魄を削りとるかのような音を立てる。
それが聞こえているのかいないのか、ガラドは左手刀をヤツの右肩に喰らわせることに成功する。たまらずよろけて構えをなおすナーグの口角は吊り上がっていた。
「なんだお主、見えぬ鎧でも着ているのか? 我が拳を一度ならず二度までも防ぎきるとは……」
ガラドがナーグと交わした一連の攻防の間、オレは探知魔法で得た現状を伝える。
「ガラド! 周りには他の魔族はいない! たぶん残りの魔将軍も前線に移動してる! ソイツを倒せば終わりだ! 一気に行くぞ!」
「待てミリア!」
オレが槍を構えて加勢しようとすると、ガラドから静止の声がとんでくる。
「な、なんで!?」
オレの疑問にすぐさま答えが返ってくる。
「魔将軍が二人も前線にいるなら止められるのは俺達だけだろ? お前はそっちに行け。コイツはどうも俺目当てって感じだからな」
ナーグはオレたちの会話が終わるまで待っているらしく、少し離れた位置で止まっている。
だがただ突っ立ってるわけじゃないなありゃ。ヤツの視線はガラドにだけ向けられ、オレなんぞ眼中にないといった様子だ。
「だからってソイツと一対一とか、正気か!?」
「勝算はある。いや、ぜってえに勝つ! だから早く行け……今もきっと、前線の一般兵はお前の助けを待ってる」
「……っクソ、わかった。ソイツは任せた。死んだら承知しねえぞ、筋肉バカ」
オレは現状を鑑みて、ガラドの言葉に頷いた。普段はバカみてえなことばっかり言いやがるが、こういう時は正しい判断をする男なんだこいつは。
「おう! 任せろ!!」
走り出すオレに横目で笑うガラドの顔が、やけに明るく見えた気がした。
これをオレはよく知っている。仲間の不安を吹っ飛ばすための笑顔だ。
こんな窮地で……とも思うが、ガラドからすればこういう時こそ笑うんだろう。
そしてオレもその笑みに背を押された気がして、少し軽くなった体を前へと進ませる。
そうか……考えてみれば、ガラドはオレなら魔将軍を二人相手しても大丈夫だと言ったに等しい。少し前のオレなら絶対に不可能なことを、できると判断してくれたんだ。
(オレが魔将軍二人ぶっ倒して、ガラドがナーグをぶっ倒して、それで完全勝利だろ!)
走るオレの背後から、濃密な魔力の流れを感じとる。ガラドとナーグが戦闘を再開したんだろう。だがオレは振り返らない。この世で最も尊敬する男が勝つと言ったのだから。
まずは最速で前線に戻ることだけを考えろ。
あいつの信頼に応えるために。
〜〜〜〜〜〜
「そういや、まだ俺の名前を言ってなかったな。俺はガラド、希望の名前は《獣王の拳》だ。よろしくな」
ガラドがそう言うと、ナーグはゆっくりと口を開く。
「そうか……覚えておこう、強者への礼儀として。それはそうと……あの女を一人で行かせて良かったのか? 前線には大量の兵と二人の魔将軍が攻め込んでいるぞ?」
「ん? どういう意味だ?」
その言葉が何を伝えたいのか、ナーグの意図がわからなかった彼は首を傾げながら質問を返した。
「あの女が行っただけでは、死体の数が一つ増えるだけだ……という意味だ。それほど奇天烈な言い回しでもなかったと思うが……」
淡々と話すナーグに、思わず笑いながら答える。
「ガハハハハ! あーなるほどなぁ……悪い悪い、考えてもなかったからよそんなこと。つまりあれだ? お前はあいつのことを見誤ってるってわけか」
「あんまりあいつを舐めんなよ? ミリアは希望持ちの俺らに、唯一同行を許された戦士だぜ? 弱えわけねえだろうが!」
暗に親友を侮辱されたと理解した虎人族の戦士は怒りのままに地面を蹴り、ナーグに肉薄する。突進する速度を、そのまま獣化した拳に乗せて突き出した。
一直線に軌道を描く姿はさぞ捉えやすかったのだろう。ナーグはその右拳を真正面から殴り返すように左手を握りしめる。
両者の拳が衝突する。
瞬間、轟音が鳴り響く。とてもではないが拳が奏でたとは思えないようなそれは、重量のある金属同士の激突に等しい。
それはまるで大きな鐘の音のようであった。戦いの再開を知らせるゴングは、戦士の鼓膜を激しく叩く。
「ぬっ……!?」
そして拳の邂逅ののちに、体勢を崩したのはナーグであった。
(さっきの削るような音はしねえな。魔力の無駄になるからか? まあどうだっていいか……まずはこいつの呪装を探るのが先だな)
「ふ……はははは!! やはり良い! お主を殺した時、我はさらに高みへと至ることができるだろう!!!」
「そいつぁ無理だな。言ったろ、俺がぜってぇ勝つってな!!」
ここに、両軍の最高戦力の一騎打ちが始まる。




