剣王の勇者
剣を振りかぶるシドニスに対し、オレは持っている棒を構えて受けの体勢を取る。
そして一瞬の後、硬質な金属音が鼓膜を叩く。
互いの武器がぶつかり合って体の動きが止まるが、それは刹那の硬直に過ぎない。
そこから始まったのは目にも止まらぬ剣戟の応酬。縦横無尽に襲いかかってくる魔力の剣にオレは防戦一方。
攻めに転じる隙もないほどの攻撃。もちろん訓練でもこれほどまでに苛烈に攻められるのは理由がある。
シドニスの剣王は魔力の剣。つまりオレに直撃するとわかった瞬間に魔力を霧散させれば剣は当然消滅する。
そしてシドニスにはそれを可能にする動体視力と反応速度がある。
要するにこの激しい攻撃も、オレに怪我をさせないように配慮したうえでの最高速度。だがこれほどまでに苛烈なシドニスは初めてな気がする。
女になって希望を手に入れたオレと訓練するのは初めてだからか?
いやそうじゃない。
なぜなら、シドニスの剣速が目で追う分にはいつもと同じような気がするから。だが体感から言えばいつもより一層速く感じる。
違和感の正体はこの二つの感覚のズレにある。なぜ視覚と体感の速度にズレが生じているのかはわからないが、今は訓練に集中するべきだ。
オレは胸中に居座る疑問をとりあえず後回しにして、シドニスの攻撃をやり過ごすことにした。
だが改めてこいつの攻撃の隙を無さを前にすると、どうにもならないような気がしてしまう。きっとこれは勘違いなどではなく、もはや接近戦においてはなす術がないという確信じみたもの。
現状を打開するためにはまた別の方法を考えなければ。
オレが思考回路をフル回転させつつ、さらにシドニスの攻撃をいなし続ける。なかなかに厳しい状況だ。
弾いて、いなして、受け流す。互いの武器のリーチ差がなければ、きっとすでに決着はついているだろう。
そして数秒の後、オレは一つの発想へと至る。
もしも剣王の魔力剣を凍らせることができたら、一瞬の隙を作ることが出来るんじゃないか。
リーナとの訓練では炎の魔法も凍らせることができた。魔法そのものを凍らせることが可能なら、その源である魔力だって同じはず。
(よし……いっちょやってみるか……)
そしてオレは希望の静謐発動に集中する。
希望と呼ばれる異能には二つの発動方法がある。
まず一つ目はオレが今までしてきた音声発動。希望の名称を実際に声にすることによって、自動的に能力を顕現させるもの。
これの利点はとにかく簡単だという点だろう。ただ言葉にするだけで規格外の性能を持つ異能を使用できる。魔力の精密操作を必要とする図式魔法よりも、よほど簡単だと言っていいだろう。
そしてこれのデメリットは言葉にしなければいけないせいで、発動のタイミングが相手にわかってしまうこと。そして希望の名称からその能力をある程度予測できてしまうこと。
希望は強力な異能ではあるが、名前がシンプルであり能力の予測が可能、かつ発動のタイミングまでバレてしまうというのはかなりのディスアドバンテージになってしまう。
そしてそんなデメリットを解消するのが二つ目の方法、静謐発動である。
これはその名の通り、言葉にすることなく希望を使用する技術だ。リーナもガラドもシドニスも、昔は音声発動をしていたらしいが今ではもっぱらこちらだけだそうだ。
メリットは上述した音声発動の欠点を持っていないこと。そしてこれのデメリットといえば、希望の発動に必要な魔力操作が手動でなければならないところだ。
希望は強力である反面、要求する魔力操作の難易度が高い。
音声発動は言葉を紡ぐことによってその魔力操作を自動化しているが、静謐発動はそれを手動で行わなければいけない。その負担がある分、先ほどのディスアドバンテージを回避できるのだ。
実際あいつらが希望を発動する時には絶対に静謐発動を選択する。慣れればそっちの方が圧倒的に良いからだ。
この二つの関係性は詠唱魔法と図式魔法の対比に良く似ていると思う。
言葉にすれば発動するという簡潔な利点を持つ前者。魔力の精密操作をしなければならないが、それに見合うだけの利点を持つ後者。
そして魔力操作に長けているなら、後者を選ぶという点も同じ。
話が逸れてしまったが、静謐発動をする利点はこんな感じだ。特に今オレと対峙しているのは人類最強のシドニス。これだけ接近した状況で素直に《氷王の両眼》を食らうとは到底思えない。
だがそれは音声発動でタイミングを知らせてしまえばの話だ。ここで初めて静謐発動をすればその限りじゃない。
意を決して、オレはシドニスの剣を捌きながら魔力の動きに集中する。
氷王の両眼に必要な魔力操作はもうだいたい体で覚えた。細かく緻密な、魔力の線で描く芸術品のようなもの。図式魔法よりもさらに高度な技術の結晶。
流石にシドニスたちのように一瞬とはいかなかった。かかった時間はおそらく5秒ほど。だがシドニスの攻撃をやり過ごしながらの魔力操作は困難を極めた。
そしてもう少しで氷王の両眼が発動できるという段階で、凄まじい速度の突きが襲いかかってきた。オレはそれをすんでのところで躱したが、体勢を崩されてしまう。
次の瞬間、氷王の両眼の魔力操作が完了した。体勢は崩れたままだが、シドニスの姿は視界内にある。ここが勝負どころと確信し、オレはシドニスの持つ魔力剣に氷王の両眼を放つ。
パキィィン! という甲高い音とともに、シドニスの剣はそれを持つ右手ごと凍りつく。次いで一瞬、ほんの一瞬だけシドニスの意識がそちらへ移り、オレに対する警戒がわずかに薄くなった。
オレはそれを見逃さず、体勢を直すために足を踏ん張り、棒を突き出す。
シドニスからすれば予想だにしなかった希望の静謐発動、魔力剣の凍結、そして畳み掛けるように完全に虚を突いたタイミングでのオレの攻撃。
ガキィィィン!!
「はぁ……はぁ……参った」
……だったはずなのだが、硬質な音を響かせた後に降参していたのはオレの方だった。
オレの渾身の刺突は障壁魔法によって防がれ、そしてシドニスの左拳はオレの顔面に直撃する寸前。攻撃に意識を割いていたオレにそれを防ぐ余裕はない。
まさかあんな一瞬で障壁魔法を使うだなんて誰が予想できるのか。
(まったく……どんな反射神経してんだよ……)
胸中でそう愚痴ると、シドニスが緊張の糸を緩ませながら話しかけてくる。
「ふぅ……今のは完璧だったねミリア。一瞬負けたかと思ったよ」
「あーあ……オレは完全に勝ったと思ったんだがな。お前ほんとに強えな」
互いに武器をしまい、シドニスは右手の氷を炎の魔法で溶かしながら話す。
「あ、そうだ。戦ってる間に気付いたことがあるんだけど……」
「おう。なんだ?」
オレが返事をし会話を続けようとすると、少し遠くから声が飛んでくる。
「二人ともーー! おつかれーー!」
声の方向を見やるとリーナが大きく手を振っていた。
「……まずは休憩しておこうか」
「だな。オレも正直疲れたしな」
シドニスの提案に頷き、オレたちはリーナとガラドのいるところへと足を向けた。