翼を持つ聖女
「じゃあ行くよ? ……はじめ!」
シドニスの合図でオレたちは動き出す。
オレは金剛と飛翔を使い、リーナへ向けて駆け出す。
槍代わりの棒を構えて、いつでも魔法を迎撃できるように注意していると、リーナの声が鼓膜をノックする。
「《治癒の翼》」
「あっ! おい!」
オレの静止の声も置き去りにして、リーナは高く飛び上がる。
「さあ、ここまで来たらミリア君の槍術は無意味よね?」
「おいおいまじかよ。なるほど昨日のリベンジってわけか」
今日はどういうわけだかリーナの方からオレと訓練がしたいと言ってきて、こうして昨日と同じ対決をしている。
どうやら昨日オレに負けたのがなかなかにこたえたらしい。
「違うわよ。昨日はミリア君だけ氷王の両眼を使ってずるかったでしょ? 私も希望使ったらどうなるのかなって思っただけよ」
赤髪の令嬢は少しムッとして答える。
口ではああやって否定しているが、魔法に関しては他の追随を許さなかったリーナが、オレに一本取られたことを悔しく思わないわけがない。
もちろんお互いが希望を使いながら戦ったらどうなるかというのも本心ではあるだろうが、まさかリーナがオレに対して希望を使う日が来るとは思ってもみなかった。
なぜならリーナが治癒の翼で空に飛んでしまえば、接近戦に持ち込むことは非常に困難になる。
必然的にリーナの得意分野の魔法での遠距離戦を強いられるわけだが、一方的な戦いになればそれは訓練にはならない。だからこそリーナがオレに希望を使用したことはない。
つまりリーナは、意識的か無意識的かは定かではないが、オレとの遠距離戦を望んでいるとも言える。
リーナは今、魔法使いとしてオレを対等の存在だと認めてくれたに等しい。
「おっしゃ、やってやんぜ! 後で吠え面かくんじゃねえぞリーナ!」
「望むところよミリア君!」
そしてオレたちは熾烈な魔法戦を開始する。
リーナの放つ魔法を時には棒で防ぎ、時には避け、そして時には凍らせる。
熾烈な、というのはその威力を指しての表現ではなく、文字通り上空から雨あられとばかりに降り注ぐリーナの魔法を言い表している。
訓練では威力の高い魔法は使えない。お互いに大きな怪我をしてしまうことは避けるようにしているからだ。
だが威力の小さな魔法は得てして発動が簡単なものばかり。何発か当たってオレに一定のダメージを与えれば、訓練を見ているシドニスから終わりを宣言されてしまう。
大きな怪我をさせないためのルールと、自身の魔力量を最大限に活かして、リーナはオレから勝ちを掴み取るつもりだ。
だが……
「それはこっちも同じなんだぜ! リーナ!!」
魔力量の多さを武器に魔法を連発するリーナに向けて吠える。
臆するな。オレの魔力量と出力はもうすでにリーナを超えているのだから。
オレは魔力の精密操作に集中する。闘気術ではなく魔法を使うために、リーナと同じ土俵に上がるために。
すなわち攻撃魔法の撃ち合い、真っ向勝負の魔法戦だ。
オレは立ち止まることなく走る。休めることなく足を動かして、氷弾の魔法を連発する。
リーナも負けじと魔法を放ってくる。もちろんそれは火球や石弾などの威力の低めなものではあれど、精度は異常なほど高く、動き続けるオレを射抜かんと迫る。
しかしそれがオレの体に到達することはなかった。
なぜなら多くはオレの氷弾によって相殺され、いくつかオレの弾幕をくぐり抜けたものは全て氷王の両眼によって氷の牢獄に囚われたから。
そこに区別はなく、あらゆるものを凍りつかせていた。
水球はもちろんのこと、石弾も疾風も紫電も、火球でさえも、オレへ向けて飛来していた魔法は全て、氷の中で動きを止めている。
そこに一切の例外はなく、どれだけの温度を内包していようとも関係なく、等しく全てが氷塊で眠っている。
これには流石に当事者であるオレですらも驚いた。
正直なところ、いくつか凍らせることができれば良いと思って氷王の両眼を使っただけで、まさか全て凍りつかせるなどとは予想すらしていなかったから。
細かな性能を調べていなかったが、なるほどまさに氷王の名を冠するに相応しい能力だ。
視界に入るものを瞬時に氷の中に閉じ込める様は、まるで時間を止めているかのようにも見える。
そしてオレと同様にリーナも驚いていたのか一瞬だけ魔法が止んでいたが、すぐに攻撃は再開されて時間は動き出す。
また始まる魔法の撃ち合い。すると今度は明確な差が見えてきた。
オレに直撃しそうになった魔法は棒で叩き落すか避けることでやり過ごしのに対して、リーナに当たりそうになった魔法はあっさりと避けられる。
ここに差が出るのはお互いの回避難易度の違いによるものだ。
オレは地上を平面的に動き回るしかないが、治癒の翼で空中にいるリーナは立体的な回避が可能。
つまりオレの回避行動は前後左右しかないのに比べて、リーナは前後左右上下に逃げ道が存在する。その差はおそらく、訓練が長引くにつれてオレを不利にする。
長期戦になればこの回避の差によってオレのスタミナが先にきれるだろう。
だが魔法戦ではおそらく状況は好転しない。お互いの魔法が相殺し合って消えるか、直撃するかと思われた魔法も回避されるだけ。
ならば……
オレは氷弾の魔法を使うのをやめて、使用するものを全て水の魔法に変える。
オレは雪人族の母ちゃんの血を濃く受け継いだこともあって、氷の魔法の威力が高い。だからこそ戦いでは氷弾などを多く使うが、他の魔法が使えないわけではない。
そして水の魔法が火や雷などの高温の魔法と相殺されれば、湯気が発生する。
雨あられと降り注ぐ魔法の中には、火球と紫電も多く混ざっていた。
だからこそオレの思惑通りに大量の湯気が作り出され、リーナの視界を封じる。
当然オレからもリーナが見えなくなるが、位置は確認した。オレはすぐに走り出す。リーナの背後まで。
実は手っ取り早く煙幕の魔法を使うことも考えたが、あのリーナであれば煙がオレを隠す前に風の魔法で飛ばしてしまうだろう。そうなればただの無駄な行為に留まらず、リーナの視界を封じるというオレの考えまでばれてしまう。
そうならないために、リーナの予期せぬ動きで煙幕を作る必要があった。まあ湯気でも同じ効果は得られる。オレの作戦は成功したと言ってもいいだろう。
だがやはり歴戦の魔法使い。突然の湯気にも対応して突風の魔法でそれをかき消す。
しかしそこにはもうオレはいない。
予想外の湯気のせいでワンテンポ対応が遅れたリーナは、見事にオレを見失っていた。
視界を塞いでいた時間こそ短かったが、湯気は立派に仕事を果たしてくれた。
オレはその隙に、座標固定を必要とする氷壁の魔法を空中に作り出し簡易的な足場にして、氷の階段を駆け登る。
そして氷壁は防御魔法。卓越した魔法使いの鋭敏な感覚を以ってしても、自身に危害を加えない魔法を感知することは非常に難しい。
オレを探すリーナの背後、完全な死角。
軽く訓練用の棒を振るう。
ポコン。
「いたっ! あ、え!?」
「そこまで。二人とも戻っておいでー」
シドニスの声が届く。
「え!? えええええーーー!!」
リーナの不満そうな声が響いた。
オレとリーナのリベンジマッチは、またしてもオレに軍配が上がった。