エピローグ
アリスお嬢様と俺の婚約届が国王陛下に受理されてしばらく。その日のアリスお嬢様の外出先はアンダーソンドレス工房だった。
コーウェン家御用達の中でも特に旦那様の信頼が厚く、ロッティお嬢様とアリスお嬢様のウェディングドレスも注文された仕立て屋だ。
だが、何かあればあちらからお屋敷に人が来るはずなので、俺は首を傾げた。
「何か特別な用事ですか?」
「ええ、ちょっと」
アリスお嬢様は意味ありげに笑っただけで、目的は教えてくれなかった。
荷物として大きめの包みが用意されていた。持ってみた感じだと中身は布類のようだ。
ドレスを急ぎの直しにでも出すのだろうか。
馬車がアンダーソンドレス工房の前に着くと、俺はその包みを手にし、降りるアリスお嬢様にもう片方の手を貸した。
一緒について来たメイドは馬車に残った。俺がお屋敷の外でアリスお嬢様に不埒な真似をするはずがないと、わかってくれたらしい。
そう言えば、近頃ようやく俺を見るロッティお嬢様の視線も優しくなってきた。
工房の隣には小さな店舗が併設されていたが、アリスお嬢様は工房のほうに入っていった。
「ごきげんよう」
何か作業をしていた主がその手を止めて出迎えた。
「いらっしゃいませ、アリスお嬢様。あちらにどうぞ」
主に案内されてアリスお嬢様は工房の一角にあるソファに座った。主はその向かいに。
俺はアリスお嬢様の指示で包みをテーブルの上に置き、ソファの傍に立つ。
「確認をお願いいたします」
「はい」
主が包みを開くと、中から現れたのは服ではなく光沢のある黄色い布地だった。
全体に細かな花柄が刺繍されていて、主はそれをじっくりと見つめた。
「良い出来ですね」
「よかったわ」
「少々お待ちください」
主は立ち上がり、奥の部屋へと入っていった。
アリスお嬢様が俺を振り向いたので、尋ねた。
「その刺繍はアリスお嬢様が?」
「ええ、そうよ。……実は、私、刺繍でお金を稼いでいるの」
アリスお嬢様の言葉に俺は耳を疑った。
「公爵家の御令嬢がなぜそんなことを?」
「コリン、以前、私に『自分との結婚後の生活を考えたことはあるのか』って言ったの覚えている?」
「はい。あの時は申し訳ありませんでした」
アリスお嬢様はゆるゆると首を振った。
「言われた直後はもちろん哀しかったけど、確かにあの頃の私はコリンと一緒にいたいと願うだけで具体的な将来まで考えていなかったから、コリンはきちんと考えてくれていたんだってわかって嬉しかったわ。それで、そこからは色々考えるようになったのだけど、私も何かお金を稼ぐ手段を持っていたほうがいいんじゃないかと思いついたの」
俺は呆然とした。まさかアリスお嬢様を思いとどまらせるために口にした言葉が、逆効果になっていたとは。
「私にできることでお金になりそうなのは刺繍だけでしょう。だから、まずはお父様とお母様にお願いしてロッティのウェディングドレスに刺繍させてもらって、そうしたらアンダーソンさんが良い腕だって褒めてくださったので、もっとやってみたいって頼んだの」
アリスお嬢様がロッティお嬢様のウェディングドレスに刺繍したことは知っていたが、純粋に大好きな姉のためだと思っていた。
「あくまで趣味の延長ということにしているのだけど、アンダーソンさんは『任せる以上は責任ある仕事をしてほしいから』と賃金をくださって、他にも私の作ったものをお店に置かせていただいたり。お父様とお母様にはお金をいただいていることはまだ内緒にしているし、今は学園もあるから少しずつだけど、卒業したら本格的にこれを仕事にしたいと思っているの。いいかしら?」
奥様は気づいていらっしゃるような気もするが、何も仰らないならいいのだろう。
「アリスお嬢様が本当になさりたいことなら、もちろん構いません」
「ありがとう。そうそう、私たちのウェディングドレスにも刺繍するつもりよ」
アリスお嬢様の得意げな表情を見つめていると、胸の内に込み上げてくるものがあった。
「アリスは、ずいぶんと逞しくなられましたね」
アリスお嬢様はハッとして目を瞠り、それからすぐに花のような笑みを浮かべた。
「あなたがいるからよ。……ねえ、コリン、今度こそあなたの上着に刺繍させてくれる?」
「ええ、是非お願いいたします。できれば表側の誰からも見える位置に」