5 抱擁
ケイトが若奥様のメイドに指名され、必然的に俺はケイトと顔を合わせることが増えた。
「コリン、わかっているんでしょ? アリスお嬢様のお気持ち」
若様と若奥様の何度目かのデートのお供中、買い物をするおふたりを店の外で待っていると、ケイトにそう尋ねられた。
「……は?」
「あれは間違いなく恋する女の目よ。昔からアリスお嬢様はあんたに懐いていたもんね。逆に私はちょっと避けられてる感じだったな」
俺は内心の動揺を抑えながら言った。
「おかしなことを言うな。アリスお嬢様に失礼だぞ」
「アリスお嬢様は本気なのに、気づいていて気づかない振りをすることのほうがよほど失礼よ。色々難しいとは思うけど、きっぱり言って早く諦めていただかないと、アリスお嬢様だってそろそろ婚約者を決めないといけないお歳頃なんだから」
「……ああ」
俺の気持ちには気づいているのかいないのか、アリスお嬢様と俺が結ばれない前提で話されることに無性に腹が立った。
それが当たり前で、すでに俺もアリスお嬢様にきっぱり告げたというのに。
だいたい、何でよりによってケイトに言われなければならないんだ。
そうして、久しぶりに思い出した。数年前、ケイトに失恋したことを。
あの時はどうしようもなく苦しかったはずなのに、いつしかきれいさっぱり忘れ去っていた。考えるまでもなく、アリスお嬢様のおかげだった。
2度目の失恋の痛みもいつか消えてなくなる日が来るのだろうか。
少し考えて、そんな日は来なくて構わないと思った。
アリスお嬢様と添い遂げることができないなら、せめてこの痛みくらいはずっと抱えていたい。
それからしばらくたったある日、ひとりで仕事をしていると背後に人の気配を感じた。振り向くと、アリスお嬢様が立っていた。
アリスお嬢様はジッと俺の顔を見つめた。口づけを強請られている雰囲気ではない。
「最近、ケイトと一緒にいることが多いみたいね」
俺は怪訝な顔をしていただろう。
「そう、ですね」
「嬉しい?」
「いや、別に」
「ケイトはフレッドの奥さんなんだから、あまり仲良くするのは良くないと思うわ」
「……はい」
ケイトとは仕事で一緒にいるだけで、幼馴染だから他のメイドよりも話しやすい相手ではあるが、注意を受けるほど仲良くしているつもりはない。
そんな反論は飲み込んで、去っていくアリスお嬢様を見送った。
あれは、つまり、嫉妬だろう。
俺がケイトに失恋した時のアリスお嬢様の言動と、先日のケイトの話とを考え合わせれば、おそらくアリスお嬢様は俺のケイトへの片想いを知っていたのだ。
王宮の夜会から互いに距離を置いていたのに、わざわざやって来て釘を刺さずにはいられなかったほどには、まだアリスお嬢様の中に俺への気持ちが残っている。
アリスお嬢様を突き放したのは俺自身だというのに自分勝手な悦びで胸が熱くなり、すぐに大きな後ろめたさに襲われた。
その後も時おり、アリスお嬢様からの視線を感じたが、俺にしてあげられることは何もないのだと自分に言い聞かせた。
若様と若奥様のふたりだけで社交の場に出る機会が増えていたが、ウォルフォード侯爵家の夜会にはコーウェン家の御家族が揃って参加した。
ウォルフォード侯爵夫人は奥様の妹だ。
若奥様がスウィニー家と縁を切ってウォルフォード家の養女になったため、そのことと、ついでに若様と若奥様の婚約をこの夜会で正式に披露することになっていた。
若奥様はコーウェン家で暮らしはじめた頃から所作はお綺麗だったが、この数か月、若様に愛され奥様から学ばれて、次期公爵夫人らしい堂々とした立ち居振る舞いをなさるようになった。
もともと友人だったロッティお嬢様や面識のあったアリスお嬢様だけでなく、メリーお嬢様ともすっかり打ち解け、コーウェン家自慢の4姉妹といったところだ。
しかし、姉3人がそれぞれマクニール次期侯爵夫人、コーウェン次期公爵婚約者、タズルナ第三王子婚約者と肩書も華やかなのに比べ、アリスお嬢様は未だ婚約者を持たずに兄の侍従を気にしていた。
俺はそれを心苦しく思うのに、華やかな肩書をくれそうな御子息方に囲まれているアリスお嬢様を見ていると、息苦しさを覚えた。
「コリン、休んできていいぞ」
婚約以来、若様が俺にそう言う時間が早くなったが、若奥様が一緒なら特に心配することはない。
俺はアリスお嬢様を見ずに済む場所を求めて、庭に出ることにした。
思い思いに夜会を楽しんでいる方々の邪魔をしないよう、大広間からバルコニーを通り抜けて庭に出て、最初に目に入った大きな木の陰に落ち着いた。
だが、一息吐く間もなく、俺の耳に「アリス様は」と言う声が飛び込んできた。
「公爵家の令嬢だからってこちらが気を使って接してさしあげていること、まったくわかっていらっしゃらないわよね」
「ええ。シャーロット様のように楽しいお話を聞かせてくださるわけでもなく、ただすました顔で立っているだけなんだから」
「男性方を何人も侍らせて、でも私たちにはいっさい紹介してくださらないし」
「私たちのことなんて、ただの引き立て役にしか思っていないのよ」
「でも所詮、アリス様なんて良いのは家柄と顔だけ。だからタズルナだってシャーロット様を王子殿下の婚約者に選んだのでしょう。アリス様がちやほやされているのも今のうちよ」
3人ほどの御令嬢方がバルコニーの隅でアリスお嬢様に対する罵詈雑言を並べていくのを、俺は動かず聞いていた。
どうせ好きな男がアリスお嬢様に惹かれている、というような、アリスお嬢様には何ら責任のない理由で恨んで、勝手なことを言っているのだろう。口に泥でも詰めて黙らせてやりたい。
「あの」
少し離れた場所から聞こえた声に今度こそ驚いて、俺は木の陰からそちらを覗いた。
アリスお嬢様が強張った表情で令嬢方と向き合うのが見えた。
令嬢方のほうは後ろ姿しか見えないが、やはり動揺している様子だった。
「ア、アリス様」
「いつから聞いて」
「私がコーウェン家の娘だから皆様が良くしてくださるのだということは理解しています。私の至らなさが皆様に不快な思いをさせていることも。ですから、無理に私と一緒にいていただく必要はありません」
アリスお嬢様の声は震えていたが、視線は揺るがなかった。
「私たちは別に、そんな……」
「両親や兄に告げ口などいたしませんので、心配なさらないでください」
御令嬢方が気まずそうに顔を見合わせた。結局、そこを一番気にしていたのだろう。
「それから念のために申しますが、私は皆様のことを引き立て役などと思ったことは1度もありません。私にそんなものは無用ですから」
「何よ。やっぱりアリス様は私たちを馬鹿にしていらっしゃったのね」
御令嬢のひとりが激昂して声を荒げ、アリスお嬢様の肩がビクッと跳ねた。
「私は誰かを馬鹿にしたことなどありませんが」
「無意識に見下しているなら余計にたちが悪いですわ。もう行きましょう」
御令嬢方が肩を怒らせて広間のほうへ去っていくのを、アリスお嬢様は困惑した顔で見送っていた。
俺は木の陰から出た。
「アリスお嬢様」
アリスお嬢様がこちらを振り向いて目を瞠った。
「コリン、そこにいたの」
アリスお嬢様はバルコニーを下りて俺の傍までやって来た。
「図らずも立ち聞きをする形になり、申し訳ありませんでした。ですが、感心いたしました。アリスお嬢様もあんな風に言い返せるんですね」
例えばあれが若様なら、受けた悪意を何倍にもして返し、相手が2度と立ち直れないようにしたはずだ。
もしもロッティお嬢様なら、にっこり笑って相手を丸めこみ、自分の味方にしただろう。
だが、アリスお嬢様は何もできないに違いないと思いこんでいた。
「言い返すなんて。ただ気を使ってまで私と一緒にいてもらうのは申し訳ないから、そう言っただけよ。でも、どうしてあんなに怒らせてしまったのかしら」
まったくわかっていないらしいアリスお嬢様に、思わず笑い出しそうになった。
「さっきの『引き立て役は無用』ですが、アリスお嬢様は『男性方に興味を持たれたくないのに引き立て役を置くわけがない』という意味で口にしたのでしょう?」
アリスお嬢様は「ええ」と頷いた。
「しかしあの御令嬢方は、『私はこんなに美しいのだから引き立て役なんて必要ない』という意味に取ったのですよ」
しばらく呆然としてから、アリスお嬢様は肩を落とした。
「私は本当に駄目ね。あの方たちが言っていたとおり、褒めてもらえるのは家と見た目だけ」
「そんなことはありません。アリスお嬢様には良いところがたくさんあります」
アリスお嬢様は眉を下げて俺を見つめた。
「私を拒んだ人に言われても、信じられないわ」
俺が言葉に詰まると、アリスお嬢様は視線を逸らした。
「ごめんなさい。もう戻るわ」
踵を返したアリスお嬢様の手を咄嗟に掴んだ。
アリスお嬢様がその手を、次に俺の顔を見つめた。その目には驚きが浮かんでいた。
俺がずっと慎重にアリスお嬢様に触れないようにしていたことを、アリスお嬢様も気づいていたのだろう。
最初はあくまで主家の御令嬢に対する礼儀だったのが、いつからか理由は変わっていた。
アリスお嬢様も、一度だけ背後から抱きしめてきた以外は、必ず俺の服を握っていた。
俺たちが触れ合ったのは唇だけ。それも、いつもほんの一瞬。
「コリン?」
「……あちらに」
俺はアリスお嬢様の手を引いて、バルコニーから離れた。
明かりの届かない場所まで歩き、アリスお嬢様を振り向くとそのまま抱き寄せた。
アリスお嬢様が息を飲むのがわかった。
「あなたは何があっても守ってくださる立派な御両親がいらっしゃっるのだからいくらでも楽な道を選べるはずなのにそれを良しとせず、自分の弱さを認めたうえで苦手だからと逃げ出さず、コーウェン家の御令嬢として相応しくあろうと懸命に努力している。私が惹かれたのはそういうところです」
俺は短く息を吐いてから、続けた。
「もう一度言いますが、私はあなたに何もしてあげられません。ですが、あなたのためならつまらない矜持など捨てます。……アリスお嬢様、他の男と結婚などしないでください。私の手の届くところにいてください」
「ええ、コリン、ええ」
アリスお嬢様の両手が俺の背に回され、上着をギュッと掴んだ。
暗闇の中、顔を上げたアリスお嬢様と目が合った。
初めて触れた滑らかな頬は濡れていた。
その涙も、数か月ぶりの口づけも、やはり甘かった。
しばらくそうしてアリスお嬢様を抱きしめていたが、ふと気になって尋ねた。
「そう言えば、なぜ、またひとりでバルコニーなどにいたのです?」
「コリンがお庭のほうに行くのが見えたから、追いかけて来たの。ロッティには飲み物を取りに行くと言って」
俺は嘆息した。
「金輪際、夜会中に庭に出ることはやめます」
お読みいただきありがとうございます。
ロッティはシャーロットの愛称です。