おまけ ふたりの日々
コーウェン家で働く使用人の朝は早い。もちろん、御嫡男に侍従として仕える俺の朝も。
起床して身支度を隙なく整え、使用人用の食堂で朝食をとり、若様のお部屋に伺って主がその日にお召しになる服を揃えたり、洗面用の水を用意したりしておく。
若奥様の許可を得てご夫婦の寝室に入り、目を開けない若様をベッドから引き摺り出して、部屋で完璧な次期公爵の姿に整える。
若様は朝の身支度はほぼ俺任せ。だから事前の準備が抜けていると、俺自身に余計な手間がかかることになる。
身支度が終わる頃には若様も目を覚ますので、その日の予定を確認しつつ食堂まで送る。
つい先日までは毎朝その繰り返しだったが、アリスお嬢様と結婚して俺の朝に変化があった。
目を覚ますのが使用人部屋ではなくアリスお嬢様のお部屋になったのだ。
当然、俺の隣ではアリスお嬢様が可愛らしい顔で眠っている。大抵、俺の寝巻を掴んで。
俺はその手をそっと外してベッドを抜け出し、身支度を整える。それからアリスお嬢様を起こして朝の挨拶を交わし、彼女の着替えを手伝い、軽く口づけをしてお部屋を出る。
コーウェン家には住み込みで働く使用人にそれぞれ部屋が与えられている。
俺はずっと単身者用の部屋で寝起きしていて、いつか結婚すれば家族用の広い部屋に移るのだと思っていたが、アリスお嬢様と結婚することになって危惧を抱いた。
コーウェン家の使用人部屋は俺たちにとっては十分住み心地の良いところだが、いくらなんでも公爵家の御令嬢が暮らすには不向きだろう
しかし結局、アリスお嬢様は結婚後も同じお部屋で暮らしている。
誰かがそう決めたのではなく、お屋敷のどこからも「部屋を移らないのか」と疑問があがらずそのまま来てしまったという感じなのだが、俺は密かに安堵していた。
俺の部屋も変わらなかった。
とはいえ夫婦になった以上、アリスお嬢様と俺は夜をともに過ごしたいわけで、となればアリスお嬢様を俺の部屋に呼ぶという選択肢はなく、俺がアリスお嬢様のお部屋に伺うことになった。
寝巻姿でお屋敷をウロウロするなど言語道断なので、着替えやら何やらも持ち込むことになる。
アリスお嬢様と結婚できたことを思えば、彼女のお部屋と自分の部屋とを日に何度か行き来するくらい何でもなかった。
結婚式から間もなく、アリスお嬢様に「お仕事に行く前に私を起こして」と頼まれた。
「アリスお嬢様はもともと早起きなんですから、私のことは気にせず今までどおりでよろしいですよ」
俺がそう言うと、アリスお嬢様は拗ねた顔になった。
「そういうことではなくて、コリンの奥さんは私なのにコリンが朝一番に挨拶するのが別の人なのが嫌なの」
「……アリス、何なんですか、その可愛い理由は」
翌日から若様の前にアリスお嬢様を起こすことが俺の日課に加わり、さらに請われて彼女の着替えも手伝うようになった。
着替えは若様と勝手が違って最初は戸惑ったもののすぐに慣れ、どうせなら髪の毛も結えるようになりたいと思いはじめた。
しばらくして若様が怪訝な顔で言った。
「おまえ、何でまだアリスの部屋に移ってないんだ? 同じ屋敷の中とはいえ通い婚なんて面倒だろ」
その日のうちに俺は数往復して使用人部屋からアリスお嬢様のお部屋に荷物をすべて運び込み、彼女のお部屋は俺たち夫婦の部屋になったのだった。
ちなみに、朝食はこれまでどおりアリスお嬢様は御家族と、俺は使用人用の食堂でとっている。
昼は俺の手の空く時間にアリスお嬢様が合わせてくれてふたりで。場所はその時々。
夜は御家族の食堂に俺の席が用意されるようになった。正直、落ち着かない。
俺が侍従の仕事をしている間、アリスお嬢様は奥様や若奥様のお仕事のお手伝いをしながら、アンダーソンドレス工房から請け負ったドレス生地などの刺繍をしている。
俺が誰かと一緒にいても、姿を見かければ上着の裾を引きに寄ってくる。
もちろん、俺のすべての上着の襟元にはアリスお嬢様の刺繍が入れられた。
夜は若様が邪魔者である俺をさっさと部屋から追い出すので、他に仕事がなければ俺も大手を振ってさっさとアリスお嬢様のもとに帰る。
結婚してからはさすがにアリスお嬢様の乳母やメイドも目を光らせることなく、俺たちをふたりきりにしてくれるようになった。
誰憚ることなくアリスお嬢様と過ごせる時間が長くなって気が緩み、ある夜、彼女の前でつい「俺」と口にしてしまった。すると、アリスお嬢様は妙に嬉しそうな顔をした。
だからその後、夜は時おり「俺」を使っている。
「愛してます、俺のアリス」
「愛してるわ、私のコリン」
そんな日々だ。




