君だけの夏がやってくる。
人間は皆、人生の中でたった一度だけ
“悪魔”と呼ばれるものと契約することが出来る。
その契約では、人間は何でも願い事を叶えることが可能だった。
お金であれ、女であれ、名声であれ。
たとえ、それが死んだ家族であれ。
内容問わず、必ず一つだけ望みが叶う。
ただその見返りとして、
“悪魔”もその度に、契約者の大切な物を一つ奪っていった。
それは当然物理的な物もあれば、実体のない物もあって。
時には寿命を奪われ、死んだ人もいた。
それでも人は、契約者たることを辞めない。
なぜなら人は、欲望にまみれた動物だから。
たとえ何かを失ったとしても絶対に叶えたい望みが、常に心を渦巻いていたから。
俺も溢れることはなく、その内の一人だった。
浅ましくも彼らと契約を交わし、願いを叶え、奪われた内の一人だった。
俺の祈った願いは、
『死んだ彼女を生き返らせること』
奪われた物は
『五十年分の寿命』
俺の命は、残り一年だった。
*
「ねぇ、翔くん。このパフェすっごい美味しい! 一口食べる?」
「ん? ありがと」
あーん、と。
彼女がスプーンで差し出してくれた生クリームを頬張る。
それは口の中で一瞬で溶け、とろりとした甘さがいっぱいに広がった。
「うまっ……」
「だよね! 本当に来てよかったぁ……」
満面の笑みを浮かべる目の前の少女。
それは、春香という名の俺の彼女だった。
人一倍大きな瞳をさらに見開いて、その頬を仄かに上気させている。
あどけないその姿は、見ている人をも幸せな気持ちにした。
「今日は誘ってくれてありがとね」
「いやいや、俺も春香と来たかったからさ……」
幸せそうなその顔を見れて、俺も心から嬉しかった。
彼女の輝く笑顔が見れて、心から喜ばしかった。
だから俺にはそれが、
寿命五十年分の価値があるようにも思われて。
本当は今、彼女は永遠に笑いかけてくれない状態であるはずだった。
そのことを考えると、
“悪魔”に改めて感謝こそすれ、後悔なんぞするはずもなかった。
未だに記憶は甦る。
ある晩のこと。
一緒に手を繋いで歩いていたあの日。
不意に車の光が俺の視界を覆った。
直後、隣で血潮の息吹が迸り。
開けた視界には、遠く横たわる見知った姿。
助からないことは明白だった。
その姿を思い出すだけで、未だに鳥肌が立つ。
恐怖で身体が強張り、吐きそうになる。
瞳が涙で覆われ、視界がぼやけだす。
あの日以上の絶望を、俺は知らなかった。
だからあの時、“悪魔”に願ったのは仕方のないことで。
たとえ残り一年の命だと“悪魔”にどんなに嘲笑われようと、俺に一切迷いはなかった。
そのお陰で、今こうして春香とデートすることが出来ているし。
それを改めて実感して、やはり俺は間違えてなどなかったと心底思う。
後悔なんて、するはずない……
だからさ、春香。
「でも、このパフェ夏限定ってもったいないよね」
「……そうだね」
もっと、その眩い笑顔を見せてくれ。
ころころ変わる、その愛しい表情を見せてくれ。
生きているからこそ出来る顔を見せてくれ。
「ふふっ、やっぱ美味しいのになぁ……」
それで、俺の心を溶かしてくれ。
幸せそうに微笑んでくれ。
俺の命五十年分、笑ってくれ。
「じゃあさ、翔くん……来年も一緒に、ここに来ない?」
「……いいね、それ」
「本当? やった。約束だよ?」
「……あぁ」
ごめん、嘘だ。
俺は今、君に嘘をついた。
その約束を守ることは、俺には絶対に出来ない。
その頃には、俺はもうこの世にはいないから。
君は必ず、一人でこの時期を迎えることになる。
ごめんな。
ただ、それを君に告げるには、俺の勇気が足りなくて。
君の悲しむ顔を見る勇気が足りなくて。
俺は嘘を重ねることしか出来ないだけなんだ。
来年、君とまたここで笑い会うことが出来たらなんて幸せだろう。
君の側に居続けられたら、なんて幸せだろう。
そう心から思うのに。
俺には、それが出来ないんだ。
君の笑顔を眺めて、眺めて、眺めて。
この目に焼き付けることしか、出来ないんだ。
*
君との最後の秋が来た。
君は笑って紅葉の絨毯を駆け抜けて。
俺はそれを走って追いかけた。
途中、俺は落ち葉に滑って転けたけれど。
君はそれを笑いながら助けてくれた。
「まったく、ドジだなぁ」
「……恥ずかしいから誰にも言うなよ?」
そう言って再び二人で笑いあった。
俺はこの真っ赤な景色を、君の笑顔を、
死ぬまで。
いや、死んでも忘れないだろう。
*
君との最後の冬が来た。
クリスマスの日。
君は俺に手編みマフラーを渡してくれて。
俺は君に花の髪止めを渡してあげた。
君は髪止めを見て「なにこれ」って苦笑いしてたけど。
なんだかんだでつけてくれたね。
あの時「似合ってる」って言ったのは、
冗談なんかじゃないんだよ?
とても君に似合ってた。
君のまぶしい笑顔に似合ってた。
この冬が過ぎ、また次の冬が来ても。
その髪止めをつけてくれてたら嬉しいなぁ、って。
俺はそのことだけを考えていたんだ。
*
君との最後の春が来た。
大きな桜の木の下で。
落ちてくる花びらを捕まえながら、君と二人で子どもみたいにはしゃぎまくってさ。
花の髪止めに紛れて、君の髪に花びらが積もって。
君は笑いながらそれを払っていたけれど。
俺はそれを眺めながら。
花に似合うその笑顔を見ながら。
残り僅かな命の中で。
花びらのように散りゆく命の中で。
君にブーケを持たせてあげられなかったことが、
唯一の心残りだなって、思ったんだ。
*
君の初めての夏が来る。
俺がいない夏が来る。
君には俺の消失はどう見えるのだろう。
死ぬ間際、君に悟られないように、何も言わずに去るつもりだけれど。
君はどう思うのだろう。
裏切られたと、そう泣き叫んでくれていい。
俺を恨んでくれてもいい。
君は何も真実を知らないまま
笑いながら生きてくれ。
俺の分まで、生きてくれ。
君は笑う顔が、一番可愛いのだから。
これからも俺のいない季節はやってくる。
それでも君は生き続ける。
もう俺はその時期には立ち会えないけれど。
いや、だからこそ。
俺が今願うことはーー
ーー君がこれからも笑顔でいられますように。
ーー君が最後まで健康に生きられますように。
そして、
ーーこんなにも君を思っていた人が、この世にはいたのだと。
いつの日か、
花の髪止めを見て、思い出してくれますように。




