2話 宣戦
「え……?」
思わず耳を疑う。今なんて言った?
「だからぁ。悪魔だよ悪魔。お前も知ってるだろ?」
田中ははははと大きな笑い声を上げる。聞き間違いだろうか?
「ま、まぁ。知ってはいますけど……実在はしないでしょう?空想上のモノですよ」
「嘘をつけよ。お前も契約してるんだろ?」
今度こそ聞き間違いではない。田中が続ける。
「その様子だと図星のようだな?ま、何を言おうと、その手の痣で分かるさ」
田中がぐいとシャツをめくると、二の腕に青色の契約者の証が刻まれていた。
「そんな……!」
「何気にするな」
「―――もう遅いんだよ」
カチャン。手からカップが離れた。
視界が暗転する。――――まさか。
「結構効き目が早いんだな。この薬は」
冷たい田中の声。手には紫色の小瓶があった。
「さっき飲ませた茶な?毒が入っていたんだ。ああ安心しろ?毒って言っても少し体の自由がきかなくなるだけだ。飲んで即死ぬわけじゃない」
何を言っている?思考がぼやける。バタンと体が床に倒れた。熱い。体が内側から燃やされているようだ。
―――逃げなければ。
「無駄な抵抗は辞めとけ。体中怠いだろう?そんなんで逃げられる訳がない」
「俺は即死でもよかったんだが。契約悪魔が色々と煩くてな。なんでも人間の悲鳴を聞くのが趣味なんだと。即死じゃあ意味がない。だから遅効性の毒って事だ」
「……お……ま……」
「おお。口はまだ聞けるのか。体は動かないがこれは驚きだな。ま、助けを呼ぼうが誰もここには来ない。念の為、悪魔対策の結界も張ってあるしな。―――それじゃ」
「―――来てもらおうか?」
「―――させませんよ」
どこかで凄まじい音が聞こえた。掠れる目で見るとひらひらと舞うメイド服が見える。ああ。悪魔対策の結界とか言ってたな。その結界を破れるのは同じ種族である悪魔しかいない。
「てめぇ結界をどう破った!?」
「正面から堂々と。結界破りは淑女の嗜みですので」
「んなメイド聞いた覚えねぇぞ!?」
「貴方の認識が狭いだけでは?ユーキ様、ご無事ですか?」ヒルデの声が聞こえる。
「……あ……う……」
「無事な訳ねぇだろ?ソイツには毒を盛らせてもらった。あと数時間は毒は抜けねぇだろうよ―――おっと!」
「ほう。避けましたか」
「あぶねぇあぶねぇ。躾がなってねぇな。いきなり飛び道具とは。悪魔と契約してなきゃ今ので死んでたな。ったく。うちの契約悪魔は肉弾戦がお好きなんだが、そちらのメイドは遠距離がお得意なのか?」
「私が近距離が遠距離が得意なのかはともかく、今はそれよりも優先しなければならない事がありますので。ここで失礼させて頂きます」
「はっ、逃げる気か?そう簡単に上手くいかせねぇぞ?」
「―――いえ。もう完了しています」
「なっ!?腕がっ!!動かねぇ!」
「先程投げたモノの中には魔界に生息している魔物の糸が練りこまれています。糸は不可視かつ強靭。契約者としてでもこの糸を断ち切るのは時間がかかるでしょう。その間に私達はお暇させて頂きますよ」
「くっそ、待て!」
「待てと言われて待つ人はおりません。さあ、行きましょうか」
体が宙に浮いた。ヒルデに体を担がれる。意識が落ちていく。霞む視界に最後に見えたのは、田中がもがいている姿だった。
***
「うっ……」
目を覚ますと、見覚えのある天井があった。何回、何十回、何万回見ただろうか。見ただけで、自分の家にいるとわかる。
「ユーキ様!」
「……ヒルデ」
「大丈夫です、毒は取り除けました。ですが、無理をなさらないで下さい」
「ああ、ありがとう」上半身が裸だ。お召し物です、とヒルデから衣服を受け取る。
いそいそと服を着る俺に、ヒルデがほっと息をついた。
「簡易的な毒で助かりました。致死量の毒を盛られていれば私が入る間もなかったでしょう」
「そうじゃな。そこは奴の趣味のおかげと言えよう」
「セーレ!」
見ると、不機嫌そうな顔をしたセーレがいた。
「どうやら毒の効き目は収まったようじゃな」
「なんとかな。ヒルデのおかげでな。それより奴って?知り合いなのか?」
「そうではないが。名前は知っている。ユーキにも一人はいるであろう?名前は知ってはいるが、そこまで仲は良くない知り合いが」
「……まあ、いなくはないな」
「奴の名はデカラビア。奴は人の悲鳴を聞くのが趣味でな。自分で調合した毒で攫ってきた人間をじわじわといたぶる。人間がもうやめてくれと言えば、喜んでさらにいたぶる。……奴とはそこまで関りはないが、中々の悪趣味な奴じゃった」
こほんと咳を一つ。
「さて、そんな知り合いから会談があった」
「会談?」
「ユーキ様の件についてですね」
「あぁ。かねてより奴からは嫌がらせもあったしの。流石の我も少々我慢の限界だった。それで、此度の事だ」
セーレの声が大きくなった。
「―――開戦じゃよ。魔王候補同士の」
「そう……か」
「その前に一つ確認させてもらおうかの。ユーキ、貴様、我達と共に戦う覚悟はあるかの?」
「緊急とはいえ、勝手に契約を結んでしまったのだ。意思確認と思えば良い」
「……本来悪魔は契約を行う場合、意思確認を致します。私達悪魔の力で何をしたいのか、それをどこまで行いたいのか。この場合、ユーキ様は緊急契約の為、改めての確認、という訳です」
「……そう………なのか」ヒルデからの補足に頷く。
「今なら契約を破棄し、貴様はいつもの日常の生活に戻れる。悪魔と縁もゆかりのない生活を過ごせる。
だがもし戦うというならば、―――我としてはこちらがいいのだが―――もう普通の生活には戻れまい。
殺し殺されの世界。いつ自分が死ぬかわからない。そんな恐怖に耐えられるかの?」
「…………」
「ま、大事な問題じゃ。今と言わず、一晩でも二晩でも考えると良い。これからの未来の―――」
「―――戦うよ」言い終わるか言い終わらないうちに、言葉が口から出ていた。
「ほう?」眉をあげるセーレ。
「確かに怖い。自分が殺されるとか、相手を殺すとか」言葉が流れる。
「だけど、知ってしまった以上、見て見ぬ振りはできない。多分、俺は後悔すると思う。なんであの時戦わずに逃げたんだろうって」それに、と続ける。
「毒を盛られたんだ。一発返してやらないと俺の気が済まない」
「……どうやら必要なかったようじゃの?」くくくとセーレが笑う。
「良かろう。では戦争といこうかの。ヒルデ」
「はい!このヒルデ、全力でサポートさせていただきます!」胸を張るヒルデに俺も笑みがこぼれた。
「よしきた!」
「おっと、貴様はこれから我と稽古じゃ。このままだと貴様何も出来ずに死ぬぞ。それはもうぽっかーんと」
「ぽっかーんと」
「基礎体力もないようだからの。安心せい。我が鍛えてやろう。人間の言葉で言うと「オオブネに乗った気分でいろ」かの?」
***
「それで?」
≪それでとはなんだ。貴様、自分がした行いを分かっておらんのか?契約者に毒を盛るなど―――≫
「おいおい。俺らがやっているのは戦争だぜ?自分も準備できた、相手も準備できた。よしじゃ始めましょう、よーいどん!……で始まる戦争なんてないだろ?」
≪……≫
「ましてや魔王を決める戦争だ。弱い俺なんかが他の候補とまともに戦えやしない。だったら汚い手でも使うしかないだろう?奇襲。裏切り。計略。寧ろ今回はお前の平和ボケを気づかせてやったんだ。感謝して欲しいくらいだぜ。贈り物も送ってるしな」
≪…………笑えん冗談だな≫
「別に冗談で言ってねぇよ。本心そのものだ。それより、回線を開いたっていう事は―――」
≪ああ。貴様の望み通り、戦ってやろう。その首、洗って待つがいい≫
―――プツン。
「すまん。デカラビア。指示通りに出来なかった」
「大丈夫だよ、田中。想定内だ」
傍らにいた田中の謝罪に手を振る。こいつがしくじるのは想定内だ。今までこいつに指示を出して成功した事があっただろうか。一回、二回?覚えていない。それだけこいつは俺の指示に失敗している。
だが、今回は。―――契約者に毒を盛り脱落させろ。
この指示に対しては、奴は成功したと言えるのかもしれない。
セーレが釣れた。デカラビア自身もそうだが、悪魔としての序列としてはかなり低い。いきなり序列が高い相手と戦うよりも初戦の相手としては十分だ。それだけで今回の件では成功と言える。
そして。彼女の戦い方としても。
自らの戦いに誇りを持つセーレ。その戦い方は常に正々堂々、真正面から相手と向かい合う戦いを好む。
だが、経験上、そういった戦いをする奴は真逆の搦め手を使う相手には滅法弱い。他の悪魔達もそうだった。搦め手を得意とするデカラビアにとっては、戦いやすい相手だと言える。
「そ、そうなのか?それならいいんだが……」
「ああ。さてと。これからは忙しくなる。田中、君の協力がさらに必要になる」
「了解だ。なんでも言ってくれ」
「頼りにしているよ、相棒」
退出する田中に向けて言う。田中は手を振って応えた。何様のつもりなのだろう。契約こそはしているが、自らが上に立っているとでも思っているのだろうか。
「……どうでもいいか」
どうだっていい。彼にとっては、試練など興味はなかった。
彼の興味は、自らの毒を試せる事。
自らの毒が、どんな効能があるのか。どうやって死ぬのか。どこまで注入したら即死せずに苦しんで死ぬのか。その時の人間はどんな表情で、どんな事を吐きながら死ぬのか。遺言か。命乞いか。はたまた恨み言か。考えと興味は尽きない。毒薬を改良したり、新しい毒薬を調合したり。やらなければならない事は沢山ある。
「こいつも試してみるか……いや、こいつも面白いぞ……」
試したい毒を手に、増えていく独り言。
夜は更けていく。デカラビアの考えは、決戦前日の夜まで続いた。




