ある主婦のお話
さて、実話は何話あるでしょうか?
先ずは私からですね……。
私は12年程前に転勤族の夫と結婚して、実家を10年くらい離れていたんですよ。
私の実家は東北の平野のど真ん中にある農家の集まった小さな村の中にありましてね。田んぼに囲まれたど田舎なんですよ。
お産の度に帰ってはいたんですが、私の家は村の端にありましてね?同級生も結婚して村を出ていたり、同年代の人達は私の家とは反対側に集中していたんで、帰ってもお話しする人がなかなかいなかったんですよ。
ただ5年前に亡くなった祖母がとても義理堅い人格者で、お葬式の時は親類席よりも弔問席が多く埋まる程で、会場が間に合わなくなるかというくらいお友達がいたんです。
ですが私は祖母の友人のお婆さん方が、どこの家の方だか分からない人がほとんどだったんです。
同年代のお孫さんがいる家ならなんとか知っていたんですよ。でもいない家が多かったし、さっきも言ったんですが、ウチは村の端にあり同級生は近所にいましたので、村中に通う機会も少なく誰の家がどこにあるか分からない事もあったんです。
更に私の村から50mと離れていない村がありましてね。学区の行事の際、集落が少ないのでウチの村と一括りにされているのですが、そこだと全然分からなかったんですよ。
おまけにお年寄り達は、家の事は屋号で呼び合っているので更に混乱しましたね。
屋号とは何かって?
屋号とは家に付けられた名前です。明治になって平民でも名字を持てるようになった時、最初の家長の名前が実家の近辺だとそのまま家の名前として代々受け継がれているんです。
学区で作られる電話帳には今でも屋号が括弧書きで載っていますよ。
………話が逸れましたね。
祖母が亡くなってから2年後に夫の転勤で実家に戻ったんですね。
今年長女が小学校の高学年になり、色々小学校の絡みもあって村の役員が回ってきたんですよ。
6月の第一日曜日に学区で地区対抗運動会があったんですね。
そこで村のお弁当係をやることになってしまい、隣村も合わせた46件の家を廻って食券の注文書を配布して回収することになったんです。
前述の理由で村人に顔の効かない私は、地図を書きながら記入して一軒一軒注文書を配って歩いてたんですね。
ちなみに夕食以降の時間帯でしたから、割と薄暗かったですよ。
それから5日後に注文書と金額を回収したのはいいのですが、枚数が2枚合わなかったんですよ……。
それで地図を見ながら◯✖︎付けて一軒一軒廻って行ったんですが……隣村なんですが……訪れた筈の家が一軒、無かったんです。空き地になっていました。
更にある家なんですが、祖母の友人のお婆さんのお家に前回お届けしたんですが、5日後に行ったところ、鍵がかかっていて誰もいなかったんです。
前回そのお婆ちゃんが迎えでてくれて、お婆ちゃんに渡したんですが、誰もいなかったので次の日の昼に行ったんですね。それでも留守で締め切りに間に合わなかったんですよー。
それで母に相談したのですが、空き地の処は母が嫁いで来た時から空き地だったそうです。
そして祖母の友人のお婆ちゃんのお家ですが……祖母が亡くなる2年前にそのお婆ちゃんはお亡くなりになっていて、現在空き家なんだそうです……。
何度数えても食券の注文書は2枚足りませんでした。
私は何処を歩いていたんでしょう。
今でも謎のままです。